36.トリガーを引いたから?
次章に続く不穏ターン
一人の少年が鬱蒼とした森の中で膝を抱えて泣いていた。泣き声が漏れないのは「うるさい」とその喉を潰されたからだ。
きっかけは何だったのだろう、と動かない頭で考える。
(ああ、そうだ。兄貴が、おばさんと)
当時の記憶が蘇ったのか口元を押さえた。もうしばらくまともに食べてないというのに迫り上がってくるものは、きっと当時の気持ち悪さと裏切られたというような感情からかもしれない。
それでも、何も知らなかった当時は幸せだった。
大きな背中の頼もしい父、少し心配性で優しい笑顔の母、そして。
——勇者の力を持って生まれた、兄。
大好きな家族に囲まれて、近所にいる一つ年上の綺麗な幼馴染と走り回る生活は、今ではもう幻想のように美しい記憶だ。
しかし、それは彼の兄が幼馴染の母親と関係を持ったことで崩れ落ちた。
両親は兄と話し合うものの、理解は得られず兄は「もう一人で生きていける」と王都から帰ってこなくなった。
幼馴染は村の人間たちの嫌がらせもあってどこかへ引っ越して行った。
幼馴染が居なくなり、兄がもう戻ってこないと知ると、その嫌がらせは少年たち一家に向かうことになった。
憔悴していく母を見て父は、生まれ育った村を捨てて移住することを決めた。目的地に着く前に彼らはハンベルジャイト伯爵領で流行病にかかって亡くなった。
少年、ペーターを残して。
(ああ。おれが、いうことをきかなかった、から……)
ハンベルジャイト領の孤児院へと入ることになったペーターだが、そこでの生活は酷いものだった。
顔の整った者や女子はある程度大切に育てられるが、それは売り払うためだ。不美人な女子とその他は劣悪な労働を強いられ、失敗すれば教会の人間が酷く折檻をした。動けなくなる寸前まで甚振られて、末路がコレだ。
この森には、精霊樹を切り倒された後から急激に増えた魔物が、多く生息していた。
そして、その中にはジュエルシリーズといわれるこの国特有の強力なモノも見られる。
森の出口には聖騎士などと呼ばれる名ばかりの存在と冒険者がいる。だがそれはペーターたちを助けるためにいるのではなく、餌にした彼らが連れてきた魔物を狩り、売り捌くためにいる。
ここは、孤児たちの処分場だった。
(たすけてよ、)
その唇は、父の、母の名を形どり、最後に兄ではなく……兄のように慕っていた幼馴染の名を呼んだ。
届かないと知りながら、逃げ切れるわけではないと思いながら、縋るように願った。
ところ変わって、王城では一人の青年が柵の付いた窓から外を見ていた。もしものことがないようにと精神異常耐性がついた魔道具を身につけた近衛たちが青年を見張っている。
やがて、その扉が開くと見慣れていた赤い髪が見える。少し厳しそうに見える緑の瞳が自分に向いていて、青年は「あにうえ」と心底ホッとしたように呟いた。
「ジョシュア、久しいな。追い落とそうとした男の無事な姿を見た気分はどうだ」
「……俺は、兄上に死んで欲しいなんて願っていない。願わない。俺は、アンタを超えたいと思っただけだ」
「だろうね。お前がそこまでしようとするだなんて思ってはいないよ。愚かだな、とは思うけど」
兄、アンリ・シャルル・エーデルシュタインにそう言われた第二王子ジョシュアは「兄上にはわからない、俺の気持ちなんて」と感情を押し殺したような声で告げ、机を殴ろうとした手をすんでで止めた。
「わかるはずがないだろう。私たちは兄弟だが違う人間だ。全てを察しろだなんて無理がある。お前にだって私の気持ちはわからないさ。おそらく、永遠に」
吐き捨てるような言葉と失望の眼差しに項垂れるジョシュアに、アンリは続けた。
「まぁ、そんなお前にも使い道はあるからそんなに落ち込むことはないよ」
弟であろうと、国のために使えるものはなんでも使う男は優しい声でそう述べたけれど、だからこそ不安を抱かせる。
「王命だ。聖女がちゃんと魔王退治の駒になるようにしっかりコントロールしろ。なに、うまくいけば魔王はいなくなってお前も彼女と添い遂げられる。良い案だろう?」
ハロルドが「まぁ、最悪第二王子殿下は聖女にくれてやってもいいんじゃない?マリエさん、ジョシュア殿下のことは好きみたいだし」なんてルートヴィヒにこぼした雑な案が採用されてしまった。このままではエリザベータは逃すかもしれない状況な上、問題を抱えてなお聖女を愛する第二王子の使い道など限られる。
好きな女を、死地に向かわせる準備をさせろと命じられたジョシュアの顔は真っ青だ。
「あとやらかしたんだから聖女の修行も兼ねて仕事も任せる。逃げようだなんて考えるなよ。聖女の方だって魔王を殺さなければいけない理由ができているからな」
王族であるのだから、民のためにやれるだろう?
その言葉に、何かあることを察したジョシュアは青い顔のまま、ゆっくりと頭を下げた。
「謹んで、お受けいたします」
わかるのは、マリエと自分が何かの引き金を引いてしまったのだろうということだけだった。
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