02 可愛い飼い犬。
目を開けば、すっかり見慣れた天井を見る。
ブラウンの木目はトイプードルみたいに見えるのはいつものこと。点々な目がつぶらで可愛い。
起き上がり、白銀の長い髪を一つに束ねた。
ベッドから降りて、朝の支度を済ませる。
「あら……? 犬がいない」
ゆったりしたドレスに身を包んだあと、隣の小部屋を覗くとベッドに使用した形跡すらなかった。
私の飼い犬の部屋なのに。
とは言え、生活感はまるでなし。小部屋の中には、ベッドとサイドテーブルとタンスのみ。
「また外ね」
私はテーブルカウンター付きキッチンとリビングを通り、外に出るドアを押し開く。
「フォティ」
「なんだよ」
ぶっきらぼうな返事は、すぐ足元から聞こえた。
右下に視線を落とせば、ヤンキー座りをする褐色の肌と漆黒の髪を持つ青年がいる。髪はオールバックにして、金色の瞳をギラつかせた。柄の悪いが、可愛いことに頭の上には白銀の獣耳がある。そして、ズボンのお尻部分からは白銀の尻尾が生えていて、私を見て喜ぶように左右に振っているのだ。
私の飼い犬。フォティ。
「また外で寝てたの?」
「当たり前だろう」
めんどくせぇ、と言わんばかりに言葉を返すと、頭をぐしゃぐしゃと掻きながら立ち上がる。
「男装勇者だった頃とはちげぇーんだぞ。正真正銘女として生活してんなら、同じ屋根の下に男を連れ込むんじゃねぇよ」
ビシッと尖った爪が伸びた指で私を差す。
「一緒に暮らしたいってついてきたのは、あなたじゃない」
「惚れてるからだろうが!!」
呆れながら言うと、キレて怒鳴られた。
これもいつものことである。
人型をとっているけれど、彼は幻獣の一種。フェンリル。
ただのフェンリルではなく、黒炎を操るフェンリルである。
黒炎のフェンリル。
魔王軍の幹部に首輪を繋がれて、戦わされていた。私はその鎖を壊して、自由にしたと同時にその幹部を噛み殺させたのだ。その身体を、黒炎で燃やし尽くした。
それ以来、私の仲間になったのだ。一人で無双する方が性に合っているというのに、仲間になると言って聞かない連中ばかりだった。大半は私を男だと思っていたけれども。
まぁ鼻の利くフォティは、最初から私が女だということは知っていた。
自由にしてあげたからなのか、フォティは私に惚れている。
魔王を倒したあとも各国を回っていている途中で、旅の仲間も疲弊していたから抜け出すのは容易かった。
けれど、いつもべったりなフォティだけは、振りきれなかったのだ。
しつこいのなんのって。しょうがないから、飼い犬として受け入れた。
飼い犬なら流石に拒むと思ったが、一緒に居たいがために百歩譲って承諾したようだ。
「あんまり飼い犬扱いして油断してっと、襲っちまうからな!」
「あらあら、可愛いワンちゃんのくせに」
「ふざけんな! マジで言ってんだから!」
ガウッと吠える勢いで言葉を返すフォティ。それでは飽き足らず、ドンと壁に押し付けてきた。
「今すぐにでもその唇を奪いたいオレの気持ちがわからないのか!?」
「ふぅん?」
「ああ、もう、わかってないのか、わかっているのか……ちくしょっ」
私は、にやつく。
睨みつきながらも、私の唇に目を奪われているフォティ。私の頭を両手で押さえ込んでも、決して重ねようとはしない。奪いたいのに奪わない理由は、なんだろう。理性か、プライドか。それとも、私にいざという時、抵抗されたら痛い目を見るとわかっているからなのだろうか。いや、単なるヘタレかな。
すっと、フォティの輪郭をなぞる。
「可愛いワンちゃん」
「っ」
私は嘲るように呼んだ。
「可愛い可愛い、私のワンちゃん」
「いい加減にしろよ!」
「ふふ。はいはい」
「ふざけ、んな……っ」
宥めるように頭を撫でると、しどろもどろになった。
撫でられるの、弱いのだ。
「お腹空いたわ、フォティは?」
「……空いた」
「朝ご飯にしましょう」
私は撫で尽くしたあとに、家の中に戻った。
すっかり機嫌を直したフォティを連れて。
ここは一度、訪れたことのある、普通の森の中だ。国の最果てに位置しているが、野生の魔物も比較的少ない。例えいたとしても、フェンリルのフォティが噛み千切るだけだ。その時は、私の料理となるだろう。
朝食は、スクランブルエッグにこんがりベーコンとパンケーキだけだ。
異世界と言っても、地球とあまり変わらない料理があって助かった。口に合わなかったら、私はガリガリになっただろう。戦いに身を投じた旅と修行で私のだらしない体型はすっかりスリムになった。おかげで元からあった胸が出てきて、隠すのは苦労したものだ。それでも、男だと思わせ続けた私の変装スキルってば、高い。女性よりの顔立ちの男勇者として、結構モテていたほどだ。男としてだが。
ヘタレの飼い犬が可愛いと思うが、なんだかんだ言って私は女扱いしてくれることが嬉しくて置いているのかもしれない。
ああ、正しくは女扱いではなく、好きな女扱いか。気分いいから、つい、からかいたくなる。
「ん? なんか機嫌いいな、リーナ」
「上手く焼けたでしょう?」
「旅の間、料理なんて作ってなかっただろ、作れるなんて驚いたが……美味い」
「フォティは生肉か焼いた肉しか食べない生活していたから、口に合うとは驚きだわ。結構甘党よね」
「……悪いかよ」
「この世界の美味しいものは、食べ尽くしましょう」
「ここで定住を決めたのに?」
「元の世界には飛べないけれど、この星の裏側にも行けるわ」
一度足をつけた場所なら、転移魔法で行ける。その気になったら、近くまで飛んでいき、目当てのものを食べるまでだ。
「オレはどこまでも一緒に行くからな」
「どうぞ」
私がそう返事をすれば、フォティは嬉しそうに笑みを溢した。
はにかんだ顔。可愛いのよね。
使い終わった食器は、何も言うことなくフォティが洗ってくれた。
私は食後の紅茶を持って、もう一つの部屋に移動する。
魔女を名乗っている以上、魔女っぽいことをしているつもりだ。
薬草で作ったシャンプーから化粧水の商品が並ぶ店内には、薬草も吊るしてある。
この世界では魔法に関する商品を売る店があるが、私は魔法に関する何でも屋の店を構えている。
魔法の薬草で作った化粧品で美肌を手に入れたり、魔法で幸運を呼び寄せたいならまじないをかけるのだ。
ちゃんと近くの街に宣伝した。あとは気長に待ち、接客をするだけ。
さて、今日はお客さん来るかしら。
まぁ来なくても、全然生活に支障はないのだれどね。
コンコン。
ノックをする音が聞こえてきた。
「はーい、どうぞ」
やけに早いな、と思いつつ入るよう声をかける。
けれど、いくら待ってもノックした者が入ってくることはなかった。
疑問に思いつつも、腰を上げてドアまで歩み寄る。
「客か?」
フォティも店に足を踏み入れた。
彼の言葉に返事することなく、ドアを開けると……。
私はすぐにドアを閉じることにした。
「? どうしたんだよ」
「魔王がいる」
「……は?」
朝一のお客さんは、魔王だったのだ。