盗み聞きする第二王子
それは冬の終わり。
硬い木の芽が見え隠れするようになってきていたものの、まだ寒さが厳しい時期。
私は人気のない庭に風にさらわれたのであろうハンカチを見つけ、足を踏み入れた。
いつもであれば、そんなものは使用人が片付けるものだと見向きもしなかったはずなのだが、地面に近い枝に引っかかったそれが風に揺れるのを見て、気まぐれを起こしたのだ。
そして、ハンカチを拾おうと腰をかがめた時、私の耳は微かな話し声を捉えた。
――この寒い中、花も咲いていない庭にわざわざ出るなんて、物好きな……。
瞬間、そんな考えが頭をよぎったものの、特に気にも止めずにハンカチに手をのばし――。
「もう、無理よっ!」
「!」
嗚咽混じりの声に、動きが止まる。
――この声は……。
身体を起こし、声の主を探して視線が泳ぐ。
「わたくし、ずっと努力してきたわ。婚約はもう決まったことだもの。受け入れて、最善を尽くそうと試行錯誤もしたし、きっとなんとかなる、って信じて、彼のことを理解しようと頑張った! それなのに、なぜ?!」
息を潜め、そっと生け垣の影から覗くと、物寂しい庭に二色の色鮮やかなドレスがすぐ近くに見えた。
「和解するどころか他の女性のもとへ逃げられるなんて、わたくしにこれ以上、どうしろというのよっ!!!」
普段とかけ離れた、泣きじゃくる少女――カティナベルの姿に目を見開く。
「もう、彼へ笑顔を向けられる気がしないの。腹が立って、腹が立って、彼の欠点を羅列してしまう。わたくしが悪いんじゃない。彼が非常識で最低な人間なんだ、って思わずにはいられないの!」
いつも、凛とした佇まいで、冷静沈着な態度を崩さない彼女のこぼした弱音。
こんな、いつ人が来てしまうか分からない場所で感情を顕にする彼女を見て、私はそっと息をついた。
これで、彼女もやっと兄に見切りをつけられるだろう、と思ったのだ。
陛下たちと一緒になって、兄を更正させようと四苦八苦するなんて馬鹿馬鹿しい――そう、結論づけるだろう、と。
随分と遅くなったが、彼女もやっと自分と同じ判断ができるな、と小さな満足感さえ感じ、私はその場を立ち去ろうとした。
「誰かへの不平不満を並べ立てて、相手が悪いんだ、って。自分は悪くない、って言って満足して。そこで足を止めたくないのに……」
だが、彼女の思わぬセリフに足が止まる。
「それでも、彼を責め立てて、こき下ろして、蔑んで、罵倒したくなって……。いいえ、そんなみっともないこと、したくないの。けど、そんなどす黒い感情が吹き出してくるのを止められない。溢れ出さないように、ギリギリ押さえつけているだけの自分が、嫌で嫌でたまらないっ!!」
みっともない……。それは、誰の話だろうか。
――彼を責め立てて。
いつも、非難の視線を向けていた。王太子のくせに、なぜ、責任と義務から逃げるのか、と。
――こき下ろして。
彼がなにか行動するたびに、批判して。
――蔑んで罵倒したい。
そして、見下すような視線を向けては愚物、能無し、と心の内でののしって……。
直面した『兄』という問題に無関心を装って、解決のためになんの努力もしない。いや、それどころか、努力する彼女たちを嘲笑っていたのは……。
カッ、と顔が熱くなる。
――小賢しい、愚か者。
そんな言葉が頭に浮かぶ。
要領よく立ち回り、自分のものさしで他人を測り、切り捨て、自分こそが賢いと鼻高々としていた、そんな自分がひどく卑小に思えて……。
――……違うっ!
羞恥を飲み込むように、怒りが燃え上がる。
兄が愚かなのを彼女がどうにかしようなんて、なぜ考えるのか。
自分の責任として抱え込むなんて、意味が分からない。
おかしいのは、彼女の方だ。
『相手が悪いんだ、って。自分は悪くない、って言って満足して。そこで足を止めたくないのに……』
先程の彼女のセリフが甦る。
――彼女がおかしくて、自分は正しくて。だから、自分は何も省みず、結論は出ているからその先を考えない……。それで、良いのか?
憤る熱に胸がうずくのとは別に、客観的な自分が冷静に問いかけてくる。
成長しようとしない、変わろうとしない人間は、どこまでも堕ちていくだけだ、と。そうやって、兄を蔑んでいたはずなのに。これでは、兄と同じじゃないのか。
ギリッと歯を食いしばる。
あまりに不愉快な心の声に、耳をふさぎたくなる。
だが、自分のずるくて弱い心の声に従うのは――今まで蔑んできた、程度が低く、愚かで醜悪な連中と同じ姿を晒すなど、プライドが許さない。
せめぎ合う二つの思いに、私は立ち尽くした。
★卑小
根性が卑しくて、心が狭いこと。
取るに足りない見すぼらしさ。
ちっぽけで価値の低いこと。
★矮小
丈が低く形の小さいこと。こぢんまりしていること。
※卑小の方は下劣で、卑しい、みたいなニュアンスを含む。
★嗚咽
声をおさえて(つまらせて)泣くこと。むせび泣き。




