ユーキューと立ち位置の違い
「どういう風の吹き回しであります?」
サヴォーカはトラッシュを見上げて言った
「俺はホレイショの製作物だ」
トラッシュは嘯くように応じる。
「製作者であるホレイショの後継者を守ってなにがおかしい?」
――貴兄はカルロ殿の登用に反対していたでありましょう。
そう指摘したくなったが、カルロ本人の前で、カルロの登用に関することには言及できない。
この場ではなにも言えなかった。
「いらない」
ルフィオがトラッシュを見上げて言った。
「わたしが守る」
「それは無理だ」
「どうして?」
ルフィオの声と表情が、鋭利さを増す。
「警護は時間の投入量が全てだ。今までのように、空いた時間に足繁く通えばよいというものではない。仮に小僧が二月の間夫役に就くとして六十日、常時側にいる必要がある。おまえたち二人に、それができるか? 小僧を守ることは、今はおまえたちの趣味にすぎん。二人とも、有給の残りは十日強。どうやって小僧を見守る時間をとる? 特におまえは、此度の問題に対応するには全く向いていない。震天狼の姿でも、その娘の姿でも、男ばかりの夫役先に出向くには派手すぎる」
トラッシュに理があると思ったようだ、ルフィオはやや気勢を削がれたような表情を見せた。
「トラッシュなら、守れる?」
「できる。俺の本質は布屑だ。どこにでも適当に潜り込むことができる。なにより、俺には、四十日の有給残がある」
ルフィオは雷に打たれたように尻尾を立てた。
「……うそ」
目を見開き、ルフィオは尻尾を震わせる。
「同僚の休暇の消化具合くらいは把握しておくがいい」
トラッシュは勝ち誇ったように「カカ」と嗤った。
そこまで勝ち誇るような話ではない。そもそもその有給の残り具合はどうなのかという話だが、サヴォーカも、ある種の負けを認めざるを得なかった。
トラッシュの言葉通り、ルフィオでは夫役に出るカルロに張り付いて、守ってやることはできない。
サヴォーカならばある程度対応可能だが、カルロの守護は七黒集の正規任務にはなりえない。プライベートとして、休暇を使って対応するしかないが、今年の有給休暇の残りは十日ほどしかない。
最悪欠勤、休職をして対応をする手もなくはないが、カルロのために七黒集としての業務に穴を空けるのは、後のカルロの登用にマイナスに作用する危険性が高い。
それを考えると、トラッシュ以上の適任者は存在しないだろう。
カルロの登用に慎重であり、抹殺論すら口にして憚らないトラッシュの真意が読めない点を除いては。
「貴兄を、信用できるでありますか?」
「それはおまえたちが決めることだ。誰が望もうと、誰が望むまいと、俺は俺の好きに動く。気に入らなければ、爪でも牙でも立てに来るがいい」
どう反応すべきかわからないようだ。
ルフィオはトラッシュを見据えながらも、動かなかった。
その時。カルロはやや所在なげな表情で「失礼」と言った。
「話に全くついていけていないんですが……まず、ユーキューというのは?」
考えて見ると、当事者であるカルロを完全に置いてけぼりにして話をしていた。
有給休暇という概念はこの大陸にはないらしい。
○
実を言うと、ユーキューという言葉の意味は知っている。
本当はアスガルの掟に引っかかる事項らしいが、ルフィオが口を滑らせた。
つまりルフィオやサヴォーカさんより、トラッシュのほうが自由になる時間が多いので、護衛に向いている。
だが、トラッシュという男とルフィオ、サヴォーカさんの間に信頼関係が無いため、妙な空気になってしまっている、というところだろう。
空気が悪すぎるので、話の腰をへし折ってやろうと思ったのだが、狙い通りやれたようだ。
鋭い表情をしていたサヴォーカさんは小さく息をつく。
「申し訳ないであります。肝心のカルロ殿を置いてけぼりにしてしまって」
「いえ」
首を横に振り、トラッシュを見上げる。
「今日のところは、お引き取りいただけますか? 冷静に話し合うのは、少々難しい状況だと思いますので」
トラッシュはフン、と鼻を鳴らし「確かにな」と呟いた。
「この件についてはこれまでにしておこう。今は俺の意向が伝われば充分だ」
そういったトラッシュだが。
「もうひとつ」
まだ用件は終わってないようだ。
トラッシュは口角を上げ、鼻を鳴らした。
「そんな目をするな。こちらはもめるような話ではない。ヒドラ皮の加工に手こずっていたな。ヒドラ皮の自己修復機能は温度にして四十度程度まで加熱すれば停止する。ホレイショは鍋で煮た石を当てて調節していた。試してみるといい」
それだけ言うと、トラッシュは「邪魔をした」と告げて踵を返した。
おれがヒドラ皮ジャケットに苦戦している様子を衣装箱の中、あるいは衣装箱から抜け出して見ていたらしい。
あとでアドバイスを試してみたところ、確かにヒドラ皮の自己修復機能が抑制され、針の魔力制御なしでも楽に作業できるようになった。
それにしても、養父の縫ったマントに仕事の助言を受けるとは思わなかった。
○
アスガル魔騎士団、七黒集第一席『傲慢』のムーサが私室でティータイムを楽しんでいると、衣装箱を抱えたルフィオが少女の姿でやってきた。
「あら、いらっしゃい」
身長三メートルのオークの美丈夫は、親戚の娘を迎える主婦のような表情で、震天狼の少女を迎えた。
着衣が習慣化していないことが頭痛の種だったルフィオは、今日は薄緑色の装飾の入った白のワンピースを身につけている。
カルロとの出会いをきっかけに、嗜好に変化が起きているらしい。脱衣癖はそう変わらないものの、衣服に袖を通すことを「気持ちのいいこと」として認識し始めているようだった。
ただし、自主的に身につけるのはカルロが手がけたものだけで、他の者が手がけた衣装には興味がない。
カルロの守備範囲外である靴などには相変わらず興味を示さず、素足のまま歩き回っていた。
ルフィオが持ってきた衣装箱の中身は、ルフィオを通じてカルロに修繕を依頼したヒドラ皮のジャケットだった。
ルフィオが身につけ始めた衣装を見れば、カルロという職人の技量は充分わかるが、ちょっとした悪戯のつもりだった。
ヒドラ皮のジャケットには自己修復機能があるので、通常の職人には扱えない。
扱えるのは、手数に任せた高速作業のできる百手巨人の職人だけだ。
人間の職人であるカルロが、どう対処するか見てみようと思ったのだが。
「驚いたわね」
衣装箱から取り出したジャケットを眺め、ムーサは呟く。
「完璧じゃない。どうやって縫ったか見ていた?」
「熱い石をくっつけておくと、再生しないみたい」
「どれくらい熱い石?」
「ゆでて、布でくるんだくらい?」
沸騰した水以下の温度ということだろうか。
だいぶ曖昧な情報だが、まぁルフィオが相手では仕方がないだろうか。
「そんなことで、ヒドラ皮の再生が止まるの?」
ムーサの知識にない方法、想定しなかったやり方だ。
公になればアスガルのヒドラ皮相場が混乱に陥りそうだ。
「よく知ってたわね、そんなやり方」
「ううん」
ルフィオは首を横に振る。
「カルロは知らなかったみたい。知ってたのは、トラッシュ」
「トラッシュが、彼に?」
それで腑に落ちた。
トラッシュはアスガル時代の仕立屋ホレイショのことをよく知っている。
ホレイショ式のヒドラ皮の扱い方を見聞きしていたのだろう。
「うん」
どうも納得がいかない、という表情で、ルフィオはうなずいた。
「なに考えてるのかな、トラッシュ」
「なにが気になるの?」
「カルロのこと、どう思ってるのか。こっちだとマッサツスベキ、とかいってるくせに、あっちではカルロに守ってやるっていってた。守ってやるってにおいをだしてた。なに考えてるのか、わからない」
ルフィオは珍しく複雑な表情で尻尾を揺らす。
ムーサは微笑した。
「彼の言葉をそのまま信じちゃだめよ。貴女と違って、彼はいろいろこじらせてるから。匂いの方が信用できるわ」
「トラッシュも、カルロのことが好き?」
「貴方みたいにシンプルな感情じゃないだろうけれどね。彼は、ホレイショが作ったマントが、ホレイショのパトロンだったスパーダの血を浴びて生まれた呪物。だから、仕立屋ホレイショの仕事や技術を、大切に思ってるの。だからカルロくんのことも大切なのよ、本心ではね。愛憎半ばって部分もありそうだけれど」
「じゃあ、どうして?」
「カルロくんの登用に反対かって?」
「うん」
ルフィオはうなずく。
「立ち位置の違いね。サヴォーカちゃんはカルロくんという職人の仕事に惚れ込んで、アスガルに来てほしいと思ってる。貴女はカルロくんって男の子が好きで、カルロくんのところに入り浸ってる。彼の場合は、ホレイショの後継者であるカルロくんに大成して欲しいと思ってる。だから、アスガルに呼ぶことにも慎重なの。カルロくんは人間だから、人間の社会で生きたほうがいいって考え方もあるでしょ? こっちには、人間はほとんどいないしね」
人間の妻子を持ち、普通の家庭を持つことも不可能だろう。
「……そのほうが、いい?」
「普通ならそうだけれど、彼の場合は、わからないわね。貴女たちの話を聞く限りだと、今居る国があってるとも思えないし」
「うん」
ルフィオは小さくうなずいたあと、また軽く首を傾げた。
「それなら、どうして、マッサツとかいうの?」
「それも、言葉通りにとらないほうがいいわね」
「どうとればいい?」
ムーサは微笑する。
「それは、自分で考えてみて。貴女もそろそろ、そういうことがわかってもいい頃。カルロくんをこの国に連れてきて、近くに置いておきたいと思うなら、なおさらね」
震天狼のルフィオは生物としての強力さだけでアスガル最強、七黒集の一角を占めている。
アスガルという国においては、そういうシンプルなあり方は賞賛すべきものだが、自分以外に大切なもの、守るべきものを持つなら、そこから一歩踏み出していく必要がある。
愛する者を持つことは、弱みをひとつ抱えることでもある。
武器を増やす必要がある。
抱えこんだ弱さのぶんだけ。