婚約者の回想6・王宮の庭1
最近、私はどこかおかしい。
最初の異変は、フィルメリア殿下と口論になった翌日の朝。
いつもは決まった時間に目覚める私が、侍女たちに起こされ、その後もぼんやりとしたままだった。
めずらしい、と皆が口々に言ったが、その後も私は朝、寝起きが悪い日が続いた。
そして、家を出る時間になると腹痛に悩まされるようになった。
初日は学園を休んだが、すぐに痛みは収まったため、翌日はどうせすぐに痛みは収まるだろうと、学園へ向かった。だが、結局、その日は痛みが引かず、早退することになった。
そして、帰宅した頃にはまたも痛みが消えていた。
そんなことが、さらに二日続いた時点で、私は他人にどう見られるかが気になり始めた。
これでは仮病だと周囲に思われるのではないか。そうなれば、私への不信感が募るに違いない。
そう考えた私は痛みを無視して学園へ通った。ガンガンと痛む頭も、引き絞られるようなお腹の痛みも無視して。背筋を伸ばし、ニッコリと微笑み、周囲に気取られないよう振る舞った。誰も、私の体調の悪さには気づかないぐらい、完璧に。
……ただ一人、お目付け役のセラフィオーネだけは、騙されてはくれなかったけれど。
それは、王城で妃殿下とお茶をした帰りのことだった。
護衛と三人で歩いていると、通路で人気のないところに来た途端、セラフィオーネに手首を掴まれた。
私は驚いて、彼女の顔を見た。
「……っ! なに? どうしたの、突然……」
彼女は眉間にシワを寄せ、私の顔をじっと見つめて言った。
「メイクで分かりづらいけど……、顔色が悪いんじゃない? いつから、具合が悪いの?」
ひどく心配そうな彼女の顔を、どうしてか見返すことができなくて、私はうつむいて否定した。
「……いえ、大丈夫よ」
「大丈夫? でも……。まぁっ、手が震えているわ。お医者様を呼びましょう」
彼女の言葉に、思わず手を振り払った。
「……なんでもないって、言ってるでしょうっ!」
語気の荒さに自分でも驚き、狼狽する。そんな私を見て、セラフィオーネは考え込むように口を閉ざした。
「……ここだといつ人が来るかわからないわ。一度、庭園に出ましょう」
外に出て馬車に乗るより、庭園の方が近いと判断したのだろう。そっと私を促して歩き始める彼女に、私は黙って従った。もう、自分が信用できなくて、口を開くのが怖かったのだ。
庭園に入ると、護衛は周囲が見渡せる場所で待たせ、奥のベンチへと二人で進む。腰を下ろすよう勧められるが、気が立っていて、落ち着いて座ってなどいられなかった。
首筋をなでる風に肩をすくめ、思わず腕をなでる。未だ芽吹く様子のない、むき出しになった黒々とした枝の先には、灰色の空が広がり、春はまだまだ先のように思えた。
――心が塞ぐような空ね……。
この寂しい庭では、春を先取りした、柔らかな色合いのドレスがひどく場違いに感じられた、
先程から、どうでもいいことばかりが目について、考えがまとまらない。
イライラと歩き回りそうになる体を律するが、無駄にドレスの裾を払ったり、髪を何度もなでつけたり、と神経質な動きをしてしまう。分かっているのに、やめられない。
そんな私に、セラフィオーネが心配そうに声をかけてくる。
「もしかして、また、フィルメリア殿下と何か合ったの?」
「っ……」
彼の名前を聞いた瞬間、様々な感情がこみ上げて、思考がぐちゃぐちゃに歪む。どんな言葉が溢れ出すのか分からず、口を開くことさえできなかった。
「大丈夫よ。カティは何も悪くない。みんな、貴方の味方だわ」
セラフィオーネの声が、言葉が、ささくれだった私の心を逆なでする。こちらに寄り添おうとするその態度に不快感しか感じられない。
――違う違う違う。なにも分かってない。
無言で首を振る私に、彼女は言葉を続ける。
「……それとも、殿下のことで何か言われたの? 彼の行動の責任は彼自身のものでしょう。貴方は自分が正しいと思うことを――」
「――うるさいっ! もう、放っておいてっ!」
「カティ?」
私をなだめようとする言葉が、腹立たしい。
彼が悪い?
私だって、そう思っているに決まってるじゃないっ!
でも、私が正しいから、何だというのだろう? 大丈夫って、何が? 大丈夫なことなんて、何もない。気にするなって、どうやって? これからも頑張れってこと?
――ふざけないで……ふざけないでよっ!!! なんで、私が? なんで、私がっ!!!
「もう、無理よっ!」
心が悲鳴をあげた。
これ以上、何をすればいいと言うのだろう。こんな目にあったというのに、まだ、彼の婚約者として努力を続けさせようというのか。どうして? 何のために?
なぜ、私が彼の行動に我慢し続けなくてはいけないのだろう。もう、うんざりだった。
「私、ずっと、努力してきたわ」
自分は頑張った、もう、どうすればいいのか分からない……。次々と泣き言がこぼれ、募る苛立ちから涙があふれる。思考はぐちゃぐちゃで、もう無理だ、ということしか考えられない。
フィルメリア殿下がおかしいとか、どうすればいいかわからない、とか、そんな言葉が漏れる。
でも、私が本当に嫌なのは、自分自身の心だ。
「……どす黒い感情が吹き出してくるのを止められない。溢れ出さないように、ギリギリ押さえつけているだけの自分が、嫌で嫌でたまらないっ!!」
フィルメリア殿下を含め、周囲のことに振り回されている、愚かで、いたらない自身への嫌悪感に、消えてしまいたい、と強く願う。フィルメリア殿下さえいなければ、こんな駄目な自分を知らずに済んだのに、と恨み言を言いたくなる。そして、そんな自分に失望する、という悪循環。
――フィルメリア殿下になんて、もう、二度と会いたくない。
静かな庭園に、私の嗚咽だけが響いていた。




