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ぼっち旅 カンボジア編  作者: 紀々野緑
5/5

帰還

ぼっち大学生が日本に帰って来た!

四日間の旅と通じて、成長できたのだろうか。

そして、帰国後に自分の現実から逃げられないことを悟る。

シェリムアップから仁川まで、およそ五時間かかる。今は二十三時を過ぎたところだ。ちょうど寝る時間なので、目が覚めたら仁川に到着しているはずだ。飛行機が墜落しなければね。

 チェックインは空港の職員が代わりにしてくれたようだ。パスポートに出国を証明するスタンプが押してあった。それから、エコノミークラスの中でも快適な席を用意してくれていた。一番前の席だ。前に座席がないので広々としている。しかも窓側だ。嬉しい。夜空を眺めようと思ったが、眠くてしかたがない。

 アナウンスで目が覚めた。外はまだ暗いけど、少しだけ太陽が見え隠れしている。仁川に到着したようだ。飛行機が着陸態勢に入った。頼むからうまく着陸してよ。失敗してけがでもしたら訴訟だぞ。原告木村裕太、被告大韓航空。被告は着陸に失敗し、原告にけがを負わせたので医療費等の賠償金の支払いを命じる。この請求は債務不履行と不法行為のどちらに基づけばいいのかな。民法は詳しくないからわからない。

 無事に着陸。渡航先で、犯罪に巻き込まれて命を失う危険が伴うのが海外旅行だ。しかし渡航先だけでなく、飛行機に乗っているときにもテロに巻き込まれたり、着陸に失敗したりするかもしれない。だから、無事に着陸できたことが嬉しかった。まだ生きることができそうだ。

 私が乗っていた飛行機のパイロットは優秀だなあ。安全に着陸することは、訓練を受けたパイロットならできて当たり前じゃないかと思う人もいるだろう。でも、当たり前のことはできて当たり前ではない。だから、着陸に成功できたパイロットはすごいと思う。社会にとって、当たり前だとされていることを、難なく当たり前のように成し遂げられる人はいったいどのくらいいるんだろう。

 スーツケースは、職員が福岡行の飛行機に搬入してくれる。自分でいったん受け取って、それを次の飛行機に搬入するという手続きがないので助かる。だから仁川では身軽だ。仁川には六時に着いた。福岡に向けて飛び立つのは一時間後だ。それまでゆっくりしよう。

 仁川空港では、機体と空港が通路で接続されている。逆に、巨大な飛行機を見上げることができない。そこが少し物足りなかった。シェリムアップが懐かしい。

 入国はしないので、乗り換えの待合室にある椅子に座って、出国するまで休むことにした。待合室といっても、JRのそれとは違って、かなり広い。テレビは何台もある。椅子も数えきれないほどある。そして、滑走路や離陸する飛行機の様子を一望できるよう、壁はガラス張りだ。ああ、自分の描写能力の限界を感じる。とにかく、とっても広かったです。

 椅子に座って波紋の呼吸をしていると、女性の職員が二人、車椅子を押してやってきた。

 「体調は良くなりましたか?車椅子があるのでよかったら使ってください」

 「大丈夫。元気です。ありがとう」

 わざわざ車椅子まで準備してくれたのか。親切だ。乗客の体調が芳しくないという情報が、シェリムアップから仁川まで伝わっていたのか。きっと、これは仕事なんだろう。空港で働く人たちにとって。でも、ここまで気をつかってもらうと恐縮だ。

 午前七時。出国だ。車椅子は不要だったけど、おねえさんに押しつけられたので甘えることにした。搭乗券を確認する場所では長い行列ができている。私たちはそれを無視して、すいすいと通過してしまった。そして最初に搭乗した。福岡行でも、一番快適な席を確保してくれていた。エコノミーの先頭だ。もちろん窓側。至れり尽くせりで申し訳なかった。もう元気なんだよ。車椅子もいらなかったし、長い行列に並ぶ体力もあったよ。

 一時間で福岡に着いてしまうから映画をみることはできない。ほとんどの映画は二時間くらいの長さなのだ。つまり、映画のクライマックスはもちろん、中盤さえも十分に楽しめない可能性がある。映画の途中で席を立つのが気持ち悪い。続きが気になるからな。

 午前八時。福岡空港に到着した。日本に帰ってきたんだ。故国に戻ったことで、カンボジアで発症したホームシックは落ち着きそうだ。

 空港に入って、まずは入国審査をすませた。日本人である私は、日本人専用のブースで審査をすませたので、長い行列に並ぶことなく入国できた。

 次は税関検査だ。日本の法に触れそうなものは入手していないので、こちらも難なく通過した。そして、預けていたスーツケースを取りに行った。

 ベルトコンベアにたくさんのスーツケースが転がっていて、ぐるぐると回っている。回転寿司みたいに。私のは黒くて大きなやつ。カラフルなものが多いから、黒は案外目立つのだ。

 チェックインカウンターや免税店など、いろんな施設がある場所を目指してスーツケースを引きずった。四日くらい前は、その場所でわくわくしながら出国時間になるのを待っていたな。懐かしい。昔、といっても四日前のことを回想しながら歩いていると、女性職員に話しかけられた。車椅子がそこにはあった。

 「お身体の具合は大丈夫ですか?」

 「大丈夫です」と今にも消えてしまいそうな声で返事をした。

 身体の状態は良好なのだが、まだ精神状態は良くない。情緒不安定だ。情緒が安定していないときは、人と会話するのがこわい。声も震えてしまう。一人になりたい。

 これ以上会話が続くことをおそれて、急いでその場を立ち去った。

 国際線のターミナルは広いなあ。これから出国しようとしている人がたくさんいた。彼らの会話に耳を傾けると、日本語よりも中国語や韓国語のほうが目立っているような気がする。海外に飛び立とうという日本人は少ないようだ。

 無料バスに乗って国内線ターミナルに移動しよう。その前に、余ったウォンとドルを円に交換しなきゃ。おみやげを買うのを忘れたし、食事もあまりしていないからかなりお金が余っている。

 そして、博多駅を目指そう。それからJRに乗り換えて小倉に帰ろう。

 地下鉄のプラットホームにも、重そうなスーツケースを引きずったり、バックパックを背負ったりしている人がちらほらいた。この人たちはどんな冒険をしたんだろう。お互いが経験したことを共有したい気持ちになった。

 相変わらず博多駅は騒がしい。シェリムアップの、のどかでのんびりとした雰囲気が恋しい。それにしても、二月の日本はまだ寒い。つい先ほどまで熱帯の国にいたのに、急に寒い日本に帰ってきて私の心臓はびっくりしないだろうか。まだ動いているってことは、まだ大丈夫なんだろう。

 快速の電車に乗ることもできたのだが、ここはあえて各駅停車のものに乗った。日本を発ってから、今に至るまでをゆっくりと回想したかった。家に帰るのが嫌だった。少しでも長く旅をしている気持ちになりたかった。理由を挙げると枚挙にいとまがないので、この辺にしておこう。

 そういえば、モニカは何事もなく台湾にたどり着けただろうか。もし、事故や犯罪に巻き込まれていなければ、今頃はワシントンにある家に帰って家族と過ごしているだろう。台湾ではどんな冒険をしたんだろう。

 仁川行の飛行機で知り合ったおねえさんは、今頃どうしているんだろう。まだロンドンにいるのかな。それとも、私より先に帰国しているのかな。イギリスはジョナサン・ジョースターの故郷なので、いつか私も訪れてみたい。

 東大門にある大学の近くで営業している食堂のおばちゃんは元気かな。今、この瞬間もあの大学の学生に、おししいトンカツをふるまっているのかな。

 チュクチュクのあんちゃんは何をしているんだろう。今日も観光客をアンコールワットに案内しているのかな。これから何年も、たぶん一生アンコールワットに向けてチュクチュクを走り続けるんだろう。

 あ、もう東郷だ。これまでの冒険を回想していたら、あっという間にこんなところまで来ていた。

 東郷といえば、高校二年生に時に宗像高校まで練習試合に来たな。あの日も、帰りは各駅停車の電車に乗ったんだった。

 それから、音楽を聴きながらぼーっとしていたら、友人からメッセージが届いて、ドキドキしていたな。

 「練習試合どうだった?心の中で応援してたよ」

 「勝てなかった?私がいなかったからかな」

 懐かしい。今ではこんなことをいってくれる友人はいないけど、いつかできるといいな。

 あの頃はよかった。本当にそう思う。しかし、なぜそう思うのだろう。それは、人は未来だけでなく、過去にも希望を持ちたいから。〈物語〉シリーズで主人公を務めることが多い阿良々木暦が、そのように説明していました。ちなみに声は神谷浩史さん。

 東郷のせいで回想が中断されてしまった。危ない危ない。旅について振り返る場面なのに、私の初恋話になりそうだった。

 アンコールワットでみかけた親子は元気だろうか。今頃どうしているのかな。父親はいるのかな。

 一番気がかりなのは、写真売りの少女のことだ。平日の昼間に写真を売り歩いていたから、おそらく学校には行っていないだろう。知識がない者はある者に、いいように利用されてしまうかもしれない。学校に行っていないというだけで、社会では生きることが難しくなる。日本にも解決すべき問題はたくさんあるが、カンボジアの場合は緊急を要する問題が多いように思う。山積みだ。下水道だったり、教育だったり、衛生環境だったり生活の基本となるインフラの水準が低いのだ。たぶん。しかし、それはカンボジアだけでなく発展途上国なら当てはまることだ。すべてに対処することは難しい。うーん、頭が痛くなりますね。

 スペースワールドだ。小倉駅まであと少し。あ、そういえば八幡イオンは高校三年生の時に、恋人とデートをした場所だ。先生の許可を取ったうえで、部活をさぼって遊びに行ったのだ。

 おっと危ない。また脱線しそうになった。これは旅行の話だ。私の恋愛話ではない。

 次第に見慣れた景色が現れた。リバーウォークがみえる。そしてだんだんと小倉駅が近づいてくる。日本に帰って来たんだなあ。四日くらいしか日本を離れていないけど、小倉の町が新鮮で、未知の領域のように思える。

 小倉駅に到着。うわあ、何も変わっていない。それもそのはずだ。だって日本を発ってから一週間も経っていないんだから。しかし、四日とはいえ、日本を離れていたので、数十年ぶりに小倉駅を訪れたような感覚があった。

 JRの改札口を出て、モノレールに乗り換えだ。寄り道せずまっすぐ家に帰ろう。モノレールの改札口を目指して歩いていると、どこかでみたことがある三人組とすれ違った。

 母と、母の恋人と、弟だ。母とは高校の三者面談で会うことはあったが、まともな会話は十年以上していない。弟は今年でいくつになるんだろう。弟といっても、会話をしたことはない。給食のメニューで好きなものは何だろう。どんな遊びが好きなんだろう。

 つい先ほどまでは、これまでの旅に思いを馳せていた。まだ旅をしているつもりでいて、非日常の中にいた。しかし、この瞬間私は日常の中に呼び戻された。少し早くないですか。もう少しだけあっちの世界を楽しんでいたかった。

 いつまでも非日常の中でうろちょろしているわけにもいかない。日常の中で生活をしていかなくてはならない。そして、私もこの呪われた家庭に、いつかは向き合わなくてはいけない。この旅も、崩壊している家庭のことを悩みすぎて、頭がおかしくなりそうだったから計画したのだ。リフレッシュにはなった。だから、自分の人生について考えるだけの体力は回復できたと思う。忍野メメは、「嫌なことに立ち向かえば偉いというわけじゃない。嫌なら逃げてもいい」といっていた。うーん、必ずしも自分の家族と話をしたり、関係を修復したりしなくてもいいのかな。まあ、このことについてもいずれゆっくり考えよう。

 とにかく、今は家に帰りたい。明日のアルバイトも楽しみだ。普段は嫌だけど、久しぶりというだけで楽しみになるんだ。

 モノスゴカを改札口にかざした。この行為も懐かしい。エスカレーターに乗ってホームに上がると、モノレールは停車していて、ドアが開いている。ちょうどいいタイミングじゃあないか。

 席に座ってから間もなく、ドアが閉まってモノレールは動き始めた。目を閉じる。懐かしい感覚だ。モノレールに揺られて、しだいにうとうとしてきた。


カンボジア編もこれで完結です。

今でもカンボジアが恋しくなることがあります。

だから、近いうちにまた訪れたいなと思っています。

しかし、それはいつになるのかわかりません。


次回は閑話休題ということで、ジョジョ展や就活の話でも投稿します。

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