第24話 陰謀(2)
一連の事件はこれだけでは終わらなかった。
家に帰って宿題をしていたら、奈都からメールが飛んできた。見ると、帰りに寄ってもいいかと書かれていて、私はスマホの画面を見ながら首を傾げた。家も近いし、寄ること自体は大して面倒ではないだろうが、時間も遅いし珍しい。
『いいけど、親が帰ってるかも』
そう返事をすると、それでも構わないと返ってきた。
部活は終わっていた後だったようで、それから30分ほどで奈都が家にやってきた。つい先程母親も帰ってきて、久しぶりと奈都に手を振った。奈都も明るく応じたが、どこか表情がぎこちない。まさか親の前で緊張しているとは思えない。
部屋のドアを閉めて、早速何があったのか尋ねると、奈都はしばらく落ち着かないようにキョロキョロと部屋を見回してから、決心したように大きく頷いた。
「あのね、相談に乗って欲しいんだけど」
「うん」
「今日、クラスの男子に、その……好きだって言われて」
もじもじしている奈都が死ぬほど可愛いが、ときめいている場合ではなくなった。
奈都は可愛い。中学の時は髪が短くて男の子みたいだったが、元々顔の造形はいいし、髪を伸ばしてからはとても魅力的になった。それに、今もそうだが、仕草も女の子っぽいし、物腰も穏やかだ。だから、男子が奈都を好きになるのは不思議ではなかった。
ただ、私の知る限りでは、奈都が男子に告白されたのはこれが初めてである。実際にそうらしく、奈都はどうしていいのかわからないと、顔を赤くして首を振った。
私は幾分動揺しながら、気持ちを落ち着けるように一度深呼吸した。
「それで、奈都はその男子をどう思ってるの?」
「どうとも思ってないし、そもそも友達の枠にも入ってなかった」
「じゃあ、告白されたことで意識したとか、そういうのは?」
「まったくないけど。いや、ないって言うと嘘になるね。今後どうすればいいかも含めて相談に乗って欲しい」
少し話が噛み合っていない。私はどう返事をしたらいいかを相談されていると思ったが、奈都はどうもそういう話をしているわけではないようだ。どう答えたのか単刀直入に聞くと、奈都は困ったように情けなく眉を曲げた。
「テンパっちゃって、考え直して欲しいって言ったら、大ウケしてた。私には何が面白かったのかもわかんないけど」
「いや、その返事はだいぶ面白いと思うよ?」
別れ話に使うのならわかるが、好きだと言って考え直せと言われた男子はもう、笑うしかなかったのだろう。
「つまり、奈都は別にその男子と付き合おうとか、まったくそういう気持ちはないんだね?」
「当たり前じゃん。怒るよ?」
「待って。その怒りは理不尽でしょ」
私が呆れながら押し留めるように手を伸ばすと、奈都は釈然としないように唇をへの字に曲げた。しばらく拗ねていたが、やがて真っ直ぐ私を見つめて少しだけ私の方ににじり寄った。
「あの子は一体、私のどこを好きになったんだろう」
奈都が答えを求めるように私を見たが、さすがにそれは私にはわからない。ただ、奈都は十分に魅力的で、私も大好きだと伝えると、奈都は恥ずかしそうに俯いた。私は冷静に手を振った。
「今、そういう反応はいいから」
「だって、チサが私のこと、好きだって」
「もうちょっと正妻の自覚を持って」
さんざんキスもしているし、1時間チャレンジもしている。今さら何を言ってるのだろう。私が首を傾げると、奈都は小さく息を吐いて私を見上げた。
「チサは高校に入ってからは、告白とかされてないんだっけ。同じクラスの子ってこともあって、どうしていいのかわからなくて」
「奇遇だね。丁度今日、クラスメイトからコクられた」
私が何でもないようにそう言うと、奈都はまさに絶句するように大きく目を見開いた。
「何それ。聞かせて!」
「いや、その話はもう涼夏と絢音としたからいいよ」
「私が聞きたいの! 参考にさせて」
奈都が掴みかかる勢いで迫ってきたので、私は両手を開いてそれを制した。
「好きって言われて、ああそうですか、それはどうもって感じの話をしただけだよ」
「明日からどんな顔で会うの?」
「向こうが距離を置くならそれまでだし、話しかけてくるなら応じるし、それだけだよ」
「この手練れが!」
奈都が悔しそうに激しく首を振る。相談に乗ってあげてるのに、ひどい言い草だ。
「涼夏は、好きになられること自体は嬉しいって言ってた。私は、一方的な好意は迷惑に感じる。奈都はどう?」
前に涼夏とそんな話をしていた。それについてはどう思うか聞いてみたが、奈都は情けなく眉をゆがめて瞳を潤ませた。
「そんな高度なこと、わかんないよ。初めて誰かに好きになられたし」
「可愛い反応だね。今、ちょっとでも嬉しいのか、それともただただ迷惑なのか、その辺は?」
「んー、なんか申し訳ない感じ? よくわかんないけど、私はたぶんその子が思ってるような人間じゃないし、大体、そんなに喋ったこともないし。これから知っていくとか、順番が違うと思うし、これから知っていくなら私じゃなくてもよくない? やっぱり何で私なんだろうって思うし」
「饒舌だね」
「真面目に聞いて!」
奈都が不貞腐れたように睨み付ける。とても可愛い。私がにこにこしていると、奈都は機嫌を損ねたように唇を尖らせた。
「相談相手を間違えた。涼夏にすれば良かった」
それはどうだろう。涼夏だと親身になり過ぎる気がするが、何にしろ奈都が涼夏を頼りにしているのは悪いことではない。
「じゃあ、涼夏にも意見を聞いておくよ」
「言わなくていいから!」
奈都が私の腕を掴んで悲鳴を上げる。相談するんじゃなかったのかと心の中で突っ込みながら、そっと奈都の髪に指を滑らせた。
「とにかく大丈夫だよ。川波君みたいに、私のことが好きでも友達のポジションで満足な子もいるし、その子がこれから奈都とどういう距離感で付き合いたいかを見て、それが奈都的にOKだったら、その距離感で付き合っていけばいいよ」
「難しいよ」
奈都が情けない声でそう言いながら、私の体を抱きしめて胸に顔をうずめた。こういうテンパって余裕のない奈都も実に可愛い。私はしばらく、微笑みながら奈都の頭を撫で続けた。
翌日、昼休み。私は早速昨日の話を帰宅部内で共有した。私が2日連続で告白され、さらに同時に奈都も告白された。そして、実は涼夏も数日前に告白されたと言って、箸を置いてわざとらしく腕を組んだ。
「これは、陰謀だな」
「誰の?」
妙に重たい単語が飛び出したので、苦笑しながら聞くと、涼夏は静かに首を振った。
「それはわからない」
「目的は?」
「帰宅部の不仲を狙ったものと思われる」
「離間の計だね」
絢音がそう言いながら、楽しそうに微笑んだ。涼夏が「笑い事じゃない」とたしなめる。もちろん冗談だが、陰謀説は否定しなかった。
「私たちの仲が悪くなって得をする人間。そいつが黒幕だ」
「そんな人、いるかなぁ」
私が首を傾げると、涼夏が少しだけ身を乗り出して声を潜めた。
「例えば、私が川波君だったら、どうにか上手く千紗都の周りから猪谷涼夏と西畑絢音を排除して、一人ぼっちになった千紗都の心の隙に付け入る」
「涼夏、怖っ!」
「いや、私じゃなくて、川波君の話だから」
涼夏が慌てたように手を振ったが、今のはどう聞いても涼夏の考えだろう。ただ、涼夏の言いたいことは理解した。
私たちは仲が良すぎて、中に入り込めない。もしも私たちの誰かを狙っているとしたら、まずその結束を乱すのはとても効果的だ。
「高松君の無謀な告白は、きっと裏に黒幕がいて、操られてやったに違いない」
涼夏が真顔でそう言って、私は思わず笑って手を振った。
「いや、単に涼夏や私を彼女にしたかっただけだと思うよ?」
「あまりにも無謀すぎる」
「それはまあ、そうだけど」
涼夏の言葉に困りながら頷くと、絢音が弁当箱を片付けながら苦笑いを浮かべた。
「さすがに高松君に同情する」
「絢音も他人事じゃないからね? この先、流言なんかで私たちの仲を壊そうとする者が現れるかもしれない。私たちは、そういう陰謀に屈しないように、より一層結束を深める必要がある」
涼夏が拳を握って力説する。とても可愛い。私がにこにこしながら眺めていると、涼夏はふっと私を見て、放心したような顔で私の頬に触れた。
「やっぱり、みんなの前でキスとかした方がいいかな」
「いや、やめておこう」
「千紗都……」
涼夏が薄く目を閉じて顔を近付ける。私は慌てて涼夏の顔を押し退けると、荒々しく息を吐いた。緊張で手の平に汗が滲む。絢音がくすっと笑って言った。
「まあ、答えを言うと、みんなクリスマスまでに彼女が欲しいんだよ。今から付き合えばひと月ちょっと。丁度いいタイミングでしょ?」
それは確かに答えかもしれない。私が思わずポンと手を打つと、涼夏が難しそうに眉根を寄せた。
「つまり、サンタクロースの陰謀」
「陰謀から離れて」
丁度予鈴が鳴ったので、陰謀に屈しない決意の握手を交わしてから席に戻った。
弁当箱をバッグにしまっていると、隣で川波君がからかうような目で言った。
「なんか、熱い握手を交わしてたな」
「見てたの? 悪趣味」
「たまたま、偶然、まぐれ」
「まぐれかー」
次の授業の教科書を出しながら、ちらりと川波君を見る。とても涼夏と絢音を私から排除できるような人間には見えないが、黒幕というのは意外と近くにいて、味方の顔をして笑っているものだ。
じっと見つめると、川波君が顔を赤くして視線を逸らせた。
「何? マジ照れるんだけど」
「私を見くびらないで」
「いや、見くびってない! 今、どういう流れからその発言が出てきた!?」
慌てふためく川波君を無視して、私は机に肘をついて顎を乗せた。
絢音の口からクリスマスという単語が出た。さすがにまだ気が早いが、確かにコンビニにはクリスマスケーキの予約のチラシが貼ってあるし、ショッピングセンターでも時々クリスマスソングが流れている。
クリスマスは好きな人と過ごしたい。それはもちろん私も同じで、私の好きな人たちも、言葉にするまでもなくそう考えていてくれたら嬉しい。