好きのキャパシティはみんな同じ
前回は好きというのはあらゆることの原動力だよー、という話をしました。
今回はそんな好きのキャパシティについて書いていきたいと思います。
キャパシティ……つまり容量、人が持てる好きの量ですね。
これは私が思うにみんな同じ量の好きを持つことができるんです。
例えばパソコンやスマホなんかのストレージ容量をイメージしてもらえるとわかりやすいと思います。
データを保存しておける量ですね。好きの話で言うと好きを保存しておける量ですかね。
その全体の容量自体は皆同じです。でも中身はみんな違うんです。好きなものが違うのはもちろん、好きの方向性、好きなものの数自体が少ない人だったり、空き容量がたくさん空いているなんて人もいると思います。
でも人が持てる好きの量には限界があります。ではその限界を超えるくらい好きなものの量や大きさが増えた場合はどうなるのでしょうか。
それは自然と何かを好きじゃなくなります。正確に言うと新しい好きをいれるために空き容量がなければ他の好きが小さくなったりするんです。
パソコンやスマホなんかのデータと違うのはその好きの一つ一つは大きくなったり小さくなったりすることがあるんです。
例えば、Aさんは今まで趣味のゲームがすごく好きだったとします。でも最近新しく小説を書くことが好きになりました。つまり小説を書くという好きが大きくなったわけです。するとAさんはゲームへ対する好きが小さくなったりするわけです。
こうして人は好きの量に対するバランスを自動的に取っているんです。
もう少し深く好きのキャパシティに対して考えていきましょう。
さっきの例で言うとどうしてAさんは小説を書くという好きが大きくなった時にゲームに対しての好きが小さくなったのでしょうか?別に小さくなる好きはゲームに対してのものじゃなくても良かったはずです。
では何故ゲームだったのか、それは多くの人が好きをフォルダー分けしてそれぞれのフォルダーに割り当てる好きの量を決めているからです。
どういうことか言うと例えば趣味のフォルダー、仕事のフォルダー、生活のフォルダー、など色んな好きがそれぞれのフォルダーに仕分けられているわけです。そして趣味に当てる好きの量は40、仕事には30、生活には30など無意識にある程度好きを割り当ててるのです。もちろんそれは人によって違いますし同じ人でも環境が変わったりするとその割り当て方が変わったりすることは珍しくありません。
ただ例えばさっきのAさんの例で言うと小説を書くというのは趣味のフォルダーです。趣味のフォルダーにある小説を書くという好きが大きくなると趣味のフォルダーが大きくなりすぎてしまいます。そこで自然と同じ趣味のフォルダーに入っているゲームの好きを小さくすることで今まで同じ大きさの好きになるわけです。基本的にはこうしてできるだけ同じフォルダー内でバランスを取ろうとするのです。ただし例外があってあまりに大きくなりすぎるとフォルダーに収まりきらなくなります。そうすると自然と他のフォルダーにも侵蝕していきます。そうなるといわゆる他のことが手に付かないという状況になり得るのです。
ここで私が言いたいのは人が抱えられる好きというのは有限であるということです。
つまり一つの好きが大きすぎればそれは他のなにかを犠牲にしているかもしれないということです。
このように好きのキャパシティというのは皆同じ量ではありますが中身というのは様々です。自分の好きについても見直してみてもいいかもしれません。