マザー
傷の治りは順調だった。
一日目で座って会話と食事をできるようになり、二日目で歩行が可能に、三日目で日常生活に支障が出ないほどには回復した。
「ほんとにすごいのね、能力持ちって。」
プライムが外に干していた洗濯物を取り入れながら言う。
陽がかたむき、西日が地面に孤児院の大きな影をうつすころだった。
「だから前に僕が言ったでしょう、一線を超えてないから大丈夫です、と。」
プライムの作業を手伝いながらマザーは少し不満げだ。
いつも洗濯物の取り入れを手伝っていたシータの代わりに、この三日間はマザーが手伝っている。特に今日はシータが手伝うと言ったのにプライムがマザーにやらせているためになおさらだ。
「でも、私が一線を超えてないってどうしてマザーはわかったの?」
シータはマザーに尋ねる。
シータも手伝うと言った成り行きでとりあえず一緒に外に出てきている。
「僕が今まで見てきた死者の傷より、シータさんの傷の方が浅かった。ただそれだけの簡単なことです。」
「ジュニア、それって医学的根拠はないってことじゃない?」
「ですが帰納的根拠があったわけです。」
恐ろしいことに、マザーのただの経験則でシータの傷は大丈夫だと判断されていたようである。シータは今更ながら自分の捨て身の反撃が危なかったことを認識する。
「でも、いつマザーはそんなにたくさんの傷と死者を見たの?」
疑問を述べてからシータは、しまった、と反省する。プライムが明らかに強く反応していたからだ。
「いや、別に答えなくてもいいわ。その……」
シータは慌てて自分の発言を取り消す。しかし、
「昔、軍にいたからです。」
マザーが抑揚のない声で喋る。まさかマザーが答えると思っていなかったのかプライムは驚いていた。同時にシータにとっても衝撃的な内容だった。
「僕は自分の能力で何人もの敵兵を倒していましたから。どれだけ傷つければ死に至るのかの判断は容易です。」
マザーはなんでもないことかのようにさらりととんでもないことを述べる。やはりマザーの力は戦場で使われていたのだ。
「ジュニア、そういう話はやめましょう。」
プライムが待ったをかける。マザーが戦うことにプライムが否定的だったのは兵士時代のことをマザーに思い出させたくなかったからだろう。
三人に沈黙が訪れる。
だがそれも一瞬だった。
マザーが突然背筋を伸ばす。つられてプライムとシータも反応する。
まさか。
しかしその予想はあたっていた。
「プライム、敵が来ます。」
そんな、とプライムが思わず声をあげる。
「だってシータさんも完治はしてないのよ。いったい誰が戦うのよ。」
プライムの声は半ば悲鳴に近かった。確かにシータはまだ戦闘が出来る状態ではない。つまり答えは一つ。
「僕が孤児院を守ります。」
プライムは再び、そんな、と声を漏らす。だが今度は諦めの色が混じっていた。
「大丈夫です。僕は強いですから。」
「そういう問題じゃないわよ……」
「ほら、早く子供たちと奥の部屋に隠れて下さい。」
「…………」
プライムはしばらく黙って立ち止まっていたが、やがてわかった、とだけ言って建物へと入っていった。
「さあ、シータさんも中へ。」
「いや、私は残るわ。」
あくまでもシータは護衛だ。戦える状態ではないが、Cランクであると牽制すればそれだけで戦わずに済むかもしれない。
「シータさん、あなたが強いということを、恐らく向こうは承知していると思います。」
「えっ?」
自分の心の内をマザーに見抜かれ、更に言えば自分の存在を相手が知っているというマザーの推理によりシータは動揺する。
「な、なんでそう思うの?前から三日しか経ってないから?」
マザーの推理の理由でシータが思いつくことは間隔の短さしかない。
「それもありますが、そもそも前回の三人組の時点でここに調査に来ていた様子でした。」
マザーの言葉にシータは三人組の会話を思い出す。確かに任務がどうだなどと言っていたような気がする。
「その三人を倒してからたった三日でまたやって来ているのですから、何かあると思っているはずです。げんに……敵は三人います。」
「!!」
シータは愕然とする。
敵が三人、能力持ちだったラムダがいた前回の三人組より、きっと強いに違いない。少なくともCランクが二人、ひょっとしたらBランクだっているかもしれない。
「ですから、僕に任せて早く中へ入って下さい。」
「任せてって、あなた一人で三人も倒せるの!?」
「シータさんがいても変わりません。」
あくまでも冷静にマザーは対話する。
今の状態のシータではくやしいが確かに何も出来ない。いや、シータが万全でも敵がBランクならばマザーに頼らざるを得ないかもしれない。
「間に合いませんでしたか……」
シータがどうしようかと迷っていたのがいけなかったのか、相手が素早いのか、遠方に人影が見える。マザーの言う通り三人だった。
「あなたの力を信じてもいいのよね……?」
シータはマザーの顔を窺う。真面目な表情はまだいつものマザーだ。
「Bランクまでなら大丈夫です。」
マザーは信じられないことをさらりと言う。もし本当ならラグランジェは惜しい戦力を逃してしまったものだ。
敵は確実に近づいてくる。
一人は大柄な男性、一人は小柄な女性、共に黒の鎧を身に纏っている。ぱっと見の年齢的にも、二人の発する気の感じからもかなりの手練れであることが伝わってくる。
仮に自分が万全の状態であっても敵わない、シータがそんな印象を感じとってしまうほどだった。
だが一方でもう一人、老齢の紳士からは力の差を感じない。そもそも鎧も軽い簡易的なものしかつけておらず戦闘要員ではないのかもしれない。
シータはマザーの言っていた調査という言葉を思い出す。
「おい、エムじい、ここであってんのか」
大柄な男性が老齢の紳士に向かって喋る。
「ボイル、よく見なさいよ。あそこに恐い顔した人が二人いるじゃない。」
小柄な女性がたしなめるように喋る。男性の名はボイルと言うようだ。
「うっせえなシャルルは。俺だってその二人は見えてるさ。ただラムダたちを倒した兵士が見当たらねえって言ってんだよ。」
女性の名はシャルルというらしい。シータは今、鎧を着てない。そのせいで兵士だと思われていないようだ。
「ボイル様、下手に情報を流さないで下さい。」
エムじいと呼ばれた老齢の紳士が少し慌てる。ボイルと呼ばれる男性は己が負けるわけがないと思っているのか少しも気にしてないようだった。
「おい、そこの二人、何か知ってるだろ。死にたくなかったら三日前、ラムダを倒した兵士の情報を教えな。」
男は叫ぶ。さすがに自殺しましたと言ったところで相手にはしてくれないだろう。シータとしては戦いを避けたい相手だけに上手く言わなければと思うが、
「僕が殺しました」
マザーが凛とした声できっぱりと言い切る。
男は虚をつかれ一瞬静まるが、少し笑うとそうかい、そうかいと言ってまた真面目な顔になる。そして、
「じゃあ、これぐらいは止められるよな」
そういって背中から剣を振り抜き、
「ニュートン発動!」
振られた剣先から炎が飛び出す。エネルギーを飛ばすシータと同形の技だった、が、威力は目に見えてシータのそれを上回っている。
炎はマザー目掛けて一直線で進んでいく。
あぶない、シータはマザーを見る。だがマザーは避けようとはしない。両手を前にかざす。
すると、
炎は軌道を変え、地面にぶつかった。
マザーが何をしたのかシータには分からない。ただ、マザーは危険な微笑みを浮かべていた。
次、マザー戦闘です




