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第60話 プレミアム(3)

 恵坂はこの街一番の繁華街だけあって、プレミアムな賑わいだった。いくつかの飲み屋はすでに店を開けていて、ビールが半額だと大きな声で呼び込みをしている。

 プレミアムフライデーとは別の概念に、ハッピーアワーというのがある。平日の早い時間に、主にお酒が安くなるタイムセールで、こちらもプレミアムフライデーと一緒にじんわりと広まっているが、今のところ私たちには縁のないサービスだ。

 プレミアムフライデーのロゴは黄色のにっこりマークで、色々な店にステッカーが貼ってある。中には当日だけのぼりを出す店もあり、通りが黄色い。

 よく行くカフェの様子を見に行くと、今月も列になっていた。毎月プレミアムフライデーに限定のケーキを売っている。朔日餅のようなものだ。

 先月はチーズケーキだったが、今月はモンブランのようだ。来るたびに食べたい気持ちにはなるが、ケーキだけで700円もするし、実際に食べたことは一度しかない。

「お金と時間のパラメータがもう少し上がらないと苦しい」

 私がそう唸ると、涼夏も渋い顔で頷いた。

「人生とは我慢の連続だ」

「したいことを出来る範囲で設定するとQOLが上がる?」

「人はそれを諦めという」

「深いなぁ」

 行きつけのアパレルやコスメの店にも行ってみたが、こちらは特にセールはやっていない。涼夏のバイト先もそうだが、もちろん何もやっていない店もある。基本的にプレミアムフライデーは飲食店向けのイベントだ。

 やはり通常価格の雑貨屋で小物を眺めていると、涼夏が何やら達観した眼差しで呟いた。

「多くの店がセールをやってる中で、いつもと同じ値段の店に来ると、若干もったいないことをしてる気分になる」

「まあ、PFの恩恵は受けてないだろうけど、その店でしか買えないものもあるし」

 スーパーでまったく同じお菓子の値段が違うとかならともかく、今見ている小物も、この付近ではこの店でしか手に入らない。セールをやっている店でも、全品安くなっているわけではない。大事なのは、欲しい物が安いかどうかだ。

「何でもいいなら安いものを買えばいいけど、買う理由が安いからならやめておけって、大絢音先生が言ってた」

「オオアヤネの植物感。まあ、実際セールは難しい。うちもたまにセールやると、その前後は売上が落ちるし」

「昔定期的に百円セールをやってたドーナツ屋が、みんな百円の時にしか買いに来なくなったからやめたって聞いたことがある」

「安売りは良くない。でも、初回無料の通販と同じで、とにかくまずは手に取ってもらわないことにはっていうのも頷ける。いつもより安いっていうのは、購入の原動力になる」

 さすがショップの店員だ。私と違って両方の視点からセールを俯瞰している。

 その後も極めていつも通りに街をぶらぶらしていると、涼夏が何やら思い付いたように手を打った。

「そうか。別に他人のプレミアムに乗る必要はないのか。毎週月曜日に自分へのご褒美にケーキを買って帰るように、私たちだけのプレミアムな何かをするのも手だ」

「毎週月曜日、ケーキを買って帰ってるの?」

 反射的にそう聞いて、まばたきをして涼夏を見た。

 それは太りそうだし、お金も大変そうだと言うと、涼夏が「今のは例だ」と肩をすくめた。当たり前だろうという口調で言われたが、その割には具体的だった。

「つまり、別にいつでも出来るけど、敢えてプレミアムフライデーにやろうってことだね?」

 そう聞くと、涼夏は満足そうに頷いた。いつでも出来るというのは、結局ずっとやらない。そういう意味では、プレミアムフライデーを理由に、毎月必ずやるというのは良い発想だ。

「それで、何をするの?」

「何しよう。EK?」

「何それ」

「エクストリーム・キス」

 そう言って、涼夏がんーと唇を尖らせた。初めて聞く単語だ。もちろんエクストリーム・アイロニングのパロディだろう。二人とも逆立ちしながらキスをするとか、難易度と芸術点を競う過酷な競技に違いない。

「どうせなら、PKじゃない?」

「ペナルティー・キッス。ペナルティーエリアから、相手に向けてキッスを放つ」

「私たちはずっとプレミアムフライデーについて話してる」

 陽気な涼夏を冷静に退ける。日頃はしない、月に一度のプレミアムなキスを考えようと言うと、涼夏は悩ましげに唸った。

「サウナで朦朧としながらキスするとか」

「エクストリームから離れて。夕日の屋上とか」

「千紗都は夕日大好きだな。夕日の屋上で、柵を乗り越えてキスする」

 涼夏がうっとりと目を細めるが、そんなエクストリームなものは求めていない。もっと普通でいいと言うと、涼夏が拗ねたように拳を握った。

「だって、普通だと普通じゃん。月に一度のプレミアムなキスには、エクストリーム成分が不可欠じゃない?」

「夕日の海岸とか。夕日の校庭とか」

「みんなが部活やってる真ん中でキスし始めるのはEKだな。職員室が待ってる」

「夕日の職員室でキス」

「頭イカれてるでしょ」

 涼夏が呆れたように息を吐いた。校庭でキスをして職員室に呼び出され、さらに怒っている教師の前でもキスをするコンボは、芸術点が高そうだ。

 プレミアムなキスは、場所とシチュエーションがすべてである。私たちの定期券の範囲は、学校の最寄り駅である上ノ水から、涼夏の乗り換え駅である、恵坂の一つ先の久間までだが、この区間は市内でも最も栄えていて、あまりロマンチックな場所がない。

「別に、キスだけのためにどこか行ってもいいぞ? 今日もまったくお金使ってないし」

 涼夏が指で丸を作って微笑んだ。確かに、今日は街をブラブラしただけで、何も買っていないしお茶もしていない。数百円で思い出作りが出来るなら安いものだ。

「夕日の海岸アゲイン」

「海岸は遠いな。しかも今からだと、夕日に間に合わない」

 そう言って、涼夏が空を見上げた。初秋の今、日の入りは大体17時で、すでに西の空は赤みが差している。夕日の踏切とかもドラマチックだと思ったが、定期券の範囲に踏切はないし、探していたら夜になりそうだ。

「じゃあ、夕日の公園。富士山の上でキスする」

「アホだな」

 バッサリだ。

 しかし、今の「アホ」は褒め言葉だったようで、涼夏は「どこかにあったかなぁ、富士山」と呟きながら歩き始めた。

 大抵の公園にはあると思うが、当てずっぽうで歩くのは効率が悪い。地図で公園を探し、さらに写真も見た上で、一番近くの公園に行くと、丁度夕焼けの時間になっていた。

 幸いにも遊んでいる子供がいなかったので、リュックを置いて駆け上がる。

「童心だ!」

 涼夏が登り切れずにずり落ちる。再び走ってきたので、手を取って引き上げると、涼夏が彼方に目をやって両腕を広げた。

「世界だ!」

 街は見渡せないが、公園は見渡せる。人目がまったくないでもないが、子供さえ見ていなければ大丈夫だろう。

 ひしっと抱きしめ合って、目を閉じて唇を重ねる。せっかくなので何枚か写真も撮ってから体を離すと、足を投げ出して頂上に座った。

「これが千紗都の考えるプレミアムなキス」

 トンと私の肩に頭を乗せて、涼夏がうっとりした声で言った。吐息が色っぽい。

「いや、時間がなかったから即席プレミアムだった」

 静かに否定したが、時間とは何だろう。私の中で、プレミアム=夕日になっていた気がする。

 写真を見てみたら、夕日に照らされてなかなか綺麗に撮れていた。柔らかく目を閉じている涼夏が可愛い。

「涼夏って可愛いよね」

「うむ。結波で二番目に可愛いかもしれない」

「それって、世界で二番目に美味しいシュークリームとか、日本で二番目に美味しいメロンパンとかと同じで、架空の一番だよね」

 やれやれと流すと、涼夏はそれには答えずに、私の手を握って頬にキスしてきた。なかなかプレミアムだ。

 見下ろす景色がどんどん色を失っていく。会社も終わって、プレミアムフライデーが賑わうのはこれからだ。酔っ払いも増えるので、私たちは治安が悪くなる前に帰るとしよう。

「また来月もプレミアムなキスをしようね」

 涼夏の手を親指でむにむにしながらそう言うと、涼夏はうんと大人しく頷いてから、明るく笑った。

「別に月に一度じゃなくてもいいけど」

「それだとプレミアム感が損なわれる。むしろもう、PF以外にPKはしないから」

「ちょっと待って。それは本末転倒だし!」

 慌てる涼夏が可愛い。

 いつまでも子供の遊具を占領するのも悪いので、ずさっと滑り降りてリュックを背負った。

 冗談はともかく、来月もまたプレミアムなキスを考えよう。丁度紅葉シーズンだし、それと絡めるのがいいだろう。その次はクリスマスシーズンだから、イルミネーションの中でキスをするのも良さそうだ。

 元々イベントごとは好きである。街の熱気に負けないような、帰宅部流のプレミアムフライデーを作っていきたい。


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