第61話 俳句(4)
俳句というのは、もちろん想像や一般論で書くこともできる。
例えば、「広き野に在るのは我と赤蜻蛉」みたいな句をなんとなく詠んで、なんとなく解釈してもらうこともできる。
しかし、やはり実体験を詠んだ方が句に深みが出るのは間違いない。
『春深しそろそろ友達出来たかな?』
私のこの名句は、中学時代に全然友達がいなかった私ならではの一句だろう。
基本路線はこのままで、友達が出来た安心感とか、友達が出来るか不安な気持ちを詠みたいが、何かそういう季語はあるだろうか。
一覧を眺めると、『春陰』という季語があった。春の曇り空だそうだ。ただ、気持ちが春陰だと書くと、春陰を比喩として使うことになってしまう。
『春陰の入学式今は一人』
これなら、不安だ心配だと語らずに、季語の力でそれを表現できているのではないか。
休み時間に二人に見せると、涼夏に「暗い」と一蹴された。
「句としても学校がテーマの句としてもいいかもだけど、あの青空の兼題写真には合ってないな」
涼夏がそう言って首を振ると、隣で絢音も気になるところがあると手を挙げた。
「入学式に一人なのは当たり前だから、『春陰の入学式』だけで一人きりの不安な気持ちは表現されてる」
なるほど、さすが俳句甲子園を見て勉強しただけはある。鋭い指摘だ。
「実体験を詠むのは大事だな。帰宅部で毎日帰るのが楽しい気持ちを詠もう」
そう言って、涼夏が昼休みに披露したのがこの句である。
「虫の音をただ追いかける通学路」
実体験と言っていたが、虫の音を追いかけたことなどない。
絢音が「授業はちゃんと受けて」と軽くたしなめた後、句について言及した。
「この『ただ』っていうのが、すごく文字数調整に見えるけど」
「まっしぐらとか一心不乱を表現した『ただ』だな」
「そのまま『虫の声よ通学路をまっしぐら』とかの方がいいんじゃない?」
絢音が添削したが、それだとニュアンスが曖昧に感じる。
「虫が嫌いで、走って帰ってるようにも聞こえる」
「そこは『虫の声』っていう季語が、ポジティブに働いてくれると思うけど」
「季語の力かー」
涼夏がパンをかじりながら呟いた。ちなみに絢音は何か出来たかと聞くと、絢音は授業中は授業を受けていると澄ました顔で言った。
「でも、秋もいいね。友達と今日はおでんだ秋日和」
絢音が即興で詠む。おでんは冬の季語だろうと突っ込むと、すぐに修正してきた。
「友達と今日はケーキだ秋日和」
「ケーキって言うと、何か特別な一日って感じがする」
「友達と今日はカラオケ秋日和」
「せっかくの秋日和なのに屋内なの?」
やいのやいの喋っていたら、昼休みが終わった。全然話し足りない。
それにしても、こうしてみんなで一つのことに取り組むのは面白い。いっそそういうことを詠むのもいいかもしれない。
募集の期間は2週間。長くはないが飽きずに取り組むには丁度いい長さだ。この2週間は、我が帰宅部は結波俳句部Aを名乗ろう。




