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乙女ゲームの悪役令嬢に転生しましたが、この展開はさすがに予想外です

作者: 藤水みゆ

 

 この世界は乙女ゲームの世界だ。

 そして私には、前世の記憶がある。

 

 ……くれぐれも頭のネジをどこかにやった人だと思わないで欲しい。いやそりゃ前世の私だって、目の前で『ここはゲームの世界よ!』とか言われたら、この子大丈夫かな、くらいは確実に思っただろう。それから、近寄らないでおこう、とも思ったはずだ。


 そう思って当然な発言だということは私も分かっている。だから誰にも言ったことないし、言おうと思ったこともほとんどない。

 けれど、5歳で記憶が戻って以来、このままじゃいけないことも理解している。



 なぜなら、私は乙女ゲームで悪役だったのだ。

 


 淡い金髪に薄桃色の瞳。天の使いかと見紛うほどの美少女とは、私、エウラリア・オリヴィエ公爵令嬢のことである。


 一世を風靡したこのゲームは、有名イラストレーターと豪華声優陣を集結して作成した、乙女ゲームという分野において、世界で最も製作費用の高いゲームだったのだ。

 そんなゲームの中で屈指の美少女としてキャラメイクされたのが、エウラリアなのである。そんなもの、美少女でないはずがない。


 エウラリアは初め、ゲームの舞台となる学園において、心優しく完璧な令嬢として登場する。

 しかし、主人公が攻略対象と仲を深め出すと、徐々にその本性を現わし始めるのだ。

 というかそもそも、一部の攻略対象者たちには既にトラウマを植え付けているのだが、それに加えて主人公にも危害を加え出すのである。

 ちなみに、頭の良いエウラリアは悪事を行う際も周到で、証拠を残すようなことがない、非常にタチの悪い人間である。


 だがそんなエウラリアに屈することなく、主人公と攻略対象者は協力し、学園内に少しずつ仲間を増やしていく。

 そしてついにエウラリアの悪事を証明し、主人公と攻略対象者は結ばれる―――というのが乙女ゲームのストーリーである。


 けれど、今の私にとって、主人公が結末でどうなるかなんて、心底どうでもいい。ハッピーだろうがバッドだろうが好きにしてくれ。

 私が気になるのは、悪役令嬢エウラリアのことである。

 このエウラリア、ほぼ全てのルートが処刑エンドで終わる。ハッピーエンドでもノーマルエンドでもバッドエンドでも、その確率9割超えは堅い。

 数少ない例外が牢獄行きだとか辺境に送られて塔内に幽閉されるようなエンドである。こんな恐ろしい結末を、エンドロールでちらりと流すだけなんて、どうかと思う。

 そりゃあ悪役の結末を詳細に語って欲しい、なんて需要はほとんどないのかもしれないけれど、あれほど金をかけてキャラメイクしたのだから、最後も気合い入れろよと今なら思う。


 だがしかし、今文句を言ったって仕方ない。いくら文句を言おうが、非情な現実は変わらないのだ。

 だから私は、未来を変えようと心に誓った。大丈夫、前世には悪役に転生しても幸せになれる物語が大量にあった。それと同じように頑張れば良いのだ、と。


 けれどここで、重大な問題が発生した。


 実は私、この乙女ゲームをプレイしたことがないのだ。


 驚異の売上を達成したこのゲームは、漫画化、アニメ化、映画化など、様々な派生作品のどれもが人気を誇った。

 その効果に目をつけたテレビや雑誌、インターネット上で大量に取り上げられていたから、ある程度内容を知っているだけで、自らプレイしたことはないのである。


 唯一の救いは、妹がこのゲームをやり込んでいたことだろうか。

 大きな画面で見たいの、と言い張ってリビングのテレビを占領していたときは、何時間もテレビを見れないじゃないかと不満を抱いていたけれど、とんでもない。

 むしろ今となっては、その隣で漫画や小説を読んでいた自分に対し、アッチを見ろと殴りかかりたい気分である。

 妹の語りを話半分に聞いていたのも悪かった。おかげで、6人いる攻略対象者のうち、役に立つ情報を覚えていたのは1人だけだった。

 それも、幼少期のトラウマエピソードを1つだけである。なんて使えない前世の記憶なんだろう。


 だけど、0より1である。1つだけでも覚えていて良かった、存分に活用しよう、と幼い私は決意した。私はポジティブ・シンキングを目指しているのである。

 ……というか、ポジティブにいかないとやってらんない。


 ただこの1つも微妙だった。

 だけどこれに関しては私は悪くない。なにせ、攻略対象者の幼少期の記憶として、ちらりと登場するだけのエピソードだったのだから。

 あんなにゲームをやり込み、派生作品もオールクリアした妹が不満気に語っていた推しの話なので、間違いない。

 ……そんなことしか覚えていない私が悪い、なんてことは考えてならないのである。


 だけど私は頑張った。全力で記憶を掘り起こし、そのエピソードが起こった日付を特定し、ある程度その現場まで絞り込んだ。


 それは、我がフィーリア王国の誇る四大祭りの一つ、春の花祭りの最中に起こるエピソード。

 攻略対象者の1人、ギルバートの話である。



 ギルバートの過去話は重い、暗い、怖い、の三拍子だ。


 碌でもない貴族が平民のメイドを孕ませて生まれたのがギルバートである。その貴族の妻も碌でもない人で、ギルバートのお母さんは職を失った上に、身一つで屋敷を追い出され、さらにはその貴族が治める領内に悪評をばら撒かれた。

 確か男爵位程度の貴族だったような気がするけれど、平民にとっては逆らえる相手ではない。それに、周囲に妊娠がバレるほど大きくなったお腹では、悪評のない場所への長距離移動も、生きていくための労働も厳しいものがある。


 それでも何とかギルバートを産み、辺境の男爵領から王都へ移ったギルバート母だが、身寄りもなく知人もいない土地で、物語のように上手くことが運ぶわけがない。

 娼婦として懸命に働きながらギルバートを育てていた母だったけれど、ギルバートが5歳の時、病気で亡くなってしまうのだ。


 それから3年間は、スラムで同じ孤児仲間と何とか暮らしていたギルバート。しかし8歳の時に迎えた春祭りの夜、人攫いに遭ってしまう。

 スラムにいたところで周囲と一線を画する美貌は隠しきれず、人攫いの組織に目をつけられてしまっていたのだ。


 狭く暗い牢に閉じ込められるギルバート。下衆な大人に見下ろされながら震える彼に届く、仲間の助けが来たという希望。しかし無情にも卑劣な大人に敵わず、ギルバートの元には血に塗れた親友の遺髪が届けられる。


 家族も友も仲間も、全てを奪われたギルバートが感情を失くそうとしたその時―――エウラリアが目の前に現れるのだ。

 闇に舞い降りる天の使いのように綺麗な少女。

 それがギルバートの瞳にどう映ったかなど、想像に難くない。


 そうして助けられたギルバートは、エウラリアの執事として側に仕えることとなり、その設定のまま乙女ゲームの舞台へと登場するのであった。

 もっとも結局、悪役エウラリアの肉体的・精神的暴力や主人公に対する悪事の片棒を担がされたことにより、ギルバートの心は追い詰められていくわけだが。



 でも、前世持ちエウラリアである私はそんなことしない。

 正直ちょっとだけ『助けない方が生存確率上がるんじゃない?』という心の声に負けそうになったけれど、『知っているのに見殺しにできるの?』という心の声が勝利を収めた。

 前世の私は善良な小市民だったのだ。助けられるものを無視して、その後何も感じずに生きていける気がしなかった。


 だけどここでまた問題が発生した。正確な場所が特定できなかったのである。

 なぜなら、エピソードに細かい場所なんて書いていなかったし、かといって公爵令嬢である私が、市井の、しかも犯罪組織が隠れ込むような場所なんて知っているわけない。

 だいたい、なんで公爵令嬢のエウラリアがギルバートを助けに行くの?8歳児のお嬢様を、普通、危ない事件現場に連れていきますか?



 そんな風に乙女ゲームへ心の奥底から突っ込みをしつつ、私は春祭り当日、過剰ともいえる護衛を引き連れながら市井に降り立った。

 一人娘のエウラリアに激甘の両親に、全力でお願いしたのである。

 要するに「夜の春祭りを見てみたいわ。けれど、夜は怖いから護衛もたくさんつけてね」という内容を、春祭り三か月前から毎日頼み続け、なんとか勝ち取った結果であった。


 しかもありがたいことに、娘が心配だから、とお父様もついてきてくれることになり、護衛がさらに増えた。

 お母様は春祭りの開催3日前に足を捻挫してしまったので不参加であるが、起こることを考えれば不参加で正解である。



 そうしてやって来た春祭りの夜、私がまず行ったのは、迷子になることだった。人の多さに護衛の目が離れた一瞬の隙を狙って、私は全力で迷子になった。

 前世ではそれなりの都市に在住していた私。あの恐ろしい満員電車と交差点の往来にさらされていた日々を思えば、小ささを利用した人ごみへの攻略なんて鼻歌を歌いながらだって簡単である。

 そして、護衛たちとお父様に申し訳なさを感じつつ、人はそれなりにいるけどスラムにも近いよ的なところで見つかるのを待つ。



 全力で探してくれたのだろう、私は数分も経たずに見つけられた。

 困り顔のお父様から注意を受けたような記憶があるけれど、当時の私はギルバートの救出で頭がいっぱいだったので、物凄くぼんやりとしか覚えていない。本当にごめんなさい。


 エピソードとして重要なのはそこからだ。

 その注意の最中に、一人の護衛が「あれ?」と声を上げたのである。その声自体は限りなく小さいものであったけれど、お父様のお小言以外に全力で集中していた私は、その声を聞き逃さなかった。

 お父様を放ってその護衛に突進し、何か不審なことがあったのかについて問い詰めた。そりゃあもう、鬼気迫る感じで問い詰めた。

 可哀想に、公爵令嬢に詰問された護衛は、顔色悪く、汗をだらだら流しながら違和感を語ってくれた。

 

 そこからの私の行動は素晴らしく速かった。


 まずお父様に「違和感の正体を確かめないと駄目。何かあるわきっとあるわ絶対あるわ」と言い募る。

 面を食らいながらもお父様が護衛を違和感のある方向へと向かわせ、その者たちが事件現場を発見する。

 その知らせを受けたお父様が町の警備隊と騎士を呼びに行かせ、やって来た大量の武官たちが現場を鎮圧した。犯罪者を連行する傍ら、10歳前後の子供たちも保護されて出てきたことにほっとしていたけれど―――肝心のギルバートの姿が見えない。


 そうしたら、保護された子供たちが「ギルがいない」と騒ぎ出した。けれど、騎士たちがいうことには、もう中に人はいないらしい。

 そんな言い合いがなされる中、地面を揺らすような爆発音が上から聞こえてきた。


 慌てて顔を上げると、ギルバートがいるはずの建物から火が上がっている。

 その火を見た瞬間、体中の血がサーッと引くような気がした。


 嘘でしょう。冗談じゃない。ギルバートを助けられずに終わるわけにはいかない。


 気づけば私の体は走り出していて、周囲の声も手も逃れながら建物の中へと飛び込んだ。



 落ち着け。妹のゲーム映像を思い出せ。

 ギルバートがいるのはどこだ?上か、下か?

 ……いや待って、どうして私は下があるなんて知っていたの?


 思い出せ。ギルバートはなんて言っていた?

 暗くて、狭くて、それから―――『見下ろされていた』。


 震える身体を抱きしめるギルバート。それは恐怖だけでなく、実際に寒いのだとしたら、それはどんな時だろう。


 思いつく答えは数個。けれど、全ての条件に当てはまるのは1つ。

 手当たり次第に部屋を開ける。違う、ここも違う、時間がない、一体どこに―――


「あった」



 正方形の木の枠に、固く閉じられた蓋。使わなくなった井戸に、彼らはギルバートを閉じ込めたのだ。

 枠と貼り合わされた蓋に苛立ちを覚える。逃げられないためとはいえ、なんてことをしやがる。しかも、ご丁寧に防音の魔術まで刻んでいるではないか。


 だが、ここにいると分かれば壊すこと自体は簡単だ。蓋自体は薄っぺらい木でできているみたいだし。 

 なぜか近くにあった手ごろな石で蓋を叩き割る。すると防音の魔術は効果を失い、中にいた男の子が目に入った。


「右端に寄りなさい!!」


 言葉を交わす前に大きな声で命令し、男の子が従ったのを見て思い切り石を振り下ろす。

 牢が古びた木製で良かった。金属だと石では壊れない。


「手を掴みなさい!」


 伸ばせばなんとか手が届く。

 こちらを見るだけで動かない男の子に「早くっ」と再び怒鳴れば、慌てたように手が重ねられた。


「私は非力だから、枠に少し体重をかけて登りなさい。少しだけよ。かけ過ぎると古いから壊れてしまうわ」


 こんなことなら、もう少し腕力をつけておけば良かった、と思いながらも何とか踏ん張り、男の子を枠の外へと引き上げる。

 勢いで地面にしたたかお尻を打ちつけたけれど、名誉の負傷と言っておこう。

 涙を堪えながら顔を上げると、呆然とした顔でこちらを見る男の子と目があった。

 少し、いやなかなか汚れているけれど分かる。珍しい紫紺の髪と瞳。十分面影のある顔。


 ―――ああ、良かった。私、助けられたんだ。



「ギルバートね?」


「…………は、い」


 かすれた声で返される返事。私はそれを確認して、にこりと笑いかける。



「わたくしの名前は、エウラリア・オリヴィエ。あなたを助けに来たわ」




 ―――こうして私は、ギルバートを救出した。





            *



 その後ギルバートは、ゲームと同じく私の執事として側に仕えることになった。もちろん、なにも初めから執事だったわけではない。


 実はこのエウラリア、父が王弟であることから、低くとも王位継承権を持つ本物のお姫様なのである。よって、従者が貴族であってもおかしくないレベルなのであった。

 実際、ただ専属を決めていなかっただけで、今までも身の回りの世話をしてくれていた侍女は全員貴族の娘であったし、ギルバートがいなければ、そのうち貴族の娘が専属に選ばれていたはずである。

 私としてもゲーム内と同じ状態にしたい願望は全くなかったので、ギルバートを専属にして欲しいなんて一度も言ってない。

 けれどなんていうか、ギルバートが物凄く頑張ってくれちゃったのだ。


 ―――自分の命を助けてくれた天の使いと見紛う美少女。しかも話によると、自分の仲間が助かったのも彼女の言動のお陰だった。

 それを知ったギルバートは果てしないほど深く私に感謝し、尊敬し、そして心酔した。それはもう心酔した。あまりの心酔度合いに大丈夫かな、と不安になるほどに心酔した。

 私が黒だと言えば、白を黒だと迷いのない目で言い切るくらいに心酔した。


 その勢いでギルバートは瞬く間に仕事を覚え、教養を身につけ、立居振る舞いも身につけた。さらには武術まで鍛え始め、最近では大人の護衛たちにあっさりと勝利するほどにまでなった。

 ゲーム内でも執事になっていたのだから、もともと実力はあったのだろう。あれよあれよという間にギルバートは力をつけ、我が家に来て1年後には私専属の執事となった。


 お前が了承しなければ良かっただろう、という意見があるのは分かる。私だってそう思った。

 だから一旦やんわりと断りを入れてみたら―――ギルバートが壊れた。

 ものを食べては吐き出し、夜に眠れないなんてことは当たり前。人間の衰弱過程をまざまざと見せられ、あれコレってまずいかも、と思った時には周囲も限界を迎えていた。

 トラウマが一部解消されていたからか、もともとのピュアさが残っていたギルバートは、一途に努力をする可愛い男の子として邸内で人気だった。そんなギルバートが弱っていく様を、周囲は見かねたのである。


 ある日、執事長や侍女長を含めた上級使用人が部屋を訪ねてきて、「お願いですから、ギルバートを執事にしてあげてください」と頭を下げられた。

 ギルバートと一緒に我が家に引き取られた、彼の孤児仲間の親友には土下座までされた。

 お父様とお母様にも、「認めてあげたら?」とふんわり笑顔で言われた。


 そりゃ私だって、日々弱っていくギルバートを見るのは辛かった。だけど、だからといってゲームと同じ執事にすることは怖かったのだ。だって、ゲームと同じ未来を迎えたら、私は死んでしまうのだから。

 でもこのままだと、私が死ぬ前にギルバートが死んでしまう。それは嫌だ。自分の命をかけて守った命だし、私だって、結構恐怖を感じているけど、自分を一途に慕ってくれるギルバートのことを可愛く思ってる。

 それにそもそも、この世界はあくまで現実であってゲームではないのだから、私が他のことさえ気をつけていれば、ギルバートを執事にすること自体は問題ないのかもしれない。


 と、そこまで考えてしまえば、あとはどうしようもなかった。


 使用人たちの中央で、呆然と立ちすくむギルバートのもとへと足を進める。

 彼の目の前に片手を差し伸べて、私は全力でふわりとした笑顔を作った。



「ギルバート。わたくしの執事として、わたくしを支えてくれるかしら」



「……はい。はい、エウラリアさま。せいいっぱい、つとめさせていただきます……っ」



 私の手をぎゅっと両手で握りしめ、ぼろぼろと涙を溢すギルバート。

 周囲ではスタンディングオベーションが巻き起こり、拍手と涙と喝采が空間を包んだ。



 ―――こうして、ギルバートは私の専属執事となったのである。








 そこからだ。私の想定外に物事が進み始めたのは。


 原因は分かっている。ギルバートだ。

 ギルバートが私の予想以上に良い子でピュアな少年に育ったことが原因だ。

 だけど仕方ないじゃないか。誰がこんな未来を予想する?私は悪くない。私は、絶対、悪くない。




 まず、攻略対象者その1。フィーリア王国第一王子、フェリクス殿下の場合。


 彼は、出生、容貌、頭脳、身体能力、その他多くの能力に恵まれた完璧王子。

 だがその実、幼い頃から嘘と欲望に塗れた大人と接してきたことにより、人間不信に陥っていた。


 私が9歳の夏、執事となったギルバートを初めて王城で開かれる同年代のお茶会に連れて行ったとき。帰り際迷子になったギルバートを必死に探して見つけたら、なぜか第一王子を釣っていた。

 その時の私の衝撃を分かってくれるだろうか。常に能面みたいな笑顔を張り付けていた従兄弟が、心からの笑みでニコニコしながらギルバートを膝に乗せているのだ。


 意味が分からなかった。


 呆然と立ちすくむ私にギルバートが気づき、「エウラリア様っ」と駆け寄ってくる。

 奪ってないけど、奪ってないのに、自らの膝からギルバートを奪われたと思った第一王子。

 ゆらりと立ち上がってこちらに近づいてくると、私を見て「へえ。エウラリアのなんだ」と笑った。



 ―――終わったと思った。





 次に、攻略対象者その2。騎士団長を父に持つ伯爵家嫡男、ブライアンの場合。


 彼は、幼い頃から鍛錬に励んでいるのに、まったく強くならない自分の能力と、友であるフェリクスの心を守れない自分の弱さに苛立ちと悔恨を抱いていた。


 私が9歳の冬。王妃様に呼ばれてお母様と王城に遊びに行ったとき。

 娘も欲しかったらしい王妃様に可愛がられた後、お母様と王妃様が2人で会話し始めたのでギルバートを連れて庭へ散歩に出た。会話をしながら歩いていたはずなのに、気づけば聞こえなくなった返事。

 慌てて後ろを振り返るも、そこにギルバートの姿はない。


 急いで衛兵に伝えて探し回ると、なぜか鍛錬場でブライアンを釣っていた。

 涙を流して笑うブライアンを、同じく涙を流して笑うギルバートが抱きしめていた。


 意味が分からなかった。


 呆然と立ちすくむ私にギルバートが気づき、「エウラリア様、ブライアン様は凄いんですっ」と駆け寄ってくる。

 話を聞くに、ブライアンが自分は強くないと思うのは、練習相手が騎士団長である父だったり剣聖と呼ばれる隊員だったりするからであって、普通に強くて半端ないらしい。

 手合わせしてもらった、と笑うギルバートに「良かったわね」と言おうとして、止まった。すぐ側まで近づいていたブライアンが、ギルバートの頭を優しく撫で始めたのだ。


 そして、「俺がお前を一生守ってやる」と笑った。


 それだけだったら良い。

 たとえ、それが確かヒロインに言う台詞だったような気がしたとしても、別にどうこう言うつもりはない。

 けれど、次に顔を上げたブライアンが、私を一瞬、無感情の瞳で見据えたのである。それは一瞬のうちにギルバートの敵味方を判別するような瞳で、無感情なのに、敵認定されたときに彼がどう動くかを簡単に予知させるほどの狂気を感じた。

 味方判定を下したらしいブライアンが、私を見て「ギルバート、良いですね」と笑った。



 ―――終わったと思った。





 次に、攻略対象者その3。エウラリアの義弟、リナルドの場合。


 彼の過去はギルバート並みに悲惨だ。

 お父様の異母弟、つまり王弟の息子として生まれたリナルド。けれど彼の父親は子供に興味のない最低浮気男で、妻が妊娠したと分かると、他の女のところに通うようになった。

 そんな父親を狂愛する母親からは、お前さえいなければと責められ、ひどい虐待を受ける。毎日『いらない子』と言われ、餓死寸前のところまで追い詰められた時、異母弟が痴情のもつれで亡くなったことで、隠されていた彼の存在が発覚する。

 そして、同じ異母兄とはいえ、国王が引き取るのは難しかったため、リナルドは我が家に引き取られることとなったのである。

 

 実はこのリナルド、ゲーム内で悪役エウラリアから直接被害を加えられた攻略対象者その2なのだ。ちなみにその1は、言わずと知れた我らがギルバートである。


 ゲーム内で彼は、自分の家にいきなりやって来て両親の愛を奪う者として、エウラリアから陰で暴力を受け続けている、とされていた。

 悪役エウラリアちゃんは、自分のものだと思ったものを取られるのが大嫌いなのである。正真正銘のクソガキだ。


 だけど安心して欲しい。

 今世のエウラリアはそんなことしない。しないけど、虐待を受けてきた子供にどう接すればいいのか分からなかった。だから、努めて穏やかに、優しく声をかけるくらいしかできなかった。

 下手に側に寄ろうとすると、ガタガタ震えて「来ないで」と大声を上げて嘔吐するのだ。これに関しては申し訳ない、私は役立たずだった。


 しかしここで活躍したのがギルバートだった。


 どうやったのか詳しくは教えてもらえなかったが、リナルドにご飯を食べさせ、部屋から外へと出させ、俯いてばかりだった顔を上げさせた。

 自分の体に一切触れさせなかったリナルドが、ギルバートと手をつないで庭を歩いているときは、思わず感動して涙を流してしまった。


 少しずつ、少しずつ回復し、身体に肉が付き始めたリナルドに邸内中が安堵に包まれ始めたころ、天気が良いからと、リナルドと正門近くの庭でお茶をすることになった。

 まだ少し俯きがちだけれど、ぽつりぽつりと返される返事に、会話ができている!と私はとても嬉しくなった。


 そんなとき、屋敷の正門の方から声が聞こえてきた。リナルドがじッと見つめるものだから、なんとなく気になって声の方向を向く。


 するとそこには、我が家を訪ねていた商人と、対応していたのだろうギルバートがいた。

 ギルバートが私の側を離れるのは珍しいけれど、あの商人は私の使う日用品を持って来てくれる人だ。私の専属であるギルバートが対応するのも、別に変じゃない。


 あの商人はギルバートのことを可愛がってくれていて、今日もギルバートを可愛いと抱きしめて―――


ん?



 背後から、陶器の割れる音が聞こえた。


 次いで、控えていた侍女とリナルドの専属となったギルバートの親友の悲鳴が聞こえる。

 私も急いで振り返ると、リナルドが壊れた茶器を握り締めていた。その破片が手を傷つけているのに、リナルドが手の力を弱めないものだから、血が溢れて止まらない。むしろどんどん悪化している。


 私も悲鳴を上げながらリナルドに駆け寄る。「リナルド、手を離しなさいっ」と言って茶器から手を離させようとするのに、リナルドはこちらを一切見ず、ギルバートの方だけを無表情で見続ける。

 全く離れない手に、どうしよう、と泣きそうになりながらリナルドの顔をもう一度見ると、無感情の瞳に一抹の光が戻り、茶器を握り締めていた手がふわりと緩まった。

 突然の変化に驚いて、リナルドの視線をたどると、騒ぎを聞きつけたギルバートがこちらに駆け寄っていた。

 ギルバートはリナルドが怪我をしているのを見ると、「ぎゃあああああっ。リナルド様、それ、一体……っ⁉︎」と血相を変えてリナルドの腕を取った。



「痛い」


「そりゃそうですよっ。一体何があったんです⁉︎」



 携帯していたらしい救急セットで簡単に治療を始めるギルバート。側にいた侍女は医師を手配しに邸内に走っていった。


 本来なら、私も慌てふためいていたはずだった。

 けれど、涙目で応急処置を行うギルバートを見たリナルドが、微かに目元を緩ませ、満足そうに口角を上げていることに、私は気づいてしまったのだ。



 意味が分からなかった。


 自らを傷つけておきながら、どうして笑っているの?ギルバートが側にいることが、そんなに嬉しい?それとも、ギルバートが抱きしめられるのが許せなかった?


 疑問がいくつも頭に浮かび、答えの出ない問いに頭がパンクしそうになる。


 その間に応急処置は終わりを迎え、ギルバートが立ち上がって私を見た瞬間―――ギルバートが口を開くよりも先に、リナルドが声を発する。



「姉上。医師のもとに行くために、ギルバートを借りてもいいですか」



 そんなにギラギラとした瞳で見ないで欲しい。……おかしいな、私の方が健康体なのに、肉食獣に睨まれた草食動物の気持ちが急によく分かる。


 ギルバートが戸惑ったように私とリナルドを交互に見る。……大丈夫、あなたの疑問は間違ってない。

 なぜ目の前に自分の専属執事がいるのに、私の専属執事を連れていくのだ。全くもって筋が通ってない話である。


 だけどごめんなさいギルバート。

 私は今、か弱い子兎になっているの。



「良いわよ。けれどリナルド、今度からは怪我をしないように気をつけなさいね。……ギルバート。わたくしのことは良いから、あなたは先生のもとへリナルドを連れて行ってあげて」



 引き攣りそうな顔に、なんとか自然に見える笑みをのせて言う。

 私が頼んだことならば何でも素直に聞くギルバートが、「はい!」と返事をしてくれた。私が言うのもなんだけど、あなたは多分、もっと警戒心を持った方がいいと思う。


 そんなギルバートの笑顔を甘い瞳で見つめるリナルド。次いで私に向けた瞳は、羨望と嫉妬に染まっており、甘さなんてミジンコくらいしかなかった。

 そんな瞳を細めながら、リナルドは独り言のように「姉上、良いですね」と呟いた。



 ―――終わったと思った。






 次に攻略対象者その4。宮廷魔法師長を父に持つ、侯爵家嫡男のエミリアの場合。


 彼は、巨大な魔力量を持つが故の悩みを抱えていた。魔法の威力を制御し難い幼少期に、魔法で何度も周囲を怪我させた経験から、自分の力が怖いと引きこもりがちになってしまうのである。

 もっとも、成長するごとに制御力がついてきて、ゲーム開始時には完璧に制御可能になっていたのだが、染み付いた恐怖心により人と接するのを避けていた……ような気がする。

 ごめん正直あんまり覚えてない。本当にごめん。


 まあ、そんな設定は置いといて。


 私が彼と会ったのは、10歳の冬。第一王子とお茶会をした日のことだ。

 第一王子から週1ペースで送られてくるお茶会の招待状を、十数回以上断り続けていた私だけど、お父様を経由して申し込まれたものは拒否できなかった。くそう、あいつまじせこい。


 過去の反省を生かすべく、王城での移動時、私は常にギルバートと手をつないで行動した。

 ギルバートが照れようが、第一王子が羨ましそうに見てこようが、二度とこの子を迷子にさせるもんかと手を離さなかった。


 その甲斐あって、ギルバートは迷子になることなくお茶会の会場にたどり着き、私もその点は安心してお茶を飲むことができた。

 隙あらば第一王子がギルバートを抱きしめようとしたり、口にお菓子を放り込んだりしていようが、そのくらい私だってもう慣れた。ギルバートが嫌がっていれば話は別だけれど、人の感情に敏い第一王子はそこらへんの見極めが上手いし。

 それに、私がつまらなくならないように話を振ってくる細やかさもこの男は持ち合わせている。話題だって、私とギルバートの両方が楽しめるようなものを選択してくれる。

 ……こういうところは理想の王子様なんだけどね。話は上手いし聞くのも上手い。でも、ギルバートのおまけで呼ばれているのがありありと分かるから、お茶会に行く気が出ないんだよなあ。


 そうやって気を緩めていたとき、激しい爆発音がすぐ近くから聞こえた。


 初めは何が起こっているのか分からなかった。

 第一王子が目を見開いて立ち上がったと思うと、次の瞬間には視界が黒く染まっていた。

 ギルバートが私を抱きしめ、さらにその上から第一王子が被さり、私たちの周囲に防御壁を形成する。

 第一王子の魔力は光適性なのだ。

 遅ればせながら伝えておくと、私とギルバートは闇適性なので、防御壁を形成することは不可能である。


 地面の揺れが収まっていくとともに、人が発生源らしき場所に集まり始めていた。けれど、再び小規模の爆発が起こり、その度に数人の悲鳴が聞こえてくる。


 そうしたらなぜか、ギルバートと第一王子が現場に行くと言い出した。

 もちろん私は止めた。ギルバートは私の執事であって王城の者ではないし、第一王子は守られるべき存在なのに自ら危険に向かってどうするのだ、と主張した。

 第一王子は私の主張に反論し、妙にもっともらしい理由を主張し始めたが、私はそんなもので誤魔化されない。

 ……責任感があることは立派だけど、周りにいる護衛を見てみろ。第一王子に何かあったら彼らに責任がかかるのだから、いくら光の防御壁があっても行くべきではない―――あれ?護衛騎士の皆さんが何か言いたそうに見ているぞ?


 私が自分たちを見ていることに気づくと、第一王子の話を中断させないためか、護衛騎士たちが声を出さずに口をパクパクさせる。


 ん?執事?執事って…………「あああああっ」


 急に大声を上げた私に、第一王子がびくりと肩を揺らす。

 珍しく驚きの表情で「な、なに?」と尋ねる第一王子の肩を掴んで、私は「ギルバートがいないっ」と悲鳴交じりに言った。

 不敬罪かもしれないけど、多分大丈夫。私も一応王族だし、緊急事態だから許してくれるはず。


 次の瞬間、血相を変えて第一王子が現場へと走る。

 私も後を追おうとしたけど、第一王子から「エウラリアを来させるな!」と命じられた護衛騎士に身動きを封じられた。



 しばらく経って、ようやく現場に行くことを許された私が目にしたもの。

 それは、濁流のように涙を流す男の子と、ボロボロになりながら男の子を強く抱きしめるギルバートの姿だった。


 何がどうなってこうなっているのか、私には分からなかった。だから、苦笑しながら寄って来た第一王子に何があったのかと問いかけてみたのだ。


 すると返ってきた、「あれが全てだよ」の一言。


 うん、あれね。あれあれ。あれだよね。分かる、あれよね?…………いやあれってどれだよ。意味が分からない。


 だけど、私は過去、同じような場所で似たような光景を見た記憶があった。騎士団長さん家のブライアンくんである。だから、分からないなりに、またギルバートが頑張ったんだろうことを理解した。


 それからまた時間を置いた後、ようやく泣き止んだ男の子を連れて、ギルバートが私の前に立った。

 必死に違う可能性に賭けていたけれど、至近距離で見てしまえばさすがに認めざるを得ない。黒髪黒眼のこの男の子は、攻略対象者エミリアである。


 勝手な行動をして申し訳ありません、と謝るギルバートに首を横に振りつつ、怪我がないかの確認をする。

 その間一心不乱に私を見続けたエミリアに、内心恐怖を抱きながらも、声をかけないわけにはいかない。大丈夫ですか、と声をかける私に、彼は衝撃のお願いをした。



「ギルバートをください」




 ……なるほどそうきたか。



 ギルバートは驚いた顔をエミリアに向けた後、私の言葉を無視した件を思い出したのか、顔を蒼白にして私を見た。

 第一王子は隣に立っていたからどんな表情をしているのか見えなかったけれど、冷気が漂ってきて恐ろしかった。彼は光適性なので、基本的に陽だまりみたいな心地がするのに。


 とりあえず、涙目で震えているギルバートに微笑みかけ、



「ギルバートは我がオリヴィエ公爵家に属する者です。それに、わたくしの大切な執事なのですから、ギルバートが心から望まない限り、わたくしに仕え続けていただくつもりです」


「ありがとうございます、エウラリア様っ。僕は、一生、エウラリア様にお仕えします‼︎」



 留めきれなかった涙を溢しながら、ギルバートが私の両手を取って額につける。ぎゅーっと強く手を握りしめた後、満面の笑みで顔を上げたギルバートを見て、私は尻尾を全力で振るワンコを思い出した。


 普段だったら穏やかな雰囲気になる場面。けれど、ギルバートの後ろで「……エウラ……れば……ギル…僕……」と呟くエミリアが怖すぎて、心は氷点下のままだった。


 どうやら一旦思考に結論が出たらしいエミリアが、ゆっくりと顔を上げる。ギルバートを見て、私を見たエミリアが、口を歪に緩ませて笑う。



「仲良くしてください、エウラリア様」




 ―――終わったと思った。







 次に攻略対象者その5。王国一の大商会の次期跡取り、ニコラスの場合。


 彼は、人と物の相性を感じ取ることができる、という特殊能力を持っていた。

 光、闇、水、土、火、風などの魔法属性では分類できない不思議な力を、この世界では特殊能力と呼んでいる。特殊能力保持者は数百万人に1人の割合でしか存在しないので、彼は物凄く貴重な存在だと言っていい。


 聞いただけだと、彼の能力は商人として非常に便利な能力のような気もするけれど、実際はそんなに良いことばかりなわけもない。

 世の中、相性の悪い物を持っている人なんて、たくさんいるに決まっている。後から聞いた話、似合わない品=相性の悪い品、とは一概に言えないらしいが―――、とりあえず、相性の悪い人と物のペアを見ると気持ち悪くなるらしいのだ。


 次期跡取りなのだから、と幼い頃から取引先に連れられて行ったり、人前に出たりすることを求められる上、大商会なだけあってその数は膨大である。

 気持ち悪さを必死に隠して、顧客に物を売る日々。

 ニコラスは薄っぺらい言葉を吐き、自分の心を奥底へ封じ込めるようになっていくのであった。



 そんな彼に転機が訪れたのは、私も彼も同じ11歳の時。


 過去4回の経験から、そろそろ本気でお茶会が嫌いになってきた私だったけれど、逆を言えば攻略対象者たちとお茶会さえしなければいいんじゃない?と気を抜いていたのがいけなかったのだろうか。

 きっかけは、週1回のペースで送られてきていた攻略対象者たちからのお茶会の招待状が、断りすぎたせいなのか、毎日送られてくるようになったこと。そのせいで、返信用のお手紙セットがなくなってしまったのだ。

 私が使っているのは、エンボス加工で我が家の家紋を施した特別製である。

 お値段もなかなかお高いはずであり、そんなものを毎日何通も無駄に使わせる攻略対象者たちには、お手紙セット代を払って欲しいところだ。



 ……ギルバートに会わせてあげると言えば簡単にくれそうだけれど、そんな現実は見たくない。私の精神状態のためにも、絶対だ。


 そういうわけで、他の用事と合わせてお手紙セットも買ってきてもらおうと、私はギルバートに街へ出る許可を与えた。



 いつもより長く時間がかかっているな、とは思っていた。

 おかしいと感じながら予定をこなし、けれどいい加減遅すぎると、執事長に捜索隊を頼もうとした時、―――ギルバートが帰宅した。

 帰りが遅くなったことを謝るギルバートに、「心配したのよ」と軽く注意を行った後、その理由を問いかける。

 すると、「凄い方に会ったのです」と最初は控えめに、しかし段々と興奮しながら理由を話し始めた。



 最初は、別に何かを思うことなく話を聞いていた。

 凄い人ね、へえ、くらいの気持ちである。だが、途中から嫌な予感をガンガン感じ始めた。


 緑の髪と瞳?商人の息子?物への審美眼が凄い?センスが天才がかっている?


 ギルバートは笑顔でその少年のことを褒め続けた。

 周りの大人たちも、嬉しそうに話すギルバートを温かい雰囲気で見守っている。

 一部の例外はリナルドに近い人たちくらいで、彼らは自分の主人のドス黒い空気に顔を引き攣らせていた。


 いよいよ話も終盤に近づいてきた頃、私は意を決してギルバートにその少年の名前を尋ねた。もしかしたら、と一縷の希望を胸に抱いたのである。


 そして明かされる、ニコラスという名前。付け加えられた、同い年なのに凄いですよね、の一言に私の希望は粉砕された。



 ……信じられない。どうしてあなたは、こんなにピンポイントで、攻略対象者ばかりを釣り上げるの!


 分かっている。ギルバートは何も悪くない。

 このピュアピュア素直ボーイに攻略対象者たちが勝手に釣られているだけだ。むしろ彼は被害者とも言える。

 それともあれか?お茶会に直接関係していなくても駄目なのか?分からない。もはや私には正解が分からない!


 急に間抜け面を晒し始めた私に、ギルバートは疑問を覚えたのだろう。「エウラリア様?」と心配そうに手を伸ばした。


 その瞬間、袖口でキラリと光るものが見えた。


 私はほとんど反射のように、ギルバートの腕を掴んだ。

 驚きの声なんて耳に入らない。掴んだ腕を自分の元に引き寄せ、光るものの正体を確かめる。


 細く繊細な、白金のブレスレット。

 シンプルだが、普段使いのし易さを考えれば、これくらいが丁度良いと言える。

 そんなブレスレットに、私は非常に見覚えがあった。これは、前世で馬鹿売れしたものによく似ている。ニコラスのキャラグッズとして、手頃な値段の物から本物の白金製のものまで幅広く売り出された一品。

 私は持っていなかったけれど、妹がにやにやしながら着けていたのでよく覚えている。



 だがおかしい。


 これは確か、ヒロインが好感度を8割程度にまで上げたところで、ようやく貰える物だったはず。よく覚えてないけれど、ニコラスにとって思い入れのある物だから、ハッピーエンド以外は貰えない、とも聞いたことがある。

 そんな物を、いくらなんでも出会った初日で、って早すぎないか?


 分からないことが多すぎて、もう何を悩めばいいのか分からなくなってきた。

 ギルバートにあげた理由も、その意味も、私にはよく分からない。

 でも、ここでギルバートを責めることはできない。ギルバートはちょっと間が悪かったり、ちょっと道に迷いすぎたり、ちょっと警戒心が足りないだけだ。

 ブレスレットだって、一度は断ったはずだ。それでも渡してきたのは、攻略対象者ニコラスなのである。


 だから、私はもう、その件に関して考えるのをやめよう。悩むだけ無駄だ。……ただ、そうね。



「そのブレスレットは、仕舞っておいた方が良いわ」


「そうですね!失くしたらダメですもんね」



「……ええ、そうね。その通りよ」



 素直に笑うギルバートの頭を撫でることで、私は後ろから漂う負のオーラを誤魔化すことにした。

 ギルバートがブレスレットを毎日身につけでもして、それが攻略対象者たちにバレたとしたら。

 その時の様子を頭に思い描いた私は、



 ―――終わったと思った。






 最後に、攻略対象者その6。王立学園の保健医、アルフォルドの場合。


 彼は攻略対象者の中で唯一の他国出身者だ。隣国の第三王子の息子として産まれたアルフォルドは、本来なら王族の一員として過ごしているはずだった。

 けれど、当時の王、つまりアルフォルドの父の兄にあたる人物が、優秀であった弟の存在に強い危機感を持ち、事故に見せかけてアルフォルド一家を殺害しようとした。

 アルフォルドは奇跡的に生き残ったけれど、両親は行方不明のまま、生死も分からない状態が続いている。

 その後アルフォルドは我が国に亡命し、元王族に相応しい魔力量と地頭の良さによって成り上がり、現在では男爵位という、他国出身者にしては考えられない出世を果たしている。……まあ、元々は王族だったことを考えれば、男爵位でも全然低いのかもしれないけれど。

 ちなみに、当時の王はその暴政により、平民と一部の貴族から反乱を起こされ、今は他の者が王に据えられている。


 そんな彼は、優しい父と母がいた時の幸せで豊かな生活から、一気にどん底に落とされ、年上も同年代も年下も、全てが信じられない世界を這い上がってきたことにより、他人に信頼も期待も持たず、自分自身すらも嫌悪するようになってしまった。

 リナルドとは違って幼少期は愛に包まれていたこと、ギルバートとは違ってどん底時代に仲間に恵まれなかったことが、彼ら2人とは異なる点だろう。

 もっとも、同じ状況であっても同じようになるとは限らないし、どちらが良いとか悪いとか、そういうことは全くないけれど。


 ただ強いて言うなら、今世において他の攻略対象者たちは幼少期という、心の傷が広がりきる前にギルバートと出会ったのに対し、アルフォルドは15歳の学園入学後にしか会えないことから、完全に傷が根を張った状態で出会うことになってしまった点が、私的には問題であった。


 いや別にね、乙女ゲームのようにヒロインといい感じになってくれるならどうでもいいよ?

 だけど、今までの傾向を見る限りそんな甘い考えではいられないし。というかそもそも、なんで怒涛の勢いで成り上がった男爵が学園の保険医とかやってるわけ?そんなに人手不足なの?でも仮に人手不足であったとしても絶対違う人がいるでしょ。


 ……なんて色々考えたところで、それが現実なのだからどうしようもない。

 私は自分にそう言い聞かせて、学園に入学してからもアルフォルドとギルバートが接触しないよう最大限努力した。



 だが、そんな私の努力も虚しく、アルフォルドがギルバートと出会ってしまったのは、私たちが16歳、学園1年生の冬だった。


 王立学園の授業は、学年全員が受ける必修科目と、各々で自由に組める選択科目の2種類ある。

 ギルバートは可能な限り私と同じ科目を選択したがるし、攻略対象者たちはギルバートと同じ科目を選択しようとするため、私たちの時間割は9割以上被っている。

 しかしそれでも、いくつかの科目は異なってくるのが当然だ。つまり、私の目の届かない時間があるのも当然だった。



 ある日、私が令嬢向けの授業を受け終わり、数少ない女友達とお茶会を楽しもうとお茶会室に向かっていた時のこと。


 顔を青くしたエミリアが駆け寄ってきて、ギルバートが怪我を負い、保健室に運ばれたことを聞かされた。

 私は動揺しながらもギルバートの容体を問いかけ、手足に怪我を負ったが命に関わることでは全くない、という返答にとりあえずホッとした。


 そうしたら、次に頭に浮かんだのは『保健室に運ばれた』という情報であった。ホッとしたからこそ、その情報にまで頭が回ったのである。

 私は安堵から一転、急速に頭から血が引いていく感覚を覚えながら、他の攻略対象者たちの様子を聞いた。

 彼らがギルバートについていれば、アルフォルドとギルバートの接触を最低限に抑えてくれると思ったからである。



 しかし、エミリアの口から語られたのは、そんな私の悲しい期待を裏切るものだった。

 どうやら、高位貴族と仲の良いことを妬んだ下級貴族から、ギルバートは怪我を負わされたらしい。

 それを知った第一王子、リナルド、ブライアンは下級貴族たちに報復を、ニコラスとエミリアはギルバートを保健室に連れて行くことになったらしい。



 私に知らせに来てくれたことはありがたい。非常に感謝している。

 報復することも、程度さえ考えてくれればそれ自体はいい。私だって、ギルバートを傷つけられたことに怒りを感じている。

 だが、保健室にギルバートとアルフォルドとニコラスしかいない状況を思い浮かべると、それは、もう……、



「何しているのあの人たちは⁉︎」



 目の前でビクリと震えたエミリアには申し訳ないけれど、私は怒鳴った後すぐに駆け出した。

 公爵令嬢ともあろう者が廊下を走るなど、はしたない行為に違いないが、許して欲しい。こっちは命がかかっているかもしれないんだ。誰ともぶつからないように気をつけるから、どうか見逃して欲しい。


 エミリアが後ろから追いかけてきている雰囲気はあるけれど、多分私には追いつけない。

 悪役エウラリアの身体能力が高いことも理由の1つだけれど、エミリアは魔法に能力が偏っている分、身体能力はいまいちなのだ。



 そうしてたどり着いた保健室の前。震える手で開いた扉の向こう側。



 その光景が目に入った瞬間、私はその場で崩れ落ちた。



 ……どうして。なんで。



 両手で顔を覆う私に、追いついて来たらしいエミリアと保健室にいたニコラスが「エウラリア様⁉︎」と心配そうに声をかけてくれる。

 だけど私は、その声に返事をできない。


 待って、考える時間が欲しい。

 なんでギルバートはアルフォルドに膝枕されているの?ソファーに寝るならベッドに寝れば良くない?アルフォルドの膝枕に拘る理由ある?

 膝枕は女の子にしてもらうものでしょう、とかそういうことも多少思うけれど、それはもういい。もういいんだ。私は、そういう考えは捨てるべきだと思っている。


 だけど、アルフォルドは重度の人間不信でしょう。

 エミリアが私を呼びに来て戻ってくる短い時間の中で何があったというんだ。いや、もしあったとしても、それで解決される程度の人間不信度ではなかったはず。

 ゲーム内でも、アルフォルドの攻略難易度は随分高かった記憶がある。妹が「難し過ぎるんだよ!」と発狂していたので間違いない。



 意味が分からない。


 全く分からない。


 もはや分かる気がしない。


 だけど、私はギルバートの主なのだ。ここで黙っていたって何の解決にもならないことくらい、私だって理解している。今までの経験から、嫌と言うほど理解させられてるいるのだ。


 私はそろそろと顔を上げる。


 心配そうな顔をしているエミリアとニコラスに「大丈夫。ごめんなさい」と告げ、地面に足をつけて歩き出した。


 ギルバートの方へ向かっていると、アルフォルドと目が合った。うえ、逸らしたい。


 それでも我慢してソファーに辿り着くと、少し屈んでギルバートの額へと手を伸ばす。

 すやすや眠っている姿に一息吐いた後、手足に目を向けるも包帯は一切巻かれていない。


 疑問に思って、嫌だなあと思いながら目線をアルフォルドと合わせる。



「アルフォルド先生が治癒魔法をかけてくださったのですか?」



「…………そうですね」


「ありがとう存じます。ところで、ギルバートが眠っているのは治療のためでしょうか」



「…………そうですね」


「承知いたしました」



 治癒魔法は光属性の魔法なため、光適性の者しか使えない。その中でも実際に怪我らしい怪我を治せる人物といえば、この学園にはアルフォルドと第一王子くらいなものだ。

 ちなみにこの治癒魔法、治りは早くなる代償に、怪我の程度が酷いほど物凄い痛みが襲ってくるらしい。人伝に聞いた話だが、あまりの痛みに暴れる人が続出した過去から、怪我の程度によっては眠らせてから治療にあたることもあるらしい。


 ……ギルバートの怪我はそんなに酷かったのだろうか。


 考え込む私を見下ろすアルフォルドの瞳に変化はない。ぱっと見は穏やかに見えるけれど、よく見れば全くそう見えない瞳だ。ここまで近くで顔を合わせたのは初めてだが、人間不信なのは確かのようである。


 そうしているうちに、保健室の扉が開かれる。


 「ギルバートは⁉︎」と問う声から、報復組の3人がやって来たと分かった。

 こちらに歩いて来る5人の姿に、私は素早く横に避難する。


 攻略対象者が全員揃ってしまった。あとはヒロインが揃えば完璧だが、生憎ヒロインは登場しない。

 嬉しくないことに、ヒロインの代わりはアルフォルドの膝の上にいるけれど、それ全然望んでないです。


 これぞ貴族の会話!というべき、遠回しで曖昧な会話を攻略対象者たちは繰り広げる。要約すれば、「ギルバートを返せ」「嫌だ」の2つを繰り返しているだけだが。


 半時間ほどの熱い議論を制したのは、第一王子陣営であった。


 ギルバートを誰が抱えるかでまた一悶着あったけれど、最終的にブライアンが抱えることになった。一番安定している気がするし、妥当だな、と浅い心で思う。深く考えてはならないのだ。


 お礼を言ってから保健室を出て行く攻略対象者たちの後ろに、一応忘れられていなかったらしい私が続く。


 そして、保健室の扉を閉めようとしたその時。



「エウラリア・オリヴィエ様」



 優しげに聞こえる平坦な声が耳に届く。


 恐る恐る顔を上げた私を、灰色の瞳が捉える。



 ……怖い。


 それが、最初に覚えた感情だった。


 乙女ゲーム内でさえ、若干ヤンデレキャラだったアルフォルド。

 ゲームでは爽やかキャラだった第一王子や、熱血脳筋キャラだったブライアンまでもヤンデレ化している現実において、アルフォルドのヤンデレ度は一体どれくらいだというのだろう。


 心の震えを表に出さず、グッと両手を握って見返す私を見て、アルフォルドは初めて感情らしい感情を瞳にのせた。それは、相手の恐怖心をひどく煽る、愉しげな瞳だった。



「またお会いしましょう」



 ―――終わったと思った。





            *



 思い返してみれば、記憶が新しいほど出会いを詳細に覚えてしまっている。

 かと言って、別に最初に会った第一王子フェリクスの恐怖が薄れているわけではないのが、非常に悲しいところだ。


 今は、王立学園の卒業まで残り1年となった3年生の春。

 貴族は卒業とともに結婚することも多いため、同学年の学友は次々に婚約者を見つけていっている。


 そんな中、私はまだ婚約者が決まっていない。


 家柄も容姿もトップレベルに良いはずだし、頭もそんなに悪くないのに、なぜ縁談の申し込みがないのだろうか。

 性格が残念なのか?そりゃ前世が一般市民の代表例みたいな人間だったから多少残念だと思うけれど、それを帳消しにして余りあるほどの恩恵が受けられると思うんだ………………よなあ普通は。

 原因は分かっている。

 攻略対象者たちのせいだ。彼らはギルバートと共にいる中で気づいたのだろう。気づかなければ良かったのに。


 『エウラリアと結婚すれば、ギルバートがついてくる』


 これが、攻略対象者たちに共通の認識であり、紛れもない事実に違いなかった。

 ギルバートは何があっても私から離れないつもりだ。

 通常だったら令嬢の婚姻の際に、執事はついてこない。相手だって男を連れてこられるとは思っていないだろう。だから、令嬢と共に他家に行くのは侍女である。


 けれど、ギルバートは私と離れたら死ぬ。

 比喩表現でもなんでもなく、精神的にも身体的にも終わってしまう。


 約1年前、リナルドが何気なく、けれど期待を隠せない表情で、「姉上が婚姻する際、ギルバートはどうするのか」を問いかけたことがあった。

 すぐさま「エウラリア様についていきます!」と笑顔で答えたギルバートであったけれど、周囲にいた攻略対象者たちから、それは難しいと説明された。

 その話の中で、ギルバートは私と離れる未来を明確に想像してしまったのだろう。その場で倒れた。


 それからは、ギルバートが執事となる前の悲劇再び、としか言いようのない日々が始まった。

 むしろあの時よりも酷くなっていた気もする。最終的には歩行困難になった上に、視力まで失ってしまっていた。そうなるまで、わずか1週間であった。


 そこで私は思った。

 ギルバートも心配だけれど、ギルバートの死因が私なんてことになったら、攻略対象者たちに私が死へと追い込まれてしまう。だから、私は結婚先にもギルバートを連れていくしかないのだと。


 そこで攻略対象者たちも思ったのだろう。

 ギルバートとエウラリアを離すわけにはいかない。そして、エウラリアはギルバートを婚姻先に連れていくと決めた。


……で、あるならば?



 彼らがその結論に辿り着くのは当然だった。『エウラリアと結婚しよう』と。






 だが、私としては攻略対象者と結婚したくないのが本音である。

 だってそうだろう。何を好んで自分の従者を愛している男と結婚したいというのだろうか。しかも全員病んでる。恐怖の象徴にしか見えない。




 まず、第一王子フェリクスの場合。


 彼は、すっかり完璧な王子様に成長した。金髪碧眼の、絵に描いたような理想の王子様である。

 ただし、優しい王子様スマイルの裏では、自分と他人との間にいくつもの壁を作り上げ、厳格な基準により他人との心の距離感を定めている。

 ちなみに、言うまでもなくギルバートは、誰よりも最奥にいるのだろう。他は私を含め知らない。

 結婚してもいいと思うくらいだから、それなりに心に近い奥側にいるのかな、とも思うけれど、あの人ってギルバートがついてくるなら道端の令嬢Aとでも結婚しそうだもんなあ。うーん、よく分からない。


 第一王子は定期的に「王妃の仕事は最低限で良いから、私と結婚してくれないかな」と言ってくる。

 面倒くさがりで人見知りな従姉妹の性格をよく理解しているとは思うけれど、乙女心は全く理解できていない。言葉の裏側にあるのが私への恋心ではなく、ギルバートに向いているのが丸分かりなのだ。


 理想の王子様なんだから、もう少し考えて来いよ。






 次に、騎士団長子息のブライアンの場合。


 彼は、次期騎士団長が確定している、と見なされるほどの強さを手に入れている。剣聖とも互角に剣を打ち合い、同年代には敵なしと言われるほどだ。

 それに赤髪赤眼の容姿も合わさって、熱く強い心の持ち主だと見られている。

 その見解は間違っていないが、彼は強いだけの人物ではない。守護対象を傷つける者か冷静に見極める観察眼によって、目の前の人を敵か味方かそれ以外かに分類しているのだ。

 王子周囲の分類も厳しいが、王子よりもピュアで厄介事を引き寄せがちなギルバート周囲の分類は、味方判定率が異様に低く、敵判定率が異様に高い。

 恐らく私は味方判定を受けていると思われるが、敵判定をされた者への容赦ない扱いをみれば、正直あんまり近づきたくない。


 そんなブライアンは、乙女ゲーム内の設定よりも、脳筋具合が幾分か薄れているような気がする。とは思うものの、不定期に言われる台詞は脳筋キャラの名残なのか、率直すぎる内容となっていた。



「エウラリア様!ギルバートと一緒に家族になりましょう!」



 ……うん。まあね。正直なのはいいことだけどね?正直すぎて、もはや誰と誰が結婚するのか分からない文章になっているかな。

 確かに、ギルバートの名前を堂々と言うのが誠意だと言われればそうなのかもしれないけれど、そんなことを言い始めたら、誠意って何だろう、って話になるよね。


 ブライアンに対して、そのプロポーズはやめた方がいいと教えるべきか否か、私はずっと迷っている。






 次に、私の弟、公爵家子息のリナルドの場合。


 彼は、青髪青眼のクールな秀才キャラに育っている。……おかしいなあ、エウラリアはリナルドを虐めていないはずなのに、ゲーム内よりも黒々しい感じの性格になってしまった。

 私はゲームもアニメも見ていないから何とも言えないけれど、なんていうか、今のリナルドってヒロインが解決する前にやり返していそうなんだよね。


 リナルドは、私が嫁入りした後にギルバートの主となれることを期待していたらしいが、どうも期待通りにいかないぞ、と気づいてからは度々提案してくる。



「僕と結婚すれば、オリヴィエのままですよ」



 正直、ちょっと揺れた。それも良いかな、と思ってしまった。だって、オリヴィエのままということはつまり、お父様やお母様、お屋敷のみんなとも離れなくて良いのだ。

 結婚で他家に入るならその家の者と一から信頼関係を構築しなければならないが、それをしなくても既に構築されている。結婚についての不安が大分少なくなるのだ。


 だが、その誘惑にふらふらと傾いていた私は、あることに気付いてハッと姿勢を正した。

 リナルドのヤンデレ度は相当なレベルに達している上に……ギルバートへの依存度は攻略対象者の中で随一と言っていい。

 多分彼は、仮にギルバートが死んだとしたら、その訃報を聞いた瞬間に死ぬだろう。激情だとか、絶望だとか、そういう感情を覚える前に、ただ当たり前のように己の命に剣を突き立ててしまう。

 その光景が苦労もせず簡単に思い描けることへ悲しみに似た感情を抱くが、事実なのだから目を逸らす訳にはいかない。

 家族なのだから支えれば良いだろう、という意見があるのは承知している。私だって、前世ではそう言うと思う。


 だけど、それは無理だ。不可能なのだ。

 前世の私は知らなかった。だけど今は違う。

 正直理解はできないし、納得も同意もできないけれど、そういうことは『ある』のだ。この感覚は実際に体験した人にしか分からないと思う。


 とにかく、リナルドを夫にした場合、ギルバートにもしものことがあれば、私は間違いなく未亡人になる。

 それに、彼との間に子供は生まれないだろう。リナルドは、そういう行為を私としないはずだ。

 別に、私もリナルドに恋愛感情を抱いていないので、その事実自体はどうでもいいけれど、できれば今世では子供を生み育てたいと思っている。前世と今世の両親の愛を目一杯浴びた人間として、その幸せの循環に自分も参加したいのだ。


 これが第一王子やブライアンといった他の攻略対象者であれば、また話は違う。

 幼少期より王族や高位貴族として徹底的に教育された彼らは、恋愛と結婚を別のものとして割り切ってくれるのだが、どうもリナルドはその辺りが不可能のようである。

 例えば第一王子であれば、ギルバートが行方不明になった場合、自分は表立って動かない状態で、騎士や商人に国内外を問わず探させる。

 しかしきっと、リナルドは自分の責務を全て放り出して捜索にあたってしまうだろう。



 どちらが正しいとか、そういうのは分からないし考えても仕方ないけれど、とりあえず私は割り切ってもらえる方がありがたい。

 自分にその激情が向いているのならまだやりようはあるけれど、他の人に向けられている感情をコントロールするのは無理な話だ。

 もっとも、私だってギルバートが大切だし守るつもりだということは誤解しないで欲しいけれど。

 ただ私は、もしも、の事態を想定して動きたいという話である。

 よって、リナルドも結婚相手としては頷き難い。


 ……それと、小声でボソッと「そうしたらギルバートを養子にできるし」と呟くのはどうかと思う。私だってギルバートのことが大好きだけれど、さすがにそれ目的で結婚するのはちょっと嫌だ。


 毎回呟かれるので、心の声が漏れているのかわざと聞かせているのか、気になるけれど尋ねたくはない葛藤に、私は最近悩まされている。






 次に、宮廷魔法師長子息のエミリアの場合。


 黒髪黒眼のミステリアス系イケメンに成長した彼は、魔力の暴走でギルバートを傷つけたくない一心で早々に魔力制御を身につけ、周囲の者を傷つけることはなくなった。

 自らの力に恐怖心を覚えて引きこもることもなく、むしろギルバートに会うために、積極的に私へお茶会やパーティーの招待状を送ったり、王宮に出向いたりしている。

 ただ、人と関わり合うのは元からの性格的に苦手らしく、必要最低限の人としか話そうとしない。しかもその必要最低限は男性ばかり。

 その中に私が含まれているのは、『私と会う=ギルバートがついてくる』だからだろう。魂胆が見え過ぎていて嬉しくもなんともないが、周りのご令嬢からすれば羨ましくてならないらしい。

 ……譲れるもんなら譲らせてくれません?彼とのお茶会、9割5分ギルバートの話なんですが。


 そんなエミリアも、他の攻略対象者たちと同様、私と2人……いや、いつでもギルバートがいるから3人?の時に必ず言う言葉がある。



「エウラリア様、僕と結婚してください。ギルバートは連れて来て構いません。ギルバートがいれば安心でしょうから、ギルバートを連れて来てください。ギルバートは僕の家の者も知っていますし、ギルバートならば我が家でも上手くやってくれるでしょう。ギルバートの給与も同程度を保証しますし、ギルバートの安全も確保しますし、ギルバートの……」



 詳細はよく覚えていない。というか、途中からアレンジが加わるのでいくつもパターンがあるのだ。

 だがそのどれもに共通して言えるのが……あの、ギルバート多過ぎませんか?

 いや、分かるよ?私だってなんだかんだギルバートがついて来てくれるのは嬉しいし、ギルバートが虐められたら腹立たしいし、待遇が悪くなるのは申し訳ないし、気づけば危険に巻き込まれるギルバートを守るのは大切だと思っているし?

 でもね、私への言葉が18文字で、ギルバートについての言葉が300文字近くっておかしくない?君、私に結婚を申し込んでいるんだよね?たとえ本当の目的はギルバートだとしても、私と結婚しないといけないってことは分かっているんだよね?だから私と結婚しようとしているんだもんね?


 確かに、エミリアはイケメンだ。

 国内屈指の魔法師だし、家柄もいい。女の子から見れば、類稀な好条件である。……あくまでギルバート愛を置いておけば、だが。

 とりあえず私が何を言いたいかというと、さすがにもうちょっと私のことを考え……あ、いや、やっぱり考えなくていいかも。考えた結果、良い方向に向かうのか悪い方向に向かうのか分からない以上、『ギルバートのために私を守ろう』という状態を崩さない方がいいだろう。



 ―――でも、1つ言わせて欲しい。

 エミリアの言葉たちに「情熱的ですね!」と顔を赤く染めているギルバートよ。内容はとても私への情熱を語っているとは思えないのですが、あなた、ちゃんと人の話聞いてます?

 それと、あなたの主人の内心を察知したいという望み、全然できていませんよ?…………病まれるから絶対に言わないけどな!






 次に、王国一の大商会跡取り、ニコラスの場合。


 緑の髪と瞳の彼は、にこにこと常に爽やかな笑顔を周囲に振り撒き、しかし商人らしく押さえるところはちゃっかりしている、なかなか世渡り上手な好青年に育っている。

 自分の顔面の良さを理解した営業を行っているようだが、この国の王子を始めとした権力者たちと仲の良いことを上手く使って面倒ごとを回避しているらしい。……え、ちょっと何それセコい。


 そんな彼は、私にとって希望とも言える存在であった。

 なにせ、ギルバートへの依存度が攻略対象者の中でもっとも低い。一般的だと思われる男の友情よりは遥かに重いし、恋人同士でも重いけれど、それでも攻略対象者たちの中では断トツで重くないのだ。

 だから私は、ニコラスと結婚すればいいのかなと思った。攻略対象者からギルバートが逃げられない以上、ニコラスが私にとってもっとも良い選択なのかもしれない、と思ったのである。


 けれど、現実は無常だった。私は忘れていたのだ。

 私は公爵令嬢。しかも、一応王位継承権持ちの本物のお姫様。いくら王国一の大商会の次期跡取りとはいえ、平民に嫁ぐことなどできるわけがない。

 平民と王子様が結ばれるシンデレラストーリーなど、物語の中だから成り立つ話であって、現実では成り立たないのだ。


 「私が輪の中に入ることを許されているのは、エウラリア様と結婚できないからですからね」と苦笑いしながらニコラスに言われた時は、嘘だろと思うとともに、なるほどねと納得できる部分もあり、その納得できた自分に腹が立ったり悲しくなったりと、いくつもの感情が体を一気に駆け抜けていった。


 攻略対象者たち、特に第一王子は従姉妹な私の心情を正確に予測してくるほどの察知能力を有しているので、私が自分を含めた攻略対象者たちとの結婚を避けているのを理解している。

 その最大の理由がギルバートへの激しい執着とまで分かっている彼らにとって、一番マシなニコラスの存在は脅威とも言える。

 それなのに、ニコラスとの交流をやめるわけでも阻害するわけでもないなんて、そこに理由があるに決まっていた。

 嫌なことに、ニコラス以外の攻略対象者たちがお互いのことを邪魔しないのは、種類は違えど、お互いに大体同じくらいギルバートへ執着しているからだ。

 つまり、ある意味で私が結婚したくない最大の理由をお互いに共有している状態である。

 それならば、お互いを蹴落としたところでギルバートが寂しがるだけなので、邪魔のし合いはやめようという暗黙の了解が蔓延っているのだ。

 ここの理由が私のためでないことに悲しみを覚えるなんてものは、とうの昔に卒業している。むしろ最近は、私が理由でないことに喜びを感じ出してしまっている。だって、ヤンデレの関心なんて引きたくない。


 要するに私が言いたいのは、ニコラスは私の結婚相手になり得ないということである。

 ちなみに彼は、自分の特殊能力を使って、今後もエウラリアに商品を紹介する者として関わり続けると言っていた。

 私の身の回りの品は、専属執事であるギルバートが管理している。よって、私が求める品を提供できる限り、ギルバートとの縁は私がどこに嫁いだとしても切れないということだ。

 そしてニコラスの特殊能力は、私との相性が最高な物を見つけられるものであるため―――ニコラスの見繕う商品に外れはない。



 ……くそう、さすが商人。上手いことやってくれるなあ!






 最後に、王立学園の保健医、アルフォルドの場合。


 彼は初めから却下だ。

 もはや選択肢にも入らない。


 なぜなら、彼のヤンデレ度はもはや常軌を逸しているからだ。なんかもう、ヤンデレなんて言葉で言い表せない深度なのだ。なんて言えばいいか分からないけれど、とにかく、そう、やばい奴である。


 例えば、他の攻略対象者たちはギルバートの笑顔が好きだから、そのために一応私を大切にしてくれる。危害を加えないとも言う。

 けれど、アルフォルドは違う。彼は、ギルバートさえいればいいのだ。ギルバートという存在が大切なのであって、ギルバートという人間さえいれば、他はどうでもいい。たとえそれが、ギルバートの心であっても、だ。


 つまり、彼は私と結婚してギルバートを得られれば、まず私を消すだろう。それでギルバートが精神を壊したとしても、廃人になったとしても、ギルバートという人間が自分の傍にいればそれだけで喜びを感じるのだ。

 つまり、やばい奴だ。


 私は、消される未来を自分から望む人間ではない。今までも自分が生き抜くために精一杯尽くしてきたのだから、絶対にアルフォルドだけには嫁がない。自分が死ぬのもギルバートを廃人にさせるのもごめんだ。


 そんなアルフォルドは、私と会うたびに「体調が悪そうですね」と話しかけてくる。私が保健室に行けばギルバートが迎えに来るからだろう。だが、私はそんな魔窟には絶対に行かない。

 ……だいたい、そんなに毎日毎日体調が悪くなるわけないでしょう。

 確かに身体が弱い人はいるだろうし、それならば気にかけるのも当然だけれど、生憎エウラリアは一度も保健室を使ったことのない超健康優良児なのだ。そこまで心配される理由はない。

 というか、本当に体調が悪かったら学校を早退する道を選ぶ。

 繰り返すが、私は保健室にだけは行かない。


 絶対に行かない!






 と、ここまで攻略対象者たちへの文句と恐怖を語ってきた私であるが、私が攻略対象者たちの誰かと結婚しなければならないのは、既に定まってしまっている。

 嫌だし怖いし逃げたいけれど、この事実を回避する方法が思いつかないのだからどうしようもない。


 隣国……は、アルフォルドの出身国だからないとして、隣国の隣国くらいにある帝国の皇太子でも私を迎えに来てくれないかな、と思うけれど、正直会った記憶なんてないし、その人までギルバート信者になったら困るし、やっぱり今のままでいいやと考えてしまう。

 それに、私の住む王国は、周辺国と比べて豊かで栄えている国である。そんな国の王子に対抗してくれる人が一体何人いるのか。

 しかも相手は重度のヤンデレだ。私なら絶対に嫌だ。そんな人と争う未来が見えている人なんて、私だったら全力で避ける。

 ……この争う原因が私ではないことにやるせなさを感じる。「私のために争わないで!(きゃっきゃうふふ)」なんてヒロインぶることさえできやしない。

 両親はまだ結婚しなくても良いと言ってくれるけれど、いつかはして欲しいのだろうと分かっている。

 それに、早く決めないと、外からは私がハーレム状態に見える今、無駄にハイスペックな攻略対象者たちに恋するご令嬢方の無言の圧力が凄いのだ。お前が決めないと他の男の婚約者の座が決められないだろう、と綺麗で迫力のある微笑みが日々私を追い詰めてくるのである。


 だから私は考えた。

 考えに考えて、それはもうありとあらゆるパターンを頭の中で想定し、その問題点と対処法、自分や周囲に与える影響についても散々考え続け―――とうとう結論を出してしまった。

 出したのではない。

 出してしまったのだ。

 だって、出さなくて良かったのなら出したくなかった。誰かこのヤンデレ集団から私を救出して欲しかった!


 そして今日、私はその結婚する相手を呼び出した。

 学園のお茶会室に来るように、と招待状を2人きりの時に渡し、他の攻略対象者にもギルバートにもバレないように全力で隠した上で、だ。ちなみに、相手にも絶対にバレないようにすると誓ってもらっている。


 正直、ギルバートを伴わずにお茶会室に来るのは物凄く難しかったので、ギルバートが執事の仕事に役立つ、と言って受講している講義の日を狙った。

 その講義の先生が非常に熱心で豊富な知識を持っている、とギルバートは毎回の講義の後、その先生に質問をしに行っている。そのため、その質問時間を狙えば、ギルバートにバレずに会えるのだ。

 そして、明らかに受ける必要がないと思うのだけれど、アルフォルド以外の攻略対象者たちも全員同じ講義を受講している。

 ちなみに私は受講していない。よって、その講義がある時間はフリータイムである。


 質問時間中、攻略対象者たちはギルバートをきちんと待っているのだが、その時に「用事がある」とでも言って抜け出して、お茶会室へ来て欲しいと相手には伝えている。

 ギルバートを囲む人間が1人減るのだ。誰も嫌がらずに喜んで送り出してくれるだろう。


 そもそも、なぜバレずに会おうとしているのか。


 それは、攻略対象者たちの静かで熾烈な『私の結婚相手』を巡る争いが起こっているからだ。ギルバートを得るために、彼らは全力で相手を蹴落とそうとし合っており、相手の動向を把握し合っている。

 そんな中、私が1人だけ呼び出す、だなんていう今までにない明らかに怪しい誘いをしたとバレたら、彼らはありとあらゆる手を使って邪魔してくるだろう。

 既に結婚相手を決めた身としては、邪魔されると困る。自分自身が求められていない結婚に、そんな苦労を背負いたくない。

 ギルバートに言わない理由は、単純である。嘘が絶望的に下手なので、隠し事を彼に話してはならないというだけだ。

 迷惑なことに、攻略対象者たちは毎日一回は私の予定をギルバートに尋ねているので、そこで攻略対象者たちにバレてしまう。

 つまり、ギルバートに結婚相手を教えたくないのではなく、攻略対象者たちにバレないために伝えない、ということだ。



 ―――さて、お茶会室に着いてしまった。


 相手は既に着いているのだろう。

 使用中、の札が扉の横にかけられている。


 扉の前で大きく息を吸って吐いて、私は扉に手をかけた。

 そして静かに扉を開いて中へ入り、案の定既に来ていた彼の方へと足を進める。



 覚悟は決まった。

 あとは、彼に伝えるだけだ。


 震える両手を身体の前でぎゅっと固く握り、目の前の瞳に視線をぶつける。




「わたくし、あなたと結婚するわ」




 提案でも願いでもない。挨拶もなしに、単なる事実であるかのように宣言した私に、彼は嬉しげに目を細める。

 まるで知っていたとでも言うように、驚くことも迷うこともなく彼は頷き、求婚の言葉とともに右手を私へ差し出す。

 私がその手に自分の左手を重ねると、彼はそのまま自分の唇へと持っていった。


 軽い音で響くリップ音。弧を描いていた唇がゆっくりと開かれる。




 ―――契約完了。



 音のない囁きに、言い表しようのない恐怖が身を包むのを感じる。


 前世で誰かが、結婚を後悔したことなんて数え切れないくらいあるわ、と言っていたのを思い出す。

 愛する人と結ばれたのに後悔するならば、初めから自分も相手もお互いに恋していない人と結婚するのはどうなるのだろう。それとも、いっそ期待がないから後悔もしないのだろうか。


 ただ1つはっきりしているのは、彼の言った通り、これが契約だということ。




平和な生活が欲しい私と、ギルバートが欲しい彼。


ギルバートに笑って欲しい彼と、私に笑って欲しいギルバート。


私と共にいる人生が欲しいギルバートと、今度こそ長い人生が欲しい私。





 ―――絶対に幸せになってやる。



 そう誓った私は、人生で一番綺麗に笑った。





ありがとうございました。

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エウラリア受難物語。 ヤンデレ達から逃げる手段として、エウラリアが余ってる爵位でも貰ってギルと結婚すればいいのでは?
大変面白く拝読させて頂きました。 苦境に立たされる人間の無力さとそして強かさを感じます。
BLも読むから話がBL寄りなのは別にいいんだけど、いっその事ギルバート主役の総受けにした方がまだ良かったかなと思う。 なまじヒロインが主役なせいで ヒロインの気の毒さが際立つた。 ヒロインが主役な…
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