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五男一女物語

武闘派貴族の一人娘に転生した後

 スイッチを入れたように、突然意識が覚醒した。ぱかりと瞼を開くと、眼前には先程見た時と全く同じ景色が広がっている。


 石造りの天井だ。


 夢オチを期待していたのに、そうは問屋が卸さなかったようだ。という事は、意識を失う前に出会った爆乳美女も、世紀末覇者も実在するのか。ならばここは世紀末か。


「どうしよう‥‥‥‥詰んだ」


 口から乾いた笑いが漏れる。それと同時に、鈴を転がしたような可憐な声が零れ落ちた。


 なに今の?


 ぎょっと目を剥いて辺りを見回す。

 しかし室内には、自分以外の人影は見当たらない。相変わらず武骨な石壁と、木製の家具が置かれているだけだ。


「気のせいか‥‥‥‥」


 一人言ちて、ぎくりとなった。声の出所が自分の口だったからだ。

 咄嗟に喉に手をやれば、その直前に再びギクリと肩が跳ねる。視界に映った自分の手が、到底自分のものとは思えなかったからだ。


 めちゃくちゃ小さい。


 喉にやるはずだった手を引き寄せて、矯めつ眇めつして眺め回した。


 色が白い。肌のきめが細かくて、とても滑らかだ。肌荒れもささくれも見当たらない。しかも爪が桜色だ。じっくりと観察した結果、私の鑑定スキルは肌年齢が八才から十才という驚異の数値を叩き出す。


 つまりこれは、自分の手ではない。


 なんで? どういうこと?!


 ナマ爆乳を見た時よりも、世紀末覇者と遭遇した時よりも、強い混乱に見舞われた。だって自分の体が自分のものじゃないのだ。


 ではここにいる、今混乱している自分は何だ? 我思う故に我があるのに、我ではないとはどういう事だ?


 駄目だ、更に混乱して来た。一旦落ち着こう。


 まず、私の名前は桜木 美咲。受験生だ。

 大学入試を半年後に控え、学校と自宅と塾の往復という灰色の高校生活を送っていた。


 当然彼氏なんているはずもなく、悲しい事にこれまでもいなかった。何故なら我が家は父子家庭で、私は長女だったからだ。下に三つ違いの弟と、五つ違いの妹がいた。ずっと弟妹の世話を焼くのに忙しく、恋をする暇もお洒落をする暇もなかったのだ。


 だからと言って自分が不幸だなんて思った事はない。生意気盛りの弟も、口から生まれたような妹も可愛がっていた。何だかんだと文句を言いつつ、兄弟仲は良い方だった。


 うん、間違いなく私は私だ。


 では次の問題。というか、現状を確認しよう。

 ベッドから降りて、ふらつく頭を支えながらどうにかこうにか立ち上がる。スリッパが見当たらなかったので、裸足のままだ。そこで目線が随分低い事に気がついた。


 鏡がないので実物を見る事は出来ないが、現在の私は八才から十才位の少女はずだ。だがもしかしたら、もっと幼いのかも知れない。


 私は改めて、今の自分の姿を見下ろした。


 ストーン!


 見下ろした結果、そんな擬音が脳内にこだました。


 起伏がない。凹凸もなかった。つまり山もなければ谷もなかった。私はこの肉体の推定年齢を、八才未満と下方修正する。


 ふんわりとした質感の白いワンピースを纏った体は物凄く華奢で、裾から延びる手足は細い。いっそ折れそうなくらいに。更に肌はワンピースの色に勝るとも劣らない程に白かった。眺めていると焦りにも似た危機感を覚えてしまう。


 いや、これって危なくね?


 実年齢は知らないが、これくらいの子供はもっとふっくらとしているはずだ。起伏がないなんて事はない。下腹はぽっこりとしていなければならないし、手足はむっちりしているのが普通だ。それが健康な証拠だ。


 この体の持ち主は、もしかして病気なんじゃなかろうか。


 そう考えると色々と腑に落ちる。

 爆乳美女と会った時も強い眩暈を感じたし、現に今も立ち上がっただけでふらついてしまった。それに一度も陽に焼けた事がなさそうな、白すぎる肌。


 普通に生活していれば、少しくらいは陽にあたるはずだ。けれどこの血管が透けて見えるレベルの白さは、そんな普通とは無縁に思える。多分、というか間違いなくこの体は引きこもりだろう。恐らく病弱故の。


「一体なんの病気なんだろう‥‥‥‥」


 自ら望んだわけではないし、原因なんてさっぱり分からないが、今はこの体の持ち主は私である。多分憑依とか成り代わりとか、そう呼ばれる状態なんだろう。


 という事は、私が入っている今の状態でもしこの肉体が死亡するような事態になったら、私自身は一体どうなってしまうのだろうか。


 最悪の結末を想像して、震えが走った。するとその時、部屋の扉が叩かれる。年季の入った古い木戸が、こんこんと二度ノックされた。そして返事を待たずに開かれてしまう。


「※※※※※※※!」


 現れたのは、爆乳美女だった。彼女は部屋の真ん中で佇む私を目にした途端、大きく目を瞠った。そして何事かを捲し立てながらずんずんと迫って来る。


「な、なに? 何ですか?!」


 その長身と胸部から放たれる迫力に気圧されて、思わず数歩後退さった。すると何の前触れもなく、体落としが喰らわされる。


「な‥‥‥‥っ?!」


 視界が垂直に落下した。痛みを覚悟して目を閉じるが、予想に反して私の背中は柔らかな物に受けとめられる。


「‥‥‥‥」


 どうやらベッドに連れ戻されただけのようだ。


 いや、出来ればもっと丁寧に扱って欲しかったかな。何しろ今の私は推定病弱少女ですから。手足とかヤバイくらいに細いですから。


 しかしそう思って抗議しようにも、言葉が通じない。ここはどこで、私は誰で、今どういう状況なのか。会話が成り立たなければそんな基本的な情報すら手に入らない。


 まいったな、こりゃあ。


 内心で途方に暮れていると、また新たな客人の訪れがあった。爆乳美女に促されて室内に入って来たのは、いい感じに枯れ果てたご老人だった。


 まず一番に目を惹いたのは、ぺかりと輝く頭頂部。次にその両サイドと口許に蓄えられた、真っ白な毛。深い年輪の刻まれた顔は日焼けのせいなのか元々の肌色がそうなのか、微かに赤らんで見えた。かなりのご高齢のようだが背筋はしゃんと伸びているし、歩く姿も全く衰えを感じさせない。


 私の脳裏に某魔法学校の校長の姿が去来した。


 何故ならご老人は、足首まで届く長いローブに身を包んでいたからだ。これでとんがり帽子と杖を持っていれば完璧だっただろう。実際には首から謎の器具をぶら下げているが。

 彼は一体何者だろう? 私に何の用があるのだろうか?


 怪訝に思って眺めていると、ご老人はベッドの前にある丸椅子に腰を下ろした。


「*******」


 そして安定の巻き舌で何やら話しかけて来る。だがやはりと言うかなんと言うか、相変わらずさっぱり分からない。脳内にある知っている外国語検索に一度もヒットする事はなかった。


 ご老人は忙しなく口を動かし、ドゥルルルだのバルルルだの謎言語を話し続けている。だんだん馬語に聞こえて来た。


 私の脳内に広大な牧草地帯を颯爽と駆ける白馬の姿が浮かび上がる。その白馬は牧草をモッシャモッシャと食みながら、鼻息混じりの嘶きを上げた。


 ドゥルルルル!


 眼前にある豊かな口髭が、言葉を発する度にモサモサと揺れ動く。その様が、牧草を食む白馬の姿と重なった。


 駄目だ、もう馬語にしか聞こえない。いいや、頑張れ。ヒアリングだ。聞いて覚えるんだ。耳に馴染めばどうにかなるはずだ。そしてなんとしてでもこちらの言語を習得しなければ。でないといつまで経っても会話が出来ないし、出来なければ状況が分からないままだ。


 私はご老人の声に耳を澄まし、とりあえず彼の言葉を反芻する事にした。


『ここがどこか分かりますかな?』


「ここがどこきゃ、わかりましゅかにゃ?」


 世界が静止した。


 私がご老人の言葉をおうむ返しに放った途端、彼らはまるで稲妻に打たれたように硬直する。本当に稲妻に打たれたかのような反応だった。


 一瞬背筋をぶるりと震わせたかと思うと、顎を落として停止する。その表情に擬音をつけるならば、ガビーンだ。目と口をかっぴらいたままの停止だ。更に火で炙られたように、その顔が瞬く間に茹だって行く。


 八才の童女を前に、ガビーン顔で真っ赤になったまま硬直する老人と爆乳美女。


 なんだこれ。








 半月以上も伏せっていたフォルテシアが目を覚ました。この一大ニュースにメディシュ家は沸き立った。


 しかし家長であるギデオンが暴走する。事もあろうに病み上がりのフォルテシアを振り回し、再び昏倒させてしまったのだ。


 顰蹙を買った。

 四十代という若さで隠居を勧められるくらいに顰蹙を買ってしまった。


 一族の中で絶大な権力を持つギデオンだが、事が血族唯一の女児であるフォルテシアに及ぶと例外である。しかも問題はそれだけではなかった。


「言葉を話さない‥‥‥‥だと?!」


 ハミシュの城砦にある大会議場で、長男のパーシアスが吠える。

 漆黒の髪と眼、端正だが切れ長の双眸と薄い唇がどこか酷薄そうな印象を与える彼は、ギデオンに瓜二つの容貌を受け継いでいる。だがその内面は母譲りで、温厚さと思慮深さを併せ持っていた。


 そんなパーシアスが珍しく声を荒らげている。


「どういう事だ? 回復したんじゃなかったのか?!」


 詰問されてフォルテシアの主治医であるセルテス老医師は、びくりと肩を跳ねさせてただちに直立不動の姿勢を取った。何故ならパーシアスの声で、その場にいる全員から視線の集中砲火を浴びる事になってしまったからだ。


 額から滝のような汗を流しながら、老医師はわななく唇を叱咤してどうにか口を開く。


「お嬢様付きの侍女のモデナによると、話しかけてもしきりに首を捻るばかりで‥‥‥‥聞いた事もない喃語のような言葉をお返しになるとか」


「喃語だと?!」


 老医師の報告に、パーシアスがかっと目を見開いた。とても恐かった。

 だが老医師は勇気を振り絞って重々しく診断結果を告げる。


「何日も高熱が続いたせいでしょう。お嬢様は記憶を失っておいでのようです」


 沈黙が訪れた。


 痛いくらいの沈黙に支配された会議場はしかし、その数瞬後にはけたたましい音に破られる。見ると、パーシアスが椅子を蹴り倒し昂然と立ち上がった所だった。


「フォルテシア‥‥‥‥っ!」


 彼は思い詰めた表情で独語すると、弾かれたように会議場を飛び出して行く。止める暇もなかった。それを額に汗を浮かべたまま見送った老医師は、一拍遅れて我に返る。


 記憶を失って混乱している所に、パーシアスのあの剣幕で詰め寄って来られたら、更に混乱してしまうだろう。フォルテシアの精神状態が心配だ。


 医師として当然の懸念を抱いた老医師は、直ぐ様踵を返すとパーシアスに続いて足早に会議場を後にした。廊下に出ると、そこにはもう彼の姿は影も形も見えなかった。さすが脳筋種族、足が速い。


 感心すると同時に嫌な予感に襲われた老医師は、老体に鞭打って小走りに狭い通路を突き進んで行った。城砦と言うだけあって、幅が狭く天井の低い通路は妙に圧迫感がある。窓も小さなものが胸の高さ位の位置に横並びに設けられているだけなので、心なしか空気が薄く感じてしまう。


 ひぃひぃと喘ぐような呼吸を繰り返し、老医師はこれまた狭い階段を転げ落ちるように駆け下りた。そうして二階通路の最奥にあるフォルテシアの部屋に辿り着くと、扉のノブにかじり付く。すると中から、パーシアスのひきつった声が聞こえて来た。

 悲鳴とも歓声ともつかない、奇妙な声だった。


 遅かったか。


 半ば諦めにも似た気持ちで、老医師は部屋の扉を押し開く。するとそこには、フォルテシアを前に踞る奇声の持ち主の姿があった。


 パーシアスは冷たい石床に四肢を着いて、小刻みに震えていた。それを侍女のモデナの腰にすがり付きながら、どこか怯えた表情で眺めているのが渦中の人物──フォルテシアだ。


『フォ、フォルテシア! 私はパーシアスだ! 君の兄のパーシアスだよ?!』


 パーシアスがフォルテシアに向けて手を延ばす。自分の事を全く覚えていないフォルテシアに、ショックを受けたのだろうか。その表情は苦痛を堪えるように歪んでいた。

 だが頬は上気し、瞳は微かに潤んでいる。そして心なしか息が荒かった。


『も、もう一度っ! どうかもう一度私をパーシアスお兄様と呼んでくれないかっ?!』


 自分の名を言い聞かせるように連呼するパーシアスに、侍女モデナの表情が不自然に緩む。罪人をそうと知っていながら見逃すような、聖母のそれだった。


 対するフォルテシアはパーシアスの余りの剣幕に一層怯えたような表情になり、身を竦ませている。だが何度も連呼される名前にその意図を察したのだろう。ややしてから躊躇いがちに口を開いた。


「ぱ、ぱーちあちゅ‥‥‥‥おにーたま?」


 こてんと首を傾げてパーシアスの顔を窺うように覗き見る。身長差がありすぎるせいか、それは自然と上目遣いになった。


『かはぁっ!』


 王国最強の男の嫡男が、戦わずして敗北した。


 不自然に息を詰まらせて床に沈んだパーシアスを、モデナは生温い目でただ見守る。その表情は、聖母のそれから菩薩のようなものに変化していた。


『もっ、もう一度! どうかもう一度!』


「ひょっ?!」


 暫し何かを堪えるように、石床をかりかりと引っ掻いていたパーシアスだったが、突如かばりと身を起こす。起こしたと同時に何を思ったか、予備動作なしに跳躍するような勢いでフォルテシアの下半身に縋り付いた。素晴らしい脚力だった。


「ななななに! なんなんですか?!」


『私の名前はパーシアス! パーシアスお兄様だよ!』


 飛び付いて来たパーシアスを振り払って、フォルテシアはモデナの背後に回り込む。


『さぁっ! パーシアスお兄様って言ってごらん?!』


 フォルテシアを追って、パーシアスもモデナの背後に回り込んだ。

 

「なんなんですか? 一体なんなんですか?!」


 それを避けて、フォルテシアは今度はモデナの正面に逃げる。


 モデナの周囲をくるくると回り出した二人に、当のモデナの顔からは一切の表情が抜け落ちて行った。この短時間で、無我の境地に辿り着いたようだ。


 さて、一体どうやって収集をつけたら良いのやら‥‥‥‥。


 老医師は窓の外に広がる青空に目を投げる。その表情は、なぜか菩薩のようなものになっていた。


‥‥‥‥という短編としては長めなお話。

きっと続かない。

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