婚約者の回想1・婚約後
――他人から向けられる敵意、そして嫌悪は精神を疲弊させる。
婚約してしばらく経つと、私は早々にそう学んだ。
私がどんなに笑顔で接しても、婚約者であるフィルメリア殿下は微笑むことはもちろん、態度を和らげてさえくれなかった。むしろ、関わろうとすればするほど瞳に浮かぶ嫌悪の色は増し、態度も荒々しくなっていくように思えた。
今までにない反応に戸惑いつつも、それでも最初のうちはすぐに気持ちを切り替え、負けるまいと頑張れた。すぐに諦めるなんて、私にとってはありえないことだった。
だって、そうでしょう? 何かを本気で成し遂げようとするなら、対策を考え続けるはず。努力もしないで、理由をつけて諦める人間は、最初から無理だと決めつけて、言い訳を探しているんだわ。
……ああ、また、こんな言い方をしてしまった。時折、できない人間を見下すような、断罪するような言い方をしてしまう――気をつけていても、ひょっこりと顔を出す私の悪い癖だ。
私は自分で言うのも何だけど、才能や能力もあって、大抵のことは頑張ればすぐに結果が出せてしまう。そうすると、周囲の人間が怠惰で見るに堪えない人間に思えてしまうのだ。だって、私だったらちょっと頑張れば達成してしまうようなことを、無理だ、できるわけがない、なんて否定ばかりして動こうともしない――動いてもおざなりで、無理だということを証明しようとするだけの――人たちなのだ。
真剣にやりもしないで、どうして結果が分かるのかしら? と腹も立ったし、生き方としてみっともない、美しくない、と以前は不満が溜まったものだった。
能力の低い人間への共感と理解が足りない、と注意されることもあったし、あなたができるからって、皆ができるわけじゃないのよ、と面と向かって反発の言葉を投げつけられたこともあった。
最近になって、やっと責めても人は動かない、という事を理解し、人が動かないのは私の指示の出し方が悪いのだ、と自身の非を認められるようになった。無理だ、と諦める人たちの心に寄り添って、相手が大丈夫だ、できる、頑張ろう、と思えるような言葉を探せるようになってきた。
それでも、時折、昔から持っていた考え方が戻ってきてしまうことがある。新しい考え方を取り入れて変われたつもりでいても、一度根付いてしまった思想を叩き出すのは中々に難しいようだ。
そんな私なので、正直、フィルメリア殿下を理解するのは中々に難しいことだった。
だって、どうして周りに合わせられないのか考えても、考えても、分からない。彼は私の理解の及ばない、すこし空恐ろしくもある、謎の生き物に思えた。
だから、とにかく仲良くなろうと思ったのだ。
将来的には一緒に、この国のために働くのだ。そのためには、友好的な関係を築き、互いを補い合えるようになりたかった。「この国のために」という、同じ目的を持ったパートナーとして協力し合いたかった。
その第一歩として、友人ぐらいにはなりたかったのだけど……。
結果は散々だった。
それでも、私は努力した。
――突然、良くなるわけがない。
――簡単に、問題が解決するはずがない。
そんなのは当然のことだ、と落ち込みそうになる度に背筋を伸ばし、前を向いて微笑んでみせた。
傍目には、癇癪を起こす王太子を前に動じることもなく、微笑を浮かべたまま淡々と、冷静に応じているように見えただろう。
だが、いつからだろうか。いつの間にか、掛け声ばかりで顔が上を向くことはなくなり、視線は泳ぎ、気づけば顔は伏せられたまま、ため息も増えた。
――彼をなんとかしなければならない。
――どうすれば彼は自身を省みてくれるのだろう?
――彼はいつになったら、王太子としての責任と向き合うのだろうか。
彼に変わって欲しいと望んでいたが、指摘したからといって人は変わらない。
――じゃぁ、私はどうすればいい? 何をすれば他人を変えることができるの?
自分を変えたくて努力している私ですら、なかなか変われずに悩んでいるというのに……。
困り果て、悩む私に追い打ちをかけるように、学園に通う令息たちが嘆願するようになった。
――王太子殿下の行動は目に余る。
――次期国王ともあろう方があのような……。お諌めするのが貴方の役目ではないのか。
――私のような身分ではとてもとても……。婚約者として、貴方からご意見されてはくださいませんか。
いまだ信頼関係どころか溝を深めるばかりの自分が、彼に何を話せというのか。まともに挨拶すら返ってこない有様だというのに……。
正直、断ってしまいたかった。自分を嫌う人間に意見するなど、相手の反応を考えれば気後れしてしまう。
かといって、自分の責任から逃げるのも許しがたい。けれども、私が諌めようとしたところで悪化するだけの可能性もあり、責任を果たして現状を悪化させては本末転倒で……。
だが、そのように逃げ腰の自分がいるからこそ、私は殿下に諫言してしまった。
「嫌だ」「したくない」と思っている自分へのやましさから、「本末転倒になる」という考えが言い訳のように思えて、冷静に判断できなかったのだ。
結果、殿下は口うるさい婚約者をさらに嫌悪するようになってしまった。
後になって、セラフィオーネに相談してから行動すればよかった、と気づいたものの、後の祭りだ。
私は重苦しいため息を付き、その後しばらくは悶悶とした日々を過ごした。




