37.事故は起こるもの
ハロルドが三妖精にクッキーを分け与えていた頃、アーロンは自宅で四つん這いになって紙を持って震えていた。
「これがうえにーちゃん、したにーちゃん!!」
「うん、うん……上手く、かけてるよ。にーちゃんうれしい」
それが、課題のプリントの裏紙でなければもっと嬉しかった。
手が真っ黒になった妹の手をとって「手ぇ洗おっか〜」と抱き上げると妹は喜んだけれど、アーロンは内心それどころではない。溢れたインクにちょっぴり潰れているペン先。買い直しであることは仕方がないとはいえ、ここですぐに手に入るものではないというのが困る。
妹の手を洗わせながら、一緒に通う友人がいてよかった、と遠い目をした。
その翌日に、荷物を持ってハロルドの家を訪ねてきたアーロンが見たのは、指先でリボンのような水をクルクルと回しているハロルドだった。真顔なのが余計にシュールである。
「あれ、アーロンくん。学園じゃあるまいし、そんなに大荷物でどうしたの?」
ハロルドの家に泊っているブライトがあっけに取られているアーロンを見て近寄ってきた。その腕には大量の薪があるが、彼自身は涼しい顔をしていた。
「アーロン、おはよう。どうかした?」
「あ、おはよ。二人とも。悪いんだけどさ……課題プリント、見せてくれね?」
一緒にある程度片付けていたので、ハロルドはその言葉に不思議そうな顔をした。それに対して家で起きた事故について、話し出した。
「それは……」
「俺もインクとかペン、貴重だから隠してはいたんだけど……見つかっちまったんだからしゃあねぇよな……」
乾いた笑いが周囲に響く。
アーロンの妹はそこまで身体が丈夫ではない。それ故に家にいることが多い。外に出れなくて暇だったのだろうと思うと仕方ないなと思えた。弟は元気に走り回っているし、どこで会っているのかは知らないけれど、たまにハロルドと一緒に魚を取ったりしている。罠の精度が上がっていて、時々驚くくらいだ。
「いいよ。俺のペンとインク使う?」
「助かる!」
ほっとしたような顔をするアーロンを見ながら、ブライトは不思議な気分だった。自分の兄弟と仲が良いという感覚がまずよくわからなかったりする。自分が妹とまず話したことがないというのも大きいかもしれない。
「大変だねぇ」
しみじみとそう言うブライトにアーロンは内心では「お前ん家ほどじゃねーよ」と考えたけれど口には出さなかった。複雑な家庭事情にはあまり口を出すものではない。
「まぁ、元気そうだからいいわ。随分寂しい思いもさせてるしなぁ」
アーロンが王都に行ってからそれなりに大変だったそうで、帰ってきてからは結構べったりと張り付いていた。
もう少しすれば、また王都に行かなくてはいけないし、冬季の休暇は夏季の休暇よりも短く、雪が降るため帰ってくるのが難しい。今日は元気に友達と遊んでいるらしいし、兄を鬱陶しがらないのなんて今のうちだろう、とアーロンは苦笑した。
「課題、終わったと思ったんだけどなぁ」
「復習だと思うしかないよ」
時を戻す魔法、なんてものはないし、あったとしても禁術だろう。地道にやるしかないのだ。
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