第16話
それから、あっという間のことだった。レクタ島に勇者の一行現る――そんな噂が、島中に広まったのは。
噂の出どころは、あのメイメアって巫女様だ。本人に「あんたが噂を流してるのか?」ってたずねてみたら、悪びれる様子もなく「ええ、そうですわ」って、あっさり認めたから間違いねえ。さらに話を聞いてみると――あの人、俺に頭を下げてから毎日、神殿へ参拝に来る島の人々に熱弁振るって説いてたそうだ。神託によれば、俺が「冥界に捕らわれたリュファト大神を助け出し、世界を救う勇者」なんだって。
神殿を訪れた人たちの口から、イスティユの町へ、さらにその周囲にちらばる村々へ。噂は山を越え、谷を渡って島中へ瞬く間に広がり、やがて噂を聞いた島の人たちが、俺に好奇の目を向け出した。
――なあ、あんたフランメリックだろ? あんたが勇者だって噂、ありゃ本当なのかい?
最初は町の通りで顔を合わせた人間の冒険者や、飯屋で近くの席に座った妖精の猟師、小人の石工から、からかい半分にそうたずねられる程度だった。
けど、それが十日経ち、十五日が過ぎ、二十日経っても曇り空が続き、太陽が一向に姿を現さねえとなりゃ、どうだ。島で暮らす人々の顔が、日に日に曇ってきた。毎朝空を見上げる農民や漁師、船乗りや商人たちの目に、じわじわと不安の色が浮かんできたんだ。
このまま太陽が顔を見せなきゃ、世界は冷え込む。農地に小麦をはじめとする穀物は実らず、牛や豚といった家畜の育ち具合にも影響が出てくるだろう。そしてその先にゃ、もっと悲惨な未来が待ってるんじゃねえか……?
そんな明日への不安が募るにつれて、島の住人たちが俺を見る目も変わった。連中からかけられる言葉と、その意味合いも。
最初は「勇者サマなんだって?」って揶揄。それが「勇者なのか?」って半信半疑の問いかけに変わり、やがて「勇者様なんですよね?」って期待を込めてたずねられるようになった。
――巫女様から伺いました! あなたこそ、世界を救う勇者なのだと!
――どうか冥界へ赴き、リュファト神をお助けください。そして地上に、再び太陽の輝きを……!
――世界をお救いください、勇者様!
――お願いします、勇者様……!
もちろん、そんな期待をされたって、こっちは困惑するばかりだ。元王子とはいえ、今は一介の冒険者で、特別な力を持ってるわけでもない俺が勇者だなんて、全然笑えねえ冗談だ。
いくら神のお告げだからって、そんな話を真に受ける奴らの気が知れねえ。
まあ、もっとも……勇者扱いされるようになって、いくつかいいこともあったんだけどさ。そう、たとえば――。
――うちの畑に双頭犬が出没して、困っとるんですじゃ。すまんが退治してくださらんか、勇者様。この通り、お頼みしますじゃ……!
――村の東にある森に、人面鳥が巣をつくったみたいなの。勇者様お願い、あいつらを追い払って!
といった具合に、島の人たちから魔物退治の依頼が連日あって、おかげで懐が温まったこととか。この町へ来てから泊まり続けてる〈海精の誘惑亭〉の宿賃や、毎日の飯代だって必要な俺たちにとって、仕事をもらえるのは文句なくありがてえ。
けど、頼まれた仕事をこなす度に、
――なんと、魔物を退治してくださったとな。感謝しますじゃ、勇者様!
――ありがと、勇者様! あなたが世界を救うって神託、あたしも信じたくなっちゃった。
――冥界へは、いつ旅立たれるので? 捕らわれのリュファト神をお助けするという難行、成し遂げられますよう、祈っておりますぞ……!
と、島の人々からますます過大な、それに――言葉を選ばず言わせてもらうなら――勝手な期待をされるのには、正直まいった。
俺は、ただの冒険者だ。世界を救う勇者なんかじゃねえし、冥界へ行くなんて一言も言ってねえのに……。
「なあ巫女様。あんた一体何がしてえんだよ?」
たまりかねて神殿へ行き、巫女様の許を訪ねたのが、たった今。初めて会ってからちょうど一月経った、本日早朝のことだ。
「あら、おはようございます勇者様。朝早くからお越しくださいまして、光栄ですわ」
「だから俺は、勇者じゃねえんだって……!」
噂の出どころを確かめたときも含めて、巫女様と会うのはこれで四回目、いや五回目か? 俺なんかを勇者扱いするのはやめてもらいてえし、冥界や呪いに関する話をどうにか聞き出せねえかって思いもあって、こうして度々神殿へ足を運んでるんだが……ったく、やれやれだぜ。
「まあ。そうやって怒っていらっしゃるときの表情、可愛いですわよ、勇者様」
「う、嬉しくねえよ……可愛いとか言われたってさ」
「うふふふ。そう言うわりにはお顔が赤いですわ」
「うー」
この巫女様、いつもこの調子なんだよな。俺のことを「勇者様」なんて呼ぶうえに、ことあるごとに歯の浮くようなお世辞で持ち上げようとする。「勇ましい」とか「凛々しい」とか、挙句の果てにゃ「お美しい」とかってさ。
そのくせ、俺が冥界絡みの伝承や、呪いにまつわる言い伝えを聞こうとすれば、すぐ話をはぐらかしてこっちを煙に巻いちまうんだから、困ったもんだ。
しかもこの人、俺やデュラム、サーラがイスティユの町周辺で魔物を討伐すりゃ、その都度誰から聞いたのか、俺たちが泊まってる〈海精の誘惑亭〉へ使いをよこして、神殿からの贈り物を届けさせるときた。
町の居酒屋で、顎鬚豊かな小人のご主人から聞いた話だと、ここレクタ島にも十年前までは王様がいて、しかも大変な暴君だったらしい。けど、神託を無視したことで神の怒りを買って、悲惨な最期を遂げたそうだ。それで今は、神殿が王に代わって、島で収穫された大地の恵みを神への供物として受け取り、民の訴えを聞く役目を果たしてるんだとか。
巫女様曰く、贈り物は魔物退治の礼――王の代わりに事実上島を治める神殿の〈大巫女〉として、民を脅かす魔物を成敗してくれた冒険者たちに、感謝の気持ちを示してるだけ――とのことなんだが。それにしちゃ量が多いし、一つ一つが高価すぎる。
たとえば……色とりどりに染め上げた羊毛の糸を使い、水と緑があふれ、花咲き乱れる楽園の様子を織り成した絨毯。木製の表面に無数の青金石や赤い石の欠片、貝殻を貼りつけ、片面には猛々しく凄惨な戦の場面、もう片面には和やかな宴の場面を表した、凝ったつくりの飾り箱。蛇みてえに長い身体と四本爪の手足を持つ龍の姿が刺繍された、艶やかな絹織物。
どれもこれも、駱駝を連ねて砂漠を行く隊商が、あるいは大海原を渡る交易船がはるか遠方から運んできた異国のお宝。主に麺麭や日用の雑貨が売買されてる庶民向けの市場でも買えるような、無地の絹や粗雑なつくりの陶磁器、このところ値下がりしてきてる香辛料なんかとは違う。王侯貴族でもなきゃまず手が届かねえような、最高級の舶来品ばかりだ。
そう言えば以前にも、こんな宝の山を俺に「くれてやる」なんて、惜しげもなく言ってきた皇子様がいたっけな……。
「ほら! あんたからの贈り物、全部まとめて返しにきたぜ!」
落っことしたりしねえよう、亜麻布で丁寧に包んで背負ってきたそれらの品々を、巫女様の前にどんっと突き出してみせる俺。相手に受け取る気配がねえんで、足元に置いて引き下がる。
「魔物退治の報酬なら、依頼主から相場の額をもらってるからさ。こんなに高級なもん贈られたって、不当に利益を上げてるようで後ろめたいだけなんだよ」
「あら、欲のない方ですのね。その高潔なお人柄、さすがはリュファト大神に選ばれた勇者様ですわ」
「だ、だから……! そうやっておだてたって、何も出ねえんだからな!」
左右の拳を振り振り、息巻いてみせるが、巫女様は毛を逆立てた猫に威嚇されてるくらいにしか感じねえのか、くすくすと口許隠して笑うばかりだ。
ったく、しっかりしろよ。完全に舐められてるぞ、俺。
「ところで、あのお二人はどちらに? 今朝はご一緒ではありませんの?」
「デュラムとサーラなら……魔物退治に出かけたぜ。また依頼があったもんだからさ」
本当は、そうじゃねえ。サーラは昨夜から具合が悪くて宿屋で休ませてるし、デュラムにゃそのつき添いを頼んできた。他人様に嘘をつくのは心苦しいが、世の中なんでも正直に話せばいいってもんでもねえからな。特にこの巫女様みてえな、敵か味方かわからねえ人に対しては――。
「まあ、そうでしたの。それで今日はお一人ですのね」
「……ああ」
ちなみにアステルは、今朝からレクタ島のあちこちを回って、ウォーロとザバダ、ヒューリオスを捜してるはず。本人曰く、あのお気楽神様三人組に「力を貸してくれるよう、もう一度頼んでみます」とのことだ。天上の権力者たちは神出鬼没で、人間の俺やサーラはもちろん、妖精のデュラムにも今どこにいるかわからねえ相手だから、同じ神であるアステルが居場所を探して説得に当たってくれるのは、お世辞抜きで助かる。
向こうが頼みを聞き入れてくれるかどうかは……正直、期待はできねえけどさ。
まあ、そんなわけで――今日は俺が単身、巫女様に贈り物を返しにきたんだが。用が済んだからって、このまま帰るわけにゃいかねえ。
世界がこれからどうなっちまうのかとか、冥界に捕らわれたおっさんのことだって気になるが、今一番気がかりなのは、サーラのことだ。
――あたしのことなら、心配無用なんだから。あなたこそ、また一人で突っ走ったりするんじゃないわよ?
ついさっき、俺が出かける際に寝台の上で体を起こし、見送ってくれたあいつの顔。いつもみたいに明るい姉貴面してても隠しようがねえ、隈ができた目やちょいとやつれたほっぺたを思い出し、胸がずきんと痛んだ。
サーラはこの一月の間に、体調を崩して寝込んじまうことが多くなった。呪いが刻一刻とその身を蝕んでるのは間違いねえ。しかも寝込んでるときにゃ、決まって背中の古傷――昔、義理の親父さんにつけられたっていう無数の傷跡が、熱を帯びて疼き出すらしい。痛みに耐えかねたサーラが寝台の敷布を握り、身をよじって苦しむ様は本当に痛々しくて、見てられねえ。冷たい水を浴びりゃ、熱と痛みの波は一旦退くものの、安静にしてねえと翌日また押し寄せてくるときた。質の悪い呪いだぜ。
ちなみに……サーラが水浴びする際は、本人に頼まれ、俺が手伝ってる。宿屋の裏手にある井戸へ行って何度も水を汲み上げ、服を全部脱いだ魔女っ子の背中にかけてやるんだが、そのときの心境を一体どう言い表せばいいんだか。
呪いに苦しむサーラを放っておけねえ、あいつのためにできることをしてやりてえって思いは、もちろんある。けどその一方で、椅子代わりの岩に裸で腰かけた魔女っ子の無防備すぎる後ろ姿や、ふとこっちを振り返ったときの熱で赤みが差した顔、濡れぼそった髪から水が滴り落ちる胸のふくらみを見ると、ついどきどきしちまって、そんな自分がどうしようもなく嫌になる。大切な仲間が――しかも同い年の女の子が辛い思いをしてるときに、その素肌を見て気を昂らせるなんざ最低じゃねえか。こんな俺が勇者で、ましてや世界を救うだなんて、ありえねえだろう。
けど、俺がそんな自己嫌悪に陥って悶々としてるとき、当の魔女っ子はといえば、年が同じ異性に裸を見られてることなんざ全然気にしてねえようで。むしろ振り返った際に、俺の思い詰めた表情が気になったのか、
――ちょっとメリック……なーに暗い顔してるのよ? もしかして、どこか具合でも悪い?
と、恥じらう様子もなく、こっちへずいっと身を乗り出して、たずねてくる。肌着一枚身につけねえ、生まれたままの姿で。
――ちょっ……サーラお前、その格好でむやみにこっち向くなって!
俺があたふたしながらそう止めたって、お構いなしに立ち上がって、ぐいぐい寄ってくるし。
――こ、こらサーラ! こんなところで世話焼きなんざ、よせって。
――ん……なに恥ずかしがってるのよ。あなたはあたしの弟分なんだから、調子がよくないなら、遠慮せずに言いなさいって。
――いや、調子が悪いのはお前の方じゃねえか……って近い! おいサーラ、近づきすぎだって!
――はあ。いいからほら、脈を数えるからじっとしてなさいよ……。
そんなときのサーラは大抵、水浴びして背中の熱が冷め、傷跡の痛みも治まってきた頃とはいえ、顔がまだうっすら紅潮してたり、息もちょいと弾んでたりと、どう見ても本調子からはほど遠い状態だ。それなのに、いつもみてえに姉貴面して俺の世話を焼こうとするのは、自分は大丈夫、まだやれるってことを周囲に示したいからか、それとも自身にそう言い聞かせてえからなのか。
いずれにしても、サーラにこれ以上無理はさせられねえ。世界を救う勇者なんかじゃねえ、ただの冒険者でしかない俺が、今はがんばらなきゃならねえときだろう。
もう、あれこれ思い悩むのはやめて、目の前の相手を、まっすぐ見すえる。
今日という今日こそ、この巫女様から聞き出してやるぜ。サーラを助ける手がかりになるような、冥界や呪いに関する話をさ。




