第三章 乱 デビルズ・ピーク(15)
ザクロス達と合流する。
「エミリオスは・・・」
いの一番にランダはそう口を開いた。
「大腿の腱がやられています。」
「完治は・・」
「無理です。」
「そうか・・仕方ないねぇ。
私は強い男が好きだったんだけどねぇ。」
ランダが哀れみの眼でエミリオスを見、そしてザクロスに妖艶に笑いかけた。がザクロスはその視線を無視した。
「とにかく先を急ごう。
こうなれば私を楽しませるのはバフォメットだけだからね。」
ランダは道を急かした。
一晩の野宿の間、
「大の男がそれしきのことで呻き声を漏らすんじゃないよ。」
と、ランダの声が林の奥から聞こえてくる。
が、それを無視して皆は眠りについた。
翌朝、急に若さをなくしたように見えるエミリオスを従えたランダが皆を起こしに来た。
「返して貰っただけだよ、私があげた精をね。」
怪訝そうな皆の顔に向かってランダはそう言い、そして続けて、
「とにかく急ぐよ。あの嫌な気が、もうそこまで来ている。」
と、先だって歩き出した。
頂上まであと僅か、そこで急ぐランダの足が止まる。
「出たようだね。」
ランダの声の後から、辺りが淫靡な紫色の煙に包まれる。
「バフォメット、こそこそしないで出ておいで。」
だがランダの怒声に現れたのは妖艶な若い美女。
「エンプーサかい。」
ランダの視線がその美女を舐め回す。
一瞬の躊躇の後、青銅のロバの蹄を持った脚がランダに蹴りを入れようとする。
「やる気かい。」
ランダがその足首を掴むと、その女は背中に生えたコウモリの翼を羽ばたかせ宙に浮いた。そして次の攻撃はもう片足、大きな鷹の爪を持った爪先がランダを襲い、ランダの頬に僅かな傷をつける。
「楽しましてくれるねぇ。」
ランダが笑い、その足首もまた掴み取る。
それに対してエンプーサの両手の鉤爪が襲いかかる。ランダはエンプーサの両足首を掴んでいた手を離し、今度はその両手首を掴む。
両手の動きと引き替えに自由を取り戻した足がランダを襲う。しかし、赤銅色に変化したランダの皮膚は何ものにも傷つけられることはない。
ランダが笑いながらエンプーサを引き寄せ、彼女の唇に己の唇を近づける。
厭々をするようにエンプーサの首が左右に捻曲がる。
ランダの両手がエンプーサの手首を離し彼女の頬を左右から挟みつけ、首の動きを封じる。そしてエンプーサの頸筋に甘い息を吹きかける。
藻掻き続けていたエンプーサの手足の動きが緩慢になりだらんと弛緩する。
ついにランダの唇がエンプーサの唇を捕らえ、長い舌がエンプーサの口腔を犯す。
その向こうで紫色の煙が晴れ、男根を起立させたバフォメットが現れた。
「やっとお出ましかい。」
エンプーサの唇を離れたランダの口が言葉を発する。
バフォメットは何やら呪文を唱え、その後に、
「お出ましあれ、我が主よ。」
と、大声を上げた。
その声に呼ばれて現れたのは真っ青な皮膚を持ち、裂け上がった大きな口の下に髭を生やした醜怪な顔の上に二本の捻曲がった角を突き出し、尾先が鏃のような長い尻尾をくねらす魔業の者。
「ベルフェゴールか。」
ランダの眼が怪しく光る。
「ランダ・・何しに来た。」
「バフォメットを貰い受けに来ただけだよ。」
ランダの体の赤銅色が濃くなり、足下から姿が変わり始める。
「待て・・お前と争う気はない。
バフォメットでよければ連れて行け。」
ベルフェゴールの言葉にバフォメットが慌てる。
「それに・・お前の後ろ盾が何であるかは知らないがここも棲みにくくなってきた。」
「後ろ盾・・・」
「お前の後ろから迫っている気だ。」
「気・・あの嫌な気か・・・私には関係ない。」
「関係ない・・か・・・だが、利用されている・・・お前の力がな。」
「私は・・・」
バフォメットが悲痛な声を上げる。
「儂は何を司っている。」
ベルフェゴールがバフォメットを見る。
「怠惰・・・怠惰を司っておられます。」
「その儂が自分の魂を掛けてまでお前のために闘うと思うか。」
その言葉と共にベルフェゴールの体が透け始めた。
「さらばだ・・またいつか会うこともあるであろう。
ここに来ていた村の女も返す。お前も早々に立ち去ったがよかろう。
この気と闘うつもりがないのであればな・・飲み込まれぬうちに。」
ランダに別れを告げ、ベルフェゴールの体は完全に消え去った。
「バフォメット、私の館に来なさい。」
ランダはバフォメットを睨み付けた。
その時、クローネ、そしてカダイとデフィンの体が震えだし、次には手にしたものを取り落とし地に突っ伏した。
その喉の奥から異口同音に声がする。
「立ち去れ、ワーロック。さもなくば陽の因子を持たぬ者はこの地で全て滅する。
お前達が登ってきた道だけは残しておいた・・ここに転がる体を抱え、早々に立ち去るがよい。」




