20.無知の代償
バシン、と乾いた音が部屋に響く。サティアは唖然としながらよろけて、尻を強く打ち付ける。へたり込んで見上げると、顔を真っ赤にした母親がいた。
「おまえ、どういうつもりなの?わたくしの顔をこれでもかと言うほど潰して、満足?この家を破滅へと追い込んで満足かしら?」
サティアが反論する前に母親は、彼女に手紙を投げつけた。微かに香るバラの香り、紙の品質はとても良いものでその刻印には見覚えがあった。商会と取引をしている家の中にあった気がする、とサティアは思ったけれど、再会早々平手打ちをされるほどのことはしていない、と母を睨みつけた。
「ルビー侯爵家からよ。お嬢様の婚約者におまえが近づいたこと、そしてエトナ様の婚約者を寝取ったこと!全部書かれているわ。エリザベータお嬢様の婚姻は王家の肝入り……おまえは、王家と高位貴族に喧嘩を売ったの」
そんなことは知らない、とサティアは目を見開く。すると、何かが隣に投げ込まれた。恐る恐る、彼女が隣を見ると、それなりに整っていた顔が見る影もない父がいた。
「まったく、困りますね?子爵家を奪うために楽しく動き回ってたらしいじゃありませんか?金を使うことしか頭にない阿呆のくせに、ウルクに手を出して……後数年、数年あれば彼は名の知れた芸術家になったはずです。ローウェルは話のわかる人ですし、専売だってできたのに……」
「ひ……」
笑顔なのに、酷く冷めた目の兄が母の隣に並んだ。茶色い髪に、人好きのする緑の目がチャーミングな兄であったというのに、愛嬌なんてかけらも見当たらない。
それでも、兄ならば助けてくれるのでは、とサティアは愚かにも兄を呼んだ。
「なんです、サティア?僕たちがいない間、君も問題ばかり起こして……まさか、この商会を潰すつもりだとは思いませんでしたよ。……ここには、信頼する者も残していったはずですが、動くお金に魅入られたのでしょうか」
怒りが自分にも向けられている。そう察するにあまりある目線だ。声も、表情も不思議そうに見えるのに、その緑の瞳だけが怒りに燃えている。
「離縁よ。さっさと出ていきなさい」
母は父親に三行半を突きつけている。
それを見ながら、サティアは震える。
「お、俺は次のオパルス子爵になる男だぞ!!」
「なれるわけないでしょう。おまえが子爵家のメイドを買収して事件を起こしたことなんてもうとっくにバレているわよ」
あくまでも平民の母と、貴族出身の父。力関係が強いのは父であるとずっと思っていた。
あれ、おかしい。
そんなことを思いながらも黙っていることしかできない。
彼女が押した崩壊へのスイッチは止まらない。ハロルドは寛容だが、エリザベータはそうではない。権力を持ち、その気になれば魔法一つでサティアの存在くらい消してしまえる。そして、それを行使することに躊躇いを持つような女性ではない。ハロルドが誰と縁を持っているかなんて彼女は知らなかったけれど、「知らない」が通用すればエリザベータはブライトにあれほど恐れられはしなかった。
「おまえたちはわかっていない。我々の商会には何名の従業員がいる?その家族の数は、取引先や職人の数は?」
「それが何の関係があるって言うんだ」
鼻で笑う夫を、女は冷ややかに見つめながら「それが、おまえたちの迂闊で愚かな、浅ましい行動で職を失うかもしれないのだぞ」と告げる。ヘラヘラと「平民が職を失おうと俺には関係ないだろう」と言う男。
「あなたも婿に来た時点で平民でしょうに。まぁ、そんなこともわからない馬鹿だから、我々がいない隙にといらないことをやったのでしょうけど」
サティアの母と兄は分かっている。元凶である二人を徹底的に排除できない場合に、本当にどうなるか。高位貴族の恐ろしさを理解している。
今この瞬間も、見られ、その価値を査定されている。このクズな男と愚かな娘、そしてそれに協力した裏切り者たちを根こそぎ絶やし、残すに値すると価値を示さなければならないのだ。そうでなければ、自分たちだけの問題では済まない。
エリザベータは仕事が早い。なお、これは監視中に見ちゃったから追い込まれてるけど、本人は転がされてから三日くらいふわふわしてるのでまだ致命傷じゃない。この商会はハロルドに感謝して良い。
重要な取引で仕方なく見張りつけて国を離れてたらやらかされちゃったサティアのママと兄は可哀想。




