第14章 贅沢な時間
〜根本的には何も変わってはいなかったのだと思います。しかし、最初の帰郷の時以来、何かしっくりこないような気がしはじめたのは、二人を取り巻く環境が違うスピードで動いていたからかも知れません・・・
改札を抜けて駅の外に出ると真夏の太陽がジリジリと肌を刺激する。
「こっち」
そう言って真弓は史也の手を引いて歩きだした。
駅の駐輪場に入ると真弓が指をさした。
そこには数台の自転車が止められていたが、その中の1台を史也はすぐに見据えた。
「懐かしいでしょう?」
高校時代に史也が乗っていた真弓の自転車だ。
名前シールに島田真弓と書かれてある。
その脇に小さく書かれた史也の名前にハートマークのシールが貼られている。
「そのシールは・・・」
「ああ、これ! 可愛いでしょう? 里中君の名前があまりにも遠慮気味で寂しいから貼ってあげたのよ」
真弓はそう言って、ハートマークを指で数回撫でた。
史也はなんだか照れ臭くなってそっぽを向いてしまった。
「ねえ、早く行こう!」
真弓は自転車に鍵を差し込むと、そそくさと自転車を押して駐輪場を出て行った。
「お・・ おう!」
二人は駅からほど近い城址公園の石段をゆっくりと登っていた。
自転車は石段の下において来た。
しばらくはお互いの存在を感じながら何もしゃべらずに歩いた。
そして、どちらからともなく手をつないだ。
真弓はちっとも変っていないように思える。
しかし、史也は自信がなかった。
中学を卒業して別々の高校に行くようになってから、真弓と遺書にいる時間が少なくなった。
それでも、会おうと思えばいつでも会える距離だった。
東京に出てからたった4カ月しかたっていないのに、史也はこれまでとは違う不安が絶えず心の中に潜んでいるような気がして怖かった。
史也はまっすぐに前を向いたままだったが、真弓は史也のそんな横顔を見て笑った。
「里中君は変わらないね」
「そうか?」
「うん! すぐに顔に出る!」
史也は一瞬ドキッとした。
「じゃあ、俺が今どんな気持ちか解るのか?」
「そんなのお茶の子さいさいよ」
「そうか・・・」
史也は会えて、それを聞こうとは思わなかった。
たぶん、真弓が思っていることに間違いがないのだから。
かつて、この土地の領主が住んでいたという小さなお城・・・ 今はもう、石垣しか残っていない。
小高いこの丘のてっぺんには、当時の面影を思い浮かべるに値するものはこの石垣だけだ。
そこからは、町の中心部が見渡せる。
決して高い建物はないが、そこには明らかに現代の町並みがあった。
「小説の方はどう?」
並んでベンチに座って、真弓は史也に寄り添うように自分の顔を史也の方に預けた。
「サークルのバイトや雑用でまともな小説なんて書いたことはないよ。 でも、文章を書くことに関しては、少し要領が分かってきたような気がするよ。 島田さんの方はどう? 仕事は忙しいんじゃないのかい?」
「そうね・・・ 自分で選んだことだし、充実しているわよ。 でも、こんなにゆっくりした気持ちになったのは久しぶりだわ。 休みの時も一人でいることが多いし、いつも仕事のことが頭の中にあるの」
「友達とかはいないのか?」
「もちろんいるわ。 でもシフトとかあって、なかなか同じ日に休めることがないのよ。 私って小さい時からそうだってけど、いつも大勢でいることが多かったから一人だと何していいか分からないんだよね。 里中君は?」
「俺は、逆だな。どっちかというと、今までは一人の方が多かったから、今の環境はうっとうしいくらいだよ。 でも、まんざらでもない」
「ふ〜ん、そうなんだ・・・ ちょっと安心した。 でも、ちょっと残念」
「残念?」
「うん、そのうちホームシックになって、帰ってくるんじゃないかと思ったこともあったから」
「じゃあ、東京に帰らないで、このままこっちにいようかな」
「ダメだよ! まだ早いって! 帰ってくるときは有名な小説家になってからだよ」
「それじゃあ、一生帰れないような気がするよ・・・ あっ! もしかして帰ってくるなってことか? さては、新しい男でもできたか?」
「ぷっ・・・」
史也の冗談に真弓はつい吹き出してしまった。
「なにがおかしい?」
「バッカじゃないの? 新しい男ができたら貴重な休みをこんな無駄に使わないよ」
「おっ! ついに本音が出たな? どうせ俺といる時間なんかそんなもんだろうな」
「そうよ! だから、里中くんと一緒にいる時間が一番贅沢なのよ」
「当然だ!」
二人は見つめ合って、そして、笑った。
大きな声で腹を抱えて笑った。
「今の会話を誰かが聞いていたら、きっと、別れ話でもめているように聞こえたかもね」
「そうか? そんな会話だったのか?」
「もう! 里中君ったら、相変わらずね」