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ぼっち旅 カンボジア編  作者: 紀々野緑
3/5

引きこもり

ホームシック発症。

このさっぱりとした気持ちはなんだろう。昨日は暑さのせいで目覚めたのだが、今日は自分で起きた。昨日と今日で気温に変化はないけど、体がこの気候に適応して、暑さに慣れたんだろう。

 午前八時か。おなかすいたな。昨日はオレンジジュースに、パンケーキ、それから謎のフルーツしか食べていない。最終日はカンボジアの郷土料理に舌鼓をうちたいものだ。いったいどんな料理なんだろう。韓国といえばトンカツ、インドといえばカレー。それならカンボジアといったら何だろう。想像できない。

 食堂はどこだろう。とりあえずフロントにいる暇そうなおねえやんに尋ねてみた。

 「朝食を食べたい」

 「三階に行ってください」

 三階か。空腹時に階段をあがるのはきつい。部屋まで運んでくれたらいいのになあ。でも無料だから我慢しよう。値段以上のサービスは求めない。機内食はまずかったし、パンケーキもまずかった。オレンジジュースはおいしかったけど。最終日の朝食くらいおいしいものを食べさせておくれ。

 三階というので大学の食堂のように、鉄筋コンクリートに囲まれている空間だと思っていた。でもそうじゃない。三階よりも、屋上という表現がふさわしいかもしれない。窓や外壁といったものはなく、広々としている。落下防止のために手すりは設置されていた。あとは屋根もあった。この国は雨期があるから、屋根を設置しなきゃあ飯がべちょべちょになる。

 女性従業員が二人いた。一人がこちらにやってきた。注文を確認するためだ。メニューは二つあったが、注文したほうしか憶えていない。

 「トーストエッグ」

 「オーケー」

 トーストエッグという名称だったか忘れたが、運ばれてきたのはトーストとスクランブルエッグだったので、そういうことにしよう。それにしてもスクランブルエッグってすごい名前だな。緊急発進卵。ああ、ケチャップほしい。

 飲み物はオレンジジュースだった。昨日飲んだものの方がおいしい。

 景色は綺麗だった。目に優しいクリーム色で、同じような構造をしている建物が一面に広がっている。幾何学的というかなんというか、とにかく綺麗だった。

 風が強くて埃が料理の中に入ったかもしれない。でも、たとえ料理に埃が入っていようが、この景色を眺めながらする食事はまずいわけがない。今日は過ごしやすそうだ。

 部屋に戻ってから早速出かける準備をした。しかし、食後というのはどうしても眠くなる。しばらくシエスタをしてから行動を開始しよう。そう思って、ベッドの上で横になった。

 天井のプロペラが回転している。私が宿泊してから何回転しているんだろう。このホテルが建設されて営業を開始してから、いったい何回転しているんだろう。

 ベッドの上に寝そべってぼーっとしていたら、何だか外に出るのが面倒になってきた。それに加えて恐怖心も芽生えてきた。日本を離れて今日で四日目。しばらく会話らしい会話をしていない。以前からずっと、一人は気楽でいいものだと思った。しかし、一人というのは寂しくてつらいものなんだな。孤独感のせいで死にそう。周囲に人はたくさんいるけど、つながりがある人は一人もいない。集団の中のぼっち。現代社会の闇。

 韓国に滞在していたときは楽しかった。単調で面倒なアルバイトをしなくてもいい。授業はない。新鮮で毎日が冒険のような心持で、東大門という小さな町を闊歩することで、家族のことを考えなくてすんだ。快適だった。

 しかし、今日は孤独で寂しい。孤独に襲われた瞬間、昨日までは楽しかったカンボジアが、今では戦場のように思える。ホテルから出れば拉致されるかもしれない。よし、今日の地雷平原の見学は中止だ。

 カンボジアを出国する予定時刻は二十三時。だから二十一時くらいまではホテルでゆっくりしよう。それまで夢枕獏の『神々の山嶺』の上巻を読み直そう。

 主人公はカメラマン。名前は忘れた。特に山を専門にしている。そして、羽生という登山界のレジェンドが、エベレストに何度も挑戦する。しかし羽生は一度目の登頂で失敗し、行方不明になる。

 羽生が消えてから数年後、主人公は取材か何かでネパールを訪れる。その際に、羽生らしき男と出会う。羽生は生きていたのだ。しかも家族までつくっている。日本に恋人がいるにもかかわらず。主人公は確信した。羽生は何かを企んでいることに。

 主人公の読み通り、羽生はエベレスト登頂を計画していたのだ。しかも単独かつ前人未踏のルートで登ろうとしていた。エベレスト登頂というのは、福智山での登山とはわけが違う。テントや水、食料、そして燃料などを運搬しながら登らなくてはならない。それらを担いで、エベレストを単独で登ることができるのは、おそらくキャプテンアメリカくらいだろう。

 その計画を聞いた主人公は同行を決意し、羽生の生きざまを写真として後世に伝えることを心に誓った。続きが気になるが、上巻はここまで。くそう、下巻も借りてくればよかった。

 ちなみに羽生は「はにゅう」ではなく「はぶ」と読む。この小説を読んでいるとき、私は羽生を「はにゅう」と読んでいたし、容貌はプーさんのことが好きな彼をイメージしていた。しかし、映画で羽生を演じたのは古代ローマ人だった。このネタがわからなければ「テルマエ・ロマエ」という映画をみてください。

 「トゥルルルル、トゥルルルル」

 この音は、決してドッピオが電話のベル音を口走って生じたものではない。本物の電話が鳴っているのだ。ドッピオについて気になるなら『ジョジョの奇妙な冒険 第五部 黄金の風』を参照してください。

 「もしもし」

 「ハロー。十二時までにチェックアウトしないと、追加料金が発生しますよ」

 フロントのおねえやんからだった。今は午前十一時。

 「オーケー」と返事した。追加料金なんて払いたくないからな。

 このホテルともさよならだ。二十一時まで世話になるつもりだったが、追加料金を支払う余裕はない。天井のプロペラはまだ回転している。壁にポツンとあるスイッチを切った。そうしたら、プロペラの回転は停止した。

 チェックアウトした。その際には役に立たなかった鍵も返却した。アリーヴェデルチ。さよならだ。

 ホテルから出るのがこわい。しかし、出なくてはならない。もうチェックアウトしてしまったので、これ以上ここにいると不法侵入とか、不退去の罪に該当するかもしれない。この国の法律はわからないから、法に触れそうなことはしない。一応カンボジアの法律も公開されているはずだから、知らなかったじゃあすまされない。これが罪刑法定主義のつらいところだ。

 勇気を出して一歩を踏み出した。思っていたより、引きこもり生活は短いものでした。それにしてもスーツケースが重い。お土産はまだ買っていないから、荷物は増えていない。それにもかかわらず、重くなった気がする。

 こんなに重いものを引きずって歩く体力はない。少し早いが、空港に行こう。そのためにはタクシーを探さなくては。いや、タクシーではなくチュクチュクか。

 「私のタクシーに乗りませんか?」

 ちょうどいいところに声をかけてくれた。今日はこのおにいやんの世話になろう。

 「エアポートまでお願いします」


最初は、カンボジア最高!と思っていても、いつかはホームシックになるものです。

特に一人旅ではその傾向も高まります。

だから、慣れないうちは親しい友人と海外に行くことをお勧めします。

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