第61話 俳句(5)
そうして2週間、俳句ばかり考えていたわけではないが、それなりに長い時間を費やして完成した私の句は、「友達とノートを開く春の夕」というシンプルなものになった。
ノートを開くか宿題をするか迷ったが、ノートが出て来れば勉強を感じさせるし、もしかしたら委員や部活の打ち合わせと思ってもらうのも悪くない。
勉強風景を詠んだだけで感情は直接的には書いていないが、『春の夕』という季語が、友達といたら宿題さえ楽しいという空気を伝えてくれたらと思う。
涼夏は「帰り道今日はお洒落にアイスティー」と詠んだ。これも帰宅部の活動を真っ直ぐ表現したものだ。
今日はと書いたことで、毎日何か違うことをしているのが伝わればと、涼夏が瞳を輝かせた。
最後に絢音は、「午後三時いざ結束の桜狩」と少し難しい季語を使った。『桜狩』は花見よりももっと、桜を探しにいく行程を指すらしい。
最初は「いざユナ高の桜狩」だったが、ユナ高自体に探し求めるような桜があるわけではないので却下になった。
他には、最後まで「発見」と迷っていて、何かを探しにいくなら発見の方がいいが、どうも花見ほどではないが花見のように何かを食べる行為も含む季語らしいとのことで、みんなでワイワイと花見をしている様子の伝わる「結束」にしたそうだ。
「これはポスターどころか、上位独占もあるな」
応募箱に句を入れて、涼夏が勝ち誇ったように言った。
実際、3句とも17音にまとめたし、句またがりも起こしていないし、季語も一つしかないし、主役に立てている。変な比喩も使っていないし、擬人化もしていない。
無難と言えばそれまでだが、ポスターになる最優秀賞はともかく、優秀賞や敢闘賞くらいは狙えるのではないか。
そわそわしながらさらに2週間、いよいよ結果が貼り出されて、私たちは思わず掲示板の前で立ち尽くした。一人も選ばれていなかったのだ。
しかも選出された句が、「新しい風景君と若紅葉」という、あまりひねりのない句だった。
悪い句ではないが、季語が季節を説明する以上の効果を果たしていないし、情景もわかりにくい。新学期で席替えをした後、窓の方に君がいたという句だろうが、友情よりも恋愛を感じさせるし、何より兼題写真から発想を飛ばしすぎている。
「もしかして、私たちの俳句は、選考にかかる前に誤ってゴミ箱に捨てられたとか」
涼夏が信じられないと首を振る。どう考えても自分たちの句の方が校門の延長線上にあり、俳句としても優れていたはずだ。
結局その日の帰宅部活動は涼夏と愚痴の言い合いになり、私自身も釈然としないまま家に帰った。
翌朝、せっかくなので、相棒に昨日の俳句の結果発表の話をすると、奈都は驚いたようにまばたきをして私の顔を見つめた。
「チサ、あれ応募したの?」
「うん。帰宅部の3人で」
「なんで私、誘われてないの?」
奈都が気分を害したように眉根を寄せる。なんでと言われても、俳句の募集を見た時に、こういうのは寒いと言っていたではないか。
そう指摘すると、奈都はわかりやすく唇を尖らせた。
「そんなこと言ってないし」
「顔に書いてあった。誘ってもどうせやってないでしょ。名月に『私はいいや』の声一つ」
「詠まなくていいから。私が参加するかどうかと、チサが誘うかどうかは別問題でしょ?」
「いや、参加しない人は誘わないから。そろそろその、参加はしないけど誘っては欲しいっていうの、やめた方がいいよ」
親友としてそう忠告すると、奈都は言葉を詰まらせた後、無念そうにため息をついた。
電車の中で、どんな句を作ったのか見たいと言われたので、スマホに3人の句を入力して見せた。感想を求めると、奈都はうーんと唸って腕を組んだ。
「全部帰宅の句だよね? 午後三時、夕方、帰り道」
「そうだね。帰宅部だから」
体験を詠むことを優先したと伝えると、奈都はそれはいいけどと前置きしてから言った。
「写真は学校の中から撮った登校風景だったし、求められてたのは学校の中のことだったんじゃない?」
「私たちにとって帰宅部は、スクールライフそのものだから」
「それはきっと、選んだ人にもよく伝わったと思うよ? ただ、求められてたのは学校の中のことだったんじゃない?」
同じ言葉を繰り返されて、私はガックリと肩を落とした。
俳句を作っている時、その季語である必要性みたいな話をよくしたが、言わばこれは「ユナ高である必要性」という、もっと根本的な話である。私たちの帰宅部活動は、必ずしもユナ高である必要はない。たまたま私たちがユナ高生だったというだけだ。
奈都のこの説得力のある意見を帰宅部にも展開すると、涼夏は「そっかー」と仕方なさそうに項垂れ、絢音は「薄々気付いてた」と笑った。
「賞を狙いにいくより、3人で帰宅部のことを詠んだ方が面白いかなって。もしかしたら、それでも通るかもって思ったけど、それは甘かった」
確かに賞は逃したが、こうして帰宅部を言い表したような俳句が生まれたのは喜ばしい。考えるのも楽しかったし、帰宅部の活動として、とても有意義な時間だった。
今回はひとまずそれでよしとしよう。
後日、俳句を作っていたのも忘れた頃、例のポスターが完成した。
それを見た涼夏が、オマージュポスターを作ると言い出した。同じ構図の写真、しかし学校の外側から帰宅風景を撮り、同じような位置に自分たちの作った俳句を載せるという企画だ。
思い付きではなく、元々考えていたらしい。絢音が面白そうだと乗ったことで、企画はすぐさま実行に移された。
写真部の小島さんにお願いして3人の写真を撮ってもらうと、小島さんが写真を確認しながら言った。
「ヤバイ。むしろこっちでこないだのポスター作りたかった」
「それはあのポスターの人たちに悪いから」
そっと手を振って流したが、小島さんはまるで聞こえていないように変な笑みを浮かべた。
「顔面偏差値高すぎ。面白そうだからオマポス、うちで作らせて」
「うむ。よかろう」
画像編集の工程には興味がないのか、涼夏がさっさと小島さんに句を託した。元々あのポスターは、デザインは美術部が行ったが、元の写真撮影も画像の編集も写真部がやったらしい。
結果として、本当にモデルと俳句が違うだけのポスターが出来上がった。涼夏の企画なので、句は涼夏のアイスティーを採用した。元よりあれが最も兼題写真と合っている。
結波高校と書かれた部分は結波高校帰宅部になっており、写真も綺麗だし、帰宅部の企画として最高の仕上がりだ。
小島さんに、写真部のブログに載せたいと言われたが、面倒なことになると困るので丁重にお断りした。
その代わり、涼夏が「落選句」というタグを付けてSNSに載せ、小島さんが写真部のアカウントからリンクして紹介すると、一部に大ウケした。
クラスでも日頃話さない人から話しかけられて大変だったが、涼夏が楽しそうだったのでよしとする。
「時々は日も浴びたいと雪の下」
基本的には目立ちたくないが、たまにはこういうのも悪くないという想いを詠むと、二人から「チープな擬人化」「何のひねりもない」「時々は日も浴びたいと雪の下が言っていますっていうだけの句」などと酷評を賜った。
せっかくこの2週間、俳句について学んだし、時々日々の帰宅を17音で詠んでいこう。




