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第七話 真夜中のおいかけっこ

今回は前話に比べ、少々長くなってます。

それでも大した量ではありませんが。





 「しつこいな」


 一人の女性がフラックの暗い裏路地を、息を切らして走っていく。

 人々の寝静まる町の中、十人程の男達が女性を追いかける。


 女性は布きれを体に縛り付けただけの格好で、素足である。

 体中の細かい傷からは、血が滲んでいる。


 犬のような耳がぴくりと動き、男達の動きを把握する。

 女性は男達の気配の少ない方へ只管に走っていく。







 青年の胸で幸せな温もりを感じていた妖精は、ふと頭を上げた。


 「どうしたの?」


 妖精の動きに気付いた青年が、妖精に尋ねる。


 『こんな夜中においかけっこをしてるみたい』

 「おいかけっこ?」

 『ええ、こっちに近づいてきているわ』

 「おいかけっこかあ、懐かしいな」

 『私達も参加する?』

 「いいね、久しぶりにおいかけっこ」


 青年は幼い頃に楽しんだ遊戯に心を弾ませて、身支度を始めた。武器は不要と判断し、無手のまま宿の窓から飛び出していった。



 「ホントにしつこい、まだ追いかけてきてる」


 女性が男達から逃げ出したのは、もう二時間程前のことである。女性は現在まで一時も休むことなく町中を走り回り、なんとか男達を撒こうとしているのだが、どうやら男達の諦めは非常に悪かったようだ。常態とは明らかに精彩を欠く体を動かし、女性は必死に駆ける。

 やがて彼女は自分を追いかけてくる男達の気配が増えていることを感じた。一時間程前から自分を追いかけてくる気配が、十から二十程に増えた。そして彼女にとって、男達が自分の位置を正確に把握していることが最大の疑問だった。


 女性の手首には手枷がされている。現在それは真ん中から割られていた。この手枷には微量の魔力が蓄えられており、手枷が破損した場合、その魔力を少量ずつ垂れ流す仕組みになっていた。女性を追う男達の中にその魔力を探知できる魔法師が存在する為、女性の位置は簡単に割り出されてしまっていたのだ。

 女性は勿論魔力を持っていたのだが、手枷から漏れる魔力が特殊なものだった為、それに気付くことができていなかった。


 そして男達からの逃走劇から、二時間半程の時が流れた頃、遂に女性は男達に取り囲まれた。


 「しつこすぎるだろ、お前ら」


 女性は壁に背を向けて、肩で息をしながら男達を睨み付けた。


 「折角の金蔓だ、みすみす逃しゃしねえよ」


 女性を追いかけてきた男達も、息も絶え絶えといった様子だった。


 「獣人種の、それも女だからな、高く売れるんだよ」


 ソイズアル国では奴隷を容認していない。しかし奴隷はなくならない。

 奴隷解放の動きも幾度かはあった、しかし現在も奴隷は存在している。その理由はふたつだった。それは需要と供給である。このふたつの理由から、奴隷がなくなることはなかった。


 女性は人狩りと呼ばれる者に捕まり、明日には売られることになっていた。どうにか男達の攻撃を掻い潜り逃げだすことはできたのだが、逃げ切ることはどうやらできなかったようだ。


 「もう諦めな、逃げ道はねえよ」


 男達がじりじりと女性との距離を詰めていく。女性は男達を睨み付け、食い殺さんばかりの殺気を放つ。


 男の手が女性の肩に触れようとした瞬間、男達の背後から声が聞こえた。


 「終わっちゃった?」


 男達は一斉に振り返り、一人の青年を視認する。女性はその好機を見逃さなかった。


 自分の肩を掴んでいる男の後頭部に回し蹴りを食らわせると、男達を掻き分けるように走り出した。

 突然のことに男達は一瞬戸惑ったが、即座に意識を取り戻して再度女性を取り囲んだ。男達は青年のことを無視して、女性に意識を集中させた。


 「くそ――おい、お前!」


 女性が青年のことを睨み付ける。呼びかけられた青年は首を傾げて応えた。


 「私のことを助けようとか思わないのか!」

 「なんで?」


 女性の怒声に間髪を入れず、青年は疑問を返した。


 「なんでって――」

 「おい小僧、邪魔するなよ」


 男達は女性から意識を逸らさないまま、青年に警告した。


 「邪魔はしないけど、おしまいなの?」

 「ああ、おしまいだ」

 『残念ね』


 小さな鈴の音のような声に、男達が一斉に青年へ目を向けた。


 「そいつは――妖精か」

 『それがどうしたのよ』

 「こいつは運が良いぜ、まさか妖精がうろついてるなんてな」


 男達は女性から完全に意識を妖精へ向けた。獣人種の女性も金貨十枚程の価値があるのだが、妖精には破格の値が付く。


 「おい小僧、その妖精を渡せ」

 「嫌だよ」

 「まあそう云うな。素直に渡したら、金貨十枚くらいはくれてやるぞ」


 妖精の価値は非常に高く、最低でも金貨五百枚程の値が付く。金貨十枚で妖精が手に入るのであれば、安い買い物であった。


 「おい、その女も逃がすなよ」

 「分かってるよ、もう捕まえてある」


 女性はいつの間にか一人の男に捕えられていた。どうやら男は魔法師のようだ。女性の手枷が淡く光を放っているのが青年には見て取れた。どうやら女性に嵌められている手枷には、拘束者を麻痺させる能力も付加されているようだった。逃走の際に麻痺の効果が現れなかったことから、手枷を嵌めた対象に魔法師自身が触れていなければならないようだ。


 「終わっちゃたんだね」

 『そうみたいね。どうする、帰る?』

 「おいおい、お前は俺達と行くんだよ」

 『なぜかしら』

 「お前を売れば、暫くは遊んで暮らせるからな」

 『私を売るの。それは嫌ね』

 「お前の意思なんて関係ねえな。さあ小僧、そいつを渡せ」

 「嫌だよ、さっきも云ったじゃないか」

 「そうかい、大人しく渡していれば痛い思いをせずに済んだのにな」


 男達は一斉に武器を取り出して、青年に刃を向けた。


 「次は喧嘩みたいだ」

 『そうね、つまらないわね』

 「うん、帰ろうか」


 青年がつまらなそうに後ろを向いた瞬間、男達が一斉に襲いかかった。





 男達が青年に襲いかかった十秒後、魔法師を含めた全員が戦意を消失するか意識を消失していた。

 男達が青年に向かって走り出し、刃物を振り下ろすまでに五秒程かかっただろうか。そこから青年が男達を無力化するまでにかかった時間は凡そ五秒である。


 初めの一秒で五人の男が宙を舞った、その全員の腕か足が通常曲がりえない方向に曲がっていた。その光景を見上げてしまった三人が動きを止めようとする前に、その意識は青年の足によって刈り取られた。宙を舞った男達が地面に落ちるまでに二秒かかり、残った男達の戦意は一気に萎えていった。それでも一度動いた身体の慣性は止められず、六人の男が青年の射程範囲に足を踏み込んでしまっていた。そして二秒後、六人は壁に身体を叩きつけられて意識を失った。青年に殴り飛ばされたのである。そして残りは武器を手放し、その場にへたり込んだ。魔法師も腰を抜かしていたのだが、女性を拘束する手を休めてはいなかった。


 「ほら、やっぱりつまらない」

 『全然ダメね、弱すぎるわ』

 「おい――!」


 拘束されている女性は、なんとか声を振り絞って青年を呼んだ。それを魔法師が慌てて押さえつける。余計なことを云われては面倒になる。それでも女性は、声を吐き出す。

 私を助けろと。


 「なんで?」


 そして青年は先程と同じ言葉を返した。


 「何故僕が君を助けなくてはいけないの?」

 『遊びだったんじゃないのかしら?』

 「そうだね。遊んでたんじゃないの?」


 青年は少し興味を持ったらしく、女性に近づいた。そして近づいてくる青年を恐れた魔法師が杖を向ける。


 「近寄るな! 死にたいのか!」


 男の詠唱と共に杖に魔力が籠る。何かしらの魔法を放とうとしているのだろう。杖に籠められる魔力の量から、それなりに腕の立つ魔法師であると分かる。


 「死にたくはないよ」


 当然青年はそう答え、更に女性に近づく。


 「来るな!!」


 魔法師の言葉と同時に青年に火球が放たれた。その大きさは青年を容易く飲み込むほどの大きさであったが、青年は気にする様子もなく歩み続けた。

 火球が青年を飲み込もうとした瞬間、それは消えた。初めから何も存在しなかったかのように、雲散霧消した。


 『あなた邪魔よ』


 妖精の一言に魔術師は思わず女性から手を放してしまった。女性は痺れの残る身体を何とか動かして、魔術師から離れた。瞬時に自らの失敗を認識した魔法師は、慌てて矛先を女性に向けた。


 『邪魔だってば』


 妖精は軽く大気を撫でた。すると次の瞬間、魔法師の首から上が吹き飛んだ。魔法師であった男の体は、頭部を失った首から止め処なく鮮血を吹き出しながら地面に倒れこんだ。


 「あッ、殺しちゃダメじゃないか!」

 『まだダメとは云われてないわ』

 「しまった――」


 青年は痛む頭を押さえて、妖精を見つめた。


 「食べるの?」

 『無理ね。あんなに食べれない』

 「僕だって食べれないよ!」

 『じゃあそこにいる人達に食べてもらいましょ』


 普通じゃない。そこにいた全員が思ったことである。

 魔術師を一撃で殺めたことも信じられないことであったが。それ以上に二人の会話に驚愕した。そして意識のある者は逃げ出した。当然のことである。


 「どうするのさ」

 『どうしようかしら』

 「もう――食べないなら殺しちゃダメって云ってるじゃないか」

 『その信念は理解してるけど、私には私の信念があるのよ』

 「どんな?」

 『――内緒』

 「なんだよそれ!」


 実際妖精に語れるような信念はない。今魔術師を排除したのも邪魔だったからという、唯それだけの理由である。

 青年が興味を持った対象があり、それに危害を加えようとした。対象が壊されてしまっては青年が嫌な思いをする。それは妖精にとって何よりも嫌なことである。

 邪魔をするなら排除する。今回はたまたま相手が死んでしまった、それだけのことである。排除できるなら方法は問わないし、生死も問わない。青年が嫌な思いをしなければそれで良い。満足してくれるならそれで良い。

 妖精の信念と云えるものは、それだけである。


 「仕方ない、せめて埋葬してあげよう」


 青年はそう云うと、いつかと同じように地面に穴を穿った。頭の無くなった遺体を丁寧に穴に寝かせると、優しく土を被せていく。最後に花を手向けようと思ったのだが、辺りに見当たらなかったのでそれは諦めた。


 「君は行かないの?」

 「あ――」


 女性は不意に声をかけられて身を震わせたが、その場を動こうとはしなかった。簡単に云えば腰が抜けているのだ。


 「動け――ないんだ」

 「そうなんだ。じゃあさっきの続きね。どうして僕が君を助けないといけないの?」

 「普通――助けるだろう」

 「僕は普通っていう言葉が好きじゃないんだ、絶対に揺るがない不変の基準なんてものはない。それは個人やその時世の状況の範疇等でしか語りえないものだ。それなのに自分の普通を誰もが持つ普通だと勘違いしている。君の普通と僕の普通は違うよ。

 僕が聞きたいのは理由だよ。それじゃあ何の説明にもなってないじゃない。あの時君は助けようと思わないのか、助けろって云っていたけど。僕が君を助けないといけない理由は何?」

 「それは――」

 「君は僕の知り合いでも友達でもないよね? それなのに君は僕が助けることが然も当然のように助けろと云ってきた。僕にはそれが理解できない。僕だって友達が殺されそうなところを目撃したら、助けようとも思うよ。でもそんな状況になったのが、自業自得だって分かったら、僕はその時点で放っておくね。殺されても仕方ない。でも君は僕の友達でもなんでもない」

 『そうね、私も初めて見たわ』


 青年も非情という訳ではない。自分と親しい人物が困っているならば喜んで手助けもするだろうし、危機に瀕しているならば救いもする。しかし例え友人だとしても、それを引き起こした原因が本人にあるのならば決してその限りではない。本人の引き起こした事象であるならば、その責任は全て本人にある。それでも助けてほしいのならば、それ相応の対価を払って然りである。


 「――でも人を助けるのに、理由はいらないって云うだろう?」

 「理由もなく助ける人はいないよ。それは人が作り上げた理想論だって」

 「そんなことは――!」

 「そんなことはあるよ。見返りを求めないなんてことはないよ。助けた相手から何も受け取らない人もいるかもしれないけど、それは結局誰かを助けたという行動から自己満足を得ている。だからどんな場合においても、見返りのない、理由のない行動なんて存在しない。何かを考える前に身体が動くなんていうこともない、外部から神経や筋肉に電気を流さない限り、脳からの命令がなければ身体は絶対に動かない。自分は何も考えなかったと思っていても、脳は状況を判断してそれに見合った命令を瞬時に出している。それは経験や知識を積めばより顕著になるもんだよ」

 「――すまない、分からない」

 『私も後半がよく分からないわ』

 「難しかった? まあいいよ。僕は理由が知りたいだけだから、それを教えてほしいだけ」


 青年は屈みこんで女性の顔を覗き込む。

 女性はそのとき、初めて青年の顔をしっかりと見た。それは一言で云えば麗人。女性は今まで見てきた人々の中でも、この青年が最も美しいと思えた。しかしまだ幼い。純粋で無垢な瞳が真っ直ぐに見つめている。その瞬間女性の中から恐怖が払拭され、そして見惚れた。一瞬ではなく、暫く。

 青年はじっと女性を見つめ、返答を待った。

 このとき青年はまだ気付いていなかった。自分の能力が、これから多くの波乱を生むであろうことを。


 「まだ?」

 「あ――すまない」


 女性は漸く我に返って、青年から目を背けた。

 女性の鼓動は思い出したかのように激しくなり、頬を赤く染めていた。


 「その――私は、奴隷にされるとこだったんだ」

 「奴隷にされるとこだったんだ。じゃあならずに済んだのかな?」

 「このまま逃げ切れれば、奴隷にならずに済む」

 「そうなんだ、奴隷になるのは嫌?」

 「嫌に決まってる!」

 「そうなんだ。ほら、自分から奴隷になる人もいるらしいから」

 「ああ、そういうことか。私は貧窮で売られた訳でも、好んで自らを売った訳でもない。こいつらに襲われたんだ」


 女性は未だに意識を戻さない男達に目を向ける。


 「なるほど、なんで襲われたんだろう」

 「獣人種の雌は高く売れるらしい、それが理由だろう」

 「そうなんだ。じゃあこの人達の商売を邪魔してしまったんだな。それは悪いことをしたなあ」

 「こいつらにとってはそうかもしれないけど、代わりに私は助かった」

 「僕はお願いも依頼もされてないのに、誰かの不利益になるようなことは、あんまりしたくないんだ」

 「それにしては随分ひどいことするんだな」

 「ひどいことなんてしてないよ、死んでないし」

 「そうかもしれないが――ひとつ、お願いがあるんだが」

 「なに?」

 「この手枷、外してくれないか?」

 「どうして?」

 「その、手首が痛いから」

 「そうかあ――分かった」


 青年は少々考えて頷くと、女性の腕から手枷を外した。

 壊したという表現が正しいかもしれない。


 「どうして――外してくれる?」

 「だってお願いだし。ちゃんと理由も云ってたし。本当に痛そうだったし」


 女性はナイルの言葉に大きく溜め息をついた。


 「お願いしたら、なんでもしてくれるのか?」

 「できないことはしないよ。それに僕が嫌だと思ったら聞かないね」

 「そうなのか――」

 「それで、話しの続きしてよ」

 「ああ――そうだな。私は、奴隷になんてなりたくなかった。商売だったとしても、相手の意思も関係なしに襲うなんて間違ってる。

 本当なら今頃、私は自分の部屋のベッドで毛布にくるまって眠ってた。朝起きてお母さんとお父さんにおはよと云って、朝ご飯を食べて。友達と遊んで、修行や狩りをしたりして、そんな普通の日常を送ってたはずなのに――」


 女性は自分の気持ちを言葉にすることで、情緒が回復していく。そして自分では気付かない内に涙を零し始めた。


 「別に間違ってないよ」

 「え?」

 「相手の意思に関係なく襲うのは、間違ってない」

 「どうして――?」

 「今君は狩りをするって云ってたけど、それって狩られる側の許可貰ってる?」

 「それは――」

 「貰ってないでしょ? やってることは一緒だよ」

 「そう――そうかもしれないけど」

 「それが分かるなら、そこに文句を云っちゃダメだよ」

 「――分かった」


 女性はその点において納得できた様子で、素直に頷いた。


 「でも助かりたいと思うことは、悪いことじゃない――だろう?」

 「うん、それは勿論だよ」

 「だから私は――貴方に助けを求めた」

 「助かりたいから助けを求めたか――なるほどなあ」


 青年はそこで言葉を止めて、考え込んでしまった。女性はそれを見て困惑した。

 別段難しいこと、悩むようなことを云ったとは思えない。それなのに目の前の青年は随分と考え込んでいるようだった。


 このとき青年は面白そうなものを見つけていた。

 きっとこれは、少し自分で考えてみるのが面白いに違いない。

 青年が考えていることは、助かりたいという感情が何に由来するかであった。

 助かりたいという気持ちは理由ではない。何かしらの感情や思いなどがあって助かりたいという気持ちになるのである。助かりたいから助けてほしいという言葉は、青年にとって楽しめそうな問いに思えたのだ。


 まず生き物としての本能のひとつ、生存本能について考える。

 生き物が持つ本能はふたつ、生きること、生むこと。そのふたつを基本として、全ての欲求と感情が作られる。そしてこの本能と呼ばれるものも、それを生み出した母体から何かしらの経路を辿って、産まれる前に記憶したものである。


 感情と呼ばれるものは、無数に存在する。女性の中にあった感情は恐怖や不安といった負のものであろう。青年が現れた瞬間には喜びが芽生えたかもしれない。そしてそれは嫌悪、そして憎悪へ変化していったと予測できる。

 人狩りの標的が妖精へ移り、再び喜びを感じたかもしれない。しかし魔法師に捕えられたことで、もう諦めたかもしれない。しかし青年は自分を取り囲む恐怖を、結果的に消し去った。そしてそれは別の恐怖を発露させることになる。青年へ対しての恐怖だ。そして不安は増長していくばかりであっただろう。

 実際、青年の顔に見惚れるまではそうであった。

 しかしこれは青年には分からない。


 人というのは内面で発生される感情が大きくなりすぎると、心の自覚のないままに脳が外界へそれを表現させてしまうのではないだろうか。例えば喜びであれば、少なからず常態とは異なる身体の反応を見せる。笑顔であったり、色であったり、匂いであったり、体温であったり。それが恐怖であっても、同じことが云えるであろう。

 過剰な感情というものは必ず脳へ負担をかける。それが良い方向へ向かうこともあれば、その逆もある。脳はそれらの負担を、肉体を使って外界へと表現しているのではないか。そうやって脳は、脳にかかる負荷を発散させているのかもしれない。


 既に何故助けを求めたかの理由など、青年の頭の中からは消えてしまったようである。


 女性は動かなくなってしまった青年に困惑して、彼の肩に座っている妖精に目を向けた。考えてみれば、この妖精がいなければ現状はないのだ。偶々そうなっただけなのだが、お礼ぐらいは云わなければいけない。

 女性はそう思い、妖精に頭を下げて礼を述べた。


 『私にお礼されても困るわ』


 妖精はそう云うと、楽しそうに青年の顔を見つめた。青年が何かを考えているということは、青年が満たされていくということだ。妖精はそういう認識をしている。事実妖精に伝わってくる青年の心情は、楽しげな色と音と匂いがした。


 女性は青年に声をかける訳にもいかず、再度妖精に話しかけた。


 「あの――」

 『なによ』

 「名前を、聞いていいか」

 『ああ、ローラよ』

 「ローラ――彼は?」

 『ナイルよ』

 「ナイル――」


 女性はナイルの名を何度か呟いて、胸に刻みつけた。


 「私はアリウムというんだ」

 『そう』


 ローラは基本的にナイル以外に興味がないので、この段階でアリウムの名は覚えることはなかった。

 暫く沈黙だけが過ぎたが、アリウムはその間ずっとナイルの顔を見ていた。考え事をしているナイルの視線は、遥か彼岸を見つめているようではいたが、その整った顔が崩れるということはなかった。少々眉間に皺を寄せている程度だ。

 アリウムはナイルの顔立ち以上に、どうしようもない程その瞳に魅かれた。銀に縁どられた黒目など、今まで見たことがなかった。その不思議な、神秘的といって良いであろう瞳にアリウムは飲み込まれた。

 月の光を浴びる身体も、ほんのりと銀色に輝いているように見える。唯々美しい。

 アリウムがナイルを見つめる時間が長くなればなる程、アリウムは忘我していった。


 暫くするとナイルが突然立ち上がった。


 「うん、これは面白いね。脳が自らを守る為の防衛機能としてあるのかな」


 突然の出来事にアリウムは全くついていけなかった。


 「あ、あの」

 「あ、ごめん。僕考え事すると周りが見えなくなるんだ」


 ナイルは満足そうな笑顔をアリウムに向けて、恥ずかしそうに謝った。

 その仕草がなんとも可愛らしくアリウムには見えてしまい、思わず笑ってしまった。


 「いや、気にしてない」

 「でも楽しかったな。おいかけっこはできなかったけど」

 『そうね、それだけが残念ね』

 「おいかけっこ?」


 アリウムは何をナイル達の言葉が理解できずに、首を傾げた。


 「でも楽しかったから満足かな。じゃあ宿に戻って寝ようか」

 『もうすぐ日が昇るわよ?』

 「もうそんな時間?」

 『ええ、あと一時間もないわね』

 「そうかあ、じゃあ寝れないね」

 「あの――」


 アリウムは嫌な予感がして、ナイルに話しかけた。


 「なに?」

 「私は――」

 「好きにしたら良いと思うよ」


 やっぱり。


 アリウムはナイルが自分のことを放置していくだろうとは半ば確信していた。進んで自分から何かに係わるようには見えなかったのだ。そんなナイルが指して関心を向けていない自分のことを、自ら保護しよう等とは思っていないのではないかと懸念していた。そして問いへの答えは、懸念していた通りのものだった。


 「お願いだ、私を保護してほしい」

 「どうして?」

 「今の私は、君に依頼を出来るような立場にないからお願いになるんだが――」


 まずアリウムはナイルに依頼をした際の見返りを用意することができない。よってこれは無償の依頼。お願いになると説明する。

 自分が今置かれている状況をナイルに説明すると共に、自分がナイルに何をして欲しいのかを伝える。

 自分が人狩りに攫われ、フラックまで連れてこられたのだが、自分の村に帰りたいということ。そして今の、薬を飲まされ疲弊しきった自分にその力がないことを伝え、ナイルに保護してもらい、村まで連れて行ってくれないかとお願いをした。


 「なるほど、村まで送り届けるか――」

 「どうだろうか――帰ることができたなら、それなりにお礼もできると思うんだ」


 アリウムは現在、衣服すら真面に身に纏っていない状態である。勿論金銭等も持ち合わせていない。ここでナイルに放置されてしまうと、結局奴隷にされるか死に至る可能性が非常に高い。必然的にアリウムは必死にナイルに頭を下げることになった。


 「でも僕行かなきゃいけない所があるからなあ」

 「君の用事を最優先にしてくれて構わない。最終的に私を送り届けてさえくれれば、私には何の文句もない」

 「急がなくて良いの?」

 「心配させてしまっているだろうけど、仕方ないことだし。手紙でも送れば安心して待ってくれると思うんだ」

 「そうなんだ」


 ナイルはどうしようかなと呟きながら、アリウムの傍をうろうろする。

 アリウムは懇願を籠めた眼差しで、ナイルを見つめる。


 「うん、それくらいなら聞いてあげても良いかな」

 「本当か! ありがとう!」


 アリウムは思わずナイルに抱きつこうとするが、あっさりと躱されてしまう。


 「じゃあどうしよう、僕は今日この町を出ようと思ってたんだけど」

 「そうなのか、私はそれでもかまわないんだが――」


 アリウムは自分の格好を見て項垂れる。


 「さすがにこの格好だと、人前に出るのは――」


 アリウムは今、小さな布で胸と腰を隠している程度の格好をしているので、ほぼ裸に近いものがある。さすがにこのままでは人々の注目を集めることは間違いなく、アリウムにはそういった趣向を持ち合わせてはいない。


 「何か着る物を分けてもらえないだろうか」

 「着る物かあ、僕これしか持ってないんだよ」


 ナイルはそう云うと、己が衣服を指した。


 「そうなのか――」

 「じゃあこのローブを貸してあげようか?」

 「それだけでも助かる」

 「そっか、じゃあ貸してあげる」


 ナイルはそう云ってローブを脱ぐとアリウムの身体をローブで包み込んだ。


 「本当にありがとう」


 アリウムはナイルの匂いに若干頬を染めながらも、深く頭を下げた。


 「別に気にしないで良いよ。もう歩ける?」

 「ああ、問題ない」


 アリウムは漸く起き上がり、ナイルに改めて頭を下げた。


 「私はアリウム。よろしくお願いします」

 「僕はナイル、こっちはローラだよ」

 『私はさっき名乗ったわよ』

 「あ、そうなの?」

 「本当に、考え出すと周りが見えなくなるんだな」

 「あはは、ごめんね」

 『いつものことだから気にしない方が良いわ』

 「そうなのか、分かった」


 三人は適当に自己紹介を終えると、迷路のような路地を出て宿へ向かった。

 宿へ到着する頃には、もう太陽も昇り始め、少しずつ町の声が聞こえてくる。


 「これは御客様、お帰りなさいませ」


 従業員は少々驚いた様子だったが、昨日と変わらない対応をしてくれた。

 この宿の従業員は交替で勤務しているので、カウンターが無人になることはない。人の出入りがあった場合は記録されるので、外に出た記録のないナイルが外から戻ってくることは通常ありえないのだ。

 今回ナイルは窓から外に出るという行動をとったため、従業員に見つかることなく外に出ることができた。

 因みにこの日以降、この宿では宿の外も巡回するようになる。



 閑話休題



 ナイルは鍵をかけたまま部屋を出てしまった為、従業員にそれを開けてもらい、漸く部屋の中に入ることができた。置いておいた武器を身に着け荷物を背負うと、そのまま宿を後にした。


 「それで、ナイルはこれからどこへ向かうんだ?」

 「これからアクトリアに向かうよ」

 「アークネースの州都か、そこに用事があるのか?」

 「うん、手紙を届けにね」

 「手紙? 届けてもらうのではいけないのか?」

 「自分で届けたいんだ」

 「そうなのか」

 「そういえば、アリウムさんは手紙書かなくて良いの?」

 「ああ、書きたいんだが持ち合わせが――」

 「そっか、貸してあげようか?」

 「良いのか? 貸してもらえると助かる」


 ナイルはそれを了承して、アリウムに金貨を一枚渡した。

 手紙は一枚銅貨五枚程の料金で届けてもらえるので、渡された金貨に目を白黒させていたのだが、ナイルが手紙の配送に幾らかかるのか知らないということと、多い方が何かと便利だろうとの理由で渋々納得した。

 ソイズアルでは手紙は荷物として扱われる。ソイズアル国内では農作物のやり取りが非常に多い為、それらと一緒に運んでもらうのが一般的となっている。一定量が集まらないと荷物は配送されない為、手紙もすぐに届く訳ではない。五日で届く場合もあれば、二十日以上かかる場合もある。それは全て集まる荷物次第であることから、手紙自体があまり一般的ではない。荷を乗せた馬車が、道中野盗や魔物に襲われることもある為、少ない荷物で馬車を出すことはまずない。危険から荷を守る為の人件費も安くないからである。


 アリウムはフラックで最も大きな国内貿易業者に手紙を託した。手紙が届かないことも少なくない為、手紙を託した際、アリウムは思わず手を組んで祈りを捧げた。



 そして二十日後、手紙は無事にアリウムの親元へ届いた。

 アリウムの家族や村の者はアリウムの息災を喜び、無事に戻ることを祈った。



 アリウムの手元に残った銀貨と銅貨は、更に半分程がなくなった。

 アリウムは返そうとしたのだが、ナイルはそれを受け取らなかった。代わりに返すなら金貨一枚で返すようにと云われた。そこでアリウムは残った貨幣で下着や衣類、そして簡単な武具や道具を買った。動きやすさを重視したアリウムは、白いタンクトップの上に袖のない赤いダウンベスト、黒のショートパンツに足首をしっかりと固定できるブーツといった格好だった。腰の後ろにナイフを携えた姿は、実によく似合っていた。


 ナイルに借りていたローブを返す際、可愛いと何気なく褒められたことで、顔を真っ赤に染めたアリウムが、暫くの時間使い物にならなくなったのは余談である。



 閑話休題



 消費してしまった固形燃料や携帯食料等を買い求め、フラックを発つ準備は滞りなく済んだ。また、これまで一度も食事を摂っていなかった為、適当な食堂で空腹を満たした。

 全ての支度が調ったのは昼を過ぎた頃だった。


 「改めて、よろしくお願いします」

 「こちらこそ、楽しくいこう」

 『ナイルの邪魔にだけはならないでね』

 「ああ、分かっている」


 アリウムのナイルを見つめる瞳は非常に熱い。

 暗闇の中で見たナイルの顔も美しかったのだが、日の光に照らされたそれは、更に美しい。アリウムはそう思いながら、じっとナイルの顔を見つめる。

 ナイルはアリウムが緊張しているのだと思い、気楽にいこうと声をかけた。


 「分かった、ありがとう」

 『分かってないわね』


 自分を労ってくれたのだと感じたアリウムは、更に熱の籠った眼差しを向ける。

 そんなアリウムに、ローラは溜め息をついた。そしてナイルは相変わらず、自分に向けられる好意に気付くことはなかった。



駄文乱文失礼しました。

書いている側としては、この程度の文字数で

一話としては適当ではないかな、と思っているのですが

読んでいる方はどう思いますでしょうか。

短いでしょうか、長いでしょうか。

誤字脱字は見つけ次第訂正いたします。


次回投稿は5/16-5/18の何れかになります。

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