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空渡らせるは赤き蝶  作者: 播磨戲灯
1/1

静かな館に歌声がか細く響く。

家主は一人見晴らしの良い海の見える庭を眺めては思いに更ける。


あの人の帰りを待っていた。

ただ、何年も。


膝に乗せていたそれを質素な風呂敷から、そして鞘から取り出す。家に代々伝わるお守り刀。小さく無垢で美しい刀身を息を飲み見つめ、一言二言何かを宙に囁き、白き己が首に突き立てた。瞬く間にその地に赤き海を作り上げた主は目に雫を作り、事切れた。


どこからともなく彼女の周りには紅い蝶が踊り出で、一面を覆い尽くすほどのおびただしい数の蝶はやがて夜闇へ舞い、有明の空を更に赤く染めていった。









1.


「ここが坂鳴。」


青い海を視界一杯に入れ、高く澄んだ空を仰ぎ見、一人の青年が少々その土地の風土には馴染まない馬車から足を下ろした。

馬車の戸を支えるためにすぐ側へと立つ少年はにこやかな笑みを浮かべ、応える。


「はい。浅葱様、長旅お疲れ様でした。私はこのあと役所で手続きを行ってきますので恐れ入りますが、お部屋でご自身の荷ほどきを行っていただいてもよろしいでしょうか?」

「勿論さ雲雀。僕だってなんでもかんでも君に任せるつもりじゃないから。安心したまえよ。」


浅葱青年はふふんと不敵に笑い、従者の雲雀に主張する。くすくすとなにか面白そうに笑いながらも雲雀は若き主人を嗜めた。


「手続きが完了次第、坂鳴での任務詳細書類も預かってくる予定です。時間は掛かってしまうかもしれませんが、お一人であまりはしゃぎすぎないようにしてくださいね。」

「僕は雲雀よりかは年上なんだ。少しぐらい、信用してくれたり、頼ってくれたって良いんだよ?」

「御心遣いありがとうございます。それでは、お部屋はこの建物の二階となっておりますので、建物にいる方へこの書類を提示して来てください。案内を依頼してますので。」

「わかった、そちらは頼んだよ。」


浅葱は旅の供をしてくれた馬車を見事に捌き役所へ向かう可愛い弟分を見送り、その影で見えていなかった建物をしげしげと眺める。

『芙蓉館』。それが今回の任務で与えられた建物の名前だ。白い漆喰の壁に今流行りのアールデコ調の直線的で洗練された装飾が意匠を凝らされ、至るところに施されている。入り口近くの壁にそっと触れ、新鮮な場所に心躍らせ自然と顔が綻ぶ。己が顔が緩んでいることに気付き、一つ咳払いをする。そして指示通り、窓口へと歩みを進めた。


***


「よし、粗方は終わりだ。雲雀の分は...僕が触ったら、からくりが発動しそうだし、大人しく机の上にでも置いておこうか。」

二人分には広すぎる芙蓉館の二階の浅葱の部屋。一枚扉を隔てて執務室があり、荷ほどきついでに見回した限り、嫌味のないさりげない飾り立ては実家よりも幾許か居心地が良い。

案内人は説明を簡単に述べた後、所用があるのでとそそくさと帰ってしまった。


「掃除もされていたし、後は換気かな。今のうちにお湯も沸かして、お茶でも雲雀が帰ってきたら一緒に飲もう。」


新鮮な水を汲み、備えつけられていたヤカンに火をかける。ガスも水道の管理もしっかりしているようで今のところは不自由は無い。主人の部屋の近くに給湯室が小規模ながらある事から、長時間の籠城を想定されているというのが何となしに感じられた。カーテンで閉ざされていた外界の光と、窓ガラスを開け放つ。館のすぐ側に植えてある大樹の桜が近隣の名物だと案内人が言っていたのをよぎる。爛漫に咲き乱れる桜は、優しい吹雪のように頬をすり抜ける暖かい風とともに幾らかが部屋に入り込んだ。その愛らしい訪問者に気付かぬほど、浅葱は驚きの感情を別の対象に向けていた。


桜の木の上に、人がいる。


元気な子供が登ってしまったのならまだ良い。諭して降りるのに協力すれば良いのだから。だがどう見てもあの身長は成人した人。すらりとした肢体は桜の上で大の字に伸び、顔は帽子で隠れてしまっている。手を伸ばせば届きそうなぐらい桜とは近い。浅葱は声をかけることにした。


「も、もし!如何されましたか?お加減でもよろしく無いのですか?」

「……」

「寝ている…?」

「ふあ…ん?」

浅葱には気付いていないようだが、とりあえずは起きたようだ。被せていた帽子を優雅に扇よろしく顔へと風を送っている。呆然と見守っていると視線に気付いたらしく、ちらとこちらを見、


「あ…」


向こうは失態をしたと言う面持ちをしている。

「あー…すまない。考え事をしていたものでね、見た所ここの館の主のようだけれども、」

「少々驚きましたが、考え事ぐらいでしたら警察は呼びませんよ。ごゆっくりなさってください。」

「それは助かる、して若旦那。」

「若旦那…?」


ひょいと己の体を立たせ、桜の枝先から窓、窓から部屋へ華麗に滑り込む曲芸を見せつけられ、浅葱はこの人は猫のようだと妙に感心を覚えた。

若い人だ。浅葱同じぐらいの身長で腰までの長い髪を団子にまとめ、流している。和装である袴と最新流行の洋装の向けの藁で出来た帽子を違和感なく使いこなす。いかにもな艶男…。

しかし、しっくり来ない。浮世離れしていると感じるのはどこからなのだろうか。浅葱は内心首を傾げた。


「何か最近、この辺で不思議な事が起こっているようなんだが。その件について何か知ってるかい?」

「ご期待に添えなくて申し訳ないが、僕は今日やってきたばかりの余所者なんだ。帝都の話なら幾つか提供できるが、この辺りというと難しいかな。」

「そうか…いや結構、それならそれで日を改めて伺いたい。私は赤羽と言う。一介のジャアナリスト、というやつさ。」


赤羽と名乗った人物は凛々しく真っ直ぐに浅葱を見据えた。


「僕は浅葱。今日からこの館の主人で、しがない商人の息子だ。」

「ようこそ坂鳴へ、浅葱クン。勝手ながら代表して君を歓迎するよ。」


爽やかな笑みで握手を終える頃にはヤカンからけたたましい騒音が聞こえてきた。

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