第3話
一難去って、また一難。今後も多難となりそうな前途を思い、頭を抱えかけた、そのとき。神殿の入り口を閉ざしてた青銅の大扉が、耳障りな軋みを上げて勢いよく開かれた。そして、その向こうから唐突に聞こえてきたのは――ドン! ドドンドン! って轟音。それに、時折交じるカッカッ! って快音だ。
ドンドドンカッ、ドンドンドンドン、ドンドドンカッ、ドンドンドン!
ドンドドンカッ、ドンドンドンドン、ドンドドンカッ、ドン!
夜の空気を震わせ、腹の底まで響いてくる、この力強い音色は……。
「……太鼓の音?」
そう。虚ろな木の胴に張った皮を撥で打ち、時折硬い木の縁を叩くことで生み出される、豪快にして軽快な太鼓の律動。その弾けるような鼓動と共に、聞き覚えのある声が、俺の耳朶を打つ。
「おうおう。なにやら外が騒がしいと思うて表へ出てみれば、おぬし……いつぞやのへそ出し小僧ではないか。夕暮れ時にロフェミスから、おぬしらがこの島へ来ておると聞いてはおったが、よもやまた会うことになるとはのう……」
「……っ! この声……!」
「おお、しばらくぞ、あのときの人間! 当然覚えておるであろうな、我が輩を!」
戦場に嚠喨と響き渡る、角笛の音を思わせる低い声。その後に、断崖に当たって砕ける波の轟きにも似た、豪快な声が続く。さらにその途中から、草原を吹き渡る風さながらに爽やかな声も聞こえてきた。
「ようこそ、我らが王のお気に入り、赤い瞳の冒険者殿。風の便りによれば、コンスルミラで我らと別れてからここへたどり着くまでの道中、いろいろと大変な目に遭ったそうですねえ」
「……あんたらは、もしかして……」
「フランメリックさん、危ない!」
俺が最後まで言い終える前に、何か危険を察したらしいアステルが、血相変えて声を上げる。
その警鐘の響きが俺の耳に届いたのと、開かれた神殿の入り口から人影が飛び出してきたのと、果たしてどっちが先だったか。
ドンドカッカ、ドドンドドンドン、ドンドカッカ、ドンドンドン!
ドンドカッカ、ドンドンドンドン、ドンドカッカ、ドドンドドン!
太鼓の勇壮な旋律に乗って、飛び出してきた人影は三つ。そのうちの一つが、瞬きする間に俺との間合いを詰めてくる。
「……ッ! は、速え!」
なんて俊足だよ。俺の足で、大股二十歩分は離れてたってのに。
驚嘆する俺に、相手は一歩後ずさる暇さえ与えちゃくれなかった。間合いを取ろうと片足を浮かせた俺の視界いっぱいに、小柄だがずんぐりとした、熊みてえな人影が迫る。その顔は……ちくしょう。ちょうど月が雲に隠れて、夜の闇が深まったせいで、よく見えねえ。
雲隠れした月に代わって、視界の端できらりと光ったのは、相手の得物――まずい、避けねえと!
「うおっと!」
かわせたのはまぐれか、神々の加護があったからか。十中八九、前者だろう。とっさに上体反らせた俺の鼻先を、真っ黒い半月状の、分厚い鉄の刃が二つ、左右逆向きに並んでかすめていく。
諸刃の戦斧! 力自慢の戦士や、牛頭人みてえな怪力の魔物が好んで使う武器だ。破壊力はすさまじい反面、目方が相当あるもんで、自由自在に振り回すなんてのは難しい……はずなんだが。
「しばらく見ぬうちにどれほど強くなったか、手並みを拝見してやろうではないか。さあ――続けてゆくぞい、ほれ!」
のけ反りすぎて背中から地面に倒れ込み、夜空の月を見上げる格好になった俺に、すかさず戦斧の使い手が追い打ちをかけてきた。長柄の先端に取りつけられた半月形の刃が、使い手の頭上高く跳ね上がったかと思うと、そのまま俺の顔面めがけて、一気に落下してくる……!
「だああーッ!」
立ち上がってる暇なんざありゃしねえ。左へごろりと転がって、処刑人の一撃を避ける。
体が四分の三回転して横向きになったとき、目と鼻の先に、鉄の半月が落ちた。つい先程まで俺の頭があったあたりに、戦斧が打ち下ろされたんだ。
その瞬間――大地の女神トゥポラが、身を震わせた。まるで、本当に月が落ちてきたかのように。
吟遊詩人が竪琴の調べに合わせて語る、神話伝説みてえな言い回しだが、大地が震撼したのは事実だ。狙いを外した戦斧が地面に深々と食い込むと、その一点を中心に、周囲へどっと激震が突っ走った。
「いッ……でででででッ!」
押し寄せてきた、見えざる衝撃の波に吹っ飛ばされて、ごろんごろんと大地の上を転がり、弾む俺。
「あったたたァ……!」
ひでえ目に遭わされたもんだが、命を冥界へ落っことさずに済んだだけましだろう。時の神クレオルタの歩みにあと一歩でも遅れてりゃ、俺の頭は真っ二つどころか木っ端微塵。西瓜――はるか東方の地で産するという、皮は緑、中身は血のように真っ赤で汁気たっぷりの果物――みてえに、粉々に叩き割られてたに違いねえ。
「フランメリックさん! しっかりしてください、今助けますから……」
「いけませんねえ。せっかくの見物だというのに、余計な手出しは無用に願いますよ」
危機に陥った俺を見かねたらしく、アステルが加勢に来ようとしたのを、別の人影が阻んだ。
「……っ! ヒューさん……!」
「お相手願いますよ、ロフェ……おっと、地上ではアステルと呼ぶ約束でしたねえ」
横合いからひゅうっと、隙間風のように舞い込んできたのは、俺の相手より背が高く、ほっそりとした人影。そいつはこっちにゃ目もくれず、夜空に星をちりばめる神様に襲いかかった。かかとはもちろん、爪先さえも地面に触れてねえように見える、軽やかな足運びで。
夜風に吹かれて、青みがかった銀髪が踊り、白い外套がはためく。右手に握られた短剣が、疾風の速さ、突風の勢いで繰り出され――間一髪! アステルが顔の前で交差させた左右の腕に防がれた。
ガキン! 硬質な金属の音が響き、無数の火花が方々へ散る。一度ならず二度、いや三度。短剣使いが風を切る音立てて白刃を突き出す度に、青黒い金属の籠手をはめたアステルの両腕がそれを防ぎ、星屑とよく似た火の粉が飛散する。
アステルは星の神様なんだから、もしかすると……本当に綺羅星の欠片が飛び散ってるのかもしれねえ。
「おや、防ぎましたか。さすがは我らが王のご子息ですねえ」
短剣使いは軽々と後ろへ飛び退き、星の神様から離れた。襲撃が失敗したことを悔しがる様子もなく、それどころか楽しげに、口笛さえ吹きながら。
一旦間合いをとって、再度斬りかかる機会をうかがうつもりなんだろう。
だが、ちょうどそのとき――ドンドンドンと、一際大きな太鼓の音が空気を震わせ、その響きにも負けねえ大音声が、丘の上に轟いた。
「おうおう、やめぬか! 七つの海を統べる我が名にかけて、そこまでぞ!」
ドンドンドンドンカッカッ、カッカッカッカッドン!
カッカッカッカッドンドン、ドンドンドンドンカッ!
神殿の入り口から、のっしのっしと大股に歩を進めてきたのは、第三の人影。樽みてえな大太鼓を小脇に抱え、太さが俺の手首ほどもある撥で威勢よく打ち鳴らす大巨漢だ。どうやら、さっきからドンドコ太鼓を叩いてたのは、この大男らしい。
「わっはっは! やはり戦いの神が相手では手も足も出ぬか。我らが定めし運命に抗うなどとうそぶきおる、小生意気な人間の小僧」
頃合いを図ったかのように、夜空に浮かぶ雲が流れ、一時その後ろに隠れてた月が、再び顔を出した。三日月に腰かけ、夜の世界を支配する女神セフィーヌ――以前、大鎌担いだ貴婦人の姿で俺たちの前に現れた、あの恐ろしい女神様の仕業だろうか。月明かりが夜の闇を払い、三つの人影を皓々と照らす。
三者三様の姿が、はっきりと見えるくらいに。
「……! あんたたちは……!」
今まで夜の闇に紛れて顔こそよく見えなかったものの、諸刃の戦斧や短剣といった得物にゃ見覚えがあったし、三人とも聞き覚えのある声だったから、そうじゃねえかって予感はしてた。
黒ひげを蓄えて鎧兜に身を包み、諸刃の戦斧を背負った、太鼓腹の小人。
腰まで届く青みがかった銀髪をなびかせ、旅装束の上に白い外套をまとった妖精。
そして、背が高く肩幅も広い、漁師のようないで立ちをした、青い髪と瞳の偉丈夫。
「……まさか、またあんたらと会うなんてな……」
そう、そのまさかだ。現れた三人はいずれも神。アステルや今立ち去った死神たちと同じく、強大な力を持つ不老不死の種族で、フェルナース大陸を支配してる天上の権力者たち。その中でもとりわけ力強く、世に名を知られた三人の神――軍神ウォーロ、海神ザバダ、風神ヒューリオスのお出ましだ。
半年前にシルヴァルトの森で出会ったときから数えて、この三人と会うのはこれで三度目。二度あることは三度ある、とはいうものの……果たして喜んでいいのか、この再会を。
複雑な思いを胸に、俺は両手でほっぺたをぴしゃりと叩き、気を引き締めて向き合った。
この先、敵となるか味方となるかわからねえ、気まぐれな神々と。




