◆渇愛の螺旋◆
コポッ…コポッ…
――最期まで抱いていたモノは
――思い出す事も罪だと言うのだろうか
◆―NO,N-32991…◆
朝陽の差し込むベッドの上で気だるそうに髪をかき上げる。光の加減で濃い紫にも見えるその紺色の髪が指先からパラパラと頬に落ちた。
産まれた時から体内にVS480があった彼は生まれながらの天才。成績は常にトップで最優秀。一度聞いた事、一度見た物は忘れる事はない。種田 叶羽彼の中では全てが記号でしかない。
「ちっ…」
肌に纏わりつく長い髪に、訝しげに眉をしかめて舌打ちをする。
グッ!! バサッ!!
「何で君がここで寝ているんですか。ここは僕のベッドです。誰が寝ていいと言いました」
叶羽は女の長い髪を掴んでベッドの下に叩きつけるように突き飛ばす。
「ひっ!?っう…」
顔面から床に落とされた女は両手で口元を覆って苦痛に顔を歪める。
「はぁ…何で僕の部屋を汚すんですか…その血が床に一滴でも落ちたら…
ワカリマスか?」
蠍が巻きついた柄の鋭利なナイフを女の眼球の前につき立て、腰にタオルだけを巻いた叶羽の瞳は蔑むように光を失っていた。
「ひ…ぃやぁぁっ!!」
女は床に散らばった服を乱暴に掴むと、そのまま裸で部屋を飛び出して行く。
「はぁ…」
机の引き出しからスプレー容器を取り出すと、ベッドや床部屋の至る所に吹き付ける。
スプレー容器をベッドに放り投げると、そのままシャワールームに入って行った。
肌がヒリヒリするくらいの熱いシャワーを勢いよく出すと、頭からその中に入る。
朝起きて。朝食を取り。いつもの道を歩き。いつもの門をくぐり。いつもの席に座り。見慣れた顔と他愛もない会話をして。昼食を取り。またいつもの席に座り。またいつもと変わらない顔と他愛もない会話をして。いつもの門をくぐる。
「馬鹿馬鹿しい…」
まるで唾を吐くかのように零れた言葉。
緑化公園の噴水の前に並ぶベンチに座り、黒い縁の眼鏡を指で押し上げると鞄の中から一冊の本を取り出す。
噴水に腰を下ろした二人の少年が僕をチラチラと見るのが分かった。どこか羨望の色を讃えたその瞳。
この白い制服のせいなのは理解っている。学園でも最も優秀な生徒に与えられる、自分の存在を誇示する白い鎧。
「おーい!聞いたか?ゼツメツしたイヌって動物が再生してパークに来るんだってー」
二人の少年に駆け寄って来た少年が、息を切らせながらも顔を真っ赤にして伝える。
「何だよイヌって」
「俺。本で見た事あるー」
「ゼツメツって何だ?」
「さぁ…先生が言ってたから」
「分からないで言ってんのかよ!やっぱバカァ~」
ワイワイと噴水の周りを走り回る少年達。僕にはそんな友達は居なかった。産まれた時から施設の奥で見た事もない本や絵や記号を覚えさせられて、友達と遊んだ記憶もない。
「生物種の個体全てが死んでしまう事…」
僕がポツリと呟くと、小さく笑う声が背後から聞こえた。
「どうしたの。絶滅種に興味でも湧いた?」
待ち合わせをしていた女が僕の隣に座ると、同じように鞄から本を取り出す。
「いえ。何も興味はないですよ」
「そうよね…貴方は何にも興味を示さない(クスッ」
女は小さく笑うと無駄口を叩くことも無く静かに本を読み始めた。
僕も昼下がりの穏やかな陽を浴びながら、静かな時間を過ごす。
持っていた本をパタリと閉じると、隣の女も同じタイミングで本を閉じた。
「行きましょうか」
僕は鞄に本を直して立ち上がると、女も立ち上がり僕の腕に白くて長い指を絡めてくる。
女が僕に触れた瞬間。コレも違うのだと感じた。
細い溜息が零れる。
夕陽が沈む薄暗い路地裏。求められるままに体を繋げたが、やはり満たされない。
どれだけ繋がっても、誰と繋がっても僕の心にぽっかりと開いた小さな穴を吹く風を止める事は出来ない。
でも求めるんだ体が。「繋がれ」と求めて求めて、でもいつまでも満たされないまま。
この体と心が満たされる日が来るのだろうか。
「叶羽君…」
「…戸上さん」
いつも目を合わせて話そうとしないクラス委員長が珍しくチラチラとボクの顔を見ている。
「あの…日誌が…書かれてないから…」
「…それで。僕の用事が終わるまで待っていたんですか?…フハハッ」
目の前に差し出された一冊のノートが小さく震えていた。それを見て僕はおかしくて噴出してしまう。
「わざわざありがとう」
僕はそのノートを受け取ると、戸上の横をすり抜けるように歩いて行く。
「じょ…女性は大切に…しないと…いけないと…」
「余計なお世話ですよ」
振り返り戸上の肩を掴むとその肩を壁に押し付けて、僕は少し力を入れたら折れてしまうだろう細い首をグイッと掴んだ。
おどおどとしたその態度も、不審な挙動も、光を宿さない瞳も何もかもが僕の癇に障る。
「ぁっ…ぅっ…」
カタカタと震える唇。酸素濃度が低下した唇が色を無くして紫になっていく。
「ふっ…くはっ…がはっ!!ごほっ!!ごほっ!!」
僕の腕を掴んで抵抗していた彼女の手から力が抜けていった。僕はその首から手を離すと、力無く彼女の体が崩れ落ちた。
「僕に意見なんて…神にでもなったつもりですか?はぁ…二度と僕に近付かないでください」
ペタリと座り込み噎せている戸上を見下した僕は制服の埃を払う。
**
また、満ち足りない一日が始まる。
ベッドの上で飢えた体を爪が食い込む程抱きしめた。
自分を取り巻く環境やウイルスに感染した細胞にしかみんな興味がない事に、どれだけ僕のココロが飢えているのか…僕がどれだけ、ぽっかりと空いた穴を吹き抜ける風を受け止めたいのか。
誰も知らない。
少しでいいんだ。今より少しだけ…満たされて幸福になりたいだけなのに。
ピピッ ピピッ
机の上に置かれたリングにセンターからのメールが届いた。
リングを指にはめると、スクリーンが現れ“本日、午後より一時雨”の文字が流れる。
「…雨…か」
体を起こして足を床に着くと、気怠い頭を両手で支えるように顔を伏せた。
今日は総体育館で集会の日。僕は祭壇で第一区から来る偉い人の代役で面倒な文を読まされる。
本当に面倒な習慣だ。神様気取りの司祭様。神様気取りの白制服。
滑稽過ぎて笑う事も出来ない。
「面倒ですね…」
小さく溜息をつくと、タオルを片手にシャワールームに向かう。
―その腰に浮き上がる蠍の模様にも気付かずに…
いつもの道をいつものように歩き。いつもの顔が通り過ぎて行く。
学園の門をくぐった瞬間。
肌に刺さるような突風に煽られ、一歩足を下げるとバランスを立て直す。
風の中心にいた少女には見覚えがあった。
ゆっくり隣を通り過ぎると、細く白い首に食い込む歪な制御装置が目に留まる。
(嗚呼…歌姫…でしたか)
そう言えば彼女の美声を忘れてしまった。制御装置を着けられる程の力。
僕の背中にビリビリと軽く電流が流れた。
―彼女の声を思い出したい。
次話をお待ちください…