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ぼっち旅 カンボジア編  作者: 紀々野緑
2/5

アンコールワットで暮らす親子

長年夢見ていたアンコールワット訪問。

教科書では学ぶことができないことが、そこにはたくさんあった。

アンコールワットとは、誰もが見たことがあるあの写真に写っている建物だけではない。

暑い。天井のプロペラが休まずに風を送り続けているが、それでも暑い。カンボジアの気候は熱帯だからな。昨夜は太陽が沈んでいたので、コートを着ていてもなんとか我慢できる気温だった。しかし、太陽が昇っている時間はとんでもなく暑い。コートを着ていたら死ぬかもしれない。

 時計で時間を確認した。すでにカンボジアの時間に設定してある。デジタル時計って便利だね。どうやら早起きしてしまったらしい。午前九時。日本とは時差が二時間あるから、日本では午前十一時くらいだ。

 今日はアンコールワットに行こう。寝癖というのはどこで寝てもつくものだ。冷水で顔を洗い、寝癖をとる。服装は黒の長ズボンに白い長袖のシャツ。カンボジアの気温は30度を超えているが、蚊が媒介する感染症がこわいので肌を露出しない服装にした。気温は高いが、湿度は低いので大丈夫。じめじめした日本よりは過ごしやすいかもしれない。しかし、カンボジアには雨季と乾季がある。このことを考えると、やっぱり日本のほうがいいなあ。雨季のときには散歩もできないし、自転車にも乗れないから。

 朝食はどうしようか。このホテルは無料で朝食が食べられるらしいのだが、それは明日でいいだろう。今日は朝食を食べる時間がもったいない。早くホテルを飛び出して、しぇりむアップの町を歩きたい。

 リュックを背負って、町のほうへ向かった。到着したのは夜だったので気づかなかったが、ホテルから20メートルほど離れたところに小学校があったのだ。元気で、騒がしい声が聞こえる。カンボジアの子供たちも、身体だけでなく心も健康に育ってほしい。

 ホテルを出たところまではよかったのだが、これからの移動手段がなかった。無計画だ。アンコールワットまでどうやって行こう。本気で歩いて行こうと考えたが、経路がわからない。どの道を進めばいいのか、さっぱりわからない。困ったなあ。

 小学校を眺めていると、見知らぬ男に声をかけられた。

 「旅行ですか?私のタクシーに乗りませんか?」

 この人のタクシーに乗れば、アンコールワットまで連れて行ってくれるかもしれない。タクシーの運転手なら、金のなる木の所在地くらいわかるだろう。

 タクシーとはいっても、日本のタクシーやシェリムアップ空港から乗ってきたものとは異なる外観をしている。名称もタクシーではなく「チュクチュク」というらしい。二人乗りの荷台がバイクに接続されている。人力車を想像するといいかもしれない。人力車の人の部分がバイクにすり替わっているものがチュクチュクだ。

 ホテルの周囲を見渡すと、チュクチュクとそのドライバーがほかにもいることに気づいた。ホテルの前で待って、旅行者を捕まえるんだな。

 本当は歩いて移動したかったのだが、道がわからないのでチュクチュクのあんちゃんに頼ることにした。

 「アンコールワットに行きますか?」

 「はい、そこまでお願いします」

 このあんちゃん、客のニーズを理解しているじゃあないか。感心だ。でも、シェリムアップといったらアンコールワットだからな。この町に来て世界遺産として認められた遺跡を訪れない人なんて、たぶんいない。

 チュクチュクは走り出すと、風が体にあたって気持ちいい。一応、雨をしのぐ屋根はある。しかし、窓はもちろん外壁は一切ない。そのおかげで360度景色を楽しむことができるし、風を感じることができるので、体感温度が下がって快適に過ごすことができる。

 往路について、記憶に残っていることは少ない。建物が北九州の町に比べて少ないことや、地元住民よりも観光客のほうが多いということには気づいた。観光客の数が住民の数を上回るというのはありうるのか。きっと、どこかに出かけている人や仕事をしている人が多いため、地元住民よりも観光客のほうが多いと錯覚したのだろう。

 ほかに憶えていることは、自転車で移動する観光客が大勢いたことだ。自転車なら自然を楽しみつつ、自分のペースで移動できる。自転車をレンタルすればよかったなあ。

 このあんちゃんはスピードを出しすぎないから好感が持てる。やはり安全運転が一番だ。

 だんだんと人工物が視界から消えてきた。周囲にあるのは、川、木、森や山などの自然ばかりだ。緑に囲まれると癒されるのはなぜだろう。それは自然にも生命があるからだと思う。植物にも誕生から死という流れがある。確かに、植物と会話することはできない。しかし、トリカブト、ブタクサやスギなど一部の例外を除けば、危害を加えるやつはいない。「何もしない」というのが植物のいいところなんだな。つまり、否定も肯定もしないということで、ありのままの自分を受け入れてくれる。人間はそうはいかない。

 しばらく山を眺めていた。この山は何という山で、どこまで続いているんだろう。しかし終わりのない山はなく、どこかで途切れることになる。突如、山の端からアンコールワットの一部が現れた。

 やった。ついにここまで来たんだ。高校の世界史でカンボジアについて学んだ時、アンコールワットには行かなくては、と思ったのだ。何か、私の心を引きつける魅力があったのだ。スタンド使いとスタンド使いは引かれ合うという、謎の法則が私とアンコールワットの間にもあった。たぶん。

 広い駐車場に入った。舗装はされていなかった。あんちゃんはバイクから降りると、入場券売り場まで案内してくれた。この人は親切だ。昨夜のおっちゃんとは大違い。入場券も30ドルくらいだったかな。

 「あなたが帰るまで待ってますね」

 なんだと。ホテルに帰るときも乗せてくれるというのか。優しい。しかも、私がアンコールワットを見物している間、ずっと駐車場で待っているというのだ。

 「どうもありがとう」といって、料金を支払う。7ドルくらい。とても親切だったが、チップは払わなかった。

 アンコールワットへの入場ゲートを離れて駐車場に戻った。キッチンカーを発見していたのである。そこで朝食にしよう。メニューを確認すると、すべて飲み物だった。キッチンカーといえば、ケバブやハンバーガーを連想する。しかし、残念ながら飲み物しかない。オレンジジュースで我慢しよう。

 市販のオレンジジュースを水で薄めたものだと予想していたが、違った。オレンジをその場で搾ってジュースにするのだ。栄養はありそうなので、朝食の代わりにはなるだろう。

 一口飲んでみる。ゴクッ。

 酸味と甘みが調和していておいしい。日本でもこんなオレンジジュースはなかなか飲めないぞ。でも歯が溶けそう。値段は忘れた。

 満腹とはいえなかったが、胃の中にオレンジジュースを入れたことで、動き回るだけの体力はついた。テレビや教科書でしかみたことがない場所にこれから行くことを考えると、何ともいえない高揚感のようなものを抱いた。 

 入場券を握りしめて歩く。観光客は金髪や茶髪の人が多い。黒髪に黒い瞳の東洋人は自分だけなんじゃないかな。そう考えると寂しくなる。

 入場ゲートで係員にチケットを渡した。そして、ほかの観光客のあとをついていくと、そこはアンコールワットだった。大きな橋がある。橋を渡り終えたところに二体の石像があった。何の石像だったかな。人だったような、動物だったような。忘れちゃった。

 アンコールワットの内部は複雑だった。通路は狭く、部屋は広い。そして通路の壁には人や動物などよくわからん絵が刻まれていた。石を削って描いたのだろう。立体的に彫っているので、気が遠くなるほどの時間がかかったと思う。ほかには、首が切断されて胴体部分だけが残っている石像があった。

 これ以上アンコールワットについて描写するのは、今の私の知識、技術や記憶では困難だ。気になる人は現地を訪れてください。

 思っていたよりもアンコールワットそのものは広くない。10分もあれば内部を一周できる。建物の外に出てみた。そこは広場で、アンコールワットよりも広かったと思う。池もあるし、馬もいた。レストランもある。レストランといっても、日本にあるレストランを想像してはダメだ。

 レストランで昼食にした。注文したのは、500mlの水とパンケーキ。パンケーキはチョコレートソースがかけられていて、甘すぎる。逆に、一緒に添えられているよくわからんフルーツは、甘さがまったくない。本当にフルーツなのか疑問だった。

 「中国人?」と近くで食事している女性に話しかけられた。少し太っていて、黒髪に黒い瞳。

 「日本人です」

 「あんた一人?」

 「はい、一人です」

 これ以上会話が発展することはなかった。女性はスマホで何かの動画をみて大爆笑していた。

 この人から早く離れたかったし、パンケーキもまずかったので急いで食べた。

 広場の奥にも道がある。あの先に何かあるのだろうか。アンコールワットは十分見物したし、広場も歩き回った。よし、行ってみよう。

 小道を進んでいくと、森のようなところに入った。その途中で奇妙な光景を目にした。母親が、2歳くらいの子供を裸にして体を洗っていたのだ。どうしてこんなところで行水しているんだろう。もしかして、この親子はこの森に住んでいるというのか。気になったけど話しかけなかった。親子のふれあいを邪魔したくなかったから。それにしても、献身的に子の面倒をみるのはどこの国でも母親なんだな。

 しばらく歩いた。10分くらい。すると遺跡を発見した。きっと、アンコールワットというのは、先ほどみた建物だけではなく、この森を含めてアンコールワットなんだろう。

 少し疲れた。近くにあった腰の高さほどの石に座った。この遺跡は、横幅25メートルくらいで、とても小さい。いったいこの建物は何のためにつくられたものなんだろうと考えながら、建物全体を眺めていた。先にいっておくが、私は建物全体を眺めていた。

 ところがパンツがみえたのである。みたのではなくみえた。ズボンのパンツではなく、下着のパンツだ。

 私の前方に、平らな石の上に寝そべっている女性がいたのだ。短いズボンと足の隙間からみえてしまった。故意ではないので、私に罪はありませんよね?

 道はまだ続いていたが、広場に戻って休むことにした。暑いうえに、たくさん歩いたから疲れた。座りやすそうな石に座って、馬でも眺めて過ごそう。

 「1ドル」

 突然、少女に話しかけられた。小学校低学年くらい。アンコールワットなど、カンボジアの観光名所の写真を何枚か差し出しながら「1ドル」とつぶやいている。

 学校に行っていないのか。こんなに小さい子に売り子をさせるなんて、親はいったいなにを考えている。親も、望んでしているわけではなく、子供にも働かせないと生活できないほどに困窮しているのかもしれない。

 「ノーサンキュー」

 断ると、少女はほかの観光客のところに移動して「1ドル」とつぶやく。そしてまた「ノーサンキュー」。この少女は一日に「ノーサンキュー」と何度いわれるのだろう。

 今思うと、写真を買ってあげればよかった。この少女の生活が少しでもよくなるなら、1ドルくらい安い。

 疲れたし、アンコールワットも十分すぎるほど観察した。

 駐車場に戻ると、あんちゃんが待ってくれていた。四時間も何もせずこんなところで待っていたのか。ありがたいけど、暇な商売だな。

 復路は往路と違うルートを通った。その途中、中学校を発見した。ちょうど学校が終わったようで、下校している生徒が大勢いた。校門の前には、原付に乗っている少年が何人かいた。ヘルメットはしていないし、二人乗りをしているし、ウィリーもしている。この国では中学生でも原付の免許が取れるんだろうか。そうだとしても、もうちょっと厳しく取り締まったほうがいい気がする。

 ホテルに到着してからは、部屋に引きこもって本を読んだ。夢枕獏の『神々の山嶺』の上巻。韓国でも少し読み進めていたので、あっという間に読み終わった。

 夕食を食べに行くのも面倒だ。今日はもう寝よう。明日は地雷平原を見学したい。冷水で体を清めて、食事もせずに眠ってしまった。

 この日に摂取したのはオレンジジュースとパンケーキ、それからよくわからんフルーツ。


写真や動画ではなく、実物をみることはとても大切なことです。

写真などは、撮影した人の感性で一部を切り抜くので、実物とは似て非なるものだと思います。

つまり、何らかのメディアを通して私たちのもとに届いている情報には、大なり小なり脚色がされているのです。

この旅を通してそう感じました。

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