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第41話 音楽(2)

 そういうわけで、アラビア語である。一人でやると深い虚しさに包まれる危険があったので、奈都に泊まりに来ないかと電話すると、スマホ越しに葛藤の声がした。

『明日も学校なんだけど』

「お風呂も入って制服で来て。パジャマは貸与する」

『しかもアラビア語の解読?』

「この楽しさを奈都と分かち合いたいと思って。まだやってないけど」

『うーん。まあ、チサと寝たいし、行くよ』

 快諾をもらい、私もご飯とお風呂を済ませて奈都を待った。奈都が来ることを両親に伝えたら、相手に迷惑だろうと軽く怒られたが、まあ仕方ない。何にしろ、奈都だからこそできる無茶振りである。

 中学時代からの仲だし、私がぼっちで過ごしていた時代の唯一の友達だということも知っているので、両親も奈都にはとても感謝している。

 やがて、本当に制服でやってきた奈都は、両親に挨拶をしてすぐ私の部屋に入ると、制服を脱いだ。下着姿が瑞々しい。パジャマを着ようとしていたので、いきなり背中から抱きしめると、奈都が「ひっ」と変な悲鳴を上げた。

「な、何? 早くパジャマ着させて!」

「布2枚の奈都が愛おしい」

 耳元で囁きながら両手で体を撫で回す。奈都が押し殺したような声を漏らしながら体を折り曲げた。実に可愛らしい反応だ。

 しばらく触ったら興味を失ったので、椅子を引いてタブレットを起動した。奈都が「扱いひどくない?」と唇を尖らせながらパジャマを着て、私の隣に座った。

「それで、なんでアラビア語?」

「絢音がウケ狙いで歌うんだって。バンドのみんなは音楽の解析をするから、歌の方は私に託された。素人でも出来るし」

「相変わらずアヤは変な子だね」

 感心するように奈都が言ったが、呆れてくれた方が絢音も浮かばれるだろう。

 とりあえず歌詞を検索すると、完全に記号の羅列が表示された。

「古代の壁画だ。文字には見えない」

 奈都が半眼で呟く。ひとまず全選択して翻訳サイトにそのままペーストすると、断片的な日本語が表示された。

「んー、鳥は風の中で生命の歌を織り上げることがよくあるって」

「鳥、すごいね」

「人生はめちゃくちゃです。雨に濡れたあなたはどこですか?」

「新しい謎解き?」

 奈都が微笑みを浮かべながらタブレットをスライドさせる。何を歌っているかくらいわかるかと思ったが、恋の歌なのか人生の歌なのか、それすらわからない。ひとまず、鳥は風の中で生命の歌を織り上げることがよくあるのはわかった。

「この日本語で歌った方がウケそうな気がする。和訳?」

「それは一理あるね。まあ、絢音のことだから、歌った後にMCで使いそう」

 少しアラビア語自体についても調べてみたら、アリフ、バー、ターなど28個のアルファベットがあり、文字は右から左に書くそうだ。アルファベット自体がどれも点と線にしか見えない上、使い方によって形が変わるらしい。

「アラビアの人たちには、平仮名もこんなふうに見えてるのかなぁ」

「奈都にしてはいいこと言った」

「漢字よりは簡単なのかもしれない」

 すでに飽きたようにあくびをしながら、奈都がすくっと立ち上がった。そのまま私の後ろに立って、背中に張り付くように私を抱きしめる。背もたれが邪魔だったので、小さなテーブルを用意して床に座ると、奈都が私の体を膝で挟みながら髪に顔をうずめた。

「アラビア語の解読は諦めて、曲を聴こう。まだ聴いてない」

 そう言えばそうだった。動画を開いて再生すると、暗い中に爽快感のあるギターのサウンドがイントロを奏で、やがて歌が始まった。奈都が耳元で苦笑する。

「何? トゥーーー、サブドゥゲイン、アブドゥゲイン」

「そんな感じ。奈都、アラビア語得意なんじゃない?」

「耳コピの王になる。カルンケタラァ、バラッサブァーーァ」

 奈都がなかなか上手に耳コピをするので、同じところを繰り返しながら、ノートに書き記した。そろそろパソコンが欲しい。タブレットで十分だと思っていたが、動画を作り始めたくらいから、マルチウィンドウで作業がしたくてしょうがない。

 一段目は同じフレーズを繰り返すので、二人で口ずさむと、思いの外ユニゾンの響きが綺麗でテンションが上がった。

「私たち、アラビア語、いけるんじゃない?」

「不覚にも面白くなってきた。頭を抱えてるチサを笑いに来たのに」

「引き続きよろしく。私は日本語にない音を日本語に変換する王になる」

「チャゥーーーィ、ガァダキー、アーゴーシュメィ、ガモンコチュパァ、ケハッサブワァーーァ」

 奈都がノリノリになってきて可愛い。サビの手前まで完成すると、一度二人で歌って撮影してみた。それを絢音に送り付けると、すぐに絢音からビデオ通話がかかってきた。

『何これ。想像以上に面白いんだけど!』

 スマホの中で絢音が大笑いしている。歌詞も送り付けると、絢音が画面の向こうでギターを手に取った。何度か歌詞を読んでからギターを爪弾くと、しっとりしたサウンドに思わず背筋が震えた。

「感動した。何を言ってるのかはわかんないけど」

『これ、何を歌ってるの?』

「鳥は風の中で生命の歌を織り上げることがよくあるって」

 奈都がスラスラとそう言った。よく覚えていたと感心する。よほど気に入ったようだ。

『そっか。鳥は風の中で生命の歌を織り上げることがよくあるんだ。鳥を感じながら歌えば良さそうだね』

「ああでも、街全体がその浮き彫りの調子に気付いてなかったりもするよ?」

 奈都がスマホで再び歌詞の翻訳を見ながら言うと、絢音が困ったように眉尻を下げた。

『日本語で喋って』

「パンチーハゥワーオゥンメィ、ズィンダギーケー、ナウメィブンテーヘー」

「それ、鳥のところじゃない?」

「ああ、そうか」

『何がそうなのかさっぱりわかんないけど、この曲、サビのところ複数人で歌ってて、音がかぶったりハモったりしてるから、二人もスペシャルゲストで歌わない?』

 むしろ二人で歌ったらどうかと絢音が笑って、私たちは思わず顔を見合わせた。絢音たちの演奏をバックに歌うのは気持ち良さそうだが、突然ステージに現れてアラビア語の曲を歌い始めたら、違和感しかないだろう。どこか観客のいない場所でならお願いしたい。

 サビまでの部分をみんなでノリノリで歌っていたら、やがて画面の向こうでドアが叩かれて、絢音がギターよりも大きな声で怒られていた。親に怒られる絢音というのもレアだし、不貞腐れている絢音も可愛かった。

 そろそろ曲に戻ると伝えると、絢音が静かにため息をついた。

『今日はナツは泊まり? いーなー』

「アヤの分まで揉むよ」

『私も揉みたい』

「アヤの分を残しておくよ」

 よくわからない会話だ。いつでも一緒に寝るので、また遊びに来てと言って通話を終了すると、だいぶいい時間になっていた。絢音が怒られるのも致し方ない。

 コツはわかったので、サビはまた明日一人で作ることにして、二人でベッドに潜り込んだ。掛け布団をかぶるや否や奈都が抱き付いてきたので、無形の位を取った。

「鎮まりたまえ。何故そのように荒ぶるのか」

「チサ、可愛い。柔らかい。あったかい。いい匂いがする。好き」

 譫言のようにそう言いながら顔を押し付けてくる。これでもかというほど舌を絡めていたが、鎮まるどころか鼻息は荒くなる一方だった。ゴールデンウィークにも一緒に寝ているが、症状は悪化の一途を辿っている。

 ついさっきまで普通に遊んでいたのに、すごい変わり様だ。全身を撫で回されてくすぐったいが、嬉しそうなので好きにさせておこう。

 それにしても、さっきはいい時間だった。アラビア語の曲かどうかはともかく、ああして友達と音楽を楽しむのは幸せな感じがする。いつかみんなで暮らせたら、あんなふうに過ごしたい。

「奈都は音楽には興味ないの?」

 背中を撫でながら聞くと、奈都は私のうなじに顔を押し付けたままくぐもった声で答えた。

「歌うのは好きだよ?」

「ウクレレでもやろうかな」

「のんびりしたチサの気質には合いそうだね」

 嬉しそうに胸を揉みながら奈都が笑った。絢音にはどうせならギターを買えと言われそうだが、ウクレレは弦も4本しかないし、柔らかいし、小さいし、安いし、なんだかとても良い気がする。問題は、大して歌いたい曲がないことだ。 

 そう吐露すると、奈都は「ダメじゃん」と苦笑した。歌いたい気持ちや曲が先というのは、さすがに私もそう思う。

「奈都はアニソン好きだからなぁ」

「ウクレレで弾けそうなアニソン探すよ」

「そうしたら奈都もウクレレやって」

 眠たくなってきたので、お喋りはおしまい。いつもならとっくに寝ている時間だが、私の上に乗っている子は、まだ動画でも見ている時間だろう。そのせいかわからないが、とても元気だ。

 明日も普通に学校がある。重いし熱いしくすぐったいし、とても眠れそうにないが、まあ飽きるまで放っておくことにしよう。


 後日、具体的には夏休みのことになるが、完成したアラビア語の曲がPrime Yellowsで初披露された。小さなライブハウスで、絢音たち以外はみんな大学生かそれ以上。イケメンの類は出演しておらず、まばらな観客は男性が多かった。

 絢音たちはガールズバンドなのでそれ自体はいいのだが、果たしてあの曲はウケるのだろうか。もっとも、じゃあどの層にならウケるのかと問われると困ってしまうが、友達が大スベリする姿は見たくない。涼夏と奈都と3人でハラハラしながらステージを見守ると、絢音が可愛らしいアイドルソングを歌った後、何でもないように言った。

「次は海外の曲を歌おうかな。Prime Yellows初の試み」

 絢音の短いMCに、隣で涼夏が「大半のバンドで初の試みだろ」と苦笑いを浮かべた。もしかしたら冗談でアラビア語の曲に挑戦するバンドもあるかもしれないが、事前に聴いた限り、絢音たちの演奏はだいぶ上手い。

 戸和さんがまだ初心者ということもあり、印象的なエレキギターのフレーズは、オープニングだけ絢音が担当して、後は牧島さんがキーボードで引き継ぐ。

 聞き馴染みのない言葉を真顔で歌うステージ上の女の子に、客席が息を呑んだが、伸びやかな歌声やサビのハモリなど、完成度の高さは曲を知らなくてもわかる。元々ライブ動画も何本か上がっている、パキスタンでは有名曲なのだ。キャッチーなサウンドは世界共通だろう。

 当初は飛ばす予定だった2番も全部歌い、今のところその日一番の拍手をもらってから、絢音がスタンドからマイクを取った。

「アラビア語の曲をお届けしました。正確にはウルドゥー語らしいです。歌詞をちょっと間違えちゃったから、ウルドゥー語がわかる人は思わず苦笑いですね。精進します」

 絢音が照れたようにはにかむが、たぶん誰一人わからないし、別の理由で全員苦笑いなので安心して欲しい。

「歌詞を覚えるのが大変なんですよ。私には無意味なカタカナの羅列なので。でももちろんちゃんと意味があって、鳥は風の中で生命の歌を織り上げることがよくあるんだ、みたいなことを歌っています。素敵ですね」

 絢音が歌詞の説明をすればするほど、客席はポカンとなって、最後は笑いに包まれた。絢音の話術だろう。同じ内容でも、私ならあんなふうに喋れる気がしない。

 絢音の言うところの、Prime Yellowsの新たな1ページを最後まで見届けた後、もう2バンドほど観てライブハウスを出た。

 喫茶店で軽く感想会を開くと、涼夏が「絢音はいいぞ。絢音はいい」と、言葉を覚えたての子供のように繰り返していた。今回のアラビア語の曲を歌う企画に涼夏は噛んでいないが、十分楽しんでくれたようである。友達ということを割り引いても、この反応なら他の観客も大丈夫だろう。

 奈都は自分も協力できたことを喜んでいた。それは私も同じである。

「私たちも、下手くそウクレレバンドを組んで、絢音に感動を届けよう」

 私が拳を握ってそう言うと、涼夏が「おー!」とノリノリで応じてくれて、奈都は「アヤも交ぜてあげようよ」と苦笑いを浮かべた。

 音楽はいい。私もウクレレを片手に、ハワイ語の曲でも歌えるようになりたいものだ。


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