第57話 英語(1)
熱しやすくて冷めやすいと言われると誠に遺憾なのだが、帰宅部は色々なものに手を出している分、一度しかやっていない遊びも多い。例えば前に、絢音が『千紗都を探せ』という、写真の中から私を見つけ出す遊びを考案したが、一度しかやっていない。つまらなかったというよりは、1回で満足したという方が正確だろう。
私が一人でやった元号を探す遊びも、部員から面白そうと言われつつも、結局一緒にはやっていない。横断歩道の写真を撮る遊びとか、ご当地マンホールを探す遊びとか、電線を辿る遊びとか、デパートの壁の化石を探す遊びとか、枚挙にいとまがない。
このことについて、主に企画を担当している涼夏は、挑戦し続けることが大事だと言っている。
「この遊びは失敗だっていう発見だな」
勝ち誇った顔でそう言って、絢音にエジソンかと突っ込まれていた。
ファッションもそうだが、色々試してみないと自分に合うものはわからない。成功は失敗の積み重ねから生まれるものだ。特にそれがお金のかからないものであれば、どんどん挑戦すべきである。
それとは逆に、常設展示のような遊びもある。カラオケやカフェ、ウィンドウショッピングはもちろん、涼夏のクイズタイムという、不定期に突然開催される遊びがある。主に地域に関するクイズが出題されて、絢音と二人で早押し形式で答えるものだ。
すぐに飽きると思ったが、トータルするともう50問くらいになっているので、問題を作るのが楽しいのだろう。駅名や地名から出題されることが多いので、時々対策のために地域のサイトを眺めたりしている。
他に、これは遊びと呼んでいいのかわからないが、絢音イングリッシュという、英語を使いたくなるブームが時々やって来る。英語を使うムーブというべきか。
来る国際社会に備えて英語に慣れようというコンセプトで、下手でも間違っていてもいいから、とにかく英語を使おうというものだ。一応遊びのジャンルに分類されるようで、涼夏もノリノリで楽しんでいる。
もちろんここでいう英語とは、「アイはイエスタデイにフレンズとキュートなカフェにゴーしてラフしてハッピーだった」みたいなものではなく、「I went to a cute cafe with my friends yesterday. We laughed a lot and had fun」みたいに、それなりに文章を形成している必要がある。
もっとも、脳内で英語を日本語に変換するのは、本来好ましいプロセスではないので、日頃から無意味に英単語を使い、英語のままそれを理解できるようになるアプローチも必要かもしれない。「プロセス」や「アプローチ」などは、その最たるものだ。いちいち「筋道」とか「試行」とか和訳して考えていない。
そんなわけで、奈都に「私はユーとミートしてハートがビートしてヒートして背中をぎゅーしてチューしてお腹がぐーしてバールにリードしてミートをイートしてアイムフルなう」とリズムに乗せて言ってみたら、優しい眼差しで「頑張ったね」と小馬鹿にされた。やっぱり日本語に無意味に英単語を混ぜるのは良くない。
絢音イングリッシュを始めたばかりの頃、涼夏が「暑いの無理」を「Hot is bad」などと言っていたが、今は「scorching hot」とか「boiling hot」とか「baking hot」とか「sweltering heat」とか、様々な表現を使うようになった。すっかり暑さマイスターだ。
私も負けてはいられないので、奈都を使って特訓しようと、朝いつもの「おはよー」の後、絢音イングリッシュタイムにしてみた。
「Have you eaten a cactus?」
経験を表す現在完了形だ。我々日本人はすべからく現在完了形が苦手なので、積極的に使っていかないといけない。
今、ちょっと主語を大きくしました。ごめんなさい。ちなみに、「すべからく」には「すべて」の意味はないという噂もあるが、果たしてどうだろう。由来はどうあれ、多くの人が誤って使っているものは、もはや誤りではなく言葉の変化と捉えるのが一般的だ。
奈都は「絢音イングリッシュだ!」と驚いたように声を上げた後、「もう一回言って」と日本語で頼んできた。大してこの企画に乗り気というわけでもないのに、絢音イングリッシュという言葉が定着しているのはウケる。
「Speak in English」
「えーっと、One more, please」
「ノー」
きっぱり断ると、奈都は小さく悲鳴を上げた後、無念そうに首を振った。相変わらず反応が面白い。
「カクタスが何かわからないし、絶対に変なものだと思うけど、敢えてイエス」
「Wow! Amazing! What did it taste like?」
「味? 何かもわかんないけど、甘くて美味しかったよ」
これも英語で言い直させると、「sweet and good」と小学生みたいな英語で答えた。せめて主語と動詞を付けて欲しいが、相手の英語を否定しないのが絢音イングリッシュのルールだ。
とりあえず、サボテンは甘くて美味しかったらしい。新しい発見である。
電車の中でcactusとは何かと聞かれたが、後から調べるよう言っておいた。自分で調べた方が覚えられるが、そもそもこの会話によって、cactusは奈都の脳裏に痛烈に刻み込まれただろう。
学校に着くと、涼夏にも同じ質問をしてみた。涼夏は嬉しそうに微笑みながら英語で答えた。
「I can't answer, because I don't know it. What does cactus mean?」
「Cactus is a plant. It has short needles」
「I know. I don't eat a cactus」
涼夏は食べたことがないらしい。にこにこしながら聴いていた絢音が口を開いた。
「tryの方がいいね。Have you ever tried cactus, Chisato?」
「No, I've never tried it, but Natsu, my friend, has eaten it before」
「She is brave」
「Where did she try it?」
涼夏が興味を示したように身を乗り出した。どこでもなにも、そもそも食べていないだろうから答えようがない。
しかし、そんなことは涼夏も承知しているだろうから、テキトーに話を合わせるのがベストだろう。
「She ate a cactus in Guam」
「I envy her」
「Really? I was surprised that you want to eat a cactus」
私が驚いたように手を広げると、涼夏は「そっちじゃない」と冷静に退けた。そう言えば、時制の一致というのがあったが、今のwantはwantedにしなくてはいけないのだろうか。驚いたのは過去だが、サボテンを食べたいのは今も継続している。
細かい文法で言えば、先ほどからずっとcactusに不定冠詞を付けているが、これが正しいのかも定かではない。ただ、そんな細かいことは気にしないで、どんどん話すのが絢音イングリッシュだ。
「Suzuka, you want to go to Guam, right?」
絢音が笑顔でそう言うと、涼夏は力強く頷いた。
「Exactly! Cactus is not important」
「However, I'm talking about cactus」
「If you eat a cactus, tell us about it」
涼夏が締め括るようにそう言って、一旦この話はおしまいになった。聞かせて欲しいと言われても、生憎まったく食べる気はないし、そもそも国内で食べられるのだろうか。
後から調べてみたら、普通に食用のサボテンもあるらしい。食べてみたいとは思わないが、味が気にならないと言えば嘘になる。
「まあ、昆虫よりは食べてみてもいいかなって思える」
率直な意見を部員各位に伝えると、絢音は食用なら全然OKだと言い、涼夏は「持続可能な開発目標だな」と笑っていた。
持続可能な開発目標はよくわからないことの一つだが、昆虫食が注目されるきっかけになったのもそれだし、日頃食べないものを食べる活動のようなものだと捉えている。
何にしろ、涼夏が言った通り、サボテンは重要ではない。十分盛り上がったので、意味もわからずにイエスと答えた奈都に感謝しよう。




