第24話 陰謀(1)
完全に油断していた。あまりにも久しぶりすぎて、その可能性すら考えなかった。いや、名前も知らない先輩に声をかけられて、まさかそれが告白だなどと、どうして想像できようか。その方が自意識過剰で怖い。
名前は知らないが、会ったことはある先輩だ。私が文化祭の準備で走り回っていた時、生徒会の繋がりで何度か喋ったし、一緒に作業をしたこともある。もしかしたらその時、世間話くらいはしたかもしれないが、それは私のわずかな社交性による極めて事務的なものであって、先輩に何かしら希望を抱かせるようなものではなかったはずだ。
現に、丁重にお断りした後、先輩は「そりゃそうだよな」と、簡単な問題の答え合わせでもするように言った。わかっていたなら是非挑戦しないで欲しいが、1%でも希望があると思ったのなら、可能性に賭けてみる気持ち自体は理解できる。もっとも、実際には1%の希望もないのだが、向こうがどう考えるかは別問題だ。
高校に入って初めて告白されて、幾分驚いたが、それでもそれは辛うじて私の日常の範疇の出来事だった。中学時代は両手で足りないくらい告白されている。断るのは少なからずしんどいが、日頃絡みのある相手ではないし、心の負担は大してなかった。
だからこの件は、特に帰宅部の中で話題にするつもりはなかった。もしかしたらいつかその内、なんでもないことのように話すかもしれないが、少なくとも「結構前のこと」になるまでは言わないでおこうと思っていた。
ところがその翌日、私の日常の範疇から大きく外れる事件が起きて、そうもいかなくなった。廊下でクラスメイトの高松君に呼び止められて、いきなり告白されたのだ。2日連続はさすがに私も初めてだったし、今はたまたま誰もいなかったが、階段の下からは声が近付いてきている。数秒後には誰かがここを通るだろう。
「いやいやいやいやいや。待って。何? なんで今ここ? このタイミング?」
完全に不意を突かれた。私が思わず素っ頓狂な声を上げると、高松君は私より頭ひとつ高い位置から、困ったように笑った。
「いやー、なんか、呼び出しても来てくれない気がして。そういうイメージが湧かなかった」
「そっか。うん。それはそうだね。『放課後ちょっといい?』って言われたら、たぶん『良くない』って答えた気がする」
「だろ? そうなると、今、神った瞬間だった」
「なるほど。高松君なりに考えた告白だったわけだね?」
私が真っ直ぐ見上げると、高松君は恥ずかしそうに視線を逸らせた。男女を問わず友達の多い人という認識だが、反応は初々しい。同じ異性でも、友達と好きな相手ではまったく違うのだろう。
それにしても、高松君とも文化祭で初めて喋った程度の仲である。高松君に限らず、私は文化祭の実行委員になるまでクラスのほとんど誰とも喋っていなかった。それがあの文化祭でクラスメイトとの距離が近くなり、結果としてこのイベントに繋がっている。私が春から作ってきた壁は、もう無いと考えた方が良さそうだ。
同じクラスの友達が、「どうしたのー?」「珍しい組み合わせだねー」と笑いながら歩いて行った。それにひらひらと手を振って応えてから、私は顔を上げて首を傾げた。
「もちろん、答えはノーなんだけど、なんか高松君が私に告白するとか、結構意外で驚いてる」
「意外ってことはないと思うけど。野阪さん、むっちゃ可愛いし、文化祭で秘密のベールが剥がされて、人気急上昇中だよ」
「どうかそのまま秘密のベールに包んでおいて。私は地味で空気のような存在を目指してるの」
「もう無理だと思うぞ? 人々はみんな、野阪千紗都に気付き始めた」
「マジか……」
くだらないことを話しながら教室に戻り、高松君と別れて席についた。小さく息を吐くと、隣の席から川波君が好奇心を剥き出しにして言った。
「タケとなんかあった? 尋常な空気じゃなかった」
「何も」
「あいつ、猪谷さん派だったはずだけど、まさか両刀か? 告白とかされてない?」
半ば冗談で言われたその一言に、思わず言葉が詰まってしまった。川波君が「えっ? マジで?」と目を丸くする。私がため息をつきながら机から教科書を出すと、川波君が何やら考え込むように顎に手を当てた。私は思わず半眼で睨んだ。
「お願いだから、告白とかしないでね? 希望は1グラムもないから。あの上皿天秤の一番小さい分銅でも量れないから」
これもまた十分意識過剰な台詞だが、川波君は私のことが好きだと公言している。高松君が抜け駆けしたことで、心境の変化とやらが起きて、告白してくるかもしれない。先手を打っておくと、川波君が呆れたように肩をすくめた。
「そんなぬいぺニ事案を起こすほどバカじゃないよ」
「ぬいペニって何?」
「おっと、今のは失言だ。どうか調べずに忘れてくれ」
川波君がわざとらしく手をひらっと振った。せっかくなので目の前でスマホを取り出して調べると、どうやら友達だと思っていた男子に告白されることを言うらしい。まさに今話していた状況なので、使う言葉は正しいが、何の略かがひどかった。軽いセクハラだ。
「サイテー。二度と私に話しかけないで」
机を少しだけずらしながらそう言うと、川波君は「それもう10回くらい言われてる」と苦笑いを浮かべた。
帰り道、いつものように古沼への道を歩いていると、涼夏が静かに切り出した。
「今日、何があった?」
見ると、絢音も心配そうに私を見つめていた。私が高松君と一緒に教室に入って来たことから何かを察した上、二人の中でそれはもう共有されているらしい。
言うか言うまいか迷っていたが、聞かれた以上は答えなくてはならない。二人に隠し事はしたくないし、別に隠したい内容でもない。
「高松君が、突然廊下で告白するっていう暴挙に出た。正直、びっくりした」
「やっぱりか。あの男、私の千紗都に……」
涼夏が不愉快そうに顔をしかめるが、冗談っぽくも見える。断ったことは言うまでもないし、心配もしていないようだ。ついでに昨日先輩に告白されたことも伝えて、「モテ期到来?」とおどけると、絢音が呆れたように笑った。
「千紗都はずっとモテるでしょ」
「高校に入ってから初めて告白された。きっとみんな、色んな子に告白して、もう私くらいしか残ってないんだね。余り人」
「億り人みたいな響きだね。仮想通貨で儲けた人」
「私も千紗都コインとか発行して、みんなに買ってもらおうかな」
そんなくだらない話をしていると、涼夏が少し考えるような顔で言った。
「私の情報によると、高松君は先月、猪谷涼夏に告白している」
「えっ? そうなの?」
思わず声を上げると、涼夏はゆっくりと頷いた。そういえば、川波君が、高松君は猪谷組だと言っていた。冗談で言ったが、本当に他の人にフラれたから私という流れが出来始めたのだろうか。
「千紗都はドラフト1位指名級だよ。ただほら、どう考えても無理だからって誰も告白しないことで、女の子が自分は魅力がないんだって誤解して、冴えない男子がダメ元で告白して付き合い出すとか、マンガだと時々見るよ」
絢音がそう言って笑う。確かにマンガにはありそうだ。幸いにも私は、自分に魅力があるとは思っていないが、男子と付き合いたいとも思っていないので問題ない。二人を安心させるようにそう言うと、涼夏が小さく笑った。
「千紗都は面白いよ」
「それ、褒められた? 涼夏はクラスで一番可愛い上に、性格まで天使だからモテるのはわかる。私はまあ、もしかしたら容姿は多少恵まれたかもしれないけど、地味でつまらない女だから」
「千紗都は面白いよ」
私の自虐に、涼夏が同じ言葉を繰り返した。絢音も「喋ってて楽しいよ」と、涼夏の言葉を後押しする。二人が本心からそう言っていることに疑いはないし、それを否定しても空気が悪くなるだけなので「ありがとう」と言って流した。
「それにしても、涼夏は相変わらず告白されてるんだね。夏休みが終わってからは、高松君だけ?」
夏休みに一度、絢音が旧友に告白されたと相談した時、涼夏は高校に入ってから3人に告白されたと言っていた。今はどうかと聞くと、涼夏は眉も動かさずに答えた。
「高松君を入れて4人かな。私も文化祭で色んな人と喋って、存在を知られたかもしれない」
「涼夏はどう考えても目立ってるから」
「そうでもないと思うけど。冷静に考えると、私って地味じゃない?」
「粗雑ではないね」
絢音が可笑しそうに口元を緩める。悪目立ちはしていないが、地味ではない。もしかしたら、涼夏がいるおかげで、私はあまり告白されずに済んでいるのかもしれない。
うっとりと涼夏を見つめていると、涼夏が気味悪そうに身を引いた。絢音がくすっと笑って、組んだ両手を前に突き出した。
「それにしても、涼夏と千紗都に告白するっていうのは、高松君も色んな意味でチャレンジャーだね」
「色んな意味って?」
「無謀っていうのもあるけど、明らかに情報が筒抜けじゃん? 涼夏と千紗都が帰宅部で仲良しなのは、もうみんな知ってるでしょ?」
「いっそもっと知られたら、面倒な告白イベントもなくなるかなぁ。今度告白されたら、私は野阪千紗都を愛してるって言おうかな」
涼夏がそう言って、明るく笑う。ツッコミ待ちのようだったが、敢えて何も言わずにスルーしたら、涼夏は恥ずかしそうに俯いた。今の沈黙は呆れではなく、肯定だ。涼夏が言いたければ言えばいいが、いざ言おうとすると、涼夏は初々しく照れる。とても可愛い。
「まあ、千紗都が涼夏の陰に隠れてる以上に、私は二人のおかげで、最高に地味な女子生徒でいられるよ」
絢音が気楽な口調でそう言って、楽しそうにクルッと回った。私はやれやれと腰に手を当てて首を振った。
「絢音も気を付けてね? 文化祭の演奏で、男子の中で西畑株急上昇だって、川波君が言ってたよ」
実際のところ、絢音はとても可愛いし、気品がある。勉強好きの大人しい優等生だと、私ですら春の頃はそう思っていたが、それがギターを弾いてステージで歌うというギャップに、胸を打たれた男子も多いらしい。
「それは面倒だなぁ。万が一告白されたら、私も野阪千紗都を愛してるって言おうかな」
絢音がそう言って、ギュッと私の手を握った。実際に使うかどうかは別にして、内容自体に嘘はない。二人がもしそうしたら、私も帰宅部は3人で付き合っていると宣言しよう。それで告白がなくなるとは思えないけれど。