第十話 竜人種との出会い
今週の話はタイトルの通りの話です。
捻りも何にもないです、良い言葉が思い浮かばなくて…。
まあいつもそうなんですけどね。
「本当に乗っていかなくて良いのかい?」
「うん、大丈夫」
ナイルは馬車の御者に、ありがとうと言葉を返した。御者はにっこりと笑い、気を付けてと手を振って馬車を走らせた。
アクトリアへと続く街道の途中、ナイルは幾人もの人々を目にした。
剣を腰に携え、肩で風を切って歩く剣士。
フードを目深に被って、少し俯き加減に歩く魔法師。
悠々と馬に乗り、口笛などを吹く旅人。
たくさんの荷物を詰め込んだ馬車を進ませる、商人達。
父と母に手を繋がれた、幼い男の子。
定期的に街道を巡回する兵士達。
アクトリアに近付くにつれ、街道の人通りは増えていった。
ナイルは目に映る全ての人々をしっかりと観察しながら、ゆったりと歩く。
「あの人達はもしかして、竜人種かな?」
ナイルの視界に独特なシルエットが映りこんだ。優に二メートルを超える長身。鎧の隙間から見える肌には、鱗が窺える。背に相当な重量であろう大剣を担ぐ者もいる。そしてその面影は、物語の挿絵で見た竜であった。
竜人種は五人で固まって歩いている。恐らく冒険者の一団なのだろう。
「ナイルが云っているのは、あの集団のことか? よくこんな距離で見えるな」
アリウムの視力では、ナイルが見ている竜人種は黒点にしか見えない。
「竜人種はプライドが高いんだ、下手に話しかけない方が利口だと思うぞ」
「そうらしいね、本にも書いてあったよ。でも話してみたいなあ」
竜人種はかつて、アズナイルのほぼ全域を支配していた種族であった。魔力は自然種に遠く及ばないが、それでも身体能力と生命力は全種族の中で最も高く、その膂力は五百キロの重量をも軽々と持ち上げると云われ、竜人種一人を相手にする場合、獣人種五人以上の力が必要と云われている。当時その数自体は他の人種よりも多少少なかったのだが、生まれ持った力を遺憾無く使い、力に依ってそれらを支配していた。その時代は三百年程続いたが、やがてその栄華は衰退していった。
その最大の原因は猿人種の急激な人口増加、そして竜人種の減少である。
当時猿人種は竜人種の奴隷的な扱いをされていた。非力な猿人種の作業効率を上げる為に、竜人種は猿人種の人口増加を促した。それと時を同じくして、竜人種に病が満盈した。この病は竜人種のみに感染する類のものであったことと、当時では治療の難しいものであったこと、そして発病した竜人種の実に六割が命を落とすということから、急速に竜人種はその数を減らしていった。
猿人種の人口増加は既に竜人種の支配を離れ、やがて竜人種の支配から脱却したいという感情が、表面に発露されるようになった。そしてそれは戦争を生みだすことになる。
猿人種はその数を増やす一方、他の種族との繋がりをじっくりと広げていった。竜人種が病で数を減らしていく中、猿人種は竜人種に隷属しながらもその勢力を着実に広げることに成功していた。もはや竜人種には猿人種を含め、他の種族を支配できるだけの勢力を失っていた。そして現在から遡ること千二百年程前、歴史上猿人種が初めて世界の支配権を掴んだ戦争が始まった。
竜人種は、猿人種とその他の種族からなる圧倒的物量に為す術もなく敗北し、更にその数を減らした。一時期は絶滅寸前まで追い込まれた竜人種は、千二百年たった現在、穏やかではあるが、少しずつその数を増やすことに成功している。
現在でも殆どの竜人種が、奴隷であった他の人種をある程度差別的な目で見ている。好んで争う事はなかったが、猿人種と肩を並べて歩くようなことは、極めて稀であった。
竜人種は猿人種の支配する世界を当然快く思ってはおらず、しかし猿人種の能力である数と知恵は大いに認めている。認めてはいるが、やはり当時の栄光を忘れた訳ではなく、誰もが再びの栄華を胸に抱いている。
「何か口論してるみたいだね」
「そんなことまで分かるのか、その視力はおかしいだろう」
『彼等から不穏な雰囲気が零れているのよ。ナイルはそれを感じたの』
「そうなのか、私にはさっぱり分からない」
アリウムは目を細めてそちらを凝視するが、もともとイヌ科の獣人は遠目が利かない為、すぐに諦めた。
暫く歩くと、アリウムの目にもようやくそれらが竜人種であると確認できた。
竜人種は五人。その誰もが一流の戦士であるといった風貌をしている。アリウムはこの竜人種の誰にも、今は敵わないだろうと認識した。しかしそれでも、ナイルには遠く及ばないとも理解した。
もしかしたら、ナイルは彼等に話しかけるのではないか、というアリウムの予感は見事に的中した。
「こんにちは、何を云い争っているの?」
「なんだお前は、気安く話しかけるな」
一人の竜人種が苛つかせた顔をナイルに向けて、威嚇する。
「そんな事云わないで、僕にも教えてよ」
ナイルはそんな竜人種の威嚇を無視して、自分の好奇心を満たそうとした。
「君は変わっているねえ、竜人種に気安く話しかける猿人種は珍しいよ。しかも君は僕達の言葉がとても上手だね」
「言葉変じゃなかった? 教わりはしたけれど、こうやって使うのは初めてなんだ」
唯一温和で軽やかな雰囲気を醸し出す竜人種が、ナイルに興味を持った。
このときアリウムには、ナイルと竜人種の会話が理解できていない。言葉が分からないのだ。ナイルはこの時、竜人種が使用する言語の中で、最も一般的な言語で話しかけている。それはソイズアル国ではあまり使われない言語であった為、アリウムにはナイルと竜人種の対話を理解することができていなかった。
何故ナイルがこの言語を選んで話しかけたのか。それは竜人種が自分達の扱う言語すらも、他のそれよりも優れていると思っており、この言語や文学を非常に大切にしているということを、ナイルが認識していた為である。
ドラクロアの教えから、ナイルは基本的に全ての人種と会話が可能である。そして何故世界の言葉が統一されないのか、ドラクロアは自分の見解を教えていた。
言葉とは文化である。それがドラクロアの見解であった。
アズナイルの世界に人類が生まれたのは、そう古い話ではない。遡ったとしても高々八千年程度である。
それはアズナイルという星の話から見れば、一瞬の出来事である。しかし人類はその八千年の中で、他の生物を圧倒的に凌ぐ速度で進化し、成長していった。
生物が人類として進化するまでに、人類が今までに過ごした歴史を遥かに上回る時を要している。それは千や万ではなく億という単位である。
妖精種が現在、人類の形に酷似しているのは、それだけ人類がアズナイルに大きな影響を与えているからである。人類が誕生する以前の妖精は、現在のような形をしておらず、動物の形や植物の形、光り輝く球体であったりした。
世界の顕現である自然種は、世界に影響する対象に引きずられる形で顕現する。
現在世界に最も大きな影響を与えているのは人類であると、自然種はその身で示しているのである。
これほどまでに早急に人類が進化した理由は、言葉の力が大きいとドラクロアは考えた。
言葉は内なる世界を外界へと表現することができる。
外界へと放たれた個人の世界は、外界を変化させることが可能であった。
個人の言葉が他人へと伝わり、やがてその考えや思想が湾曲しながらも伝播し、世界を変えるに至る。個人の意思は既に個人に収まらず、集団の統一された認識になる。
それはやがてそれぞれに派生し解体され再構築され、それを幾度も繰り返しひとつの常識として形成される。
言葉とはまさに、人類が初めて手にした魔術であったと云える。ドラクロアはそう考えた。
言葉から発生した認識は、それぞれの土地や種族間で、数多くの文化を生み出していった。文化とは言葉が生み出した、集団内でのみ有効な機能である。文化と文化は混ざり合うことが難しく、逆に排他的である。
それは積み重ねてきた時間が多ければ多い程、顕著になり、頑なになっていく。
一度形成された文化を覆すことは難しく、文化を広める為には、既にある文化を滅ぼし、上書きすることがもっとも簡単な方法であった。
それは勿論遺恨を生み、争いの種になる。それでも人々は自らの文化を押し付け、また排除する為に争い続けた。
それほどまでに各々が持つ文化とは、各々を形成するうえで重要なものであることが分かる。
現在では、互いに尊重する事ができるようになった為、争いも少なくなった。しかしそれでも、小さな諍いは各地で起きており、人々が争いを止めようとすることはなかった。
集団が集団として在る為の機能として文化はあり、それは侵されること極端に嫌う。ドラクロアはその考えから、ナイルに様々な種族の文化を、自分が知る限り教えていた。
集団には自らが持つ文化を理解できる者としか、意思を疎通させないこともある。
文化を生み出した言葉は、異文化間を交流させるのに非常に有効な手段になる。自らと同じ言葉を話すことができると云うだけで、文化は容易に受け入れてくれることもある。勿論その限りでない場合も少なくはない。
しかし言葉が通じない場合は、頑ななまでに文化は外界を拒絶してしまうことが多い。この理由から、ナイルは竜人種が使用する言葉を使うことで、竜人種の警戒を解こうと考えたのだ。
勿論言葉が通じるだけで警戒が完全に解かれることはないが、幸いにも一人の竜人種がナイルに興味を抱いたように、交流を生み出すことにはどうやら成功したようだ。
「おい、猿人種なんかと気安く話すんじゃない」
「お前は頭が固すぎるんだよ、だから友達ができないんだ」
「それは関係ないだろうが!」
「いや関係あるね。お前には社交性ってのが足りないんだ」
「そんなもの、何の役にも立たん。俺にはこの腕力だけで十分だ!」
竜人種はそう云うと、近くにあった岩を叩き割った。
「はあ、大昔の竜人種はな、みんなお前みたいな考えをしてたんだよ。だからこそ一度滅びかけたんだ。お前だって分からない訳じゃないだろう?」
「いいや、分からんね。過去の竜人種が戦争に負けたのは、弱かったからだ。どんなに群れようとも、俺にとって他の種族など塵芥と同じだ!」
竜人は頑なに力こそ全てと吠え続けた。
「ねえ君、どう思う?」
傍観を決め込んでいた温和な竜人がナイルに問いかける。
「自分の力を過信するのは、よくないと思うよ」
「そうだよねえ、私もそう思うんだよ。彼は確かに腕力が凄いんだけど、その代わりにまったく頭を使わなくてねえ。私達も苦労してるんだよ」
温和な竜人がやれやれと肩を竦める。
「それで、どうして口論してたの?」
「まあいつものことなんだけどね。私達はね、猿人種や獣人種の人達とも広く交流を持つべきだと思っているんだよ。だから各地を巡って色々な種族の人達と会う旅をしているんだ。もうかれこれ二年くらい旅をしているんだけどね、やはり直接会ってみないと分からないことも多くてねえ、学ぶことが多いね」
「他の種族のことを学ぶ旅をしてるんだ、面白そうだね」
「そうだろう? でもね、なかなか上手くいかないことの方が多いんだよ」
「それはどうして?」
「私達が竜人だからさ。もう随分昔のことのはずなんだが、今でも支配されていた時のしこりが残っているようでね、なかなか話を聞いたりできないんだよ。」
「支配されていた時のしこりかあ。それで、どうして口論していたの?」
「ああすまない、全然関係ない話をしてしまったね。私達は他の人種を知る為の旅をしていると云っただろう? 彼はね、つい最近私達の旅に同行するようになったんだ。まあ彼は他の種族を知りたくて同行してるんじゃないんだけどね。それでね、私達は他の種族とできるだけ交流を持とうとしているんだけど、彼は聞いての通り他の人種のことを非常に見下しているんだ。それに比べて私達は他の種族の人達のことをそんなふうには見ていない。猿人も獣人もそれぞれに優れたところがある。確かに竜人が持つ身体能力は、他の種族を圧倒しているだろう。だからといって見下していいなんてことはないと、それが私達の考えなんだね。だから彼と私達の思想って云うのは、根本的に違っている。今回の口論もそれが発端になっているんだね。他の人種と仲良くしようとする私達が、彼には気に食わないのさ。」
竜人種でありながら、他の人種を自ら交友関係を持とうとすることは非常に珍しい。竜人種には、自らを至高の種族と定め、他の種族を支配すべきという考えがあり、それは竜人種の文化のひとつでもある。それは竜人種が持つ文化の中でも古いものである。文化は積み重ねた時間が長ければ長い程、覆すことは難しくなる。しかし彼等のように、今の竜人種の在り方を疑問に思う者も存在する。それは比較的若い世代に多く見られ、彼等以外にも、他種族との交流を持とうとする竜人は、数は少ないが存在した。
勿論殆どの竜人種はその行為を快く思わず、彼等の立場は非常に悪いものになっている。しかしそれでも、彼等は自らの行動を恥じることも悔いることもない。
古くから続く非常に排他的な文化を続けていては、何れ竜人種は滅びゆくかもしれない。
彼らは確信している訳ではなかったが、ぼんやりとそう感じている。
他の文化を取り込まず、他の文化に知られもしない文化は、誰に知られることもなく、いつの間にか消えてしまう。
誰の記憶にも記録にすらも残らない文化は、いつかそれが絶えてしまったとき、その文化があったこととすらなかったことになる。その文化は発生まで遡り、その発生自体を否定されてしまうこともある。
彼等がそこまでのことを考えているかは定かではない。しかし竜人種のこれからを思い、行動を起こしていることは間違いないことであった。
「今もね、猿人種の旅人に話しかけようとしたら、あれだよ」
温和な竜人が親指で荒れる竜人を指す。彼の怒りは未だ治まらないようで、ナイルに蔑むような視線を向けている。
「ナイル、あまり関わらない方が良いのではないか?」
アリウムが心配そうにナイルへ話しかける。
「ふん、貴様のような軟弱な猿人種が、気安く話しかけてくるんじゃない」
竜人がナイルの肩を突き飛ばした。しかしナイルの身体は微動だにしない。
「貴様!」
アリウムが咄嗟にナイフに手をかけるが、ナイルがそれを制する。アリウムの不満は治まらなかったが、ナイルに従い一歩後退した。
「おい、なんてことするんだ! 君怪我はなかったかい?」
温和な竜人がナイルの肩を心配する。通常であれば竜人種が小突いただけでも、猿人種の身体は無事では済まない。
「うん、大丈夫だよ」
「はん、やせ我慢は止めるんだな。猿人種如きが竜人種である俺に触れられて、唯で済むわけがない」
「そう云われてもなあ、たいした力でもなかったし」
「なんだと!」
たいしたことはないと微笑むナイルは、竜人の逆鱗を僅かに刺激してしまった。しかしナイルは人の心情を汲むことが非常に苦手な為、竜人を逆撫でしていることに気付いていない。
周りの竜人種は、熱り立つ竜人を宥めようと必死である。
「貴様、俺を侮辱するか!」
「侮辱なんてしてないよ?」
『面倒臭い男ね、煩わしくなってきたわ』
ローラが少々苛つきだした。
「妖精だと? なるほど、貴様祝福持ちだな?」
「うん、そうだよ」
「へえ、それは珍しい。是非とも話を聞かせてくれないかな」
温和な竜人がナイルに詰め寄ろうとしたが、それは遮られてしまった。
「なるほどな、祝福持ちならば俺に小突かれても無事でいられても得心が行く。おおかた常に強化の魔法でその貧弱な身体を守っているのだろう。そうでなくては今頃貴様の肩は、粉々になっていてもおかしくはないからな」
「いやいや、それはないだろう、お前は無知だねえ。強化という魔法はね、使用すると使用箇所が発光するから一目で分かるんだ。それにこの青年は今、魔力を使っていない。魔力の流動をまったく感じないからね」
温和な竜人はそれなりに魔法に精通しているらしく、ナイルの魔力の流動を感じているようである。
「僕は強化とか使わなくても強いからね。必要ないんだよ」
「猿人種風情がでかい口を叩くじゃないか」
口調は少し和らいだが、彼の内心は穏やかでない。
竜人種の身体能力は他の種族を圧倒している。その差はあまりにも大きく、猿人種など小突く程度で絶命させられる程である。
この竜人がナイルを突き飛ばしたとき、手加減はしたものの死んでも構わないと思っていた。また、下等な猿人種は群れることでしか生きることができないもの。個人の力は虫螻同等でしかない。その命もまた、虫螻同等であると思っている。
その虫螻に、至高の種族である竜人種の力など、たいしたことはないと侮辱されたのだ。心穏やかでいられるはずがなかった。
「ところで、どうしてあなたはこの旅に参加したの?」
「懲りない虫螻だな。猿人種如きが気安く話しかけて良い存在ではないのだと、その身体に刻み込んでやろうか!」
「おい待て、何を――!」
荒ぶる竜人が勢いのままにナイルの胸倉を掴んだ瞬間。その竜人は手首を返され、いとも容易く大地に背をつけた。
「あ、ごめんつい」
ナイルは条件反射で投げてしまった竜人を起こしてやり、背に付いた土を払ってやった。アリウムはその光景を見て、自分の心が急激に冷めていくのを感じた。
やはりナイルにとって、この程度の竜人など足元にも及ばないと理解したのだ。
それならばナイルの心配などする必要はない、ナイルの気の済むように、やりたいようにやってもらえればいいと思い至った。
荒ぶる竜人を止めようとした他の竜人は、一瞬の出来事に思考が止まってしまい。その光景をじっと見つめているだけだった。
投げられた竜人は何が起こったのか全く理解しておらず、一時的に怒りを忘れ呆然としていたが、自分が投げられたのだと漸く理解すると、先程よりも大きな怒りで心中を満たしていった。
「ごめんごめん、条件反射で投げちゃった。危ないから突然掴んだりしない方がいいよ」
「許さん――この虫螻風情が!」
荒ぶる竜人は背の大剣を抜き放ち、稲妻のような咆哮と共にナイルに振り下ろした。
竜人が振り下ろす大剣は、音を切り裂く衝撃波を伴いながらナイルに襲いかかる。
それを見ていた他の竜人の全員が同時に、ナイルは死んだと確信した。放たれた大剣は、既に止められるようなものではなく、下手をすれば無関係な人々すら巻き込みかねない一撃であった。
ナイルは振り下ろされる大剣をのんびりと観察する。
音速を超える程の斬撃。それはナイルにとって然したる脅威ではなかった。
斬撃の速度で云えば、ドラクロアのそれよりも遥かに緩慢である。
斬撃の威力で云えば、ドラクロアのそれよりも遥かに貧弱である。
斬撃の技術で云えば、ドラクロアのそれよりも遥かに稚拙である。
しかしいくら祝福をもつナイルであっても、この斬撃の直撃を受ければ傷を負うことだろう。そしてこの斬撃を躱せば、周りにいる誰かに被害が出る可能性もある。そうなると、この斬撃はナイル自身が止める必要がある。
答えを導き出したナイルは、そっと左手を振り下ろされる大剣に翳した。
殺す。唯それだけの感情を籠め大剣を揮う。
怒りに支配された竜人はその一振りに技術などを籠めることはできなかった。膂力に任せ、真っ直ぐに振り下ろすだけでは、剣術等とは云えない。それでも竜人の一振りは大地を砕くに至る程の威力を秘めている。至高の種族を愚弄する、虫螻同然の猿人種に対する攻撃としては、余りあるものである。
この斬撃は肉を断ち、骨を砕くに止まらず、虫螻の身体を粉々に四散させる。
その跡形もなくなった虫螻を想像して、荒ぶる竜人はうっすらと微笑んだ。
そして漸く、竜人の怒りはナイルへ到達した。虫螻へ向けられた怒りは今、虫螻の左手の中で静止している。
ナイルは左手の指だけで大剣の刃を掴み、竜人の怒りを抑え込んだ。
刃を掴んだ瞬間に、少々ナイルの足が地面に陥没したが、被害はそれだけだった。
「こんな風に振り回したら、怪我人が出ちゃうよ」
ナイルは涼しい顔で竜人に忠告する。
「馬鹿な!」
荒ぶる竜人は更に力を籠めるが、大剣は微動だにしない。押すことはおろか、引くこともできない。
竜人には理解できなかった。虫螻が至高の種族である竜人の刃を止める現実を。
それは周りで見ている竜人種も同様であった。しかし二人だけ、ローラとアリウムだけは然したる驚きを見せてはいない。
ローラは退屈そうに成り行きを見つめ、アリウムは更なる好意の眼差しをナイルへ向けているだけである。
「さすがはナイルだ、私には斬撃が全く見えなかった」
「爺ちゃんのに比べたら、随分と緩やかな振り下ろしだよ」
「なるほど、さすがはドラクロア様といったところか」
アリウムは納得したように、うんうんと頷いた。
「おいおい、冗談だろう? ヴィゴーレが子ども扱いだぞ」
「うん、実に興味深いね。正直絶対に死んだと思ったよ」
荒ぶる竜人の名は、ヴィゴーレと云うらしい。そのヴィゴーレを容易く制するナイルに、温和な竜人は興味が尽きない様子である。
「くっ、貴様放せ!」
「もう暴れない?」
「分かった! 分かったから放せ!」
ナイルはそれを聞くと微笑みながら大剣を放した。
大剣に籠めていた力がヴィゴーレへ一気に逆流し、思わず尻餅をつく。そしてヴィゴーレは呆然とナイルを見上げた。
虫螻であるはずの猿人種が、全力ではないにしろ、竜人の一撃を容易く受け止める。その事実はヴィゴーレに強烈な衝撃を与えた。
ヴィゴーレの中にあった価値観に亀裂が入った。絶対的強者であるはずの竜人の理が、たった一人の猿人種の細やかな動作によって、大きく揺さぶられていた。
今まで自分の中にあった真実は、虚像であったのか。否、そんなことはありえない。事実今まで、自分に勝る力を持つ者など存在しなかった。それは他の種族は当然としても、同族である竜人種の中でも、存在しなかった。
自分の力は何よりも勝る。自分を超える力など、この世には存在しないのだと、ヴィゴーレのこれまでの人生が物語っている。しかしそれはあくまでも、ヴィゴーレの中にしかない世界での物語でしかなかった。
そして今日、ヴィゴーレは無限に広がる外なる世界と対面した。
「なんか悪いことしちゃったかな?」
「いやいや、君は凄いね。気にすることはないよ、ヴィゴーレにもいい薬になったと思うからね」
温和な竜人がナイルの肩をぽんぽんと叩き、楽しそうに笑っている。
「私の名はコルヌと云うんだ。どうだろう、よければ私達と話をしてくれないかい?」
「うん、よろこんで」
ナイルはコルヌの提案に、笑顔で頷いた。
駄文乱文失礼しました。
この作品を投稿し始めてから、二ヶ月が経ちました。
PVとユニークの総数も、私の想像を超える数になっています。
本当にありがたいです。
また評価ポイントを付けていただいた方、ありがとうございます。
もし良ければ、気軽に評価していただけるとありがたいです。
仕事が忙しかったせいか、ストックが枯渇してきました。
もしかしたら配信遅れるかもしれませんが
そうならないように頑張ります。
次の投稿は、6/3-6/5の何れかになります。




