Reason 9
振り向いた孔世ユウヤは左目から涙を流していた。
だけれど、眉根も寄っていないし、口角もフラットなままで、まるでリラックスしているように見えた。
だから、ルイには彼のその涙の理由が理解できなかった。
いや、理解なんてしようとするもんじゃない。
孔世ユウヤは病気持ちだ。
彼の奇行に根拠なんか要らない、相手になんかしたらいけない。
「ああ、大丈夫だよ、襲ったりしないから」
孔世ユウヤは涙を払って、白々しいことを言った。
ルイは相手にしないでさっさと出て行くべきだと思ったけれど、籐派セラがまたしても停止してしまった。
一体どうしてしまったというのだろう、まるで旧世代のAIが矛盾する命令を同時に実行しようとしたときに起こるバグみたいだ。その問題は根幹プログラムに設定された倫理事項に照らし合わせた順位付けによって解消される。
「だから、なんで、どうして……、そんなに!」
眉根を寄せている、拳を握っている、孔世ユウヤを睨んでいる。
籐派セラは孔世ユウヤに対して激しい怒りを感じているようだ。
気持ちはよく分かる。
彼は、エリア27での生活や、大事なカリキュラムの進行を台無しにしたヤツだ、ルイだって彼のことを疎ましく感じている。
「どうして、か。ほら、まあ、個人的にも、彼女の代わりとしても、満足できるだけは終わらせたんだ。だから、もうこれ以上の殺しはしない」
孔世ユウヤは微笑していた。
普段の彼が、教室でクラスメイトや教師に向けていた挑発するような嘲笑とは違って見えた。
「入っておいてでよ、じゃないと、誰かが来るかも。統率するなんて言ったけどさ、あれってただのハッタリだからさ。確かにボクはエレベータを使えなくしたり、彼らに対してアドバイスや、武器を与えたりはしたけれど、別に王様ってわけじゃない。ただ、そうでもしないと、地球機構の連中ってば、すぐに目的を終わらせてエリア27を沈めてしまうだろう?」
どうせ沈むのだから早いも遅いも一緒だろうに。
期限を引き延ばすことがなにかしらの生産的行為に繋がるというのだろうか。
カリキュラムもやっていないくせに、それなら、さっさと終わりにしてしまうほうがよっぽど社会のためだ。
「セラさん、危険だよ、早く出て行こう」
孔世ユウヤみたいな病気持ちが数メートルの距離で汚らしい息を吐いているのだ、空気感染するかもしれない。
「ルイくんも心配ないってば、入っておいで、話をするつもりだったんだ。地球機構の連中ももう、あまり時間を残しておいてくれちゃあいないんだからね」
孔世ユウヤはやっぱりおかしいヤツだ。
ルイを見て、笑うのだから。
滑稽なのはお前の方だ、いい気になって、ぺちゃくちゃと喋って、病気持ちのくせに。
「セラさん」
呼んだのにヒドイ、彼女はまるで耳を貸さないで、薄暗い特別教室に入ってしまった。
籐派セラが我が儘なのはよく分かっているが、さっきだってそれで失敗しただろうに。あんなに反省していたように見えたのはポーズだったとでも言うのだろうか。
「教えてください。なんで急にこんなことになったんですか、いったい、なんなんですか、なにが、私たちの日常に起こったんですか?」
彼女は正気だろうか。
病気持ちに聞いたって、何にもなりやしないだろ。
きっと彼女はただ、鬱憤を晴らす先が欲しいだけなのだ。そんな癇癪、後にしてくれれば良いのに。
孔世ユウヤは「うーん」と顎に手を添えて考える素振りをしながら、ルイの方をチラリと見た。
「相談事って、扉を開けっぱなしにしてするようなものじゃ無いだろう?」
片目を閉じて、彼はわざとらしく言う。
籐派セラも、唇を開こうとはしないが、ルイのことをうつむきがちに横目で見ていた。
こういうシチュエーションは何度が経験している。
そのことでハゲ中年にアドバイスをされたこともある。
これじゃあ、まるで、ルイこそが空気の読めない恥ずかしいヤツみたいだ。
理不尽だと思った。
病気持ちと進んで同じ密室に入れなんて、どう考えたっておかしい。
でも集団行動が出来ないヤツは、社会の責任を果たす役割を担う人間として、全うじゃ無い。
カリキュラムではなんと言っていただろうか。
迷って、
「うん、よく決めてくれたね、ありがとう、ルイ君」
口角を上げて、孔世ユウヤが言った。
ルイが一歩前に出たせいで、自動ドアが閉まったからだった。
こうなったら、部屋から出るには籐派セラか、孔世ユウヤのコードを使うしか無い。
部屋の使用にイレギュラーがあった場合、最後に部屋を出たものに責任が課せられる。だから、退室時にも権限を持つ人間のコードが必要になる。
孔世ユウヤは病気持ちだ。
籐派セラは正気とは言えない、さっきからどうも興奮気味だ。
ああ、もう。
選択を間違えた。
きっと、この場で唯一まともなのはルイだけなんだから、一人でも外に出ているべきだった。
だけど、籐派セラは、綺麗な声をしているのだ。
それを見捨てるなんて出来ないだろう、大切なんだから。
「ごめんね、ルイくん」
謝れる程度に理性が残っていたことが驚きだった。
「でも、私、知らないと、じゃないと、だって、私はあのときに……」
籐派セラは自分の腕に爪を立てていた。
自傷行為なんてますます精神が不安定な証拠だ。彼女の精神状態は今すぐに休養とカウンセリングを必要としている。
目先が真っ暗になる思いだった。




