表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
269/377

第56話 十万円(3)

 その後、絢音がもらえないこともあって、給付金の話題は出なくなった。私も気持ちが落ち着くまで自分からは話さないようにしていたら、いつの間にか給付金の支給日になった。

 休みの日に4人で集まると、涼夏がやれやれと首を振った。

「例のなんとか給付金、まだ中学生の妹は母親の管理で使うことになって、妹が面倒くさかった。別に絢音みたいにもらえないのと違って、申告制で使えるんだからいいのに」

「まあ、自分で選んで、自分の財布から出すのが楽しい感覚は理解できるよ」

 絢音がそう微笑むと、涼夏が「大人だな」と笑った。結局みんな、他人のことだと冷静になれるのだ。

「私はパソコン買おうかな。どうせいずれ必要になるし、動画も見るし、SNSもしやすいし」

 奈都がまだ決めかねていると指を立てて、私は首を傾げた。

「奈都、持ってるじゃん。アニメ見まくりじゃん」

「もっといいやつ。だいぶ古いし」

「じゃあ、古いのは私が2千円で買い取るよ」

「それは家族と相談で」

 冗談だったが、奈都は一応検討すると頷いた。

 涼夏が「パソコンもいいな」と言ってから、私の顔を覗き込んだ。

「それで、部長は何に使うの? 物欲なさそうだから、デニーズランドとか行っちゃう?」

「レストランみたいなテーマパークだ」

 奈都が真剣な瞳で呟いて、絢音も笑いを堪えながら頷いた。ハンバーグとかが回ってそうな名前だ。私はあははと乾いた笑いを浮かべながら、あれはなくなったと話した。

「親が私の大学の費用とかスーツとかに使うって。まあ、西畑家と同じだね」

「意外だな。戦ったの?」

「戦ってないよ。私は非戦闘民族なの」

 とりあえず笑いながら、あの日の絢音を思い出した。もしかしたら絢音も、こんなふうに無理して笑っていたのかもしれない。

 涼夏が探るような目でじっと私を見つめる。こういう時の涼夏は本当に怖い。

 話を逸らせようと思ったら、先に涼夏が口を開いた。

「まあ、親にはいいけど、私たちにはそういう我慢はしなくていいから」

「平和に生きたい」

「平和のために一方的に我慢するのは良くない。そういう小さな不満が積み重なって、絢音みたいな人間が出来上がるんだ」

「私!?」

 いきなり振られて絢音が声を上げると、涼夏が冗談だと笑った。

「それにしても、その調子だと、卒業した後、千紗都が家を出るのは難しそうだな」

「そこは頑張りたい。すべての我慢はその日のためにある」

 私がグッと拳を握ると、奈都が怪訝そうに首を傾げた。

「日頃からある程度主張しておいた方が、いざって時にも言いやすいと思うよ?」

「そういう説が存在することは知ってる」

「絢音と二人で仲良く暮らしてるから、時々遊びに来て」

 涼夏がそう言いながら、隣に座る絢音と腕を組んで、私は悲鳴を上げた。

「そこに部長がいないのはおかしいから!」

「まあ頑張れ。それにしても、これで4、3、3か」

 突然涼夏がそう言って、私はキョトンとなった。隣を見ると、絢音もわからないと肩をすくめる。

 説明を求めると、涼夏は当たり前のように指を折った。

「私の給付金。千紗都も貰えないなら、私が4万で、絢音と千紗都が3万ずつだなって」

「いや、アイスでも奢ってくれたらそれでいいんだけど」

 私が慌ててそう言うと、絢音が全力で頷いて乗っかった。涼夏が不思議そうな顔をした。

「元々帰宅部で使おうと思ってたし、別に現金で渡すわけじゃない。とりあえずひつまぶしを食べに行こう。実は食べたことがない」

「高額商品じゃん!」

 私が身を乗り出すと、涼夏がそうだなと満足そうに頷いた。絢音が両手で顔を覆って、感動にむせび泣く演技をしながら、「結婚する」と声を震わせた。奈都が「天使だ……」と呟くと、涼夏が呆れたように手を振った。

「ナッちゃんは給付金もらったから奢らんぞ?」

「いや、それは全然いいんだけど、考え方が天使。私はチサのことが大好きだけど、チサに何か買ってあげようとか、考えもしなかった」

「私もだぞ? 千紗都がもらえないって知った今なら違うでしょ?」

 涼夏が大丈夫だと励ましたが、奈都は誤魔化すように笑っただけだった。たぶん、私が初めからもらえなかったとしても、奈都の中に奢るという考えはなかった。アイスくらいなら別だが、私とてその点に関しては大して違わない。

 奈都の肩を持ちながら讃えると、涼夏はやはり不思議そうな顔をした。

「ただでもらったお金のごく一部で、ひつまぶし食べに行くだけでこんなに喜んでもらえるなら、これ以上いい使い方なんてないでしょ」

 その瞳があまりにも澄んでいたから、とうとう奈都が叫び声を上げて顔を覆った。

「涼夏は天使過ぎる! 涼夏はチサにはもったいないから、アヤと結婚して! チサは私がなんとかするから!」

「いや、奈都になんとかしてもらうことは何もないし」

「うちのチサがごめんなさい!」

 ダメだ。壊れた。

 涼夏が「ナッちゃんは面白いな」と笑うと、絢音が同調するように頷いた。むしろ、うちの奈都がごめんなさいという気持ちである。

 その後、早速ひつまぶしを食べに行くことになった。せっかくなら有名店でと、一番人気の店に行って、少し並んでひつまぶしを食べた。

 実は私も初めてだったが、鰻はカリカリホクホクしていたし、色々な味や食べ方を楽しめて実に充実した時間を過ごせた。

「食のアミューズメントだったな。初めてのひつまぶしを帰宅部で共有できて満足だった。ありがとう」

 店を出て涼夏がそう言うと、さすがに天使過ぎてその神々しさに泣きそうになった。闇属性の奈都は溶けるように消えてしまった。

 涼夏に貸しを作るつもりなど微塵もないだろうが、いつか何かしらの形で返したい。

 もっとも、お金に関しては、この先いつまでも、私の方が涼夏より裕福になることはなさそうなので、何か些細な手助け、例えばエレベータのボタンを押すとか、タクシーを呼び止めるとか、そういうことをしてあげられたらと思う。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ