決戦前日
「いい加減にせよ。まずは偵察隊を出し、情報を集めろ。分からないのに議論しても何にもならぬ。馬鹿者めが。」
魔王軍の陣営の中で、高くとおった声があがった。魔王が、何時までも続く議論に業を煮やしたのだ。魔王軍の幹部、魔族の大貴族達はさきほどまで怒鳴りあっていたことを、忘れたかのように口を閉ざした。黒髪の魔王は、典型的な人間型女魔族らしく、半ば以上が人間型、ダークエルフ系とはいえ、男も女も巨漢が多く、獣、爬虫類、昆虫型、オーク系等は種族的に体が大きいため、彼女はとても小柄に見えた。その上、皆が武器を持ち、鎧を着込んでいるのに、彼女だけは自分の体を見せつけるつもりなのか、ゆったりとした、露出がちな服を着て、剣も脇に置いていた。外見は、人間的に言うと20そこそこくらいにしかみえなかった。
「ふん。色気だけの女が魔神だと?笑わせるわ!」
これ見よがしに声をあげた者がいた。トカゲあるいはドラゴン顔の大柄な魔族だった。
「見なれぬ奴だのう。何処ぞの田舎ものか?」
彼の上司らしき同族の魔族がたしなめていたが、それは見かけだけのようで、疑わしく見えた。それを見る彼女には馬鹿にする表情が、誰からも見てとれた。
「構わぬ。かかって参れ。」
身構えることもなく挑発した。
「陛下!」
「会戦前の余興じゃ。」
男はしばし躊躇したが、魔剣を抜いて突進した。誰もが、落ちついて見守っていたが、半ば期待する表情を浮かべてもいた。魔王は動かなかった。必殺の一撃が、魔力のすべてを集中して振り下ろされた。しかし、魔剣は弾かれた。
「馬鹿な!」
自信を打ち砕かれ、驚愕する、その魔族を、魔王は素手の一撃で、地面にたたきつけられて気絶させてしまった。
「なかなかの魔剣と魔甲冑と…だが、これで我を倒せると思ったか。」
小馬鹿にするようにつぶやいた。そして、すっくと立ち上がると、怒りの形相になり、
「馬鹿者ども!」
そして、男の種族の方を指さして、
「何じゃ!このていたらくは。こんな軟弱者をわしに差し向けるようでは、お前らはとんでもない弱卒だ。そんな奴らには、なんらの待遇もあたえられん!それが嫌なら、名誉を挽回せよ!そのチャンスを与える!明日の戦いは中央の先鋒を命ずる。命を惜しまず、進んで、進んで敵を、人間どもを追い詰めよ。」
魔王の命令に反論出来ない状況だった。
足下の男を片手で持ち上げて、仲間たちの方に投げつけた。大きな音を立てて、男はたたきつけられた。
「こいつに回復魔法をかけて、その後手当てしてやれ。精鋭200をつけてやれ。明日は、あの勇者の首を取ってこい、出来なければ生き残った連中共々処刑だ、…いや、減刑して拷問だ、そう言ってやれ!」
物見が帰ってきて報告があった。人間達の連合軍は、中央13万、左翼7万、右翼6万計26万。
「あの勇者は、また右翼か。」
右翼が激戦を交えているのを横目に、機をみて中央が進撃する、左翼は陽動しつつ、追撃にまわるというところだと思われた。中央は当初は消極的、防御にまわり時間を稼ぎ、消耗を避ける。
「中央先鋒は遮二無二に敵の中央をつけ。右翼は我が先頭に立って攻勢をとる。左翼と中央主力は防御を主にして時間を稼げ。敵の中央を壊滅させた我が後方に回れば、あの勇者の軍を包囲出来る。あとはゆっくり料理するだけじゃ。わかったか。」
作戦会議が終わると、彼女は自分を襲わせた種族のうちの2部族の長を呼び、彼らだけを自分の直接率いる軍に加わることを命じた。更に彼らが去ると、密かにもう一部族の長を呼びつけ、優しく彼らには期待するところが多いこと、中央突破での手柄次第で種族の長にしたいと考えている旨を伝えた。
一方、人間達の軍の右翼で、小高くなっているところから、20代半ばくらいの黒髪の戦士が魔軍の方をじっとみつめていた。長身だが、軍の中の大柄な戦士達と比べると、やや頼りないくらいに細く見えた。軽装な鎧はさらにそういう印象を強めた。
「勇者殺しの勇者様は、なにを見ているのかしら?」
後ろから、みごとな金髪の小柄なハイエルフの女が声をかけてきた。そして、すぐに体をすり寄せるように傍らに立った。
「大抵の場合はあちらから襲ってきたから、返り討ちにしただけだ。他には、盗賊まがいな奴らを退治しただけだ。それだって、私は説得したが従わなかっただけだ。それは、お前もよく知っているだろう。」
「それでも、10人以上の勇者、しかもそのチームごと、を殺したことは確かでしょ。それで、明日は勝てる?」
「9万を少し超える。我が方は、報告では26万人。魔族には、3倍の兵があれば勝てるが、これでは微妙なところだ。陣形も、装備も、戦術も7年前前とは段違いだ。あの魔王は強さだけではない、全く厄介な奴だ。」
「でも、今度こそ勝つつもりでしょ?3回目だものね。勇者達を協力させて、諸国の連合軍をまとめて、陣形とか、武器とか、戦術やらも整えたものね。みーんな、あなたがやったことよね、私は全部知っているわ。そして、恨まれちゃったということもね。」
耳元で息を吹きかけるように囁いた。
「今回も、あなたを囮に、斬り込み隊にして、出来れば死んでくれれば、と思っている連中がいっぱいいるわよ。」
「それでも9万人の兵を、私に与えてくれたくれただけでも、まあ、よしとしよう。」
「勝てるつもり?」
「勝つつもりだ。勝って、魔王を倒し、小さな領地で静かに暮らすつもりだ。お前は、私についてくるか?」
「う~ん。どうしようかな~?」
「?」
“何時なら、甘い言葉をかけて、抱きついてくるはずだが。”
彼の疑惑は、後ろの方からの一声で、どこかに飛んでしまった。
「ご主人様。作戦会議のしたくが整ったとのことです。」
小柄なハーフエルフの女が、頭を下げて立っていた。魔族の血も入っている、人間とのハーフで、奴隷に落とされかけていたところにたまたまでくわした彼が助けて、従者の一人にしていた。そこそこの戦力を持っているので、ここに連れてきた。
「わかった。今、行く。」
ハイエルフの女は、彼女をにらみつけた。そこには、汚いものを見るような表情も見受けられた。ハイエルフは、他のエルフに対して、人間達以上に、いやそれとは比較にならないほど見下している。それでも、彼は、このハイエルフには好意以上のものを持っていた。一番長い付き合いであったし、最初に共に戦った戦友であり、苦しい戦いを共にくぐり抜けたことが何度もあった。小さな溜息をついて足を踏み出した。彼も、緊張で感傷的なものに流され、注意が散漫になっていた。
”こいつのこんなことも、まとめて受け入れてやるしかないな。でも、あいつはどうしているのだろうか?“
あてもなく空を見上げつつ、足はとめなかった。考えても仕方がないと、また自分に言い聞かせた。
”どうしているかしら。もし、居てくれたら、ここに。“
「魔王様。どうかなさいましたか?」
我に返って振り返った。美形の人間型魔族の男がひざまずいていた。
「明日のことを考えていた。それはそうと、明日は焦らず、任務を果たせ。」
男は不満そうだった。最近の側近の愛人だった。少数の兵を率いて、後方援護と監視を任じられていた。それが軽すぎることを不満に感じているらしかった。
「まずは実績だ。わしはお主を信じている、能力のない単なる美形で、夜の務めだけが得意な奴をそばに置かん。」
男は、期待に添うよう頑張る旨答えて、深々と頭を下げて退いた。
「今晩は一人のほうがいいか。今晩は一人にさせてくれるようだな。」
自分自身のことでありながら、少し強がっていることを感じた。誰も見ていないが、苦笑した。
“あいつのことでも考えていよう。”