第二十話 始まり
とある村の土中からそれは発生した。
いつも通り畑仕事をしていた老夫婦は、何が起きたのかすら分からないままその身を引き裂かれ絶命した。
村の警鐘がけたたましく鳴り響き、村は騒然と絶望に包まれた。
警備の為にその村に駐屯していた兵のうち、数名が早馬に乗って村を飛び出していった。
そして村に残った兵は村民を護るべく、それに立ち向かった。
ここの村民は皆、この土地への愛着から退避命令に従わなかった者達である。
本来ならば、護る必要などないのかもしれない。
しかしフィロスはそれを善しとは考えていない。それはこの村に残った兵達も同様であった。
自分達は特殊な訓練に因って鍛え上げられた特別な部隊である。そこから生まれる自信は相当なものであった。
事実実力はある。村の周辺で発見される魔物程度であれば、一振りで終わらせることができる。多少数が多かったとしてもたいした問題ではない。所詮塵芥は塵芥なのである。
数が多いならば魔法を使えば良い。十や二十程度であれば、瞬く間に灰にすることができる。
彼等には自信があった。この村を護りきるだけの自信があった。
しかしそれは、絶望に因って打ち砕かれてしまった。
彼等の眼前にあるのは、山であった。
幾万もの魔物が蠢く山であった。
五十を数えた兵達は、既にその殆どが山に喰われた。
彼等が幾度剣を揮おうとも、魔法を放とうとも、山はその姿をまったく変えることはなかった。
夥しい量の魔物は、彼等の些細な抵抗などまったく意に介さず、愚直に凡てを飲み込んでいった。
最後に残った男は、膝をついて項垂れた。
村民はどうなったのだろう。
一人でも多く逃げることができたのだろうか。
一人でも多く救うことができたのだろうか。
自分達は、役目を果たすことができなかった。
自分が死んでしまうことよりも、それが悔やまれる。
甘く見ていたわけではない。
知識も情報も十分に学んだ。
どれほどの脅威であるかも知っていた。
それでも、自分達ならやれると信じていた。
どうか、一人でも助かっていてほしい。
そうすれば、自分達は報われる。
最後の兵は山に飲み込まれた。
時を同じくして、世界中で同様の現象が発生した。
土中から発生した魔物は、容赦なく凡てを飲み込んでいった。
しかしこれは発端でしかない。
厄災の時が訪れたのである。
厄災が発生する三日前。
フィロスはアークネース州に住まう凡ての人々に退避命令を発令した。
アークネース州で暮らす人口の数は凡そ五十万。
退避場所は予め各地に用意されているが、州都に近い場所に住んでいる人々はアクトリアへと集まってくる。
アークネースの中で、最も安全だと思われるアクトリアは、既に避難民の受け入れ態勢を整えており、十万人程度であれば容易に収容できる状態にあった。
厄災が治まるまでの時間で必要になるであろう資材も十二分に揃えられており、それは各地の退避場所でも同様であった。
フィロスが徴集した税の殆どは、これらの設備に使用されていた。
コルヌ達五人はフィロスの依頼により、アークネースの各地へ散開した。
コルヌは北へ、オプリは東へ、ヴィゴーレは西へ、アーラとメレナは南へ。
フィロスは城に残された兵達の半分を更に四つに分け、それをコルヌ達に宛がった。
彼等はフィロスから、自らの命を最優先することを確約させられている。
護るべき多くの人々の中に、彼等自身も含まれているのだと、フィロスは念を込めて命を下した。
ストレンスに因って集められた冒険者達も、既にアークネースを護る為に動きだしていた。
ストレンスが自らの知名度を最大限利用して集めた冒険者の数は二千程である。
素人同然の若者から、熟練された技をもつ兵まで、ストレンスは制限なく冒険者を掻き集めた。
戦う意思がある者であれば、どんな者でもかまわなかった。
戦わなければ、殺されるだけである。
その冒険者達の先頭に立つのは、勿論ストレンスである。
そしてナイルは、既にアリウムと共にアークネースを離れていた。
その理由はアリウムを村へと送り届ける為である。
厄災に因ってアリウムの村が消滅してしまえば、ナイルはアリウムからの願いを叶えることが不可能になる。そうなる前にアリウムを送り届ける必要があった。
しかしフィロスからアークネースを護る手助けをしてもらいとの願いもある。
そこでナイルはアリウムを送り届けることを最優先にしながらも、フィロスにひとつの提案をした。
その提案にフィロスは首を縦に振り、ナイルを快く送り出したのである。
ナイルはアリウムを抱えたまま、既に三日間走り続けている。
アリウムの村と云うのはアークネースとは異なる州に存在する為、アリウムがどんなに急いだとしても、十日以上の道程になる。
そこでナイルはアリウムを抱えて送り届けることにしたのである。
ナイル単独であれば、アリウムが十日以上かかる道程を約二十四時間程で走破することができる。しかしアリウムを抱えてその速度で走ろうとすると、アリウムの身体がもたない為、ナイルはアリウムに負担がかからない限界の速度で走り続けている。
そして太陽が傾こうかと云う頃、ナイルは漸くアリウムの村に到着した。
幸いなことに厄災が発生した形跡はなく、森の中に存在するアリウムの村は緊張感がありながらも、いつも通りの日常を過ごしていた。しかし厄災の前兆が各地で発生していることはこの村にも伝わっている為、若い男衆などは戦の準備などをしていた。
ナイルは間に合ったことに安堵して、少々疲れの見られるアリウムを降ろした。
突如として村に現れたナイルを村の獣人は訝しんだが、アリウムの顔を見た彼等は表情を一変させてナイルを迎え入れてくれた。
二人は暫くの間村民達に囲まれ身動きが取れなかったのだが、漸く解放されると二人はアリウムの家へと向かった。
「よく帰ってきた。皆心配していたのだぞ」
体格のがっしりとした長身の獣人が、アリウムを強く抱きしめた。
それを発端に家の中にいた全員がアリウムを囲み、涙を流して喜んだ。
「君がナイル君だね。娘を助けてくれて、本当に感謝する」
アリウムから離れた十字はナイルの手をしっかりと握ると、深々と頭を下げた。
「気にしないて、たまたまそうなっただけだから」
「そうだとしても、娘が無事にここにいると云う結果は、ナイル君のお蔭だと云うことに変わりはない」
アリウムはナイルに父のことを紹介した。アリウムの父であり、この村の村長である彼はフィストと云う名であった。
ナイルはアリウムの家族に手厚く迎えられ、随分と豪勢な食事にありついた。
まともな食事をするのが三日振りだった為、ナイルは大いに喜び、大いに食べた。
厄災と云う大きな絶望が迫っている最中、アリウムの帰郷は村を大いに喜ばせた。
その日、細やかではあったが村は賑わいを取り戻した。
しかしアリウムの表情は、少しだけ曇っていた。
「ナイル君、村にはいるまでいられるのかね」
「長居はしないよ、用事もあるから」
「そうか、それは残念だ」
ナイルはアリウムを送り届けた後、アークネースへ戻るつもりでいた。
「この村にもいつ厄災が起きるかは分からない。しかし私を含めこの村には腕に覚えのある者が殆どなのだ。他の土地に比べれば、比較的安全な場所だと思うのだが、それでも行ってしまうのかね?」
「うん、僕なら何処にいても大丈夫だしね」
「ほう、それは腕に自信があると云うことかね」
フィストの瞳に感謝の念とは異なる感情が表れた。
それは戦うことを好む獣人特有の感情が表れたものであったが、恩人であるナイルに対して無礼を働いてはいけないと、理性が本能を抑え込んでいた。
「ナイルは、やはり行ってしまうのか」
「うん、これでアリウムからのお願いも達成できたしね」
「そうか――」
アリウムは微笑みを崩さないナイルを直視することができず、言葉を上手く紡ぐことができなくなってしまった。
それを見ていたアリウムの母は何かに気づき、面白いものを見つけたと云う風にその口元を緩めた。
男勢は揃って鈍感だったのか、恩人が大した持て成しもできないまま去ってしまうことが悲しいのだろうと勘違いしていた。
「そう云えば、フィストさんはじいちゃんの友達なんだよね?」
「じいちゃん? 誰のことだね」
「ドラクロア・マグナスだよ」
ナイルの口からドラクロアの名前が発せられるとは思っていなかったフィストは驚愕の表情を浮かべて暫く硬直した。
「アリウムがそう云ってたんだけど、違うの?」
「ドラクロアの孫だと!?」
フィストは自分とナイルの間にあった机を吹き飛ばして、物凄い勢いでナイルに詰め寄った。
「僕は孫じゃないよ、じいちゃんに育てられただけだよ」
「ドラクロアが育てた――とても信じられん」
これまで数人ではあるが、ナイルは自分がドラクロアに育てられたことを説明してきたのだが、未だに直ちに信じてもらった覚えがない。
ナイルが未だ知らない、ドラクロアが仲間内でどのような存在として認識されていたのか、それが少しずつ分かっていくのがとても愉しかった。
「いや、あの男にそんなことができるとはとても信じられんのだ。本当にナイル君はドラクロアに育てられたのかね?」
「本当だよ。七年くらい一緒に暮らしてたから」
「七年もあの男と一緒に――それは辛い思いをしたのだろうな」
フィストはナイルの七年間を想像するだけで、思わず涙腺が緩みそうになってしまい、その苦労を労った。
通常、ドラクロアと云う人物を深く知る者達はこう云う反応をするものである。
フィロスの場合はドラクロアを信仰している節がある為、そうとも云い切れないのだが、その他の多くの人間はドラクロアのことをフィストが思っていることと同じように思っている。
問題児、人格破綻者、疫病神。ドラクロアへの悪口には暇がない。
しかし一方でドラクロアは英雄と呼ばれているのだ。
その恐ろしいまでに隔たりのある二面性は、まるで別の人物であるかのようであった。
唐突にアリウムの母がナイルに声をかけた。
「ナイルさん、今日は泊まっていきなさいな」
ナイルとしてはこの村に一泊していくつもりは毛頭ない。
さっさとアークネースへ戻ろうと考えているのだか。
しかしこの母の言葉には何か得体の知れぬ威圧感がある。
何故かナイルは泊まっていくことを了承してしまっていた。
それからはフィストの家の中だけで納まっていた宴が、いつの間にか村全体を巻き込んだ宴会に発展してしまい。結局ナイルは殆ど眠ることもできなかった。
男衆はナイルの実力を測ろうと引っ切り無しに喧嘩を売り、女衆はナイルの顔を見た途端にまるで発情したかのようにナイルに飛びかかろうとする。
フィストもナイルと手合せをしたくて堪らないと云った表情を浮かべているが、ナイルは大切な愛娘を救ってくれた恩人であると云う事実が、フィストの中で爆発しそうな闘争心を薄皮一枚でなんどか抑え込んでいた。
しかし酒が入ってしまうとそのあまりにも脆弱な理性はあっさりと本能に屈してしまい、結局ナイルと暫しの手合せを愉しんだ。
そして愉しかった宴も終わり、それは唐突に訪れた。
村民は分かっていたのかもしれない。厄災はもう、すぐ近くにいたことを。
村の外にある森の一角が大きな爆音を轟かせ乍ら吹き飛んだ。
それと同時にまるで大地が吼えたかのような地響きが起こり、村も大きな振れに襲われた。
村民はその直前に全員が覚醒し、表情を一変させた。
その瞳はうっすらと赤く変色し、全身の体毛が逆立っていく。
ナイルは勿論厄災の接近に気づいていたのだが、獣人達の変化のほうに興味を惹かれていた。
「すまないナイル君、巻き込んでしまった」
「帰るの遅くなるかもしれないなあ」
「なに、そう時間はとらせんよ。私達も準備はしてあるのだから」
フィストはそう云うと大きく咆哮した。
それに村民は瞬時に反応し、それぞれの持ち場へと散開する。
その動きは実に俊敏で、また非常に統率のとれたものであった。
村民全員に迅速に武器や防具が受け渡され、速やかにそれを身に纏っていく。
その動きだけで、どれほどの訓練を重ねてきたのかを窺うことができた。
そして全員の用意が調うのとほぼ同時に、厄災が村を襲った。
ナイルは初めて目にする厄災をじっと見つめている。
優に万を超えるであろう膨大な量の魔物は、まるで山のように凝り固まり、森を飲み込むように侵食していく。
それはナイルが生まれ育った森の中で見た魔物達。そして見たことはないが知識にはある魔物達であった。しかしその中にナイルの知らない魔物の姿も窺える。
この魔物の山は、ナイルにとって実に興味深いものであった。
そんなナイルを置き去りにして、厄災と獣人達の戦が始まった。
時を同じくして、アクトリアを囲む山のひとつが崩壊した。
厄災が山のひとつを食い破って噴出したのである。
その光景に人々は呼吸を忘れ、そして次々に悲鳴を上げた。
しかし山を食い破った厄災は、噴出した形のまま動きを止めていた。
厄災の表面には薄い硝子の膜のようなものが窺える。それは太陽の光を反射して実に幻想的な光景を創り出していた。
「此れ程とは、凄まじいな」
「はい、さすがは自然種最大の魔力を持つと云われる妖精――と云ったところでしょうか」
『そう長くはもたないわよ』
「そうか、しかし仮令僅かな時間でもありがたい。クラノス」
「御意」
フィロスの言葉にクラノスが頷くと一瞬でその場から掻き消えた。
現役時代と同じ装備に包まれたフィロスは、鞘からゆっくりと剣を抜いた。
その剣は漆黒の剣であった。
嘗てドラクロアと共に討伐した黒龍の爪を鍛え上げた、最上級品である。
フィロスは少しの時間目を瞑り、ドラクロアへ祈りを捧げた。
『もうダメね、壊されるわ』
「今度こそ、護り抜いてみせる」
厄災を囲っていた氷が砕け散った。
雪崩のように襲いくる厄災に、ローラを含めた数人の妖精達が一斉に手を翳した。
『ナイル――あなたは何を、思うのかしら』
駄文乱文失礼しました。
誤字脱字は見つけ次第訂正いたします。
次回投稿は、9/13-9/15の何れかを予定しています。




