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偽装恋人のはずが、腹黒王太子に捕まりました

作者: 遥名もも
掲載日:2026/01/22


 ロゼッタは戸惑っていた。

 今言われた言葉は本当だろうか?

 あまりに突然で、しかもあり得ない言葉が聞こえた気がして、ロゼッタは呆然としていた。

 ハーフアップにしたピンクブロンドの巻き毛が、頼りなく風に吹かれている。ヘーゼルの瞳は困惑に揺れた。


「ロゼッタ? 聞こえなかったかな?」


 目の前に佇む男、レオポルドは凶悪的な微笑を向ける。ロゼッタは慌てて頭を垂れた。

 夜の庭園は月明かりに照らされ、年若い男女二人をおぼろ月がうっすらと浮かび上がらせている。以前読んだ、恋愛小説のワンシーンのようだ。薄明りの中、男と女が二人きり。

 そんな憧れたシチュエーションのはずなのに、ときめきよりも驚きの方が勝っていた。

 どうしたらいいのか。

 いっそ聞き間違いではないのか。

 頭の中で堂々巡りとなり、声も出せない。

 一方、焦れたレオポルドは一歩前に足を踏みだし、ロゼッタの顔を覗きこんだ。テノールの柔らかな声が耳朶に届く。


「もう一度言うね。僕の恋人になってほしい」


 やはり聞き間違いでなかったという奇妙な安堵と、なぜ私に? という困惑。

 レオポルドの意図がわからず、結果やはりロゼッタは混乱した。

 なぜなら目の前にいるのは王太子。時期国王。王位継承者。

 やんごとない血筋の彼は、この国で最も尊い独身男性だ。

 ロゼッタも貴族とはいえ、伯爵令嬢には遠い存在。雲上のひと。

 おいそれと口を利くことが許される相手ではない。

 それが、なぜ突然恋人になってほしいと言われているのか。

 ロゼッタはドレスの下の膝が震えた。

 





 まばゆく煌めくシャンデリア。金を織り込み、細やかに装飾された天井。アーチ型の窓にはふんだんに薔薇が飾られ、人々を香りでも華やかさでも楽しませている。

 王室主催の夜会だ。招待された国内および諸外国の有力貴族たちは、誇らしげに足を踏み入れた。特に独身の女性たちは、みな昂ぶり興奮している。

 理由は、このクレイデス王国の王太子、レオポルドのお妃候補を探すために集められた会だからだ。当然我こそ我が娘こそ未来の王妃に、と必死にアピールするのが目的だ。特に上位貴族たちの気合の入りようといったら、筆舌に尽くしがたい。

 そんななか、 未だ婚約者のいないロゼッタは、兄にエスコートされて会場入りした。

 ロゼッタはハレス伯爵家の長女であり、れっきとした貴族ではある。しかし、王太子妃となると、大抵はより高位である公爵家か侯爵家がまずは候補となる。

 とすると、自分には関係ない他人事としてこの夜会に臨んでいた。

 中に入ると、ロゼッタに小さく手を振るドレス姿の令嬢が二人視界に入った。

 同じ王立学園に通うアイリスとリディア。ロゼッタの同級生だ。学園に入学して以来、意気投合し、それ以来一緒に過ごすことが多い。

 三人のうち婚約者がいるのはアイリスだけ。ロゼッタとリディアにはまだ決まった婚約者はいなかった。


「今日は王太子殿下のお妃候補選びだけれど、他の令息方も女性に気軽にお声がけできるよう、無礼講なのでしょう? ロゼッタやリディアも誰かから声がかかるかもしれないわね」


 亜麻色の髪を結い上げたアイリスは、興味深げに笑みを浮かべた。

 だが、ロゼッタはうんざりしたように頭を振る。


「そういうのはいいわ。将来のために社交を広げておこうとは思うけど。軽薄な男性は苦手だもの」


 ハッキリ述べるロゼッタに小柄なリディアは肩を揺らした。


「ロゼッタたら相変わらずね。本当にドライなんだから。今日は他の令嬢はソワソワしているものよ」

「素敵なロマンスはフィクションだけで充分よ。現実に求めるのは静かで誠実な男性だわ」

「お前は人生二週目か」


 黙って横で聞いていたロゼッタの兄は呆れた。

 ロゼッタはジト目を向けられても平然と胸を張る。

 呆れられたっていい。

 ふわふわ浮ついて夢を見て痛い目を見るのはごめんだ。

 実際男性に声をかけられて舞い上がり、婚約間近と夢心地でいたら、あっさり他の令嬢と婚約された同級生がいた。その後彼女は呆然自失として、心無い噂に疲労して休学してしまった。

 あんな悲劇を目の当たりにしたら、男性に夢は見ないという結論に至るのは必然。

 とはいえ、一生独身でいるわけにはいかない。

 いずれ父親が決めた相手と婚姻するということくらい、ロゼッタにもわかっている。

 貴族の家に生まれたなら、それは当然だろう。曲がりなりにも伯爵の娘だ。

 どうせ恋愛結婚ではないのだから、せめて穏やかな人物と家庭を築きたい、と願うくらいささやかなものだ。

 ときめきよりも、誠実さ。

 会話が多少つまらなくても構わない。

「わからないぞ、白馬の王子様の目に留まるかもしれないじゃないか」と兄が視線を送った先には煌びやかな男性三人がいた。

 王太子とその学友たちだ。

 ロゼッタたちと二歳違いの彼らは昨年までロゼッタの通う王立学園に在籍していた。

 今年卒業して以来、学園内で見かけることはなくなったが。

 宰相を父に持つスチュアート、祖母が当時の王妹だという公爵家のミハイル、そしてこの国の王太子レオポルドだ。三人は学園時代生徒会役員も務めており、女子生徒たちの憧れだった。

 確かに煌びやかだ。まるで幼い頃に夢中になった本に出てきた白馬の王子様たち。

 ロゼッタだって普通の少女だ。かつてはそんな素敵な王子様に憧れたことだってある。

 だが実際は自分の人生に関わる存在ではない。遠い。

 そのうえ。

 いつの間にか彼らの周りには令嬢たちが集まっている。特に王太子のレオポルドへの熱い視線を送る令嬢たちの多いこと。

 男性への媚びた視線の最中、周囲へのライバル令嬢への牽制も忘れない。あの一角には女の熾烈な争いが繰り広げられている。

 そんな中へ身を投じるなんて、うんざりだ。

 人生に必要なのは、安寧だ。

 ロゼッタは成長するにつれて、そんな夢物語のような恋愛よりも穏やかな関係を築ける相手を求めるようになった。

 だから、こんなところで軽薄に声をかけてくる男性は論外。

 そんなことを考えていると、なぜか王太子と視線がかち合った。

 涼し気なアイスブルーの瞳。

 いつのまに殿下はこちらを見ていたのだろう。

 もしや自分たちは耳障りなほど騒がしかっただろうか。

 ロゼッタは慌ててお辞儀をする。

 ああ、早く帰りたい。そう思いながら。


 一曲目を兄と踊る。

 予定通りだ。それが終わると、兄はさっさと自分の友人のところへ行ってしまった。

 振り返りもしない薄情な兄の背中を見送り、ロゼッタはふと自分の周囲を見た。

 アイリスは当然自身の婚約者と、リディアは誰かから誘われたらしく、二人とも二曲目を踊り始めていた。

 気づけばロゼッタはひとり、ぽつねんと立ち尽くしていた。

 突然手持ち無沙汰になってしまったロゼッタは壁の花になるしかない。

 あまりひとりでいれば、妙な男に声をかけられてしまうかもしれない。それを避けたくて兄にエスコートを頼んだというのに。

 ファーストダンスが終わったら早々にいなくなられてしまった。

 お兄様め。

 放置なんてひどいじゃない。

 心の中で兄への悪態をつきながら、ロゼッタは会場の端へ身を寄せた。

 なるべく男性の目から逃れたかった。

 いずれ父親の用意した男性と婚約するのだから、ここで異性との出会いは求めてはいない。

 柱の陰に身を寄せ、ロゼッタは意識を窓にやった。

 窓からは見事な庭園が見える。薔薇たちの中央に小さな噴水。薔薇のアーチをくぐった先には木製のブランコ。上品な造りだ。

 きっと昼間見れば、ひとつひとつの薔薇も愛でることができるだろう。

 王妃が愛でていると噂のローズガーデン。王妃主催のサロンは、昼間あのローズガーデンの中で開かれるのだという。年若い伯爵令嬢の自分には縁がない。

 エスコート役の兄が離れてしまえば、このダンスホールでは何もすることがない。月夜のローズガーデンをこっそり眺めることは、ロゼッタにとって貴重な慰めだった。

 あわよくば。


「直に見てみたいな」

「あの庭が気になる?」


 うっかり口に出してしまったささやかな希望。まさかそれに返答があるなんて。

 突然背後から声をかけられ、ロゼッタは飛び上がりそうになる。

 なぜなら、この声は。

 油の切れたゼンマイ人形のように、ロゼッタはおそるおそる振り返る。

 そこには、やはり想像した人物が立っていた。

 プラチナブロンドにアイスブルーの瞳。夜色のロングジャケットに金のエボーレットは彼によく似合っている。

 間違うはずもない。王太子レオポルドだ。


「こ、これはご無礼を」


 いつの間にここに来ていたのだろう。ついさっきまでホールの上手にいたはずなのに。

 しかも会場のこんな隅に、どうしているのだ。

 いや、驚いて立ちすくんでいる場合ではない。

 ロゼッタは恐縮して慌ててカーテシーをするが、膝が震えてうまくできない。

 だが、レオポルドは咎めることなく、穏やかに微笑んだ。


「いや、突然声をかけたのは、僕の方だ。驚かせてすまない」


 レオポルドはくしゃりと顔を歪ませた。

 人懐こい笑顔に、ロゼッタの緊張は幾分緩む。

 尊い人というのは身分が下のものに対して、こうも気さくなものなのだろうか。


「アンソニー・ハレスの妹君だよね?」

「は、はい」


 突然兄の名が、かの王太子から出てきて、思わず声が上擦った。緊張のあまりうまく返答できない。兄は騎士団に所属している。騎士団を束ねている王太子が兄を見かけたことくらいはあるのかもしれない。

 とはいえ、まさか王太子に声をかけられるなんて。

 自分の人生にそんなイベントが発生するなんて、思いもしなかった。

 心の中で焦っていると、レオポルドは庭に視線をやる。


「庭園、気になる? 僕が案内しようか」

「え! そ、それは」


 確かにそれは魅力的な提案だが、王太子に庭園を案内させるなど、恐れ多い。

 ましてや王太子に射止められたいと有力貴族の令嬢がこぞってアピール合戦しているような夜だ。そんななか、王太子と二人でいるとことなんて見られたら、抜け駆けしていると誤解されかねない。

 正直辞退したい。

 しかし、一介の伯爵令嬢が王太子の申し出を断ることこそ、不敬だろうか。

 場合によっては兄の出世、いやハレス家の立ち位置に大きく影響することになるかもしれない。


「頼むよ、少し解放されたいんだ」


 ロゼッタがあれこれ考えを張り巡らしていると、レオポルドは重ねてお願いしてきた。

 もう、これはお願いや提案ではない。

 王太子に言われたら、決定事項ではないか。

 どうしよう。

 これは断わる選択肢ないってことよね。

 少し話をするくらいなら、兄の名を出せば誤魔化せるのではないか?

 そもそも自分が婚約者候補になることはないのだし、早々に立ち去ればいいのでは?

 別に王太子に興味があるわけではない。

 それは王太子も同様だろう。

 ただ、庭園を見学するだけ。

 逡巡した末に脳内で叩きだした答えは、王太子に従うことだった。

 ロゼッタは恭しくお辞儀をした。

 

 夜の月明かりの中、王城の庭園に足を踏み入れる。実際にアーチを潜ってみれば、ほのかな花の香りがロゼッタを出迎えた。中央の小さな噴水は、涼やかに滴をはじく。薄暗い中では花びらの色はよくわからないが、その甘い香りに包まれているだけで気分も華やいだ。月明かりで色ははっきりしないが、ガーベラ、胡蝶蘭、クレマチス、ジギタリス。華やかな花びらのシルエットが浮かびあがり、ロゼッタを楽しませた。

 こんな状況でなければ舞い上がる体験だ。

 しかし、今は夜会の真っ最中。

 寄りにもよって王太子と一緒だなんて。

 できれば、早く立ち去りたいのだが、直々にお願いされてはそうはいかなかい。

 それにしても、王太子ともあろうひとが、どうしてひとりでいるんだろうか。

 ようやくそんな疑問が頭に浮かんだ頃、レオポルドは振り返る。


「この奥は母のお気に入りのローズガーデンでね。昼も華やかだが、夜は香りを楽しむのにちょうどいいんだ」

「それは素晴らしいのでしょうね」


 ロゼッタはよそゆきの笑顔を張り付けた。


「今夜は香りを楽しんで。次は昼間の見事な花びらをお見せしよう」


 次!? 昼間!?

 もう一度ここで王太子と会うというのか!?

 いやいや、こっちは王太子と縁があるような家柄ではない。

 そもそも王城の庭園に出入りするのは、王族の覚えめでたいひとたちだけのはず。

 王太子は酔っているのだろうか?

 ほぼ初対面の令嬢にそんな声をかけるなんて。

 いや、ただの社交辞令か。そうか。それなら納得がいく。

 危うく本気にするところだった。

 そう結論に至ったロゼッタは、当たり障りのない笑顔を返す。


「……なるほど。本当に関心がないらしい」


 レオポルドは、こっそり肩を竦める。

 そのとき彼がなんてこぼしたのか、ロゼッタの耳は拾えなかった。

 だから、次に飛びこんできた言葉は、ロゼッタにとって突然だった。


「ロゼッタ。私の恋人になってくれないか」


 一瞬、ロゼッタの耳がおかしくなったのかと思った。

 今、恋人と聞こえた気がするのは気のせいか?

 恋人になれって?

 私が?

 王太子の?

 恋愛小説の読みすぎ?


「な、何をおっしゃいます?」


 突然のことで声が震えるロゼッタ。どう会話をすれば不敬にならないのか、もはやわからない。

 冗談なのだろうか?

 立ちすくむロゼッタに、レオポルドは微笑んだ。

 そのままちらりと城内に視線をやる。煌びやかなダンスホールには、麗しい令嬢たちが多く詰めかけている。王太子が不在であることに騒がしくなっているようだった。

 ああ、そういうことか。

 ようやくロゼッタは、王太子が自分に声をかけてきた意味を理解した。

 この国の王太子にはいまだ婚約者がいない。今夜の夜会はめぼしい相手を見つけるためのものだ。そのため有力貴族の令嬢とその親たちは、何としても王太子の目に留まろうと躍起だ。

 もしかしたら、王太子はああやって女性たちに群がられるのが嫌だったのかしら。


「ご明察。もううんざりしていてね。その点、君は僕に興味がないようだから」


 なるほど、女避けしたいのに惚れられたら本末転倒。

 そう言いたいのか。


「どうか、私のお願いを聞いてくれないか」


 ブルーアイズが縋るようにロゼッタを見る。

 一国の王太子のお願い、しかもこんな麗しい笑顔で言われたら、誰が断れるというのか。

 今夜女避けするのに協力してくれ、という王太子直々のお願い。

 考えてみれば、確かにロゼッタは適任かもしれない。

 今現在婚約者はおらず、噂が立ったこともない。

 公爵や侯爵ならば未来の王妃候補として信憑性があるが、伯爵家ならば「友人」で通すこともできる。それにここならダンスホールからは遠目で、相手がロゼッタだとはわからないかもしれない。


 「もちろん、一方的な話ではないよ。どうやら君もあれこれ誘われるのを避けたい様子。違う?」


 どうしてそんなことわかるのだ。

 男性からの誘いを受けたくない、なんて親にも話していないのに。

 戸惑うロゼッタに、レオポルドはにっこりと笑みを返す。


「だってキミ、兄と踊ったあとは人目を避けていたでしょう?」


 見られていたのか。

 さりげなく避けていたはずなのに、その行動を他人に見られていたのかと思うと、気恥ずかしい。身を縮めていると、レオポルドは続けた。


「僕が一緒にいれば、キミに余計な男が声をかけることはできない。お互いに利があると思うんだけどどう?」


 ここまで言われて断れる国民がいるだろうか。

 いや、ない。

 もう、これは一択だ。


「わ、私でよければ」


 遠慮がちにロゼッタは答えた。

 途端に王太子はロゼッタの手を引く。突然手を繋がれて、ロゼッタはギョッとした。

 確かに女避けとして、恋人のフリを引き受けたが、それはここでお話しているだけでもよかったのでは?

 面食らったままのロゼッタを無視して、レオポルドはずんずん奥へ進んでいく。


「恋人に思われないと意味ないだろう? 奥にはもっと珍しい花があるんだ。せっかくだから見ていくといい」


 そう微笑まれては断れない。

 なんだか妙なことになってしまったわ。

 まさか王太子と一緒に過ごすなんて。

 今宵ひとときだけだけれど。

 グローブ越しなのに、体温が伝わってくる。初めて知る男の体温。

 ロゼッタの心臓は早鐘を打った。

 こんなこと男性にされるのは初めて。だから、こんなにも落ち着かないんだわ。

 そうよ、男性への免疫がないからよ。

 こういう華やかな男性には興味がないはずなのに。

 大きな王太子の手に包まれたまま、ロゼッタは後をついていった。






「聞いたぞ、レオ。月夜の君と逢瀬を重ねてるって?」


 スチュアートで鷹揚に足を組み、目の前のレオポルドに声をかけた。

 レオポルドは「ふん」と意に介さず、手を動かした。

 ボードの上でビショップが動き、ミハイルは頭を抱えて唸った。その向かいのレオポルドは掌の中で駒を転がしながら、余裕気に微笑む。


「耳が早いな。まあ、十分広まってるなら順調だな」

「お妃探しの夜会で、名も知れぬ令嬢と月夜の逢瀬を交わして以来、王太子には彼女に夢中だともっぱらの噂だよ」


 戦況が悪くなったミハイルは戦意を喪失し、もはや適当に駒を置いていた。

 勝負はついたと、レオポルドはカラカラと笑う。その様子は、貴人としてのものではなく、年頃のいち青年としての笑顔だった。

 レオポルド、スチュアート、ミハイルの三人は幼い頃からの幼馴染。竹馬の友。王太子の遊び相手に、と顔を合わせて以来気が合った三人は、幼い頃からともに過ごしている。

 年月を重ね、人前では王太子を立てて後ろに控えているが、こうして人目に付かないところでは遠慮の関係に戻っていた。レオポルド自身気兼ねなく過ごせるため、素の自分をさらけ出せる貴重な時間だった。自然と口調も砕けたものになる。


「相手の令嬢は大丈夫なのか?」


 チェスには加わらず、カウチで紅茶を飲んでいたスチュアートは、カップを置いた。


「うん?」

「どうせ女避けにニセの恋人を演じさせてるんだろう」

「なんで知ってるんだ」

「何年のつき合いだと思ってる」

「レオ、令嬢たちに囲まれてうんざりしてたもんな」

「香水くさいあざとい女は嫌なんだよ」


 身体をくねらせおべんちゃらを並べる令嬢たちに囲まれていたとき、背後でスチュアートたちはこっそり肩を噴き出していた。あの手の女たちが苦手であることは、彼らには当然見抜かれている。

 立場上無下にできないでいるのを、彼らは面白がっているのである。


「色気のある令嬢もいて、羨ましいけどね」

「じゃあミハイルが口説けばいいだろう」

「彼女たちが狙うのは身分だろ。ていうか、その子は王太子妃狙ってないの?」


 ミハイルも笑いながら足を組み直した。


「大丈夫だよ。ロゼッタは全然僕に興味ないから。むしろあっちも男に声かけられたくなかったみたい。こないだも一緒にお茶飲んだけど、お互いに好きな本読んでるだけでもいいし。気を遣わなくていいって、本当に楽だ」


 礼儀は踏まえているが、それ以上会話に踏みこんでくることはない。一緒にいるところを周囲に目撃させれば、あとはお互い気楽に過ごすだけだ。女があまり興味を示さないクリケットの話をしても、退屈どころか話に乗ってきた。自分に迫ってこず気安い関係なんて最高だ。

 ウィンウィンってやつだな、とレオポルドは無邪気に笑みを浮かべる。

 その様子に、スチュアートとミハイルは互いに顔を見合わせた。


「それってまるで男として見られてないってことじゃないか」

「ロゼッタ嬢にとって、レオは論外ってことなんだろうな」


 悪友たちの揶揄に、レオポルドは眉根を寄せる。


「なんだよ」

「まあ、そのうち気づくさ」


 気づくって何だ。

 それを望んでいるのだから、いいじゃないか。

 

 

 


 ロゼッタは戸惑っていた。

 ここは、王城の庭園。花冠のあしらわれた四阿で、ロゼッタはガーデンチェアに腰を下ろしていた。

 目の前には大好きなレモンティーと焼き菓子の数々。ビスケット、ショートブレッド、マドレーヌ。ロゼッタの好むものばかりが並んでいる。

 それらは全て王室御用達のファントム・アンドメゾンの商品ばかりだ。この国の令嬢なら感激するものばかり。きっとアイリスやリディアたちなら歓声をあげるだろう。

 もちろん、ロゼッタもだ。

 なのに、食欲がわかない。

 理由は自分でもわかっていた。


「どうしたの? ロゼッタ。食べないの?」


 諸悪の根源もとい、尊いお方が目の前で微笑んでいる。アイスブルーの瞳が細められ、ロゼッタは背中をぞくりと震わせた。

 こっそり不敬なことを考えていたのは、お見逃しいただきたい。

 ロゼッタは今日もレオパルドに呼ばれ、二人でお茶会をしていた。

 そう、今日も。もうすでに彼と二人で一緒に過ごすのはもう何度目だろうか。

 ニセの恋人役はあの夜会の一夜だけだと思っていたのに。

 あれからこうして何度も二人でお茶をしたり、別の夜会でも一緒に過ごしている。

 それとなく、もうお役目は果たしたのでは? と訴えてみるが、あの高貴な微笑み(圧ともいう)に流されて現在に至る。

 何せレオポルドはいつも強引なのだ。こちらに拒否する選択肢を与えない。

 さすがに何度も二人でいては、たとえ身分差があっても「ただのお友だち」で済ますことは難しくなる。それが今後のためによろしくないのは、ロゼッタだけでなく婚約者を迎えなければならないレオポルドだって同じだろうに。

 何かというとロゼッタを誘いに来るのだ。

 しかもわざわざロゼッタの兄や両親の前で誘うものだから、無下に断れない。一国の王太子に「ロゼッタ嬢をお誘いしてもかまいませんか?」なんて許可を請われて、断れる臣下がいたらお目にかかりたいものだ。

 それをわかってやっているのだから、タチが悪い。

 目の前にある見め麗しいご尊顔が、だんだん意地悪に見えてくる。

 いや、そんなこと口が裂けても言えないけれど。

 ロゼッタはカップに口を付けた。少しぬるくなったレモンティーが喉に流れ込んでくる。本当はもっと美味しいはずなのに、なんだか苦く思える。

 ロゼッタは、先日の夜会のことを思い出した。

 兄は婚約者と、ロゼッタは独身の従兄弟とともに出席する予定だったが、突然レオポルドがやってきたのだ。エスコートの申し出を断れるはずもなく、ロゼッタはレオポルドとともに入場した。

 そのとき、どれほどの令嬢たちから痛い視線を浴びたことか。

 王家とは縁もゆかりもない、一伯爵家の令嬢が王太子のエスコートで出席だなんて。

 確かに女避けとしては効果抜群だろう。どこにいくにもロゼッタがそばにいれば、他の高位令嬢たちが近づく隙がない。おかげでレオポルドは煩わしいこともなく悠々と過ごしている。

 問題はロゼッタだ。

 確かにレオポルドと一緒にいれば、軽薄な男性は近寄ってこない。

 しかし、王太子の相手としてあまりに注目されてしまうと、今後の自分自身の縁談に影響が出そうでこわい。

 王太子のお手付き、だなんて社交界で広まったら、他の男性との縁談はしばらく難しくなってしまう。

 かといって、王太子の誘いをうまく断る方法なんてあるわけもなく。

 どうにもならない現状に、ロゼッタはこっそりため息をついた。


「僕といるとつまらない?」


 楽しそうにレオポルドに顔を覗きこまれ、ロゼッタは慌てて顔をあげた。

 正直つまらないわけではない。レオポルドとは会話のテンポも合うし、話題も退屈じゃない。今まで話したことのある男性の中で一番落ち着いて話せるひとだ。

 もし、貴族令嬢に異性の友人が許されるならば、きっとこの先も楽しい時間を持てるだろう。

 でも、そういうわけにはいかない。自分はいずれどこかに嫁いで妻にならなくてはならないし、レオポルドは、妃を娶らねばならない。

 このままでいいわけがないのだ。

 そんな感情が表に出てしまった。

 ロゼッタは慌てて作り笑いをする。


「そんな滅相もございません」

「くくく……。こんな困った顔されるとはね」


 何が面白いのだろう。

 王子は楽しそうに肩を揺らしている。

 ロゼッタが訝し気に顔を捻ると、レオポルドはますます笑った。


「すまない。バカにしたわけではないよ」


 目尻を拭いながら言われてもちっとも説得力はない。


「新鮮で面白いってことだよ」

「面白いは女性にとって誉め言葉だとは思いませんが」

「確かにね。でも君普通に褒めてもスルーするだろう」

「お世辞に一喜一憂するほど愚かではありません」


 レオポルドは王太子とは思えないほど、豪快に腹を抱えて笑い声をあげた。

 こんなに笑い上戸な方だとは。

 遠目で見ているのとは印象が違うようだ。当初は身分の違いに委縮していたロゼッタだったが、最近はかなり気安くなっていた。

 むしろ態度が砕けすぎないよう気をつけなければならないほどに。


「本気で君を口説いてる男かもしれないじゃないか。声をかけてくる全ての男が軽薄なわけではないよ」

「それはそうですが、殿下も同じでは?」

「僕?」

「殿下は群がられることに嫌気がさしておられるでしょうけど、あの中には本当に殿下に憧れて思いを寄せてる方もいるかもしれませんよ。いちから関係を築いていけるかもしれません。全て一緒くたにされない方がよろしいのでは?」

「……」


 言ってしまってから口を押えたがもう遅い。飛びだした言葉は戻って来ない。

 いくら話しやすい空気を作ってくれていたとはいえ、王太子相手に気安くなりすぎた。


「言い過ぎました。申し訳……」

「……関係を築くなら、僕は――」


 やはり気分を害しただろうか。それきりレオポルドは黙ってしまった。

 眉根を寄せる様子に、不敬を働いてしまったのではないかと、ロゼッタは気が気ではない。

 しかし。


 「ねえ、ロゼッタ。気分転換にローズガーデンでも見ようか」


 微妙な空気はいつの間にか雲散していた。ロゼッタは安堵に胸を撫で下ろすと、殿下のあとに続いた。

 先日のあれは社交辞令ではなかったらしい。

 ロゼッタはレオポルドに連れられて、ローズガーデンを訪れた。多種多様な見事な庭園。珍しい色合いのバラがそこかしこに咲き誇っている。

 甘くて上品な香りがロゼッタを誘った。

 レオポルドの半歩後ろをついて行きながら、ロゼッタはふと足を止める。

 ここは王妃のローズガーデン。いくら息子である王太子の許可があるとはいえ、王妃とはなんの面識もない、ただの伯爵令嬢の自分が足を踏み入れていい場所なのだろうか。

 つい腰が引けていると、ぐいと腰を抱き寄せられた。レオポルドの大きな掌がロゼッタの細腰に触れている。手を繋ぐよりもずっとダイレクトに彼の体温と息遣いが伝わってきた。

 ロゼッタの心臓は一気に跳ねた。

 悲鳴があがりそうになるのを、必死に飲み込む。


「で、殿下!」

「どうかした?」

「あ、あの、これは」


 いくらなんでもやりすぎでは?

 恋人のフリ、とはいえあまりに距離が近すぎる!

 そう抗議したい声を飲み込んだ。


「ん? なあに?」


 レオポルドはにこやかに微笑んだ。どこかぞくりとするその笑みから視線をそらす。

 どうもレオポルドの視線が苦手なのだ。じっくり見られると射抜かれて動けない気がしてしまう。今まで数々の誘いも、この視線と微笑みの圧に負けた結果だ。

 視線をそらした先には、王家の侍女たち、そして王妃がニマニマしながらこっちを見ていた。

 あれは、完全に誤解されている。いや、ニセの恋人だからそう思われるようにしているのだけれど!


「あ、あの、王妃さまが!」

「ああ、母上には庭園を案内すると許可を取ってあるよ。心配いらない」


 そうじゃない、そうじゃないんだ。

 いくら婚約者候補たちに迫られるのから逃げたいといっても、これはやりすぎなのでは?

 ニセの恋人のはずなのに、王妃にまで認識されてしまったら、誤魔化せない。

 ロゼッタの焦りなど殿下は気にも留めずに、腰を抱き寄せたままローズガーデンの奥へ向かっていく。正直、香りを楽しむ余裕もない。


「そうそう、来週の夜会だけど、そのときは私が君をエスコートしよう」


 ロゼッタは背中に冷汗が流れた。

 今まで王城の夜会では兄や父のエスコートだった。それはロゼッタが決まった相手がいないことを示している。

 先日の男爵家主催の夜会で王太子にエスコートしてもらったが、あれは男爵と懇意の一部の貴族しか呼ばれていないこじんまりとしたものだった。だから、恐縮しながらもレオポルドのエスコートを受けたのだ。

 しかし、王家主催の夜会となれば、話は別。お気にいりの令嬢から正式な婚約者候補として格上げだ。

 それでは逃げ道がなくなってしまう。

 人の目がなくなったところで、ロゼッタは意を決して王太子に向かった。


「恐れながら申し上げます。あまりやりすぎますと、殿下の今後の縁談に悪影響が。それに……私も今後どこかへ嫁ぐ身……ですし」


 お気に入りのひとり、くらいに認識されるならいい。

 しかし、やりすぎればかえってよくない。後戻りができなくなる。

 それはレオポルド自身も望まぬことだろう。彼だって誰かを娶るのだ。

 そう思い、ロゼッタは意を決して言ってみた。だが。


「……ふうん。他の男に嫁ぐつもりでいるのか」


 なぜか、アイスブルーの瞳は笑っていない。

 ロゼッタは息を呑んだ。

 自分は不敬を働いただろうか。

 だが、王太子はムードを一変するように、不意にからからと笑った。「そのうち気づくとはこういうことか」と自嘲している。さっきの不穏な空気は嘘のようだ。


「アハハ、心配いらないよ。キミは僕の恋人でしょう? 悪いようにはしないよ」


 レオポルドが一歩近づく。後退る前に、彼の指がロゼッタの前髪に触れた。

 小さな花びらが絡んでいたらしい。

 強引でときには不穏な空気を出すくせに、こういうときは紳士然として優しい。

 ズルい。

 この方は、本当にズルい男。

 王太子という立場じゃなかったとしても、きっと断れない。

 それに王太子の恋人役を引き受けたのだから、その礼としてその後の待遇は保障しようと言うのだろうか。

 だからといって、あまりに恋人役が長引くのはいかがなものか。

 取れた、とレオポルドは薄桃色の花びらをロゼッタに見せた。 


「ロゼッタが困るようなことにはさせないから。だから、エスコートさせて」

「で、でも」

「僕の恋人でいてよ」


 そう微笑まれては、無下にできない。


「しょ、承知いたしました……」


 結局、ロゼッタはレオポルドの笑顔に押し切られる形となった。

 





 トルソーに着せられているドレスを見て、ロゼッタは震えた。

 今夜はいよいよ王城での夜会だ。レオポルドが到着する前に自身の支度を終えてしまわなければ、とロゼッタは自室で準備をしていた。そこで侍女がドレスを持ってきたのだ。

 しかし、そこに事前に用意していたレモンイエローのドレスはなかった。


「これ、予定していたドレスと違うのではなくて?」


 侍女たちに問うと、彼女たちは誇らしげに胸を張る。


「今朝ロゼッタさまに届いたのです。王太子殿下からの贈りものですよ」


 言われる前からそんな気はしていた。

 ドレスの色はアイスブルー。レオポルドの瞳の色だ。

 まるでロゼッタは彼のものだと主張されているみたい。

 どうして。

 いくら女避けしたいにしても、ここまでする必要ある?

 こんなの……まるで本当の恋人みたい。

 思わずかぶりを振った。

 そんなわけがない。相手は王太子だ。たとえ気まぐれでも、ロゼッタを相手にするはずがない。

 そう思う度、彼が自分に触れてきたときの感触と体温が蘇り、ロゼッタの頭の中はぐちゃぐちゃに乱れる。

 はしゃぐ侍女たちと温度差を感じながら、ロゼッタはドレスを身にまとった。

 袖のオーガンジーは上等で肌触りがいい。襟ぐりは開きすぎず、上品なデザインだ。

 文句なしに素敵なドレス。

 なのに、なぜか逃げ出したい気持ちになる。

 このドレスを着てレオポルドの隣に立ったら、もう逃げ場がなくなる気がして。

 

 レオポルドはいつもどおりロゼッタの手を取る。

 ロゼッタは指先が震えるのを悟られないよう、そっと手を添えた。

 ホールからは宮廷楽団の演奏が聞こえてくる。通常なら心躍り、高揚するシチュエーションだ。

 ロゼッタを除いて。

 しかし今更どうしようもない。王城のホールまで来てしまったのだ。

 深呼吸し、二人並んで会場に足を踏み入れると、途端に周囲がざわついた。

 その気配に、ロゼッタは縮こまりそうになる。

 そうでしょうとも。独身で決まった婚約者選びをしている最中の王太子が、ひとりの女性をエスコートしてきたら、そうなるでしょうとも。

 ざわつく会場のあちこちから、「隣にいる令嬢は誰?」「お妃候補のなかにいた?」とひそかに探るような声があがる。

 それを耳にするたび、ロゼッタの背中に嫌な汗が流れた。

 サイドに控えている高位令嬢たちの気配はすれど、怖くてそっちに視線をやることはできない。

 遠目に親友のアイリスとリディアが目を丸くし、兄にいたっては婚約者の隣で卒倒しそうになっているのが見えた。

 違うの、ホント違うのよ。

 これは偽装なの。

 殿下にエスコートされてるといっても、本当に殿下の相手ではないのよ。

 必死に心の中で言い募るが、彼らに聞こえるはずもない。

 焦るロゼッタとは対照的に、レオポルドはなぜか上機嫌だ。

 ロゼッタひとりが、この状況をどう言い訳しようかと頭を悩ませて、当の本人は涼し気な顔をしているのだ。

 なんだかだんだん腹が立ってきた。誰のせいでこんなヤキモキしていると思っているのだ。

 決めた。王太子のニセ恋人役は今日を最後にさせてもらおう。

 今日絶対それを宣言するんだ。


「ロゼッタ」


 名を呼ばれて、ドキリとした。

 レオポルドが自分を呼ぶ声に、どこか甘さを孕んでいる気がする。


「そのドレス、よく似合っているよ」


 そこには打算的ではない、素直に口角を上げるレオポルドがいた。

 危うくその笑顔に絆されそうになる。

 いやいや、ダメダメ。

 このひとはニセの恋人として振舞っているだけだ。

 きっと社交界慣れしているから、こういうこともスマートにやってのけるのだろう。


「では、ロゼッタ嬢。踊って頂けますか?」

「よ、喜んで」


 曲が始まった。二人寄り添いながら、ワルツを踊る。

 レオポルドと踊るのは初めてではない。彼はリードが上手いから踊りやすく、心地よいのは事実だ。

 でも、いつまでもロゼッタが隣にいるわけにはいかない。

 彼だって本格的にお妃選びをしなければならないのだから。

 今日で王太子との時間もおしまい。そう思うと少し名残惜しい気もするが、ニセの恋人なのだから、いずれ終わりは来る。ステップごとに終わりが近づくのを思うと、ほんの少し寂しい。

 散々レオポルドには振りまわされて、腹が立つこともあったけれど、王太子とお茶やダンスをしたなんて、本来なら自分にはありえない時間だった。

 夢を見させてもらったのだと思おう。

 しかし、一曲目が終わってもレオポルドは手を離さなかった。

 二曲目が終わってもだ。

 ロゼッタは焦り始めた。

 まさか、まだ踊るつもりなの?

 そんなこと、ありえない。王太子ともあろう人間が三曲連続で踊る意味を知らないわけがない。

 一曲踊ることにはさして意味がない。

 二曲踊れば、友人もしくはそれ以上の親密さ。

 だから、今まで二曲までは踊ることがあった。

 ニセの恋人という設定だったから。

 だが、三曲踊ることは特別だ。それは妻か正式な婚約者にしか許されないからだ。

 それをレオポルドが知らないはずはない。

 なのに、このままだと三曲目に突入してしまう。

 自分の置かれている現状がこわくなり、ロゼッタは一歩後ろ引いた。

 しかし、レオポルドの腕に阻まれる。


「で、殿下!」

「みんな、見ているよ」


 耳元で囁かれ、全身の温度が上がる。

 結局、ロゼッタは三曲連続で踊ってしまった。

 どうしよう。どうしよう。

 こんなことになるなんて。

 自身に起きたことがわからないまま、ロゼッタはその場から動けない。

 やがて、レオポルドは恭しくロゼッタの前に跪いた。その瞬間ダンスホールはしんと静まり返る。

 何……?

 何が起きようとしているの?

 殿下は何をしようとしているの?

 逃げようにも足がその場に釘付けになったままだ。


「ロゼッタ・ハリス嬢。貴女に私の心を捧げます」


 それは、正式に愛を伝える言葉。

 そう宣言したレオポルドは、そのままロゼッタの手の甲に口づけた。

 グローブ越しなのに、直接肌を吸われたような錯覚だ。


「あ、あの……」


 アイスブルーの瞳がロゼッタを捕えて離さない。会場にいる全ての視線が自分たちに注がれていた。


「つ、謹んで……お受けいた……し、ます」


 たどたどしく返す言葉。他に返しようがない。公衆の面前で、断れるはずがない。

 その瞬間、ホールは一斉に沸いた。

 悲喜こもごもとした空気の中、ロゼッタは立っているだけでやっとだ。 

 膝が震えるロゼッタを、王太子は立ち上がり支えた。


「大丈夫? 疲れちゃった?」


 誰のせいだと! どういうつもりなんだ!

 そう叫びたい気持ちをぐっと堪えた。


「少し休もうか。何か飲み物を用意しよう」


 レオポルドに促され、ようやく注目の的から外れることができる。 

 ホールの中央からようやく下がることを許され、ロゼッタは安堵した。

 皆の視線が刺さっている気がするけれど、それを見る勇気はない。きっと今頃ホールは騒然としている。婚約者が決まったと沸いているだろう。

 この状態からそれは事実ではない、とひっくり返すことなんてできるだろうか。

 何より、この王太子は何を考えているのだ。あんな人前で三回も踊って、あんな誓いを。

 あれは演技でしていいことではないのに。

 考えただけで頭痛がした。

 まずは喉を潤して、一度休もう。

 そしてどう言い訳するか考えよう。

 ロゼッタは王太子に促されるまま、ホールを後にした。

 ホールから廊下に出てほどなくすれば、人影はまばらになる。柱の陰で一時的に休ませてもらおう。

 ロゼッタはそう考え、隣に立つレオポルドを仰ぎ見た。


「で、殿下。もうひとりで大丈夫ですので」

「いいけど、今一人になれば、きっといろんな高位令嬢たちに囲まれるよ?」


 確かに廊下は出入り自由。ロゼッタがそこにいるのがわかれば、レオポルドの婚約者の座を狙っている令嬢たちがすぐにやってくるかもしれない。 

 そうなれば、きっと集中砲火は免れないだろう。

 想像するだけで恐ろしい。


「う……」


 そもそも、誰のせいだと!

 そう抗議したくなる気持ちを押し殺し、促されるまま王太子についていくことにした。

 てっきり控室で休息を取らせてくれるのかと思ったが、レオポルドは控室をさらに通りすぎる。


「殿下? どちらへ?」

「控室だと誰かが来るかもしれないでしょう? 僕たちだけでゆっくりできるほうがいいんじゃないかな?」


 そうだろうか?

 いや、でも確かに控室は、誰も他に入室できないわけではない。

 高位令嬢たちじゃなくとも、他の招待客たちが来る可能性はある。

 ということは、どこかからバルコニーにでも出るのだろうか。もしかしたら最初の夜のように、庭園に行くのかもしれない。

 ロゼッタはそのまま王太子に連れられ、やがてある部屋に案内された。

 その部屋の前に立ち、ロゼッタは息を呑んだ。

 豪奢な観音開きの扉。近くに立つ衛兵たち。レオポルドは当然のように人払いをする。

 まさか。

 おそるおそる、ロゼッタは尋ねた。 


「あの、ここは」

「ん? 僕の部屋だよ」


 しれっと答えるレオポルド。

 これはまずい。まず過ぎる。

 ロゼッタは慌てて引き返そうとしたが、王太子の力強い腕に引き止められた。

 男性の私室に入るという意味を理解できないほど、子どもでも世間知らずでもない。

 仮にそういう行為に及ばなかったとしても、男女関係にあるのだと世間から思われてしまう。

 それだけは、あってはならない。


「あの、私そういうつもりでは」

「あおいにく。僕は最初からそのつもりだ」


 にこやかな笑顔が悪魔の微笑みに見える。

 ロゼッタはドアの前で抵抗する。


「恋人のフリをするだけだと」


 抗議の意を含めて、レオポルドを仰ぎ見た。

 だが、レオポルド本人は気にも留めず堂々としている。


「最初はね。僕は恋人でいてよ、ってお願いしたでしょ?」


 意地悪気な笑みがロゼッタを捕える。 


「君はそれを了承した。違う?」

「あ、あれは」


 確かにもう一度念を押すように「恋人でいて」と言われた。

 だが、てっきり舞の最中恋人を演じてくれ、という意味だと思っていたのだ。

 それが「本当の恋人」をさしているなんて、誰が思うのだ。


「――なんて誤魔化しはさすがに卑怯かな」


 詰め寄ろうとする前に、レオポルドは自嘲的に肩を竦めた。


「確かに最初はフリだったんだけど……とりあえず続きは二人で話さない?」


 さらに言葉を重ねようとするロゼッタに、レオポルドは囁いた。


「とりあえず中に入ろう。痴話喧嘩は注目の的だよ」


 見れば、廊下にいる衛兵たちがちらちらとこちらを見ている。王太子と伯爵令嬢が廊下でやいのやいのと騒いでいれば当然だろう。

 断じて痴話喧嘩などではないけれど。

 心でそう言い返しながら、しぶしぶ部屋に入った。

 だが、そのまま奥に進んだりなんてしない。ロゼッタは扉に背中をつけていた。扉は一人分の隙間を開けたままで。

 いつでも出られるようにしなければならないからだ。

 密室で男女が二人きり、なんてとんでもない醜聞だ。

 しかも、その相手が王太子だなんてあの誓いの後では逃げ道がない。

 すぐに退室できるよう、足を一歩後ろに下げた。

 しかし。


「あ、ドレスの裾踏んでいるよ?」

「え?」


 レオポルドがドレスの裾を指さす。

 それに釣られて、ロゼッタは咄嗟に視線を動かした。

 ドレスの裾を確認した瞬間、重厚な扉が静かに閉まった。


「あ!」

「あー閉まっちゃったね」

 貴方が閉じたんでしょう!


 またもや騙された気持ちだ。

 やっぱりこの王太子は意地が悪い。

 相手が雲の上の身分であることも忘れ、ロゼッタは声を荒げた。


「殿下!」

「悪かったよ。これでも、一応気を遣ってるんだよ? 他のひとにイチャイチャを見られたり聞かれたり、キミは嫌かなって」

「イチャイチャなんてしません!」


 気を遣う方向を間違えている。

 ひとの目を気にしてくれるなら、男女二人で密室にならないよう配慮してもらいたかった。


「突然こんなことされても……」

「突然かぁ」


 悪びれない様子のレオポルド。

 だが、抗議より先にロゼッタは壁際に追い詰められた。

 レオポルドの手が壁に突かれ、逃げ場がない。

 彫刻のような顔に覗き込まれ、ロゼッタは息を呑む。


「自覚してからは、アピールしてたつもりだったんだけどな」

「じ、自覚?」

「あ、そこから?」


 まあ、そうだよねとレオポルドは苦笑する。


「最初は確かに群がる令嬢たちから逃れるためだったんだけど。なんか一緒にいると気持ちが安らぐんだよね。キミに本気で相手を探さないのかって言われたとき、あ、僕が求めてるのはロゼッタなんだって気づいた」


 思い返せば、夜会のエスコートの話が出て以来、レオポルドはやたらと花やお菓子を贈られるようになった。一度アクセサリーを断ったら、こっちは受け取れとほぼ強引に手渡されていたのだが、あれは全て口説いていたのか。


「あ、あれじゃ伝わるわけ……」

「うん、それで、ちょっと強引な手に出ることにした」


 ごめんね、と微笑む顔は悪いとは思っていない。

 戸惑っている間に、レオポルドはさらにロゼッタとの距離を詰めた。

 その瞳は熱を孕んでいる。

 ロゼッタはようやく彼の本気を理解した。同時に自身の貞操の危機に慌てる。

 思えば、この部屋に連れこまれるときも彼は「最初からそのつもりだ」と言っていたっけ。

 今までレオポルドに興味を持たれることはあり得ないと思っていたから、こんなことになるなんて予想外だ。

 慌てふためくロゼッタに、レオポルドは満足そうに口角を上げた。


「その反応は、ようやく僕を男だと意識してもらえたってことかな?」


 そう舌なめずりしたレオポルドはオスそのものだ。

 迫る彼を押し戻そうとしてみるが、まるで歯がたたない。


「ま、待ってくださ」

「これ以上僕に待てって?」


 レオポルドは遠慮なく顔を近づける。

 そのまま耳朶を食まれ、ロゼッタは羞恥に縮こまる。


「で、殿下」

「レオでいいよ」


 呼べるはずがない。


「でも」

「言わないとキスするよ」

「で、」

「はい、残念」


 唇を塞がれた。柔らかで温かな唇は、しっとりとロゼッタの唇を食む。


「んん……っ」


 隙間から舌まで差しこまれ、ロゼッタは思わずレオポルドの胸を押し返した。


「で、殿……下……っ」

「レオ」


 どうあっても名前で呼ばせたいらしい。

 言えば解放されるのだろうか。

 言わない限り、好きにさせてもらうと言わんばかり、レオポルドはロゼッタの口内を弄ぶ。

 呼吸するのもやっとなロゼッタは、ついに限界にきた。


「れ、レオ! 離して……!」

「いいね。キミに愛称で呼ばれたかった」


 確かに唇は解放されたが、身体は密着したままだ。

 唇から離れたものの、そのままべろりと唇を舐められた。

 そこにいるレオポルドはまさに捕食者の顔だ。


「どうする? ここで朝まで僕と抱き合う? それとも初夜に熱烈に抱き合う? 強引にした自覚はあるからね。ロゼッタに選ばせてあげるよ」


 目の前には腹黒い王太子の笑顔。

 それは結局選択肢がないのと同じではないか。どちらにせよ、彼に娶られることは確定らしい。

 軽い気持ちで引き受けたはずだったのに、とんだ腹黒王子に捕まってしまった。

 ロゼッタはこの甘い檻から逃げられないことを悟り、もう一度レオポルドの唇を受け入れた。




おわり


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