其の一 出逢い
薄く靄のかかった早朝、俺はいつものように少しだけ雨戸を開けて自分の部屋から庭に降りた。
氷の張った池に映るのは、肩まで伸びた焦げ茶色の髪を項で結え、藍色の着物に深緑の綿入れを羽織った二十歳位の青年の姿。
それが俺、伊勢崎隆生。
建物に沿って庭を歩いて行きながら取り留めない思いに囚われる。
時間の流れから取り残されて、もう何年が過ぎたのだろう。
本来ならもう老人と言ってもいいはずの年齢なのに、俺の身体は少しも老いる事がない。
世の中は大きく変わったけど、街から離れたこの土地では、いまだに昔ながらの風景が広がっていた。
老いる事のない身体は、めまぐるしく変わっていく世界で周囲に置いていかれるような気がしてたまらなく不安になる。
そんな時に俺が向かうのは、屋敷の裏庭にある一本の桜の樹の許だった。
その樹はこの屋敷と外を隔てる林の手前にある。
樹齢はどのくらいになるのか知らないが、俺がこんな身体になった頃にはもう今と同じ姿だったと思う。
「あれ……、何だ?」
ふと見上げた桜の樹の上に人影が見えた。
見間違いかと立ち止まり、何度か目を擦ってみてもそれは消える事なく樹上にある。
不審な気持ちを抱え足早に桜に近づくと樹上の人物を見上げた。
「あんた、誰?」
俺が声をかけると、その人物―容姿から察するに男性―は無言で俺を見下ろした。
男は濃灰色の着流しで腰に一振りの太刀を佩いており、その髪と瞳は黒のようにも濃い緑のようにも見える。
「ここ、一応私有地なんだけど、どうやって入ってきたんだ?」
「……気付いたらここにいた」
なおも無言の男に向かって問いかけると、低いけどよく通る声で男が答えた。
「なんだ、ちゃんと話せるんじゃないか。
俺は隆生。一応ここの主。で、あんたの名前は?」
「……マサキ」