Reason 8
「なんで、あんなに……」
籐派セラも彼らの行いが理解できないのだろう。
眉根を寄せて、食い入るように扉の隙間から覗いていた。
ああ、そんなことよりもそろそろマズイ、認証パネルが点滅している。
「セラさん、セラさん」
せっかく教えてあげようとしているのに、籐派セラはルイのことを無視した。
ALERT! ALERT! ALERT!
認証パネルが警告文を表示し、ついにけたましい音と、扉が開いたままになっているアナウンスを開始した。
籐派セラは今頃になって急いで扉を閉めたが、もう手遅れだ。
通行に使用した籐派セラのコードには、素行不良の履歴がついてしまった。
履歴がいくつか溜まったら特別メンタルカリキュラムを受けなければならなくなる。具体的には個人面談だ。ルイもよくハゲ教員にアドバイスをされた口だ。
あのハゲ教員の自分語りと同意を求める問いかけのループは、それこそ頭がおかしくなりそうだった。これも悪いことをした代償なのだと思えばこそ耐えたが、進んで受けたいカリキュラムでは無い。
「ルイ君ッ!」
抵抗する間もなく、またしても籐派セラに手を掴まれて廊下を走る。
少し痛い。
それに汗だろうか、じっとりする、振り解きたい。
でも籐派セラが「ごめん、ごめんね」と、顔を拭いながら何度も言うものだから、機会を得られなかった。
彼女は自分の失敗を酷く後悔しているらしかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
声が震えている。
籐派セラは取り乱している。
このままじゃいけない。
病気持ちどもはきっと追ってくる、まっすぐ行ったら簡単に追いつかれてしまう
そして、きっと病気を移すためにベタベタと触ろうとしてくるに違いない。考えただけでもおぞましいことだ。
ルイは思い切って踵を立てて踏ん張った。
空気を呑み込むようなか細い悲鳴を上げる籐派セラに引っぱられて、たたらを踏んだが、なんとか転ばないでいられた。
「こっちがいいよ」
今度はルイが籐派セラの腕を引く番だ。
特別棟へと籐派セラを連れて行こうとしたが、籐派セラはその場に座ってしまった。
今は疲れたからって休んでいられないだろうに。
「私、だって、私、あのとき、学生会のみんなで隠れていたあのとき、ルイ君に会う前に、私、だって、仕方ないって。だけど、なのに……」
ぶつぶつと、籐派セラは何事かを呟いている。
これはいよいよだ。
モモから離れて、好き勝手やって、ルイを危機に陥れて、籐派セラの失態はもはや目に余る。
ああ、でも彼女の声は素敵なのだ。とても綺麗で、ルイが大切だと思えるものなのだ。
イライラする。
目頭の奥がずくずくと疼く。
いったいなんだってルイがこんな目に合わなくちゃあちゃならないのだろう。
間違っているのはアイツらだ、ルイじゃ無い。
足音が近づいてくる。
ルイは正しいことをしてきた、カリキュラムだってきちんとやってる。それなのに、どうしてこんなに、不安で苦しくならなくちゃいけないのだろう。
「どこかへ行けよ」
こっちに来るな。
不幸を運んでくるな。
ルイは幸福でいるための努力をしてきたのだ。それを侵略しようとするな、汚い手で奪い取ろうとするな。
そんな権利がアイツらにあって良いはずが無い。
「『あっちへ行け!』」
突き抜けた感覚だった。
澱が澄んだかのような、行き止まりの路地で見上げたら景色が見えたかのような、
――あるいは、張り詰めていた糸をプチンと裁ってしまったかのような。
「はあ、はあ、はあ」
視界は眩み、息が荒い。
鼓動が聞こえる。
身体を動かすカリキュラムを全力でやった後みたいに、耳の裏や、手首がじんじんした。
足音は止んでいた。
「ルイくん……」
籐派セラが見上げてくる。
いつまでも座っていること無いんだ。廊下は休むための場所じゃ無いんだから。
「セラさん、立って、休むなら特別教室に入ろう」
特別教室は一部の優秀な生徒が、特別な職業に必要なカリキュラムを受講するための教室だ。使用許可も制限されている。
ルイの同年代で使用許可がある生徒は数えるほどしかいないはずだ。頭がおかしい病気持ち達が使用権限を取得しているなんてことはあり得ない。
本当はルイも権限を持っていない。でも籐派セラは持っているはずだ。
権限の無い教室を使用するのはダメなことだ、でも、実際に受講するわけでは無い、避難するだけだ。だったら、きっと使用も許される。
「……あの人たちは?」
「もう来ないみたいだよ」
T字路の向こうを覗いたりはしない。必要ない。
重要なのは、もうあの病気持ち達はルイ達につきまとったりしないということ、それだけだ。
「ルイくん?」
「なあに?」
「あの人たち、どうなったの?」
「どこかに行ったんだよ」
籐派セラはじっと、ルイを見上るばかりだ。すっかり脅えてしまって、疑心暗鬼になっているらしい。
「ルイくん、あの人たちに、なにをしたの?」
なにをしただって?
「来るなって言ったんだ。それだけだよ」
他人を拒絶することは良くないことだ。
関係に亀裂が生じるし、なにより、社会生活は共存するということなのだから。
ルイだって本当はこんなことをしたくなかった、だけれど、病気持ちどもがまったく遠慮を知らないものだから、言うしか無かった。
仕方の無いことだった。
カリキュラムを忘れたわけでは無い、ただ自分の権利を守っただけだ。
「ここにいちゃダメだよ、行こう」
籐派セラを促す。
良心に従って彼女が立ち上がるアシストをするために手を差し出したが、籐派セラは、その手を掴もうとはしなかった。
なら、仕方が無い。
「先を歩くよ」
籐派セラの横を抜けて、特別棟へと進む。
立ち止まって振り返ると、籐派セラは、壁を頼りに自力で立ち上がろうとしていた。
だったら、問題が無い。
ルイは歩くことを続けた。
時折振り返れば、籐派セラは胸に手を当てながら、俯きがちに従いてきていた。
「この特別教室には入れるかな?」
いくつかの特別教室の認証パネルの前で籐派セラには同じ質問をした。
籐派セラはルイが訊ねているにも関わらず、一言も喋らないで、無愛想に首を横に振り続けた。
ルイは、彼女を責めたりしなかった。
籐派セラにとって病気持ちとの交流はとってもショッキングなことだったのだろう。だったら、ルイはそれに配慮をしてあげなければならない。
四つ目の特別教室を訪れた。
パネルは使用中の表示を点滅していた。
「だれか、いるの?」
久しぶりに籐派セラが口を利いた。
ルイ達と同じことを考えて、誰かが、避難したのかもしれない。
じゃあ、ここもだめだ。
ルイが次に行かなければと考えていたときだった。
籐派セラが齧り付くように、認証パネルに入力をして、生態情報を読み取らせ始めた。
素直にルイは驚いた。
彼女には使用中の教室に介入する権利が与えられているのだ。
どれほどに彼女が重要な存在なのかを改めて思いだした。
パネルは間もなく、入室許可を出した。
音も無く、扉は開いて、
「えっ?」
後ろ姿に、ルイが声を漏らす。
教室には唯の一人しかいなかった。
彼は、並んでいる椅子はシカトして、最前列に並ぶデスクに座りながら、スクリーンに投影された動画を見ていた。
荒い画質で再生される、爆薬、暴力、誰かのちぎれた肢体、ケロイド、悲鳴、慟哭。
汚らわしく、不衛生な歴史の記録。
地上で引き起こされた、戦争のフィルム。
ブラインドを下ろした薄暗い部屋で観賞していた唯の一人の彼は、首だけで振り返って、軽く手を上げて言ったのだ。
「やあ」
「そんな……」
籐派セラが口を覆う。
無理も無い。
そこに居た唯の一人とは、孔世ユウヤだったのだから。




