花粉に濡れた夜、運命の恋と出会う
王城の大広間は、眩い光に満ちていた。
天井から吊るされたシャンデリアが宝石のように輝き、音楽と笑い声が幾重にも重なっている。
「まあ……すごい……。」
思わず息を呑んだ私は、胸の奥がきゅっと縮むのを感じていた。
ここが、社交界。
今日という日は、双子そろっての正式なデビューの日だ。
「アリア、ぼうっとしないで。ほら、背筋を伸ばしなさい。」
母の声に、私は小さく頷く。
「はい……。」
隣では、エリシアは子供のようにはしゃいでいるというのに、母は叱ろうともしなかった。
淡い色のドレスに、同じ意匠の装飾。
双子として、同じ装いをするのは両親の意向だった。
――けれど。
「エリシア嬢、お会いできて嬉しいです。」
「まるで花そのものだ。」
次々とかけられるのは、妹への称賛の言葉ばかり。
エリシアは当然のように微笑み、少し首を傾げてみせる。
「ありがとうございます。そう言っていただけて嬉しいですわ。」
その仕草一つで、周囲の幼い令息たちが頬を染める。
私は一歩下がり、視線を伏せた。
(……いつものこと。)
そう思っていた。
私は、エリシアのようには目立たずに、壁の花を決め込んでいた。
「グレインフィール伯爵家のご令嬢ですね。」
そんなとき、不意にかけられた声に、顔を上げる。
目の前の青年は、落ち着いた雰囲気を纏う壮年の貴族だった。
「はい。ロベルト・フォン・グレインフィールの娘、アリアと申します。」
私は礼儀を重んじて、何度も練習したカテーシーを披露する。
その後ろには、これまた数名の身分が高そうな貴族が控えている。
「実に丁寧な所作ですね。
まだ幼いあなたが、ここまで完璧に披露できるのは、並大抵の努力ではかないません。」
一言一言が、胸に静かに落ちてくる。
「……恐れ入ります。」
「あなたは美しくて、とても謙虚な方のようだ。」
気づけば、エリシアの周囲とは違う輪が、私の周りにできていた。
その視線に、居心地の悪さを感じながらも、久しぶりの誉め言葉に嬉しくもなった。
ひとしきり挨拶を交わした後、また目立たないように壁側に立ち、一息つく。
久しぶりに心が温かくなり、思い出しては笑顔になった。
そんな次の瞬間――。
背中に強い衝撃がきて、視界がまわる。
「……っ!」
足を取られ、よろめいた瞬間、視界いっぱいに白い花が弾けた。
花瓶が倒れ、水と花粉が一気に降りかかる。
「きゃあ!」
悲鳴とともに、床に膝をつく。
ドレスは濡れ、髪も頬も、無惨なほど汚れていた。
「まあ……。」
「なんて品のない……。」
ざわめき。
そして、視線。
顔を上げると――
背中側にいたカーテンの影から、エリシアが口元を押さえ、くすりと笑っていた。
(……あぁ。)
理解してしまった瞬間、胸の奥が冷たくなる。
「アリア! 何をしているの!」
母の怒声が響く。
「王城で、こんな失態をするなんて……!」
母の言葉に、周囲の貴族たちがひそひそと声を潜める。
父がそんな母の声をきいて、遠くからこちらに向かってきていた。
さきほど楽しく話していて令息たちも、信じられないというような目でこちらを見ていた。
「グレインフィール伯爵家のお嬢さんは、マナーが全然なっていないようですな。」
「本当、あんな娘がいたら、恥ずかしくて、表にでられなくなっちゃうわ。」
笑い声が、耳に刺さった。
(……立たなきゃ。)
そう思うのに、体が動かない。
父が私がもたついていたのが気に入らないのか、周囲の視線を気にするように吐き捨てた。
「アリア、何をしているんだ!この伯爵家の恥さらしがっ!」
思わず、手でかばうほど、激しい怒りをぶつけられた。
父の言葉に、視界が滲む。
その時だった。
「――失礼。」
低く、穏やかな声。
大きな体が両親と私の間に立ちふさがり、影ができた。
次の瞬間、肩にふわりと、温もりがかかる。
私の身体をゆっくりと支え、起こしてくれた。
「大丈夫ですか?」
濡れた頬に、清潔なハンカチがそっと当てられた。
驚いて顔を上げると、そこには――
穏やかな眼差しの美青年が立っていた。
「……っ。」
言葉が、出ない。
「少し、こちらへ。空気の良い場所があります。」
拒む間もなく、彼は自然な動作で私を支え、歩き出す。
その所作はあまりにも自然で、あまりにも優しかった。
「待ってください! その娘は――」
父の声が聞こえた気がしたが、青年は振り返り、父に対して冷たい視線を送る。
「今は、叱責よりも休息が必要でしょう。」
その一言で、場が静まり返った。
私だけではなく、かなりの女性がその姿にくぎ付けになった。
会場の外。
静かな回廊で、彼は自分のコートを外し、私の肩にかける。
「いえ、大丈夫です。
コートが汚れてしまいます。」
私はあわてて、コートを返そうとしたが、彼はその言葉を聞かずに、私の方にかぶせる。
「……震えています。このままでは風邪をひいてしまいますよ。」
「で、でも……これは……」
「気にしないでください。」
柔らかな微笑み。
「あなたは、何も恥じることをしていません。」
「えっ……?」
一瞬あの惨事の理由を知っているのかと思ったが、そんなわけないと言葉をつぐんだ。
ただ、私を勇気づけてくれるその言葉に、胸の奥が、じんと熱くなる。
何も聞かずに、ただ寄り添ってくれるだけで、とても心強い。
横目で彼をそっと見てしまう。
月に照らされた彼は、本当に魅力的な紳士だった。
生まれて初めて、心臓がバクバクと音をたて落ち着かない。
パーティーの会場から、外に抜けるだけでも結構な距離があるのに、気づけばあっという間に帰りの馬車にたどり着いていた。
「馬車を用意しました。今日は、もうお帰りになった方がいい。」
「……ありがとうございます。
本当に助かりました。」
震える声でそう言うと、彼は少しだけ目を細めた。
「体を暖かくして、ゆっくり休んでくださいね。」
そして、静かに続ける。
「では――また、お会いしましょう。」
馬車中へとエスコートされ、馬車が動いてからも、私は何度も彼の姿を見つめていた。
(……この人と。)
胸の奥で、初めて“はっきりとした願い”が芽生える。
(この人と、結婚したい。)
王城に残るエリシアと、侯爵家との縁。
――それらすべてを、譲ってもいい。
私は初めて、心から思った。
(自分で選んだ人と、恋をして、結婚したい。)
今まで勉強しても、一生懸命何かに打ち込んでも明確な目標は見つけられなかった。
ただ言われたことをして、言われるままの都合のいい存在になっていた。
でも、今――その努力に、色がついた。
もっと勉強して、もっと努力して、彼にふさわしい存在になりたい――そう願うようになった。
この社交界デビューはさんざんなものになってしまったが、心に希望が持てた。
今から両親の叱責を受けて、また同じ日常が繰り返されるとしても、気持ちも楽になる。
「また、明日から頑張らなきゃ……。」
心を躍らせ、次に彼に会えるその時まで、自分を高めていこうと前向きでいられた。
でも、その想いが、後にどのような結果にたどり着くのか――
この時の私は、まだ知らなかった。




