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第23話 温泉 3

 針谷温泉街に到着すると、宿の場所だけ確認して、近くでお昼にすることにした。チェックインはまだだいぶ先だし、海の時と違って先に預けておきたい荷物もそんなにはない。

 お昼は涼夏がサンドイッチを作って来てくれていて、温泉街の休憩スペースで広げた。涼夏一人に持たせるわけにはいかないので、中央駅でみんな自分の分を受け取っている。

 ハムとタマゴのサンドイッチを頬張ると、やはり普通に美味しかった。感想を言う前に、先に奈都が「美味しい!」と顔を綻ばせたので、私はそれに乗っかって頷くだけにしておいた。

 しばらく談笑しながら食事を楽しんで、再び山の方を目指して歩き始める。ここからさらに、先程までの半分ほど歩いた場所に、景勝地である針谷峡がある。川を挟んだ奥に遊園地があり、手前には遊覧船の発着所にもなっている整備された公園がある。明日一日遊んで、帰りはバスを使って駅に戻る予定だが、特に行く場所もないので、今日公園まで行ってみることにした。いまいちそうだったら、明日は駅の近くにあるアウトレットに行くのも悪くない。

 だいぶ登って来たせいか、木々がほのかに色付いている。生憎の天気だが、なかなか綺麗だ。赤や黄色の樹木を眺めながらのんびり歩いていたら、突然涼夏がくすくすと笑い出した。どうしたのかと振り返ると、涼夏が笑ったまま手を振った。

「いや、さっきの千紗都を思い出したら、可笑しくなって」

「さっきって、いつ?」

「ナッちゃんに、膝も手も地面についてないとか言ってたヤツ」

 その話を蒸し返すのかと、呆れながら肩をすくめると、隣で絢音も微笑みながら頷いた。

「冗談だとは思ったけど、結構怖かった」

「いや、私はチサに嫌われたんじゃないかとか、この旅行が終わっちゃうんじゃないかとか、結構気が気じゃなかった」

 奈都が大慌てでそう言って、ぶんぶんと頭を振る。涼夏が励ますようにポンと奈都の肩に手を乗せた。

「時々絢音と、千紗都に怒られてみたいねって話してるんだけど、なかなかそういう機会もなくてね。ナッちゃんって、結構千紗都と喧嘩してるよね」

「できることならしたくないよ、私だって」

「ナッちゃんが際どいところを攻めるから。傍から聞いてたら明らかに冗談だってわかったけど、まあ千紗都が勘違いする心情も理解できる」

 涼夏がうんうんと頷いた。確かに、今思えばどう考えても冗談だったが、あの時は何故か本気にしてしまった。奈都がそんなことをするはずがないし、そんな器用なことができる子でもない。

「大体奈都が悪い」

 きっぱりそう言うと、奈都は「そんなことはないと思うけど」と不服そうに唇を尖らせた。

 それにしても、部員二名も怒られたいとは何事か。厳しく糾弾したが、二人は悪びれずに笑った。

「ナッちゃんが羨ましいよ。私はもし千紗都と喧嘩したら、ちゃんと仲直りできるか心配だ」

「そもそも、どうやったら千紗都を怒らせれるかなぁ」

 絢音がそう言いながら、いきなり私のお尻を撫でた。私が思わず悲鳴を上げて飛び退くと、絢音は怒ってくれと言わんばかりに、大きな瞳でじっと私を見つめていた。怒る気にもならなかったので、お返しに絢音のお尻を鷲掴みにしたら、思ったよりも柔らかくてドキドキした。今日は何だか友達の体によく触る日だ。

 そんなこんなで針谷峡に着くと、公園はなかなかの人出だった。遊歩道の木々は色付いている部分と緑の残る部分があって、綺麗な3色のグラデーションになっている。天気は悪いが、紅葉は桜と違って曇りでも映える。

 記念に写真を撮ってから、ベンチに座って近くの店で買ったたい焼きにかぶりつくと、隣で涼夏が私にもたれかかってため息をついた。

「疲れた。涼夏さんは疲れました」

 確かに、途中で休憩したとはいえ、駅から2時間以上歩いている。しかもここまでほとんど登りだ。運動が苦手な涼夏には厳しい行程だったかもしれない。

「気持ち良く温泉に入れるよ」

 そう励ましながら背中に指を這わせると、涼夏は私の肩に頭を乗せたまま、いたずらっぽく笑った。

「お風呂の後に、みんなにマッサージしてもらおう。そうしよう」

「マッサージかー」

 絢音が何を想像したのか、眩しそうに目を細める。この旅は涼夏の誕生日企画だし、それくらいはしてあげてもいい。

 尻尾から食べていた奈都が、だんだんクリームが増えていくと喜んでいる。わざわざ向きを入れ替えてまで尻尾から食べる奈都のこだわりに突っ込むと、奈都は「最後に一番美味しいところを食べたいじゃん」と笑った。

「もちろん、尻尾にまでしっかりクリームが入ってることが約束されてたら、私だって頭から食べるよ? 私は尻尾から食べたいんじゃなくて、最後にたっぷりのクリームが食べたいの」

「それはわかる。クリームパンも、最後の一口にクリームが全然ないとガッカリするよね」

 力説する奈都に絢音が柔らかく微笑むと、奈都は満足そうに頷いた。

「アヤとは友達になれる気がする」

 お前ら、まだ友達じゃなかったのか。

「せっかく尻尾から袋に入れたのに、いきなり入れ替えられるお店の人の気持ちにもなって」

 そう言いながら、紙袋をクシャッと丸めてゴミ箱に捨てると、奈都は静かに首を振って、哀れむような目で私を見下ろした。残念だが、私と奈都との友情はこれまでのようだ。

 そろそろ公園をひと歩きしようと立ち上がると、涼夏がゴミを捨てながら微笑んだ。

「たい焼きで喧嘩が始まるかとワクワクしてたけど、始まらなかった」

「さすがにないから」

 呆れながらヒラッと手を振った。そもそも私は平穏に生きたいのだ。

「アヤと涼夏は、喧嘩とか全然しないの?」

 園地をぶらぶら歩きながら、奈都が明るい瞳でそう聞いた。私が知る限り二人は仲良しだし、実際に「しないねぇ」と二人が声を揃えた。

「まあ、知り合って半年以上経つし、そろそろ方向性の違いでモメる頃かもしれないね」

 絢音がバンドマンらしい台詞を吐くが、一体何の方向性だろう。静観していると、涼夏が少し考えるような素振りをしてからニヤッと笑った。

「ねえねえ、駅前に新しい酸素バーができたんだって。行ってみない?」

「えー。それより打ちっぱなしに行こうよ。ドライバーで200ヤード飛ばすのが私の夢なの」

 絢音が首を振ってから、ゴルフのスイングの真似をした。涼夏がふてくされたように頬を膨らませる。

「そんなのつまんない。絶対に酸素バーだって」

「打ちっ放しがいい。付き合ってくれないなら一人で行くから」

「いいよもう。私も一人で酸素吸ってくる」

「ふんっ!」

 絢音が腕を組んでそっぽを向く。実にくだらない茶番だが、二人ともなかなか可愛らしい。

 涼夏が、「みたいな?」と笑いかけると、奈都は困ったように首を傾けた。

「思ったのとは違うけど、まあそんな感じ。帰宅部って活動範囲が広いから、やりたいこととかぶつかりそう」

「活動範囲が広いっていうのは、すごくポジティブな表現だね」

 絢音が可笑しそうに顔を綻ばせた。帰宅部の活動というのは、要するに寄り道のことだ。ぶっちゃけるとただそれだけなので、大袈裟な言い換えは大歓迎である。

「涼夏がいたら涼夏が決めるし、私と千紗都の二人なら千紗都が決めるし、あんまりぶつかることとかはないかな」

 絢音がのんびりした口調でそう言うと、奈都は「ふーん」と相槌を打ってから、考えるように腕を組んだ。

「私はやりたいことが多いから、涼夏とぶつかるかもしれない」

「やりたいことが多いのは大丈夫だよ。やりたくないことが多いとぶつかる」

 さらっと言った涼夏の言葉に、奈都が感心するように口を開けた。私も思わず納得して、大きく首を縦に振った。意識したことはなかったが、確かにそうかもしれない。私たち3人に共通しているのは、やりたいことそれ自体ではなく、好奇心かもしれない。

 もちろん、涼夏が運動が苦手なのは知っているから、そういう提案は意図的にしていないし、絢音もメイクに興味が無いから、3人一緒の時はコスメの話はしていない。そういう相互理解も不可欠だが、誰かの提案にとりあえずやってみようと思えるかどうかが、帰宅部員に必要な素質かもしれない。

 それにしても、酸素バーとゴルフの打ちっ放しとはまた、かつて一度も話題にすら出たことがないスポットだ。もちろん、機会があれば挑戦してみたいと思うから、私は帰宅部の部長に適任なのだろう。趣味探しの旅は続けているし、ここにいるメンバーの中で、恐らく一番やりたくないことが少ない。

「私、酸素って吸ったことがないんだよね。どんな味だろ」

 涼夏の話に乗っかるようにそう言うと、3人は一瞬ピタリと動きを止めて、そのまま何も言わずに再び歩き始めた。せっかく話題を膨らませようとしたのに、ひどい反応だ。

 唇を尖らせながら3人の背中についていくと、突然絢音が大きな声で笑い出して、抱きしめるように奈都に寄りかかった。

「無理! 私にはスルーできない!」

「いや、わかるよ。それをいかに笑わずにいられるかが試されてるんだって」

 涼夏も必死に笑いを堪えるように頬を引きつらせながら、絢音の肩に手を乗せた。奈都も絢音の体を抱きしめながら、肩を震わせて笑っている。私が首を傾げていると、とうとう3人揃って大きな笑い声を上げて、周りの人が驚いたようにジロジロ見ながら歩いて行った。恥ずかしいことこの上ない。

「ねえ、私、何か変なこと言った?」

 仲間外れにするなと説明を求めると、涼夏がひーひー言いながら涙を拭った。

「胸に手を当ててよく考えて。本当に酸素を吸ったことがないの?」

 そう言いながら、涼夏が私の手を取って自分の胸に押し当てた。ふんにょりと柔らかな感触。こういう時は普通、自分の胸に手を当てて考えるものだと思うが、とりあえず言いたいことは理解した。

「酸素バーに行ったことがないっていう意味だよ?」

 困ったように眉根を寄せると、涼夏が笑いながら頷いた。

「それはわかってるけど、言葉のインパクトが強すぎた」

「もしくは、チサは樹木」

「樹木かー」

 奈都の言葉に、涼夏が「それなら仕方ない」と深く息を吐いた。絢音はずっと笑い続けている。

 どうも納得がいかないが、バカにされているわけではないようなので、よしとしよう。

 顔を上げると、少しだけ雲の上が明るくなっていた。予報通り、明日はいい天気になりそうだ。


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