第六話 フラックの宿にて
皆様GW楽しんでいらっしゃいますか?
今週も無事に投稿することができました。
今回はフラックと言う町の宿での話になります。
地平線に日が沈む頃、ナイルはフラックに辿り着いた。
フラックはノボタンから三日ほど歩いたところにある町で、複数の町と州都への中継地点になっている。アークネース州のほぼ中央に位置し、中継地点になっていることから、他の町からの品々が多く輸入される町である。
大通りはその殆どが何かしらの店になっており、日が出ている時間は多くの人々で賑わっている。ギルドを中心に東西南北に大通りがあり、円で囲う様に町が形成されている。
ナイルはのんびりと歩いてきたので、フラックに辿り着いたのはノボタンを出立してから五日目のことだった。
「ようやくフラックに着いたね」
『ちょっとのんびりすぎたかしらね』
「そうかもね、でも急ぐ旅でもないんだし」
『そうね、じゃあ宿でも探しましょ』
人の出入りの多いフラックには、宿も多く点在している。
ナイルは宿屋の看板をいくつか見かけて、木造三階建ての宿に足を踏み入れた。入口の正面にはカウンターがあり、二人の男性がナイル達を迎える。
「いらっしゃいませ。御宿泊でしょうか」
「うん、空いてる部屋ってある?」
「はい、御一人様用の御部屋でよろしいでしょうか?」
「うん。一泊いくら?」
「一泊銅貨八十枚でございます」
「じゃあ一泊で」
「かしこまりました」
男は丁寧に頭を下げると、ナイルに木板を差し出した。
「御客様の御部屋は二階の三号室になります。二階への階段はそちらをご利用ください。支払いは先払いとなりますがよろしいですか?」
「銀貨で良い?」
「ありがとうございます。御釣りの銅貨二十枚でございます」
ナイルは銀貨を一枚渡すと、三号と書かれた木板と釣り銭を笑顔で受け取った。
因みに、一般的な宿で一泊銅貨八十枚は高い部類に入る。
「御部屋の利用時間は鐘が四度鳴るまででございます。それまでに木板をこちらまで御願い致します」
「鐘が四度?」
「はい、御客様はフラックにいらっしゃったのは初めてでございますか?」
「うん、初めて」
「そうでしたか、それでは説明をさせていただきます」
アルナイルの世界には時計が存在する。
アルナイルには‘時の魔石’と呼ばれる石があり、それに魔力を籠めると石自体が振動する。籠められる魔力の大小に関係なく、石が一秒間で振動する回数は決まっている為、それを利用して時計が作られた。時の魔石は希少な為、非常に高価で取引されており、王族や一部の貴族、そして大規模なギルド等しか時計を所有していない。ノボタンの村では時計を所有する者がいなかった為、ナイルも時計を見たことがなかった。
フラックでは朝の六時から二時間毎に、ギルドが鐘を鳴らして時を知らせている。朝六時の鐘は一度、八時の鐘は二度鳴る。鐘が四度鳴るまでということは、昼十二時までということを表していた。
「ところで御客様、有料になるのですが御入浴はなさいますか?」
「うん、もう五日も入ってないから」
「かしこまりました。御入浴は一度につき銅貨十枚となっております、ご利用の際はこちらにお申し付けくださいませ」
「分かった」
ドラクロアと共に生活を始める前までは、ナイルは川で身を清めていた。
アルナイルの世界では、一般的に入浴の習慣はない。濡らした布などで身体を拭く等が一般的である。それは入浴をする際にかかる労力と、入浴に使用する釜に問題がある為であった。まず火を熾す為に必要なのは薪である。その薪を毎日用意するのは容易ではない。そして釜は決して安くはなく、一般人の手が簡単に届くものではなかった。
ドラクロアは入浴を好んだ為、彼の家にはきちんとした浴室が存在した。ナイルはドラクロアとの生活の中で入浴の魅力を知り、好むようになっていた。
「ここでご飯は食べられるの?」
「はい、右手の通路の先が食堂になっております。利用される際は、こちらの者にお申し付けください」
隣で立っていた男がナイルに頭を下げた。
「分かった。じゃあ荷物を置いたらご飯にしよう」
『そうね、でも荷物盗まれたりしないかしら』
「御安心下さいませ、各部屋には鍵も御座いますし、各階のフロアには警備員が巡回しておりますので、盗難の心配はございません」
「凄いね、そんなこともしてるんだ」
「御客様の安全と安心の為でございます」
この宿は少々料金が高く設定してあるが、それはサービスを充実させる為の必要経費であった。
ナイルは従業員からの説明を一通り受けると、久しぶりのベッドに頬を緩めた。
ドラクロアと生活を共にするまでの十年間、ナイルは洞窟の中で暮らしていた為、地面に毛皮や草などを敷き詰めて、その上で眠っていた。ドラクロアの家でベッドを使う様になってからは、その快適さを覚えてしまった為、できるだけ野宿はしたくないと思うようになっていた。旅をしている身ならば、野宿もやむを得ない為我慢していたが、可能であればベッドを持って旅をしたいと思っていた程であった。
部屋はベッドとテーブル、箪笥が一棹といったシンプルなものであった。ナイルは部屋に辿り着くと、荷物を降ろしてベッドに寝転んでみた。ドラクロアの家で使っていた物よりは硬かったが、十分に満足できるものだった。
暫くベッドの感覚を楽しむように、ごろごろとしていたのだが、ローラから食事を催促された為、億劫そうに起き上がって部屋に鍵をかけた。
「御食事でございますね?」
「うん、どうしたら良いの?」
「こちらの食堂では、先に料金を払っていただきます。食堂の中にはさまざまな食事が用意されたカウンターが御座いますので、御客様の食べたい物を、好きなだけ召し上がっていただいて結構でございます」
この宿の食事は所謂バイキングになっており、利用する客の人数に合わせて随時料理がカウンターに並ぶ形式になっていた。
「食べたいだけ食べて良いんだ、初めて聞いたよ」
「決して珍しい訳ではございませんが、フラックでは珍しいかもしれません」
「そうなんだ。たくさん食べなきゃね」
「料金は御一人様、銅貨十五枚となっております」
『私も人数に入るのかしら?』
「申し訳ありませんが、御一人様として数えさせていただいております」
従業員は申し訳なさそうに頭を下げた。
身体の小さな妖精に対して通常と変わらない料金を請求するのは、この世界では珍しいことではない。それは妖精の特殊な能力に由来するものである。
因みに何故部屋は一人部屋を勧められたのかにも理由がある。妖精は好いた相手と、寝起きを共にしようとする傾向が非常に強く、逆に二人部屋は妖精側が拒むのだ。好いた相手とぴったりと寄り添って眠ることに幸せを感じる妖精にとって、別々に眠ることは拷問のようなものである。その為従業員はナイルに一人部屋を勧めたのである。
『私も同じだけ取られるなら、この姿だと損ね』
ローラはそう云うと、ナイルの肩から降りて目を瞑った。緩やかにローラの身体から光が漏れ始め、それは次第に大きな光へと変わっていく。球体に輝く光は徐々に人の形に変わっていき、ゆっくりとその光を萎めていく。するとそこには猿人種の女性ほどの大きさに変化したローラが現れた。
「久しぶりに大きなローラを見たよ」
『この姿なら、たくさん食べれるわ』
妖精には、身体の大きさを変化させられる者がいる。全ての妖精が可能な訳ではないのだが、ローラには可能なことだった。身体が大きくなることには利点もあるがそうでない面もある。利点のひとつとして食べられる量が増える。大きな身体を維持するだけで魔力を消費している為、摂取した食べ物を魔力へ変換する速度が上がるのだ。それはデメリットにもなるのだが。そして大きな身体になると、妖精は本能を抑止しにくくなる。常態に比べて我儘になる。三大欲求と呼ばれる食欲・睡眠欲・性欲が抑えにくくなるのだ。
本来妖精に性欲は存在しないのだが、この姿になってしまうと性欲も現れてしまう。それは大きくなることで性交が可能になることに由来する。性交に由って子供ができることはないのだが、恋い焦がれた者と結ばれたいという欲求は妖精にとっては抑えがたい衝動になってしまう。
「それでは、こちらの札を持って奥へ御進み下さい」
ナイル達はカウンターの脇にある廊下を進んで食堂へ向かった。
「いらっしゃいませ。札を確認させていただきます」
食堂は百人程度が収容できる広間になっており、円形のテーブルが二十卓用意されている。壁の二面がカウンターになっており、そこにぎっしりと料理が並べられていた。既に六十人程が食事をしており、酒気が入っているのか、食堂は騒がしかった。
「人がいっぱいいるね。ご飯が無くなる前に食べなきゃ」
『折角この姿になったのだから、限界まで食べるわ』
ナイルは従業員に札を手渡して、並べられた料理に向かった。
二人で皿の上に零れんばかりの料理を乗せ、空いているテーブルに腰を下ろした。他のテーブルからこちらを窺う視線を感じたが、空腹を満たすことを優先した。
ソイズアル国は豊かに農作物が育つので、肉料理も少なくないのだが他の料理も数多く食べることができる。ナイルとローラは初めて目にした料理を、ああでもないこうでもないと味を吟味しながらも満足気に平らげていった。
『お酒ってどんな味がするのかしら』
「飲んだことないもんね。飲んでみようか」
ナイルは今までに村で食事をすることはあったが、酒を飲んだことはなかった。村に酒がなかった訳ではないのだが、なぜか村の人達はナイルに飲酒をさせなかった。それはドラクロアが村民に、ナイルに酒を飲ませないようにと頼んだことが原因だった。ナイルが飲酒をして、暴れて迷惑をかけたことがあるという訳ではなく、それはドラクロアの個人的な理由からなるお願いであった。
ドラクロアは若かりし頃、酒で非常に大きな失敗をしてしまったという過去があった。それは到底自分の口から云えるようなものではなかった為、ナイルにその理由を話すことはなかった。
ナイルが酒で過ちを犯すかどうかは分からないことなのだが、ドラクロアは自分自身がしてしまった過ちから酒の力を恐れている嫌いがあった為、ナイルを必要以上に酒から遠ざける結果になっていた。
ナイルは空になった皿を片づけると、二人分の酒を持ってテーブルに戻ってきた。
因みに酒は別料金だった。
『さて、どんな味がするのかしら』
「楽しみだね」
二人はそう云うと一気に酒を呷った。
「――苦い」
『うん、苦いわね』
「美味しくはないね」
『そうね、どうしてこんなもの飲むのかしら』
二人は思わず俯いてしまった。
「他にも色々あったけど、試してみる?」
『ちょっと悩むわね。他のも苦かったらと思うと――』
ローラは渋い顔をしていたが、ナイルは空いたコップを持って席を立った。暫くするとナイルは新たな酒を持ってきたが、それは先ほどの物とは異なり赤い色をしていた。
「これは苦くないんだって」
『赤い色してるわね』
「うん、果実酒だって」
『果実からお酒が造れるのね。道理で甘い香りがすると思ったわ』
二人は恐る恐るといった様子で、二杯目の酒に口をつけた。
因みに最初に飲んだ酒は麦のような穀物を原料として造られたもので、ソイズアルでは一般的な酒である。酒といえば大抵の店ではこれが出される。
『これは甘くて飲みやすいわね』
「うん、これなら飲めるね」
二人は果実酒の甘さに漸く安心して、酒を楽しんだ。この果実酒はポポノと呼ばれる果実で、その果肉は血のように赤い。糖度は非常に高く、作物の豊かに育つソイズアルでは、比較的安価で手に入れることができる。
ナイルは果実酒を五杯程飲んだのだが、一向に酔う気配が見られなかった。ローラも同様にまったく酔っていない。ローラは飲食したものを魔力に変換してしまう為、アルコールも魔力に変換されてしまう。そもそも妖精には脳がない。あるのは心である。
アルコールでは心を酔わすことはできない。心を酔わせることができるものがあるとすれば、それは心である。
ナイルの場合、ドワーフの祝福で毒を中和してしまうので、アルコールも例外なく即座に分解されてしまう。よって二人はどんなに飲酒をしても、酒に酔うことはありえなかった。
「酔った?」
『いいえ、全然』
「僕もそんな感じ、酔ってみたかったんだけどな」
残念と呟いてナイルは席を立った。
「もうお腹一杯だから、お風呂に入って寝ようか」
『そうね、たまにはこの姿でお風呂に入ろうかしら』
二人はコップを片づけると、他の客からの視線を集めながら食堂を出て行った。二人が出て行くと食堂で酒を楽しんでいた殆どの男達が、一斉に溜め息をついた。
ナイルとローラが食堂に入った瞬間、食堂にいた殆どの男がローラに興味を持った。純白の肌を真紅のワンピースのみで包み込んだ、同性でも見惚れる程の麗人。その麗人が、美しくはあるが子供のような顔をした、見た目だらしない男に笑いかけている。それは食堂で酒を楽しんでいた無頼漢には、面白い風景ではなかったであろう。男達は機を見計らってローラに声をかけようと、じっと二人の様子を窺っていた。そしてナイルが酒を飲みたいと一人で席を立った時、男達も同時に動き出そうとした。そして男達は混乱した。
立ち上がることができなかったのだ。足腰が立たなくなるほど酩酊している訳ではない。それなのに男達は、誰一人立ち上がることができなくなっていた。
魔法に精通した人であればその原因は分かったのだが、この場にいた無頼漢では理解することができないことであった。男達の顔に焦りの色が見えると、ローラがゆっくりと男達に顔を向けた。ローラの瞳は冷ややかだった。それは無頼漢達の心を凍てつかせる程に。その瞳を見た瞬間に男達は理解した。彼女に何かをされていると。理由も原因も分からないのだが、何かしらの力で動きを抑制されている。上半身は自由になる。しかし下半身が動かない。
ナイルが酒を持って席に戻ると、何故かその力はなくなり、自由に動くことができた。しかしナイルが席を離れると、再び動くことができなくなる。
そんなことが何度か続き、さすがに男達も萎えた。何故かは分からないが、あの女には手を出せない。出さない方が良い。僅かな時間での出来事であったが、それは十分に理解できた。
「風呂に入りたい」
ナイルは従業員に唐突に云った。
「畏まりました。御二人様で銅貨二十枚になります」
従業員は動じることもなく、丁寧に対応した。
「浴場はこちらの通路を進んだところにございます。手前のドアが男湯、奥が女湯となっております」
従業員は説明を終えると、ナイルから銅貨を受け取り、二人に桶を手渡した。
桶の中にはタオルが二枚入っているだけだった。
『一緒には入れないのかしら?』
「申し訳ありません。別々でお願いいたします」
『はあ――仕方ないわね』
平素ナイルとローラは一緒に入浴をする。ローラが小さな妖精の姿であれば、宿でも可能だったかもしれないが、現在ローラの姿は成人女性のそれである。さすがにその姿では一緒に入浴できないと、従業員は頭を下げた。
「たまには良いじゃん」
『いつも一緒だから、違和感があるのよね』
ローラは渋々と女湯のドアを開けて、ナイルと別れた。
ローラが湯浴みを終え、浴室から出てくると、男湯へのドアの向かい側にはナイルが壁に寄りかかって待っていた。ナイルは頬を若干赤く染め、満足気な表情を見せている。
「久しぶりのお風呂は気持ちいいね」
『ホントにね。待たせちゃった?』
「ううん、僕も今出たところだよ」
二人は従業員にタオルと桶を返すと、仲良く部屋に戻っていった。
因みにナイルは浴場で簡単に服も洗濯した。洗濯といっても衣服用の洗剤はなかったので、お湯を使って手洗いしただけである。適当に洗い終わった衣服を、風魔法で乾かして、洗濯は終了である。
ローラの着ていたワンピースに洗濯の必要はない。ワンピースも魔力で作り出したものだからである。
部屋に戻ったナイルはローブとズボンを脱ぎ棄てて、だらしなくベッドに倒れ込んだ。ローラは常態の姿に戻り、ナイルの上に横になった。
「ローラ食堂でなんかしてたでしょ」
『あら、気付いてたの?』
「そりゃ魔力が蠢いてたもん」
『そう、私達の食事を邪魔してこようとしてた男達がいたから、動けなくしてただけよ』
「そうなんだ。人の食事を邪魔しようだなんて、悪い奴等だね」
二人はこの日にあった出来事をつらつらと話しながら、笑ったり怒ったりして過ごした。暫く会話を続け、二人は静かに眠りについた。
それは町から人の気配が消えて行く頃、そして逃亡劇が始まった頃でもあった。
駄文乱文失礼しました。
今回も少々短いものになっています。
物語の進行上必ず必要な内容ではないですので
気休め程度に読んでいただけたなら幸いです。
誤字脱字は見つけ次第訂正いたします。
次回投稿は5/10-5/12の何れかになります。
12/7/10 修正を加えました。




