第18章 君に酔った!
~あれ以来、僕も少しずつ夢に向かって前進を始めたように思います。 あの時、東京に戻ってからは本当に立ち直ることができるのかと思うほどでしたが、幸い、頼りになる良い仲間に恵まれていたことを改めて実感します。 翌年、仲の良い君達に会っても後ろめたさや嫉みを持たずに接することができたのも、その仲間のおかげでした・・・
いつものように広之は病院の喫煙所で窓の外を眺めながら大きくタバコの煙を吸い込んだ。
すると、突然誰かに背中をたたかれ、思わずむせかえった。
振り向くと、そこには真弓の姿があった。
「ごめんなさい。 驚かせちゃったかしら」
真弓は手に持ったカップのコーヒーをテーブルにおいて広之の背中をさすった。
「もう、大丈夫だよ」
広之はそう言って、煙草を吸い殻入れにねじ込んだ。
真弓は安心すると、ベンチに腰掛け、カップを口元に運んだ。
一口すすってテーブルにカップを戻した。
「一緒に座りませんか?」
少し恥ずかしい気持もあったが、広之は真弓の隣に腰を下ろした。
「なかなかカッコイイ彼じゃないか」
「そうでしょう! とてもいい人ですよ」
「はいはい、ごちそうさまです」
「どういたしまして。 じゃあ、今度は先輩がごちそうしてくれますか?」
「えっ?」
「今日は早番ですよね? 私も5時で上がりなんですよ。駅前におしゃれな洋食屋さんを見つけたんです。 もちろん、バドワイザーもありますよ」
「バドワイザー?」
「ええ、お好きですよね。この前も歓迎会の時も飲んでいたでしょう?」
「・・・」
「6時に南口の噴水の前で待ってますからね」
それだけ言うと、真弓は喫煙所を後にした。
「バドワイザー・・・」
広之は真弓がそういうところを見ていたことに驚いた。
しかし、とても嬉しかった。
真弓はナースセンターに戻ると、席に着いて机に顔を伏せた。
あんなことを言える自分に驚いたし、今になって顔から火が出るほど恥ずかしかった。
それを見ていた沙織が真弓に近づいて心配そうに尋ねた。
「どうしたの? 具合でも悪いの?」
真弓は焦って言い訳を考えたが、適当な言葉が見つからなかった。
「いいえ、5時で上がれるので大丈夫です」
言ってから『何を言ってるんだ私は』と顔を覆った。
「あら、顔が赤いわね。 熱でもあるんじゃない?」
真弓は、そう言って沙織が自分のおでこに手を当てようとするのを制して、立ち上がった。
「大丈夫です」
沙織はちらっと腕時計を見ると、婦長の方へ歩いていった。
すると、今度は不調が真弓の方へ近づいてくる。
「どうしよう・・・」
更に焦る真弓に不調が声をかけた。
「ちょっと早いけど、もう上がっていいわよ。 帰りに内科に行ってみてもらいなさい」
ずいぶん遅れてしまった。
自分から6時だと言っておいて、1時間も遅刻をしてしまうなんて。
いくらなんでも、いるわけがない。
そう思い、南口の噴水を目指して走った。
どうしてこんな時にハイヒールなんて履いてきちゃったんだろう?
4時半に帰してもらった真弓は、内科に寄らないわけにはいかなかった。
どうせ、熱もないし診察もすぐに終わるだろうと思っていた。
ところがこの日の内科は、ことのほか込みあっていた。
「手が空いたらすぐに診てやるからちょっと待っててくれ」
「忙しそうだったら大丈夫なのでお構いなく・・・」
「そうはいかないよ。吉田婦長から直々に仰せつかってるんでね」
『うう・・・ いじめだ。 これはきっと、行き遅れの婦長のいじめに違いない。』
心の中でそう呟いてみたものの、こういう時に限って時間のたつのが異常に早い。
これで腕時計を見るのは何度目だろう? 既に6時を過ぎている。
広之はのどが渇いたのでビールの自動販売機を捜してコインを入れた。
取り出し口に転がってきたバドワイザーを手にすると、口元に運んでからプルトップをこじ開けた。
溢れてきた泡がこぼれないように一口飲むと、噴水の前の戻って手摺に寄り掛かった。
ちょうどその時、走って来る真弓の姿が目に入った。
今日はやけ食いだ。
そのつもりでも、一応、待ち合わせ場所に行って辺りを見回してみた。
「いるはずないか・・・」
分かっていたこととはいえ、広之の姿がないのを確認したら、やっぱり悲しかった。
そんな傷心の真弓をナンパしようと背後から声を掛けてくる奴がいた。
「おじょうさん、暇なら食事でもしませんか?」
真弓はムカついてそいつをひっぱたいてやろうと手をあげて振り向いた。
勢い良く振り下ろされた手は彼が持っていた缶ビールを吹き飛ばした。
彼の服にビールが飛び散ったが、もう片方の手に真弓の手は受け止められた。
その瞬間、真弓の顔が青ざめた。
声をかけてきたのは広之だったのだ。
黒いTシャツが日焼けした肌によく似合っている。
上に羽織ってきた白い麻のジャケットはビールのしみが残らないようにクリーニングに出してきた。
「本当に雰囲気もいいけど、何よりも味が最高だね!」
広之が食べているのは特製のトマトソースがかかったカツレツだ。
「こりゃあ、バドが何杯でも入るな」
広之は本当にうまそうに食って飲んでいる。
「さっきはすいません。 私、自分から言い出しておいて遅れちゃったから自分に腹がたって、でも、悲しくて、そんなときに軽い言葉でナンパしてくるようなやつ・・・ あっ! ごめんなさい。 先輩のことじゃなくて・・・ その・・・」
「いいんだ。 気にしなくても。 そんなに気になるのなら、ボクが酔っ払ってしまったら最後まで面倒みてくれるかい?」
「えっ?最後までですか?」
「冗談だよ! そんなことは忘れて君も料理が冷めないうちに早く食べな」
結局、この後も広之はひたすら食い続けた。
そして、バドワイザーを8本飲みほしてデザート代りにグラスワインを2杯飲んだ。
さすがに、店を出る頃には足元がおぼつかなくなっていた。
駅前のタクシー乗り場まで一緒に歩いたが、真弓は広之を一人で返すのが心配になった。
広之のマンションは寮とは反対方向だったが、一緒にタクシーに乗って一ことにした。
「ガキじゃないんだから、そんなに心配しなくてもいいのに。 でも、今日は楽しかったよ。 いつもはこれくらい平気なのに変だなあ・・・ そうか!今日は君と一緒だったから悪酔いしたかな」
「悪酔い? ですか・・・」
「ごめん、ごめん。言い方が悪かったかな。 酒じゃなくて君に酔ったんだ。きっと!」
広之の言葉はしっかりしていたが、意識の方は怪しかった。
真弓は広之をマンションまで送ると、広之は泊まって行けと言ったが、今日のところは寮に引き返した。
部屋の戻った真弓は、やっぱり泊まればよかったかな・・・ と、ちょっぴり後悔をしていた。
だけど、これで良かったんだと思い直してベッドに横になった。
「明日、クリーニング屋さんに行ってこないと・・・」