第5話
「魔女殿の呪いについて、でしょう?」
ウォーロの傍らで、床をとん、と一蹴りしたヒューリオスが、一息に天井まで跳びながら、言った。助走もつけずに、人間離れした魔法の跳躍を披露しつつ、俺が話そうとしてたことをずばり言い当てたんだ。
「アステルから話は聞いていますよ、赤い瞳の冒険者殿。まったく、あなたも大変ですねえ」
石造りの天井から、人間一人が立てるくらいの間をあけて差し渡された、樽みてえに太い木の梁。その上まで軽やかに飛び上がると、風の神様は梁に腰かけ、俺に目を向けてくる。
足元を這う蟻たちを興味深そうに見つめてたかと思えば、もう見飽きたからと一匹残らず踏み潰しちまう、無邪気で残酷な子供の目――。
そんなふうに見えたのは、上から見下ろされて、ちょいと反感を覚えたからだろうか。
俺の胸中なんざ気にする様子もなく、風神はからかい半分、同情半分といった口調で、こう続ける。
「なんでも、あの魔女殿にかけられた呪詛を解く術をお探しだとか」
「だとしたら、たずねる相手を間違うておるぞ、人間の小僧」
ザバダが突然、ずいっと迫ってきて、俺の鼻先に太い人差し指を突きつけてきた。
「呪詛とは、ヴァハルめが支配する死者の国――我ら天空の都に住まう神々にとって厭うべき冥界の魔法。そのようなものについて、我らに問うこと事態が間違いぞ」
さっきまでの快活そうな笑顔から一転、泣く子も黙る鬼人の形相だ。
「ザバダ。人間相手に、そういきり立つでない」
と、ウォーロがなだめてくれたものの、その後戦いの神が語ったことは、ザバダの話と大差なかった。
「悪いが小僧、あの魔女めにかけられた呪詛については、わしらは手助けしてやれぬ。冥界にまつわることには関与せぬのが、わしらの掟ゆえにのう」
やっぱりか駄目か――と、俺は足元見つめて、唇を噛んだ。
この三人からの助けは期待しない方がいいってことは、ここへ来るまでの間にアステルから聞かされてたから、予想はできてたけどさ。いざ実際に拒まれてみると、やっぱり落胆の色は隠せねえ。腹立たしくもなるし、それにちょっぴり寂しい気持ちになっちまう。
よく笑い、よく怒る人間臭い連中ではあっても、人間をはじめとする地上の種族に対して、必ずしも優しいわけじゃねえ。この世界を支配する神々ってのは、どうもそういうもんらしい。
けど、そこをどうにかできねえか――そう食い下がってみようかと思ったものの、
「大体おぬし、先日わしらになんと言うたか、よもや忘れてはおるまいな? 運命に抗うと、そう大見得を切ったばかりではないか。その舌の根も乾かぬうちから、わしらに頼ってはなるまいて。わしらは神――この世の善きことも悪しきことも皆、わしらが運命を定めるがゆえに起こるのだと、おぬしらは信じておるのであろう?」
と、ウォーロに痛いところを突かれて、俺は返す言葉に窮しちまう。
確かにそうだ。レオストロ皇子との勝負をどうにか制し、交易都市コンスルミラを船出する前日、俺は神々の前で宣言してる。
――俺たちにできることなんざ、たかが知れてるかもしれねえけどさ。運命だから仕方ねえって最初からあきらめちまうなんざ、ごめんだぜ。
――だから、立ち向かうんだ。俺たちをもてあそぶ、運命ってやつに。
世界を創造し、支配してるとされる神々の前で、よくもまあそんな大言壮語を吐けたもんだって、自分でも思う。とはいえ、すでに賽は投げられちまった以上、後戻りはできねえわけで――。
と、そのとき。この神殿に入ってからずっとしゃべらずにいたアステルが「でも、ウォーロさん……!」と、口を開いた。
「今回ばかりはぼくたちだって、我関せずとはいかないでしょう? なにしろ父上が――冥界に捕らわれたんですから」
「なんじゃと……?」
アステルが思いつめた顔して語るのを聞いて、ウォーロがぴくりと片眉を動かした。ザバダは大きな眼をくわっと見開いたし、頭上でも梁に腰かけたヒューリオスが「ほう?」と、興味を惹かれたように身を乗り出す気配がした。
俺はもちろん、アステルだってついさっき、死神たちから聞かされたばかりの話だからな。さすがの神々も、初耳だったと見えるぜ。
「それは我が輩も知らぬ話であるぞ」
「詳しく聞きたいものですねえ」
「はい。実は……」
アステルが事情を打ち明け始めたのを見て、俺はちょいとばかり希望を持った。
おっさん……もとい神々の王、太陽神リュファトが冥界に捕らわれた――なんて一大事の知らせを耳にすりゃ、神々もさすがに無関心じゃいられねえだろう。自分たちの王を冥界から地上へ連れ戻すために、何かしら手を打つはずだ。
そうなりゃ、おっさんも助かる。それに、神々が冥界とかかわりを持つ気になれば、俺たちへの態度も変わってくるんじゃねえか。さっきはすげなく拒まれちまったが、頃合いを図ってもう一度たずねてみりゃ、今度は何か教えてくれるかもしれねえ。サーラにかけられた冥界の魔法――呪詛に関する詳しい話や、呪いを解く手がかりなんかをさ。
それがどんなに甘い見通しか、思い知らされたのは次の瞬間――ウォーロが「やれやれ」と、億劫そうに肩をすくめて、口を開いたときだった。




