第21話 体育祭(2)
3連休初日の土曜日は、うっすらと雲のかかった青空の広がる、絶好のスポーツ日和になった。日中は暑くなりそうだが、文化祭のような灼けるような日差しではない。すっかり秋だ。
グラウンドを囲むように、ユナ高の全生徒が体操服で座っている。クラスごとに描かれた応援パネルを遠目に眺めていると、隣で涼夏が独り言のように言った。
「今日は頑張るぞ。1位を取ろう」
およそ涼夏らしからぬ発言に、ギョッとして見ると、涼夏は私と目を合わせずに、パンフレットの表紙に視線を落としたまま微かに笑った。
「私、体育祭大好き。活気があって、お祭りって感じがする」
「涼夏、どうしたの? 大丈夫?」
思わず肩に手を乗せると、涼夏の向こう側で絢音が顔を押さえて肩を震わせた。帰り道だったら声を上げて笑っていたかもしれない。今はクラスメイトに囲まれているから我慢してほしい。
私がゆさゆさと体を揺らすと、涼夏は顔を上げずに感情のこもらない声で続けた。
「玉入れとか、楽しそう。童心に帰る。たくさん投げて、チームに貢献するんだ」
「涼夏、しっかりして。壊れちゃったの?」
私が迫真の演技でそう言うと、とうとう絢音が堪え切れないというように、涼夏を抱きしめて肩に顔をうずめた。
「おかしい。二人ともおかしい。無理」
「いや、私は普通でしょ」
私が大変遺憾だと強く抗議すると、涼夏が絢音を引き剥がしながら顔を上げた。
「千紗都と絢音も頑張ってね? 帰宅部は可愛い以外に取り柄がないとか、そんなことないって見せつけてやろう」
「そんなこと言われたの?」
「言われてない」
「言われてないんだ……」
意味がわからないが、とりあえず会話になったので、ほっと息を吐いた。言われるまでもなく私は頑張るつもりだが、ようやく涼夏もやる気になったのだろうか。そもそも手を抜くタイプではないし、今日は授業もなければバイトもない。全力で汗だくになって、気持ち良くシャワーを浴びてくれたらと思う。
開会式の時間になると、全員グラウンドに整列をして、校長の短い話の後、生徒代表が選手宣誓を行った。たくさん集まった保護者から拍手が起きる。今日は親が見に来ると言っていたので、どこかにいるだろう。恥ずかしいので来て欲しくないと言ったが、文化祭は我慢したからせめて体育祭くらい行かせろと言われて諦めた。お金を出してもらっている身だし、そもそも過保護で私のことが大好きな両親だ。
「二人の家は、誰も見に来てないの?」
元の場所に戻りながら聞くと、絢音は来ていないというように首を横に振った。涼夏が不機嫌な顔でため息をついた。
「妹が友達連れて来るって」
「絶縁したんじゃなかったの?」
私が思わず眉を上げて聞くと、絢音が小さく噴き出して口元を押さえた。相変わらず笑いのツボが浅い。
「まったくしてないどころか、再来年ユナ高も候補に入れてるから、様子を見たいって」
「2つ差だったよね? じゃあ、私たちが3年の時に1年か」
学年トップの可愛さを誇る猪谷涼夏の妹だ。話題になるだろう。うちの吹奏楽部は強豪だが、吹奏楽を続けるのだろうか。それとも涼夏のように辞めて、バイトをするのだろうか。
嬉々としてそんな話をすると、涼夏が無表情で目を細めた。
「そもそも私は来て欲しくない。その頃には千紗都と廊下でベロチューするような仲になってると思うから、そういうのを妹に見られたくない」
「それは、なってないと思うな……」
どこまで本気かわからないので、適当に流しておいた。ベロチューするのは構わないが、廊下でするのは勘弁してほしい。
体育祭最初のプログラムは100メートル走だ。各クラス5人ずつ出て、学年ごとに5回ずつ競争する。全学年で15回。タイムではなく、それぞれ1位から3位にポイントが加算されるから、どのタイミングで誰を出すかも重要になってくる。
ちなみに、1年から3年までクラスの数が同じなので、1組チーム、2組チーム、3組チームというふうに、クラスごとにチームになっている。一度も他の学年と一緒に練習はしていないが、合同でやる競技もあるので、自然と同じ組を応援することになる。
なお、先輩の中では唯一顔と名前が一致して、文化祭の後にも何度か挨拶をしている占い師の璃奈先輩は、同じ3組らしい。せっかくなので応援したいと思う。バトン部だが、早速100メートル走にもエントリーしている。
1年生から順に走るので、スタート位置でクラスメイトがウォームアップを始めた。軽快なリズムの曲が流れて、放送部が出場者の名前を告げる。ピストルの音とともに歓声が上がる。私たちも声を出して応援したが、1年3組は一度も1位を取れなかった。もっとも、ポイントはそれなりに稼いだので、先輩たちに恨まれずに済むだろう。
2年生は2人が1位を取ってくれたが、璃奈先輩は残念ながらドベだった。毎回、誰かはドベになるのだから仕方ない。3年生が走っている途中で、次の綱引きのために立ち上がった。参加しない絢音が、「頑張って」と私たちの手を握る。涼夏が笑いながら頷いた。
「任せて。全員薙ぎ倒してくる」
どう考えても無理だと思うが、勇ましいのはいいことだ。
100メートル走は8組中5位で終わった。涼夏は「綱引きで巻き返すぞ」とにこにこしていたが、帰宅部2人を配した我らが1年3組は、案の定いいところなしで終わってしまった。うちの親にも涼夏の妹にもみっともないところを見せてしまったが、どう考えてもこの後も見せ場はない。所詮帰宅部である。
クラスに戻ると、絢音が「お疲れ様」とタオルを渡してくれた。入れ替えで絢音が次の台風の目の準備に向かう。
「仇を取ってくれ」
涼夏が死にそうな声で言うと、絢音が「任せて」と親指を立てた。みんな自信だけは満々だ。
先輩が綱引きをしている間に奈都を冷やかしに行くと、奈都は2位のところに提げられた1組のプレートを指差しながら、余裕の笑みを浮かべた。
「綱引きも3組は惨敗だったし、これは私たちの勝ちかな」
「そうかもね」
あっさりそう言うと、奈都は実に無念そうに大きく頭を振って、勝ち気な瞳で私の顔を覗き込んだ。
「負けた方がアイスを奢る約束、忘れないでね?」
「忘れるも何も、そんな約束した覚えがないんだけど」
「もう忘れてるし! 奢りだからね!」
奈都に念を押されて、1組の陣地を後にした。もう忘れているも何も、本当にそんな約束はしていないが、まあいいだろう。何かを賭けると、なんとなく勝てそうな気がする。5位からの逆転劇を刮目して見るがいい。
涼夏と並んで絢音を応援する。台風の目は、リレーのように棒をどんどん次の組に渡していく。全学年合同なので、1位とドベのポイント差が大きい。これに勝てば一気に逆転できる可能性もあったが、順位を一つ上げただけで終わった。リレー形式なので、絢音たちが速かったのかどうかもわからない。
「わたし的には結構頑張ったと思うけど、どうかなぁ」
戻ってきた絢音がどっかりと腰を下ろして、疲れたように涼夏にもたれかかった。涼夏が「頑張った頑張った」と子供をあやすように言いながら、絢音の頭を撫でる。
午前の部は男子による騎馬戦で終了になるが、その前に涼夏と奈都の参加する二人三脚が行われた。「絶対に1位になる」と気合を入れて臨み、実際に一度も転ばずにゴールしたが、やはり上には上がいて、結果は3位だった。なお、奈都のチームは二度も転んで7位。涼夏に励まされて悔しがっている奈都がとても可愛かった。
「それにしても、帰宅部、いいところ無しだねぇ」
騎馬戦を眺めながら私が言うと、涼夏が力強く頷いた。
「部活対抗リレーで華々しくデビューしよう」
「出ないし。っていうか、部活入ってないし」
冷静に突っ込むと、「それ言っちゃおしまいじゃん」と、涼夏が寂しそうに肩を落とした。
「やっぱり部長のタイヤリレーでしょ。私たちの思いは部長に託す」
絢音がそう言うと、涼夏も二度ほど頷いて私の手を取った。
「やっぱり最後は千紗都だよ」
「いや、私、タイヤに座ってるだけだから」
「千紗都はやれば出来る子だから!」
「座ってるだけだってば!」
懸命に訴えたが、二人ともキラキラした眼差しで私を見るばかりだった。
実際のところ、座っているだけではない。バランスを取るのは大変だし、走る子にわーわーと指示を出している。スキー場で親に引かれる子供のソリとは違うのだが、傍目には同じだろう。
お昼休憩にお弁当を食べ、応援合戦の後、吹奏楽部の演奏を聴き、部活対抗リレーが行われる。奈都も走るとのことだったので、全力でバトン部の応援をしたが、書道部や漫研にも負けるという悲惨な順位だった。
がっくりと肩を落として立ち寄ってくれた奈都に、涼夏が慰めるように言った。
「憐れだね。いいところがなかったよ」
「それ、慰めてるの? とどめなの? 部員、女子しかいないし、仕方ないじゃん。しかもたすきの代わりにバトン持って走ったんだよ? 書道部なんて筆だよ?」
「早口だね」
「涼夏嫌い! チサ、部員の教育がなってない!」
私に八つ当たりしながら、ポカポカと叩いてくる。可愛らしい仕草だ。
やはり運動部の女子をもってして、漫研の男子にすら勝てないのかと言いたいところだが、女子テニス部は書道部に楽々で先着していたので、バトン部の各位には猛省を促したい。
体育祭は大きな事故も怪我もなく、時々放送のアクシデントで笑いが起きる程度のトラブルだけで、順調に進行していた。背渡りも終わり、いよいよタイヤリレーの時間になって、私は帰宅部の期待を背負って立ち上がった。ここは絶対に1位を取ろう。
意気揚々と競技に臨んだが、メンバーの気合いが入り過ぎていたのか、練習でもほとんど転倒していなかったのに、派手に放り出されて6位に沈んだ。親も見に来ているというのに、一番の見せ場で無様な姿を晒してしまった。
「最悪……」
帰ってきてため息をつくと、涼夏が笑顔でガッツポーズした。
「撮れ高OK。無様な千紗都、すごく良かった」
「うん。可愛かった。2メートルくらい転がってた」
絢音が光景を思い出したように、くすくすと笑う。ひどい部員を抱えたものだ。
玉入れをわちゃわちゃ楽しんだ後、最後にスウェーデンリレーが行われる。帰宅部の出る幕はないので、黄色い声を飛ばしていたが、これも3組は5位という微妙な順位に終わった。
総合6位。1組は総合5位。実に低レベルな争いだったが、実に楽しい一日だった。
帰り道、絢音と涼夏と別れた後、奈都と一緒に最寄り駅のコンビニに入った。約束通りアイスを奢ると言うと、奈都は「悪いよ」と遠慮した。
「いや、約束だし」
私が食い下がると、奈都は「そんな約束してないじゃん」と困ったように眉をゆがめた。言い出しっぺが一体何を言っているのか。
それなら半分こしようと、棒つきのアイスを買って外に出た。ふと、懐かしい記憶が蘇る。
近くの広場に移動して、ベンチに座ってアイスの袋を開けた。「持っててあげる」と言いながら、アイスを顔の前で固定すると、奈都は怪訝な顔をしてアイスをかじった。
私もその反対側に口をつけると、奈都が恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「変なこと考えるね」
「私の発案じゃない」
両側からアイスを食べ進めて、お互い最後の一口を口に入れると、そのまま唇を重ねた。しばらくひんやりした舌を絡め合っていたら、だんだん口の中に熱が戻って来た。
顔を離すと、奈都が陶然とした顔で言った。
「発案者ともこれやったの?」
「その時はまだ、涼夏とキスしたことなかった」
答えながら、棒を袋に入れる。奈都は驚いたように眉を上げた。
「アヤかと思った。涼夏って、言って結構まともそうじゃん?」
「気のせいだよ」
即答すると、奈都があははと笑ってから、私に寄りかかって肩に頭を乗せた。夕方になって風が冷たさを帯び、しかもアイスを食べたせいで体が冷えたので、奈都の体温が心地良い。
手を握ってしばらくぼんやり空を見上げていると、奈都が「秋だね」と呟いた。
「うん。奈都も名前をアキに変える?」
「そういう話じゃないから!」
いきなり真顔で言われて、私は思わず声を出して笑った。
文化祭に引き続き、体育祭も終わった。中間試験の後はもう、学校の行事は何もない。バトン部は秋祭りに参加したり、冬はクリスマスの近くに演技をするなど、ちょこちょこ予定があるそうだ。
帰宅部は何をしようか。
目を閉じて奈都の温もりを感じていたら、眠たくなってきた。今日はもう何も考えたくないから、また明日から頑張ろう。
私も、親愛なる部員2名も、体育祭お疲れ様でした。見せ場はまったくなかったけれど。




