第4話
神々の王、太陽神リュファトを祀る神殿は、王侯貴族が詣でる壮麗な大寺院から、庶民が手を合わせる素朴な祠まで、フェルナース大陸のあちこちにある。その中でも、ここはとりわけ古く、由緒ある神殿らしい。
そう教えてくれたのは、つい先程――死神たちが去った後、戦いの神や海神と共にこの神殿から出てきた風神ヒューリオスだ。
――夜風に吹かれながら立ち話というのもなんですから、どうぞ中へお入りください。なに、心配は無用ですよ。この神殿は現在、我らが貸し切りの宿となっているので、地上の種族には立ち入りをご遠慮いただいていますが、あなたはいつでも自由に入ってくださって構いません。なにしろ我らが王のお気に入りですからねえ。歓迎しますよ、赤い瞳の冒険者殿。
そんなことを言って、俺とアステルを神殿の中へと招き入れた風の神様は今、俺のすぐ前を歩いてる。神殿の入り口から、奥へと向かって。
さっきは突然、短剣握ってアステルに突きかかってきた神様だからな。心配いらねえ、歓迎するなんて言われても、ほいほいとついていっていいもんか、ちょいとばかり不安だぜ。
左右に立ち並ぶ石柱や、赤々と燃えるかがり火、その揺らめく光が照らす石壁の精緻な彫刻――それらを時折ちらり、ちらりと横目で見ながら、俺は神の背中を追って慎重に進む。この先に何があるのかと、幾分緊張しながら。
アステルはといえば、俺の左手、すぐ隣を歩いてるが、ここへ足を踏み入れたときから押し黙っちまって、明らかに元気がねえ。うつむいた白皙の顔がかすかに青みがかって見えるのは、石壁に開けられた小さな窓から差し込む、冴えた月明かりのせいばかりじゃねえだろう。
入り口から百歩ばかり進むと、神殿の主をまつる祭壇に突き当たった。地上に光と熱をもたらす太陽神の大理石像が黄金の玉座につき、その黄玉の瞳が見下ろす足元にゃ、威勢よく薪が爆ぜる円形の炉がある。普段は香が焚かれ、神官や巫女さんが神への祈りを捧げる厳かな場所……のはずなんだが。
「な、なんだよ、これ……?」
炉の上で踊る火にかけられ、豪快に焼かれてたのは、頭から尾までの長さが優に俺の背丈の三倍はあろうかっていう巨大魚だった。
「我が輩が昼間、手ずから海で釣った大物ぞ。今宵我ら三人で食おうと思っておったのだが、ちょうどよい。うぬら三人も食らうがよいぞ」
と、胸を張るのは太鼓を抱え、俺のすぐ右手を大股に歩く海神。海藻めいた波打つ髪を背中にたっぷりと流し、筋肉うねるたくましい肩を揺らして、悠然と歩を進める偉丈夫だ。さっきまで威勢よく太鼓を打ち鳴らしてたし、大口開けてよく笑い、大声でよくしゃべるから、一見豪放磊落な好漢って印象を受ける。けど、眉間にぐっと寄せた太い眉、常に固く握り締めてる拳からは、時に荒れ狂う海の支配者らしい、気性の激しさが見て取れた。
この神様が……ザバダ。あの海賊の親分、シュフィック船長が復讐したがってる海の神様、なんだよな。
本日の日中、イスティユをめざす道中の浜辺で一対一の決闘をした相手を、ふと思い出す。
シャー・シュフィック。このあたりの海――葡萄酒色のウェーゲ海を縄張りとする、海賊の首領。かつて奥さんと息子さんを海の上で亡くしたことから、ザバダとその眷属である大海蛇ヘッガ・ワガンを憎み、復讐するための力を求めてる男だ。
先日、俺たちが乗る交易船〈波乗り小人号〉を襲撃してきたのがきっかけで、俺たちゃこのウェーゲ海の〈人喰い鮫〉と、二度に渡って戦った。
二度目の戦い――今日の昼過ぎだったか、俺たちが海岸歩いてイスティユへ向かう途中でシュフィック一味の船〈海神への復讐号〉が現れ、やむなく剣を抜く羽目になった――では、俺が船長との一騎打ちをどうにか制し、退いてもらうことができた。とはいえ、あの親分とはなんとなく、またいつか、どこかで会いそうな気がするぜ。
まあ、それはさておき――だな。
「そろそろ火が通った頃じゃろう。どれ、わしが一口、味見してやろうかの」
そう言って、特大の焼き魚へと歩み寄っていくのは、戦いの神ウォーロだ。伝承によれば、神々の中で最も強い豪傑……のはずなんだが、今の物腰はいたって穏やかで、血生臭い戦いを好む軍神にゃ、とても見えねえ。ついさっき、この神殿から出てくるなり、俺に襲いかかってきたときとは、まるで別人みてえだ。
けど、まさに今、俺の目の前で、火の粉が舞い飛ぶ炉の中へ躊躇なく踏み込み、炎の舌に顔や手を舐められても平然としてる様を見ると、ああ――この人もやっぱり神様なんだな、って思う。
あれだけ勢いよく燃えてる焚き火を足で踏みつけ、火中に手を突っ込むなんて。しかも、舌を火傷しそうなくらい熱々の脂を滴らせてる焼き魚を、素手でつかんで身をむしり、ぽいっと口へ放り込むなんざ、地上の種族にできることじゃねえ。
それなのに……。
「おうおう、ちょうどよい焼き加減じゃ。ほれ人間の小僧、おぬしも遠慮せず食え、食え!」
湯気が盛大に立ち昇る焼き魚の身を、どこからか取り出した白銀の大皿に次々とむしっては載せ、豪快な山盛りにして差し出してくるウォーロ。
この世界を支配してる天上の権力者、気まぐれで身勝手な神様のはずなのに。目尻と口許ににんまりと笑い皺を浮かべたそのひげ面にゃ、どこか愛嬌があって、まるで気のいい居酒屋のご主人みてえだ。天空から地上を見下ろす神様らしい尊大さ、傲慢さが微塵もねえんだから、不思議なもんだぜ。
とはいえ今は、呑気に相伴にあずかってる場合じゃねえ。サーラの呪詛について話を聞かなきゃならねえし、それに――。
傍らで黙然とうつむいてるおっさんの三男坊を、ちらりと見やる。
親父さんの安否が気になるんだろう。あんなにもアステルが沈んでる前で、陽気に飲み食いして騒ぐなんざ、俺にゃできねえよ。
というわけで、だな。
「ああ……いや、俺はいいからさ。それよりさ、聞きてえことがあるんだが――」
左右の掌をウォーロに向けて振り振り、神々の晩餐に加わることを辞退しながら、俺は話を切り出そうとした。




