第23話 温泉 1
帰宅部4人の誕生日は、幽霊部員の奈都が6月、私と絢音が9月、そして涼夏が11月で一番遅い。これまで、私たちはもちろん、当時はまだあまり親しくなかった奈都の誕生日会も涼夏が企画してくれており、そのお返しに何をするか相談するべく、私たちはファミレスに集まっていた。もっとも、本人も一緒にいるのでサプライズは無しだが、本人が嬉しくない企画をしてしまうよりはずっといい。それに、私は事前に本人にも確認しなくてはいけない企画を考えていた。
「いよいよ16歳か。もう16歳を4ヶ月以上やってる奈都さん、16歳はどうですか?」
涼夏がポテトをつまみながら、憧れるような目で奈都を見つめた。この中ではバイトもしていて求心力もある涼夏が一番大人びているので、まだ15歳ということに強い違和感を覚える。もっとも、見た目は童顔で年相応に幼い印象があるが。
「そうだねぇ。大人の女性になったなって思うよ」
奈都が柔らかく目を閉じてうっとりと微笑んだ。涼夏がわざとらしく「おー」と手を叩くのを横目に、私は冷静に口を開いた。
「嬉しそうに私の胸を揉みしだいてた奈都さん、あれが大人の女性の行動なの?」
文化祭の翌日、1時間チャレンジどころか1日チャレンジをしていた時、随分と体を触られた。心の底まで見透かすように見つめると、奈都は顔を赤くして両手を振った。
「だから、何で言うの!?」
絢音と涼夏が「へー」と感心したように声を漏らしながら、からかうような視線を送った。涼夏がにんまりと笑う。
「そっか。じゃあ、私も16歳になったら、千紗都の胸を揉みまくるよ!」
「涼夏、私の胸を揉みまくりたいの?」
これも冷静に尋ねると、涼夏は言葉に詰まったように息を止めてから、恥ずかしそうに俯いてせわしなく指を絡めた。
「それは、まあ、その……」
唐突に随分可愛い仕草を見せてくれる。私がじっと見つめていると、隣で絢音がお腹を抱えて笑った。
別に非難する意図はない。揉みたければ揉んでくれていいが、私自身が特にそうしたいという想いが湧かないので、純粋に不思議に思う。
「まあ、その、ほら、千紗都のこと、好きだし」
ごにょごにょと涼夏がそう言って、私は表情を変えずに身を乗り出した。
「涼夏の胸を揉みまくりたいと思わない私は、涼夏のこと好きじゃないの?」
「いや、知らんし。胸の話はもういいから」
涼夏がブンブンと手を振って、私は仕方なく椅子に座り直した。隣でそもそもの元凶がほっと息を吐く。確かに、世の中には無数のカップルがいて、愛の形も無数にあるが、大体同じことをしている。好きな相手の胸を揉みまくりたいという感情は、きっと多数派なのだろう。
「涼夏が私の胸をねぇ……」
感慨深く呟きながらストローをくわえると、涼夏が拗ねたように私を睨んだ。可哀想なのでそろそろやめてあげよう。
改めて誕生日の話に戻す。涼夏の誕生日は平日なので、私と絢音の時と同じように週末に遊ぶ予定でいるが、念のため土日を2日とも空けてもらっている。私を筆頭に大体土日は暇しているメンバーだが、それでも4人全員が空いているのは珍しいので、久しぶりに1泊するのはどうかと切り出した。
一緒に海に遊びに行ってからしばらく経つ。あれは本当に楽しかったし、またお泊まり会がしたい。そう訴えると、涼夏は静かに頷いた。
「私は構わない。誰かの家を想定してる? それとも、またどこかに行くことを考えてる?」
「後者だけど……」
慎重にそう言うと、絢音が難しい顔をした。問題はお金だ。もはや聞くまでもないし、わざわざ絢音も説明しない。お泊まり会自体は絢音だってしたいはずだ。
「少しなら私が出してもいいよ? 楽しそうだし、私は行きたいけど」
涼夏が明るい瞳でそう提案した。ここのところ涼夏は、バイト代の多くを私たちとの遊びに使っている。元々コスメや洋服に使っていたが、コスメは半年でお気に入りが大体固まってきたし、洋服はそもそも着る機会が少ない。それより、私たちとの時間に使った方が楽しいと、前に爽やかにそう言っていた。
「涼夏は天使の生まれ変わりだね」
奈都が笑うと、涼夏は悲しそうに瞳を潤ませた。
「その天使は死んだの? 天使なのに?」
「うん。天使もエルフもいつか死ぬ。あっ、でもハイエルフは寿命がないって」
「エルフは知らんけど、天使は生きて」
二人がよくわからない話に声を弾ませる。一区切りついてから、絢音が静かに切り出した。
「誕生日会の主役に出してもらうのはいくらなんでも気が引けるから、親に相談してみる」
絢音の言葉に、私は神妙に頷いた。偉い子だ。私など、とっくの昔にバイト代は使い果たしたし、最初から親にお願いするつもりだった。
奈都は夏のバイト代がまだほとんど残っているという。元々お小遣いの範囲で十分やり繰りしていたし、お金のためにバイトをする必要はないという結論に至ったようだ。
「まあ、そうは言っても、こういう時に即答できる強みはあるから、もし冬もまたチサがバイトするなら、私もやってもいいけどね」
そう言って、奈都が私を見てうっとりと目を細めた。誘惑されているのだろうか。私がスッと身を引くと、奈都は露骨にガッカリした様子で肩を落とした。
話が大幅に脱線したので元に戻す。私が考えていたのは、近場の温泉宿でのんびり過ごすプランだ。宿の周辺をハイキングして汗をかいて、温泉にゆっくり浸かって、美味しい松茸料理に舌鼓を打って、夜はボードゲームでもして楽しめたら、最高ではないか。
そんなプランを披露すると、涼夏が苦笑いを浮かべた。
「松茸料理が難しそうだね。また素泊まりコンビニ弁当の予感」
「私はそれでもいいけど。グラタン美味しかったし」
奈都が海でのことを思い出すように天井を見上げた。私など何を食べたかも覚えていないし、奈都がグラタンを食べていたことすら曖昧だが、コンビニ弁当が美味しかったのは確かだ。
「じゃあ、松茸は大人になるまでお預けかな」
私の言葉に、奈都がしっとりと頷いた。
「そうだね。16歳とか、まだまだ子供だし」
「大人の女性じゃなかったの?」
涼夏が冷静に突っ込んで、絢音がくすくすと笑い声を立てた。実際、私ももう16歳をひと月以上やっているが、何も変わった気はしない。特にお金に関しては、働かない限り豊かにはならないし、結局学生の内は子供なのだと思う。
「それで、行きたい場所とか、泊まりたい宿はあるの?」
涼夏が笑顔で私の瞳を見つめた。
「特にないけど」
私が平然とそう言って首を振ると、涼夏が呆れたように眉尻を下げた。
「私の誕生日、もうすぐなんだけどな……」
確かに、なんとなく宿などいつでも取れるだろうと思っていたが、秋の行楽シーズンの土日に、そんなに都合よく空いているのだろうか。お金の問題はとりあえず置いておいて、私はスマホをテーブルに置いて旅行サイトを開いた。アカウントもクレジットカードもないのでサイトから予約することはできないが、調べるのには便利だ。
場所はどの辺りにしようか。夏は稲浪海岸に行ったが、あの辺りにも温泉地はある。近いしまた南に行くかと言うと、涼夏が「松茸はどこ行った?」と笑った。
どうせ松茸は食べられないが、やはり山の方だろうか。この際、そこそこ田舎で、駅の近くで、温泉があって、和室があって、素泊まりで安く泊まれたらどこでもいい。そう言いながら検索していると、絢音が可笑しそうに頬を緩ませた。
「それは、そこそこハンサムで、平均的な身長があって、平均的な学力があって、それなりに運動ができて、タバコも博打もやらない、普通の人がいいみたいな響きだね」
「随分敷居が高い『普通』だね」
奈都が呆れたように肩をすくめる。一つ一つは平均的でも、それらすべてを兼ね備えた人はそんなにもいない。私の検索している宿はと言うと、駅の近くという条件が一番難しそうだった。田舎に行くほど鉄道は発達していないし、バスも一日に数本しかない。
「4人いたら送迎してくれるんじゃない?」
夏に実際に宿を予約してくれた涼夏が、当然のようにそう言った。そんな送迎をしてくれるような宿に泊まれるだろうか。そもそも、貧乏学生4人をわざわざ迎えに来てくれるだろうか。
不安を呈すると、涼夏は「かけてみないとわからんね」と軽く手を広げた。やはり度胸が違う。結局私は単に、宿やお店に電話をしたり、大人の人と話をするのが苦手なだけだ。
絢音が「私がかけようか?」と言ってくれたが、そこは帰宅部部長にして発案者の私が責任を持ってやりたいと、スマホを取った。とりあえず一軒、空室があって良さそうな宿に電話してみる。
4コールで応答があり、「野阪と言いますが」と名乗った声が裏返って3人にくすくす笑われた。恥ずかしい。
空室はあり、送迎はできないがバス停が近くにあるので、バスの時間に合わせてきてくれればと言って、時間を教えてくれた。それを絢音にメモしてもらいながら、値段とチェックインの時間を確認する。
宿の人に食事はどうするかと聞かれたので、断ろうとしたら、涼夏が「交渉してみ?」と囁いた。そういう手段もあるのか。
田舎だから徒歩圏内にコンビニなどないだろうし、買って行っても電子レンジが使えるかわからない。本当に簡単なものでいいので、一人1,000円から1,500円くらいで何か用意してもらえないか聞いてみたら、1,500円でそれなりに頑張らせてもらいたいと快諾してもらえた。
連絡先を伝えて、お礼を言って電話を切る。ぐったりと椅子にもたれると、奈都が偉い偉いと頭を撫でてくれた。
これで後戻りはできなくなった。ぼんやり考えていたプランだったが、決まる時はあっと言う間だ。
「じゃあ、後は絢音と奈都に任せたから」
私がポテトを頬張りながら微笑むと、二人が苦笑いを浮かべた。海の時と違って、今回は誕生日会だ。せっかくだから何か特別なことができればと思う。今は疲れ切って、何も考えられないけれど。




