境界線アネスト
一目惚れだったと思う。
少しでも衝撃を与えれば折れてしまいそうな程細い手足。
長い睫毛。
ふわりと束ねた髪。
儚げな容姿と裏腹に真っ直ぐな瞳。
初めて会った日に、俺は、麻里奈に恋をした。
「麻里奈」
教室から出て行こうとするあいつを呼び止める。
ゆっくりと振り向いた麻里奈は、俺を見て少しだけ笑った。
可愛い。
だなんて、そんなことばかり思う。
バレないように顔を引き締めた。
「今帰り?」
「うん」
「じゃあ、一緒に帰ろう?」
そう誘って貰えたのが嬉しくて。
俺は小さく頷いた。
そのまま2人で歩き出す。
《あの2人って…》
《ほらやっぱり!》
周りがそう囁く。
別に俺らは付き合ってる訳じゃない。
確かに俺は麻里奈をそういう意味で好きだ。
でも、恋仲になろうなんて思わない。
こいつが望んでいないことを知ってるから。
だから俺はこのまま『親友』として隣に居ることにしてる。
それが最善策だと思ってるから。
我ながら卑怯だと、心の中で嘲笑した。
中1の秋に麻里奈は転校してきた。
親の反対を押し切って、陸上部のマネになったらしい。
何でも完璧にこなす姿。
サポートの上手さ。
非の打ち所など無く、麻里奈は密かに男子からの人気を高めていた。
彼氏でもないのに、独占欲を露わにして。
少しでも傍に居たくて、仲良くなろうと頑張った。
結果、今のような関係になれたけど。
麻里奈は覚えてないだろうけど、仲良くなれたキッカケなんて些細なことだった。
部活で遅くなった麻里奈を家が近い俺が送ってた時に想像以上に話が盛り上がったから。
ただ、それだけ。
それでもあの時の嬉しさは半端無かった。
思い出しただけで笑みが零れそうになったから、誤魔化すために話題を探す。
どう頑張って頭を働かせても、思い浮かぶのは部活のことしかなくて。
「引退すると練習無くてつまんねーな」
話題量の少なさに膝をつきたくなる。
これからは話題の仕入れ頑張ろ。
「私はたまに参加してるけど…」
少し申し訳なさそうに麻里奈が告げる。
まじかよ。初耳。
最近願書の提出とかで忙しかったから、全然わからなかったな。
隣では麻里奈がクスクス笑ってるし…。
恥ずかしいし、知らなかったのが何より悔しい。
っていうか、俺が一人じゃ参加しにくいのわかってるならさ。
「俺も誘えよ…」
「勉強。」
「え、声出てた?」
「うん」
勉強と聞いて嫌になったのと、声が出ていたことの恥ずかしさから俺は何も言えなくなってしまった。
そして、話題も思いつかない。
なんなんだ、この俺のコミュ能力の低さは。
我ながら呆れる。
ふと前を見上げれば見慣れた、笑顔が遠くに見えた。
少し茶色気味の癖っ毛の少女。
その隣に立つのは俺らの学校とは違う制服を纏った地毛茶猫っ毛の男子。
「あれ、来花達じゃね」
そう俺が呟けば、麻里奈はハッとしたように前を見た。
…こいつ、また何処かに意識飛ばしてたな。
少しだけ呆れつつ、眺めていると麻里奈の目が輝くのがわかった。
「約束してたのかな?」
あぁ、そういうことか。
こういう約束を見るのがこいつは大好きだからな。
「来花達なげーよな」
「もう2年は経つよね」
そう嬉しそうに言った麻里奈が可愛くて。
麻里奈が編入する前からだから、そのくらいは経ってるのか。
とか考えながら麻里奈とクスクス笑いあった。
最近、面白いことねーし。
来花達つけようかな。
そう考えたら少しだけ面白くなった。
「何か、企みで?」
呆れながら麻里奈が覗き込む。
やっぱりバレてるか。
「その通り。つけるぞ」
俺がそう言うと麻里奈は更に呆れて、そして少しだけ悲しそうな顔をした。
「走るの?」
そう小さく尋ねてくる。
「走らなきゃ追いつけねーだろ」
そう俺が何も考えずに言葉を返す。
「あはは、無理かな。」
そう言った麻里奈の顔には苦笑いが浮かんでいて。
少しだけ、泣きそうな顔をしていて。
何も考えなかった俺を殴りたくなった。
憶測でしかないけど「つける」っていう俺の意見には賛成してくれてると思う。
でも、ただでさえ少しでも走り過ぎたらぶっ倒れるような奴だ。
「俺についてこい」だなんて言ったなら、なんて鬼畜なんだろうか。
数十秒前の自分の軽々しい言動にどうしようもなく苛立って、舌打ちをした。
そして、朝に自転車で学校に来たのを思い出して止めた場所に向かって走り出した。
自転車なら、麻里奈も大丈夫だろう。
そんなことだけを考えて。
俺は、なんで一つのことに夢中になると周りが見えなくなってしまうのか。
そう後悔するのは、数分後のこと。
多分、3分くらいしか経ってない。
だから歩いていても追いつけると思った。
でも、俺が走り出した所に戻ってみれば、ただ俯いて立ち尽くす麻里奈が見えた。
なんでここにいるんだ?
そんな疑問を持ちつつ、自転車のベルを鳴らす。
全力で漕いで来たせいで、相当息切れを起こしていたから出来るだけ息を整えて。
声をかけようとした。
のを、少しだけ躊躇った。
振り返った麻里奈の顔が泣きそうに歪んでいたから。
その時やっと気がついた。
舌打ちされて走り去られたら、体の弱い自分が見捨てられたように感じるに決まってる。
ただでさえ体が弱いのをネックに思ってるのに。
なんで俺は考えなかった?
なんで、こいつを傷つけるような事をした?
「ふゆ、と…」
今にも消えそうな程に、小さく細い声。
それ以上聞きたくなくて。
遮るように「乗れ」と言った。
麻里奈の言葉も聞こうとしないで俺は謝る。
そのまま顔を覗き込めば、小さく笑ってくれた。
それでも、困ったように笑うのは俺と2人乗りが嫌なのか、それとも根本的に2人乗りを心配してるのか。
「早く」
そう言って俺は視線で乗れ、と言った。
なんでこんな偉そうにしか出来ないんだよ、俺。
もう本当に泣きたくなってくる。
「んー……」
項垂れてる俺の頭上から唸り声が聞こえた。
見上げれば苦笑いを浮かべる麻里奈。
悩んでるな。
でも俺と2人乗りするのを嫌がってる訳では無い………と願いたい。
「乗らないの?」
「つけたいんだけどね?
2人乗りっていいのかなぁ…」
あぁ、やっぱりそっちで悩んでるのか。
なら無理矢理にいくか。
というか、元々俺は強引だし。
「ーったく、来花達見失うだろ」
そう言い捨てて、自転車を立てる。
そのまま麻里奈を引き寄せて、華奢な身体を傷つけないようにリュックを強奪。
そのまま自転車の籠に入れる。
俺は基本置き勉の為、リュックはスカスカだから籠のスペースは余裕だった。
そして呆然とする麻里奈を抱え上げる。
「ちょ、冬都!?」
そう言って足をバタバタさせる。
それでも軽いってなんだよ。
「暴れんなよ、つか軽」
そう俺が呟けば、大人しくなった。
心無しか、少しだけ頬が赤い。
大人しくなったのを見計らって俺は麻里奈を荷台に乗せる。
風が冷たいから冷やすことのないように上着を着て貰わねーとな。
身体を壊して欲しくないし。
上着を脱ぎながら麻里奈を見れば不服そうに頬を膨らませている。
これ以上見ると俺の心臓が持ちそうに無いので、ぶっきらぼうに上着を投げた。
反論の言葉も、悪いが聞かなかったことにする。
そのまま自転車に乗ると、麻里奈は諦めたのか、大人しく俺の上着を着た。
「掴まっとけよ」
そう囁いて漕ぎ始める。
遠慮がちに麻里奈の細い腕が俺にしがみつく。
あぁ、このまま俺のものに出来たらいいのに。
後ろに人が乗ってるとは思えない程軽くて。
落としてしまうのではないかと不安になった。
「麻里奈」
俺は思わず名前を呼んだ。
「何?」
いつもと変わらない声が返ってきた。
ちゃんと乗ってるか?
なんて恥ずかしくて言えなくて。
「なんでもない」
そう言って笑った。
ごめんな、麻里奈。
本当は来花達なんてとっくに見失ってる。
ただもう少しだけ一緒にいたい。
いつもの俺の我儘に付き合ってくれ。
「変な冬都」
そう言われてビビった。
心が読まれたかと思った。
ただの、さっきの言葉の返事なんだろうけど。
「うっせ」
俺はそれだけ言い捨てる。
後ろでクスクス笑う声が聞こえた。
俺の大好きな笑い声。
「ねぇ冬都?」
そう呼びかけられたと思ったら、自転車のことを聞かれる。
興味だけなんだろうけど、少しだけ罪悪感。
まぁチャリ通をやめる気は無いけどな。
勿論、麻里奈もわかってる。
だからこそわざと俺をこのネタでいじるんだ。
俺の心象もあるのだろうけど風が一層冷たく感じる。
後ろに乗る麻里奈に寒くないか問いかけた。
「へーき!」
いつもより大きめな声が返ってくる。
元気そうで安心した。
こいつは無理する奴だから。
自分より周りを優先する奴だから。
本人は至って無自覚だけど。
「麻里奈は、無理するようなやつだからな。」
自覚してもらいたくて、呟く。
どうせ首を傾げてるんだろうけど。
去年の合唱祭のときに怒った記憶がある。
というか、麻里奈は全体的にそうだ。
体調が悪いくせに部活で倒れるギリギリまで動く。
貧血気味の自分を放置で、走り終わった奴の補助に行く。
非力なくせにドリンクづくりを全部1人でする。
ミスはないけど、心配になる行動が多いんだよ、こいつは。
俺が少しだけ回想に浸っていると、後ろから笑い声が聞こえた。
「どうした、急に笑い出して」
そう問い掛ければ麻里奈は笑ったままで。
「何でもないよー。私だけの秘密っ!」
そう言うと同時に、力を抜くように息を吐いた。
少しだけ、懐かしさを帯びた声で
「内緒だもん。」
と俺の背中に顔を埋めた。
「…変な麻里奈。」
そう俺が言えば、麻里奈は「お互い様だよ」と返してくる。
そのまま、何も言わずに俺らは黙り込んでいた。
急に背中が涼しくなった。
麻里奈が顔を上げたのだと解る。
「…来花達は?」
呆れを含んだ声で問いかけてくる。
本当はわかってるんだろ?
俺がとっくに見失ってることくらい。
「見失ったな」
そう吐き捨てるように呟けば、麻里奈は「ドライブだ」と笑った。
俺が自転車だけど、と訂正すれば
「たまには、いいんじゃない?」
と言いながら、しがみつく腕の力を強くした。
こんな仕草するって事はドライブする気だと俺は受け取るぞ。
小さく賛成の言葉を呟き、進行方向を変える。
目的地はあいつが好きだと言った丘。
この時間なら最高の景色になるだろう。
「桜雪丘の方、行くぞ」
「冬都君の仰せのままに。」
そのまま、麻里奈は何も言わなくなった。
俺さ、わかってるよ。
お前が俺に恋をしないことくらい。
だから期待とかそんな不確かなことはしないんだ。
それでもいい。
それでも愛してる。
お前が望んでいなくとも、俺はお前の傍にいたい。
だから『親友』でいさせてほしい。
その心地よさは嫌という程わかっているから。
恋慕を向ける=付き合いたい
そんな単純な方程式などいらない。
麻里奈の傍に居られるのなら、どんな関係でもいい。
俺から壊す気は無いし、麻里奈が何をしても壊そうとも思わない。
麻里奈がずっと傍にいたいと思う人が出来た時すら、離れられるかわからない。
でもそんな先のこと考えるのも面倒だから。
《今》どんな形だろうと麻里奈の隣にいるのは俺だ。
その事実は誰がどう足掻こうと変わらない。
だから俺はお前の隣で、お前を愛し続けるよ。
《なぜ望まないんだ。》
そんな周りの御託は聞き飽きた。
周りにどう思われようが構わない。
俺の愛はこれだから。
桜雪丘に着く。
気がつけば青い空は橙へと染まり、藍色に変わろうとしていた。
ほら、やっぱり丁度いい時間だ。
周りを見渡しても誰もいない。
「着いたぞ」
俺はそう言うと自転車を停めて、後ろを向いた。
麻里奈は周りを見て、目を輝かせる。
「降りるね」
そう言ってそのまま地面に足をつけた。
麻里奈は周りを見渡して、そのまま頬を緩ませた。
「綺麗だね」
そう言った時のその顔に見惚れてしまった。
すると視線に気がついたのか、麻里奈はこちらを向く。
そのまま、ゆっくりと微笑んだ。
その笑顔は何処か悲しげで。
それでも頬が紅潮するのがわかった。
「ねぇ、冬都」
誰もいない丘で、麻里奈の声だけが響く。
「何?」
俺は小さく返事をした。
真っ直ぐに俺を見る目で、なんとなくわかってしまった。
今から言われることが。
「ずっと友達でいてくれる?」
やっぱりな。想像通りで少し怖い。
《友達》という言葉を口の中で転がした。
本当は気がついてるんだろ?
ただでさえ麻里奈は人の感情に敏感なんだから。
俺がお前に恋慕を向けていることくらい。
それでも『親友でいろ』だなんて、少し酷。
でもな、俺だってわかってるよ。
怖いんだろ?
俺の気持ちに応えることで何かが変わってしまいそうで。
だから【恋】をする気が無いんだろ。
それでもいいよ
ずっと『友達』はいずれ俺が耐えられなくなるかもしれないけど。
我慢強い方じゃ無いし。
それにその眼差しで見つめられたら期待するぞ。
そんな、愛しいものを見るかのような熱に帯びた悲しげな瞳で。
「友達でいれるかはわからない」
そう俺が呟けば、少しだけ顔を歪める麻里奈。
ちゃんと続きがあるから聞いとけよ。
「でも、俺はずっと一緒にいたいと思うよ」
ハッキリと麻里奈を見て言った。
麻里奈は少しだけ驚いて、遠くを見つめる。
「そんなこと言ったら、甘えちゃうよ?」
そんなのいいに決まってるのに。
なんでこいつはこんなに悲しげに笑うんだ。
自惚れてもいいなら。
こいつも俺と同じことを思ってるのかもしれない。
でも俺の【恋】には応えられないということなのか。
【愛】になら応えられるというのか。
そんなのどうでもいい。
「いつまででも待っててやるよ」
雑に頭を撫でた俺の手に触れながら麻里奈は小さく謝った。
もういいや、言ってしまえ。
「俺は、ずっと麻里奈を愛してるから」
顔なんて見れなくて。
耳元で囁く形になってしまった。
顔が赤くなる。頭が熱くなる。
逃げるように俺は自転車に乗った。
麻里奈が後ろに乗るのを確認して、漕ぎ始める。
なぁ、麻里奈。
俺に恋なんてしなくていいよ。
だから、愛してよ。
火照った体に、冬の風。
気持ちいいくらいに爽やかだった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
想像以上に長文となりましたね…笑
これは「私は、貴方に」のアナザーストーリー的なものですね。
まぁ、逆のパターンも考えられますが笑
とりあえずここまで書けて嬉しいです。
次回は不器用の投稿となると思います。
親友に『早く更新しろ』と急かされちゃいまして。笑
では、また。
ありがとうございました!