第2話 メイドと執事
王宮には執事とメイドはつきものですね。現国王マサト視点です。
私の国王として初めての緊急軍務会議は、おじいさまが見守るなか終わり告げた。
私は、居室に着いて早々に金髪の可愛らしいメイド騎士メリルにお茶を頼む。
柔らかなソファーに腰を沈め、両手をそのまま天に突き上げて緊張で固まった背筋を伸ばす。
しばらくして、メリルが爽やかな香りのハーブティーと蜂蜜がかけられたスコーンを用意してくれた。
ハーブティーの爽快な香りと頭に詰まっていた倦怠感が供に鼻を抜けていく、スコーンの優しい食感と蜂蜜の濃厚な甘さが疲れた身体に新たな活力を漲らせてくれる。
この可愛らしいメイド騎士メリルによって齎された幸福感に浸りながら、先ほどの会議を思い返す。
『初代さまに振り回された感があるな。』そう、自分の祖父に思いを馳せた。私にとって初代さまは、優しいおじい様でありながらも、やはり世界を魔王から救った伝説の勇者様だ。
成人して国王になった今でさえ、已然その圧倒的な力に畏怖すべき存在である。そんなおじいさまが見守られながらの会議は、キチンと国王として職務を全う出来ているか不安と緊張を私に齎すものだった。
何より、私は、おじい様の名の一字を頂いていた正人の名を誇りに思っていた。
おじいさまのいた世界の言葉で〈正しき者〉と意味するらしい。
名に恥じぬ王に成りたいものだ。
ところで先程の会議は本来なら2つの議題があった。
一つ帝国の侵攻について。
もう一つは、初代さまについてである。
初代さまは、その存在自体がユスティーツ王国の臣民の心の柱であり、軍事的抑止力である。
そんな初代さまが、おばあ様がお隠れになってから3か月もの間、一切お姿をお見せにならずに南の離宮の居室に籠られていたのだ。
最悪の場合を考えて色々と調整する必要が出てきていた。先の帝国の侵攻も初代さまが病に臥せっているとそのような情報が国内外に広がったためといえる。
会議場におじいさまの元気な姿を見たとき、先ほどのグライヒハイト卿では無いが『これで万事問題ない。』と安心してしまった。
しかし、当の本人は国政の取決め通り一切関与しないと早々に宣言なさると口を噤んでしまった。
とはいえ、本人のいる前で死んだ後のことを話し合える訳もなくこの議題は棚上げされてしまったのだ。
いずれは議題としなければならないのだが、“いまでない”ことに、ほっとしている自分に気づいたが深く考えるのを止めにした。
そして、目先の問題の方に意識を向けて、静かに目を閉じて思案に暮れる。
『戦争か・・・。』意味もなく、心の中で呟いた。
トン・トン。
暫く目を瞑り自分の中の世界に浸っていると、ノックの音が私を現実に呼び戻した。
返事を返す前に扉が開かれる。
しかし、扉の向こう側には、誰も居なかった。
『いや。いる!』
内側に開かれた扉の陰から銀の光が放たれる。
私の右側に控えていたメイド騎士のメリルの左腕が一度ぶれた。私の前にメリルが先程まで手にしていたトレイがある。
トレイには、銀色に輝くナイフが刺さっていた。
そしてメリルの右手は、何かを投げた形で止まっていた。
メリルの頬を一筋の雫が落ちる。メリルの眉間5cmほど離れた宙に黒く塗られたナイフが透明感な板に刺さる様に止まっていたのだ。
「メリル!気を抜き過ぎだ!」
耳に心地いいバリトンボイスが部屋に響く。
扉の影から果物ナイフを右手でお手玉のように弄びながら、50代後半の柔和な顔が印象的な黒い燕尾服を着た執事が出てきた。
この執事は、上皇陛下、つまり私のお父上の専属の執事、セバスであった。
このセバス、元は聖アイリス教会の暗部に所属しおじいさまを暗殺するためにこの国に来たが、当然暗殺に失敗し、紆余曲折を経て現在は父上の執事に落着いたという変わった経歴を持つ。
城の侍従たちのまとめ役と暗部の経験を生かしてメイド騎士団の指導役を兼任している。
余談であるが、セバスは、抱かれたいおじさまランキング1位とメイドたちが話していたのを耳にしたことがある。
陰のあるダンディーな立ち居振舞いと仕事には厳しく、プライベートに時折みせる優しさと蕩けるような笑顔、そのギャップにメイドたちは萌えるそうだ。もちろんオヤジギャグなんて言わない。
因みに、2位はお父上らしく、おじいさまは殿堂入りなのだとか・・・。さすが、おじいさま。
「国全体がきな臭くなって来ている。いつ帝国から暗殺者が放たれているかもしんのだぞ。メリル。」
「セバスさま、お言葉ですが、陛下は確とお守りしております。」
「おのれは、陛下にお守り戴いてか?」
メリルに向けて放たれた漆黒のナイフを止めたのは、マサト陛下の魔法である加護障壁であった。
「・・・・・・」
「よいか。将を射んと欲すれば、まず馬を射よ!王族や高位貴族は、強い加護力を持つ方々ばかりだ。そのような方々を暗殺するためには、ただナイフや矢を放てば良いという訳ではない。分かるな。」
「・・・・・・」
「投げナイフや毒矢などの物理攻撃では、無意識に張られる加護の障壁にて無効化される。」
セバスは、メリルを睨みつける。
「いま、身を持って護られているのだから分かるだろう?」
メリルは目の前のナイフを睨みながら下唇を噛んだ。
そんなメリルの様子を気にもせず、セバスは、今もメリルの目前の宙に刺さっている漆黒のナイフを引き抜きながらメリルへの説教を続ける。
「また、魔法による長距離からの暗殺はあり得ない。魔法は、文化や地域又は種族の違いで多種多様であるが、加護力を魔法に変換している点で共通している。そして、遠距離からの魔法による狙撃時に発せられる加護力は距離に比例して強力なものにならざるを得ない。加護力は、強力になれば、なるほど感知し易くなる。熟練の護衛や強い加護力を持つ者に対しての遠距離魔法攻撃は、拡声器で『これから魔法で攻撃しますよ。』と知らせることと同義である。ゆえに魔法による遠距離からの暗殺はあり得ない。」
漆黒のナイフの状態を確認して胸ポケットから純白のハンカチーフを取り出して、ナイフの刃を軽く拭き、そのまま上着の中にあるだろうホルスターに漆黒のナイフを仕舞う。
メリルの正面に立ち、セバスは言葉を続けた。
「いくつかの例外は有るものの、暗殺者はターゲットに接触し直接刃を突き立てなければならない。よって、その接触に邪魔な護衛や侍従を先に仕留めるのがセオリーとな」
メリルの正面にいたはずのセバスの姿が消える。
「る。」
一瞬にしてセバスは、メリルの背後に廻り抱きついて、右手に持った果物ナイフを彼女の白く透き通る細い左首筋に添えていた。
私は、『いや~、抱きつくことないでしょ。』と、どうでもいいことが頭を過ったが顔には出さず二人の様子を見守る。
「また、暗殺の成功率と脱出の可能性を高めるためにも、応援を呼ばれることの無いように護衛や侍従の排除は迅速に行われる。そしてターゲットを孤立させ、その凶刃を振るう。相討ちも悪手だ。敵は一人とは限らぬ。初めから暗殺者のうち一人が護衛と相討ち狙いを仕掛けてくることもある。残った者が、ターゲットを殺害できれば任務達成となるのだから、必要な犠牲として仲間を囮に使うのは常套手段と言えよう。」
メリルの首から果物ナイフを離し刃の部分を先ほど漆黒のナイフを拭いたハンカチーフで包みメリルの前に差し出す。
この護衛の基礎と言える講義を行うセバスの顔は微笑んでいるかの様に優しく柔らかなものであるが、その細く垂れた目は冷たい光を放ち、またその口調は淡々としたものであった。
メリルは、僅かに震えていた。それは悔しさからか。拳を強く握りしめて今にも泣きだしそうな顔を己の主に見えないように俯いて。
見ていて、さすがにメリルが可愛そうになり私は助け舟を出すことにした。
「セバス!もういいだろう。メリルも反省している様だし。」
「マサト陛下、大切なことでございますので…。」
「セバスよ、メリルはそれほど大きなミスをした訳では無かろう。彼女は、確と私を守ってくれたぞ。お前が先ほど言ったように私には、強大な加護力による障壁がある。メリルを私の張る障壁内に供に囲うことが出来る。よって、メリルが討たれることはあり得ないのだよ。現に、先ほどもそうであったであろう。ならば、一刻も早く敵を屠るためにも即座に反撃するのも悪手とは一概に言えぬ。」
これは、単なる結果論から導かれた屁理屈にすぎないが、セバスに『もうよさないか。』と言う意味を込めての発言だった。
「それは、そうでございますが。」
セバスは、私の屁理屈の意味を正しく理解して肯定の言葉を返してくれる。暫しの間、まだ言い足りなげな様子でメリルを睨んでいたが、“はぁ”とため息をつく。
「盾は、決して主より先に砕けてはならない。ゆめゆめそのことを忘れぬように。」
セバスは、最後に教訓めいた言葉をメリルに贈った。
因みに、その言葉を忠実に守ったメリルが、マサト陛下の生涯最大の危機を救うことになるが、これはまた別のお話で。
「ところで、セバスよ。何か用があって此処に来たのではないのか?まさか、メリルをいじめに来た訳ではあるまい。」
「おお、さようでした。」
セバスは、わざとらしく大仰に胸の前で手を打つジェスチャーを交えながら頷いた。その表情は、まさしく人好きする笑顔で先ほどまでの鋭い眼光もどこかに消え失せていた。
「陛下、お父上が居室でお待ちです。すぐにいらして欲しいと。」
セバスは、私にそう告げて、右手を胸に当てて恭しく頭を垂れた。
『しかし、お父上と来たか。』セバスは、決して公私混同することはない。
公の場合、父上のことを上皇陛下と呼ぶ。
お父上と言うからには、私的な呼び出しであることを示唆していた。
私は、父上から何かお小言でも頂戴するのではないかと顔を曇らせた。
カップのすでに冷めて温くなって残っていたハーブティーを一息に飲み干して居室を後にした。
見切り発車だから更新が遅くなってます。