第15話
「あら。どうなさいましたか、フランメリック様?」
と、巫女様が小首を傾げる様にゃ、鳩みてえな愛嬌があって、今この場じゃなきゃ、俺にも微笑ましく感じられたかもしれねえ。けど、今の俺は巫女様と目を合わせた瞬間、背筋が凍りついちまって、ほっぺたを緩める余裕なんざまるでなかった。
その理由は――巫女様の目だ。ちょいと黒ずみ、煮詰めた蜂蜜のように濃厚な甘さを感じさせる色合いながら、奥底に危険な光を秘めた、琥珀の瞳。冥い靄の切れ間でちらつく、あの光は以前どこかで見たような……?
「仲がよろしいのですね、フランメリック様とマイムサーラ様は。そちらのウィンデュラム様も、口では悪しざまに言いながら、フランメリック様のことは大切に思っておられるようですし」
「驚いたわね――メリックやデュラム君だけじゃなくて、あたしの名前まで知ってるなんて」
とんがり帽子の広いつばの下で、魔女っ子が舌を巻く。
「それもこれも、リュファト様からお告げがあったから、なのかしら?」
「その通りですわ、マイムサーラ様。魔法使いが呪文を唱え、神々から力をお借りするように、神官や巫女は祈りを捧げることで知識を授かるのです。過去、現在、ときには未来に関する、様々な知識を」
陶然とした眼差しを、俺たちの頭上、何もねえ宙へと向ける巫女様。
「では、世界で今何が起きているのかも、大神から聞いて知っているということか?」
「ええ、もちろんですわ、ウィンデュラム様。率直に申し上げますが、今世界は危機に瀕しています。太陽が輝きを失いつつあるという、未曽有の危機に」
「なんだって……?」
今朝、宿屋の窓から見た外の景色――一面、灰色の雲に覆われた空が、脳裏に浮かぶ。
今日はたまたま曇りなだけで、あの雲の向こうにゃ、いつもと変わりねえお日様が昇ってる――そう自分に言い聞かせてたんだが。
「それってまさか、世界が真っ暗になっちゃうってこと?」
「はい。昨日、リュファト大神が冥界で捕らわれの身となられたことで、地上では太陽の力が衰え始めているのです。今はわたくしたち地上の種族に悟られないよう、稲妻を操るゴドロム神が雲を呼び寄せ、空を覆い隠していますが……」
まるで巫女様の話を聞いてて、頃合いを見計らったかのように、表で雷が吠え猛った。先日、商都コンスルミラで戦った雷神様の怒号が曇天に轟き、神殿の天井を震わせる。
「大変、雨よ! 急に降り出してきたわ!」
「こりゃ嵐になるかもしれませんな……!」
そんな声が、外から聞こえてきた。
「……ゴドロム様、か」
火花を散らす白熱の撥を手に、筋肉隆々の肩を怒らせる禿頭の巨人――天に湧き立つ入道雲を思わせるその背中が、記憶の中に浮かび上がる。
雷神ゴドロム。神々の中でも一、二位を争う強大な力を持ち、怒りっぽくて、しつこくて、気に入らねえことがあるとすぐ稲妻を振りかざす、横暴な神。けど、なんだかんだ言いながら俺たちの気概は認めてて、あの恐ろしい海の怪物――大海蛇ヘッガ・ワガンから助けてくれたこともある。俺たちとは良くも悪くも、何かと縁がある神様だな。
――あんたももう少し素直になりゃ、地上の種族に慕われるかもしれねえのに――見かけによらず、いい神様だってさ。
――……っ! くだらぬことを抜かすでない! 貴様らの顔など、二度と見たくはないわ! わしがまた稲妻を振り上げぬうちに、どこへとなり失せるがよい!
最後にウェーゲ海で言葉を交わしたときの、あの神様の顔――真っ赤な怒りの形相ながら、どこか照れて赤面してるようにも見える強面が、俺の脳裏でこっちを振り返る。何か言いてえのに、自尊心が邪魔して言えずにいる――そんな顔して俺を見たのも束の間、すぐに「ふん!」と苦虫噛み潰したような渋面になって、またあっちを向いちまう。
今思えばあの神様、素直じゃねえところがデュラムと似てるよな。一時はずいぶん嫌な思いをさせられた相手だが、今となっちゃ懐かしい気もするんだから、不思議なもんだぜ。
まあ、その話はひとまず脇に置いて――だな。
「……このまま太陽が姿を現さない日が続けば、天の異変に気づく者も増えてくるでしょう。そうなれば地上は――」
「てんやわんやの大騒ぎになる、と」
「まさにその通りですわ」
「ほ、本当に起こるのかよ、そんなことが……?」
太陽が力を失い、世界が闇に閉ざされちまうなんざ、それこそ雲をつかむような話、まるで神話か伝説の一場面だ。けど、今まで神々と何度も会って言葉を交わし、時に剣を交えてきた身としちゃ、でたらめだって鼻で笑うことはできねえ。
俺たちが絶句してるのを見て、巫女様は話を続ける。世界に危機が迫ってるって現実を知りながら、取り乱す様子もなく、むしろ夢見るような面持ちで、言葉を継いだ。
「そして未来を見通すリュファト大神は、このような事態となることを予見して、わたくしに命じておられたのです。いざとなれば、勇者を冥界へ向かわせよと」
「その勇者ってのが……俺たちだってのか?」
そう問いかける俺に、巫女様は確信に満ちた表情でうなずいてみせる。
「七日前、わたくしの夢枕にリュファト大神がお立ちになり、こう告げられたのです。『勇者の一行が、間もなくこの島を訪れる。赤い瞳の冒険者フランメリックと、その仲間――妖精の槍術使いウィンデュラム、水の魔法を操る魔女マイムサーラ。いずれも世界の危機に立ち向かわんとする、勇気ある者たちである。運命のときが来れば、この者らを目指すべき場所へ導け。そして助けよ、我を――』と」
「おっさん……」
あの神様が、そんなことを。
「お告げの中にある『世界の危機』とは、太陽の力が弱まり、この世が闇に覆われようとしていること。『運命のとき』とは、そのような危機に世界が瀕している今現在。そして『目指すべき場所』とは、リュファト大神が捕らわれておいでの冥界に他なりません」
異論を許さねえ勢いで、巫女様は神託の意味を解き明かしてみせる。
「すなわち、リュファト大神はこう仰せなのです。このままでは世界が危ない。三人の勇者を冥界へ導き、世界の危機に立ち向かわせよ。そして、捕らわれた自分を助けるように――と」
「お、おい、巫女様……?」
机の向こうで不意に巫女様が立ち上がったんで、どうしたのかと思ったらあの人、深々と頭を下げたじゃねえか。
なんの冗談か、俺に向かって、だ。
「神託を授かった巫女として、謹んでお願い申し上げます。どうかお仲間の二人と共に冥界へ赴き、リュファト大神をお助けください。この世に光を取り戻し、世界をお救いください――勇者フランメリック様」
熱のこもった声で訴え、崇拝するような目で見上げてくる巫女様を前に、俺はただ困惑するしかねえ。
……なんだよ、これ。どういうことだよ、この状況。
俺、自分の意思と関係なく、勇者にされちまってるんだが。




