高等部
四月。高等部入学式前日。
陽菜は、腰まで伸ばした艶やかな黒髪を、バッサリと切った。端正な顔のほとんどを覆い隠す、重い前髪を作り、存在感を消した。
目立ちさえしなければ、穏やかに過ごせると考えた。心身を健全に保つため、誰からも関心を持たれないようにしたかった。
陽菜は何事にも、気丈に振る舞っているけれど、メンタルは豆腐のように脆い。いとも簡単にぐちゃぐちゃになり、崩壊する。
高等部には、中等部からエスカレータ式に上がる内進生と、受験して入学する外進生が共生する。陽菜は、幼稚舎からの内進組。
外進生の割合は、四割を占める。合格者数に対する受験者数を示す、実質倍率は六倍。つまり、合格者全員が出身校でトップの成績を収めていた者ということ。
自身を、選りすぐられた特別な存在であると認識している、選民意識の強い人間が多数を占める。
陽菜は、そんな外進生達が、無口で陰気な人間に、関心を持つことは無いはずだと考えた。
* * *
十月初旬。
陽菜は、学内で声を掛けられること無く、誰とも関わることの無い、平穏な日々を過ごしている。始業直前に教室に入り、休憩時間は常に突っ伏す。終業直後に帰宅するだけの日々を続けている成果。
いつもと変わらぬ放課後。荷物を鞄に詰めているとき、平穏を壊す事件が起きる――何の前触れもなく、教室に入ってきた<生徒会長>。
「結月陽菜さんは、居るかしら?」
教室内を見回す<生徒会長>を、前髪越しに目で追う陽菜。
(<生徒会長>に探されるようなことをした覚えは無い。けれど、やましいことをしていないから、こそこそと隠れる理由も無い)
陽菜は<生徒会長>に歩み寄り、横で立ち止まる。
「ご用件は何でしょうか?」
「貴様に用は無い。結月陽菜を、今すぐ連れてこい」
あからさまな豹変ぶり。横柄な物言いは、頼む態度ではない。
<生徒会長>は、容姿が地味だから――その一面だけで陽菜を評価し、威圧的な態度を取った。
<生徒会長>は相変わらず、自分より劣ると判断した人間に対しては、傲慢で威圧的な態度を取っているようだ。
「探しているものすら認識できないとは、その目は節穴でしょうか?」
<生徒会長>は怪訝そうな表情をする。
陽菜の顔を、覆い隠している前髪を掴み、引っ張る。しかし、露わになった陽菜の目を見て、慌ててその手を離す。
「……イメチェンされたのですね。失礼しました。単刀直入に申し上げます。風紀委員に入っていただけませんか。欠員が出てしまいまして」
<生徒会長>は言動を一変させる。二人は旧知の間柄。中等部で陽菜が生徒会長になったとき、生徒副会長を務めていたのが、眼前に居る早川。
今期は残り半分を切っている。こんな中途半端な時期に、欠員を埋めなければならなくなる事態に至るのは異常。
「折角のお誘いですが、辞退いたします」
<生徒会長>が陽菜に向ける目が、あからさまに鋭くなる。
「そうですか。仕方ありません……生徒会長権限において、結月陽菜を、風紀委員長に任命する」
委員長まで不在とは――<生徒会長>が陽菜をトラブルに引き摺り込もうとしているのは明らか。
「勝手に決めないでください。辞退いたします」
「生徒会会則をご存知ないのでしょうか? 生徒会長からの任命を、拒否することは出来ません」
当然、熟知している。中等部と高等部で然程変わりはない。その会則に則り、早川の暴挙を何度も止めてきた。
「そないな横暴、とおるわけあれへんやろ。めちゃくちゃやな」
クラスメイトから発せられた、他愛もない嫌味。本来であれば、全く問題ない発言。だけれど、今このタイミングでは控えて欲しかった。<生徒会長>権限による暴挙に対抗する術が無く、取り返しがつかないことになりかねない。
陽菜の嫌な予感は的中。<生徒会長>は腕を組み、不敵な笑みを浮かべる。
「生徒会に対する侮辱行為。看過出来ませんね。風紀委員長の仕事振り、とくと拝見させていただきましょう」
「おもろいこと言うなぁ。うちは、なんもしてへんのやし、何もでけへんやろ」
発言者の日南茉莉は、外進組。<生徒会長>の狡猾さを知らない様子。騒然とする内進組。
日南さんの髪が、<生徒会長>に鷲掴みにされる。
「風紀委員長は、生徒会会則に則り、誰に対しても厳正に対処しなければなりません。風紀委員長からの申請に基づき、あなたを一週間出席停止処分とします」
「何言うとんねん! そんな申請出されてへんやろ」
無駄だ。この学校の生徒会は、そういうものなのだ。
<生徒会長>は明朗快活に、別れの挨拶を口上する。
「あなたは明日より出席停止です。それでは、ごきげんよう」
<生徒会長>が退室し、日南さんが寄ってくる。
「あいつ、めちゃくちゃなこと言うとったなぁ。気にしたらあかんで」
日南さんに、全く悪意が無いのはわかる。むしろ、陽菜を擁護してくれている。
「<生徒会長>の決定は絶対。だから……日南さん、本当に出席停止……」
「冗談やんな? なんとかしてや」
残念ながら、陽菜に出来ることは何も無い。返せる言葉は無く、ただ唇を噛み締める。
「そんな殺生な……」
* * *
十一月十六日。
陽菜は、恣意的な取り締まりを繰り返し、生徒会の信頼を毀損した首謀者に仕立て上げられた。所謂スケープゴート。
陽菜は、風紀委員長辞任を申し出た。しかし、未だに据え置かれている。
解任すると、罰することが出来なくなるため、役職を解けないと<生徒会長>が主張していることが原因。罰する目的で留任されているだけなので、権限は一切有していない。
陽菜は、もとより不正に一切関与していない。
指揮系統は別にある。風紀委員とされている人達は、初めから<生徒会長>の指示により行動しており、陽菜は顔を合わせたことすら無い。しかし、未だに続いている、風紀委員による恣意的な取り締まりに、陽菜が関与していないことを証明してくれる第三者が居ないため、陽菜に対する責任追及と、批判の声は日々強まっていく――。
現在の陽菜は、生徒会の後ろ盾が無いだけでなく、生徒会の制裁対象。
悪を退治するという大義名分を得て、もっともらしい主張を繰り広げる活動家が現れた。
陽菜への、私刑が執行される――。