第42話
文化祭が終わった。
努力の甲斐あってか、僕たち二年三組は栄えある最優秀賞を受賞し、百冊用意されていた部誌は後輩二人のお陰もあってか無事に完売。三枝と神楽坂先輩も、一応は上手くいった。
校内には祭りが終わった後特有の、寂寥感のようなものが窺える。各クラスがこの一ヶ月余りの成果である出店を片付けていく様子は、けれど不思議と僕の胸に、充足感に似た何かを与えていた。
片付けをしなければならないのは、我が文芸部でも同じ。
積もる話もあるだろうしという事で、三枝と先輩の二人には先に帰ってくれていいと、事前に話している。一世一代の告白があんなオチになったのだし、改めて話さなければならないことがあるだろう。
楽しかった。
一片の嘘偽りなく、そう言える文化祭だった。準備してる時も、演技の練習の時も、演劇本番も、白雪と回った二日目も。
ああ、本当に楽しかった。
僕がそう思えているのは、きっと、あの女の子のお陰で。
辿り着いた部室。教室には彼女の姿がなかったから、先にここに来ているだろう。その扉に手を掛ける前に、一つ深呼吸をする。
特別な意味があるわけではない。今更彼女と顔を合わせるのに、覚悟が必要なわけでもない。ただなんとなく、そうしてみただけ。
そうして息を吐き出すと共に扉に手を掛け、ゆっくりと開いた。
そこにいた彼女、白雪桜は、いつもと同じように、静かに本を読んでいる。開放された部室の窓から入り込む風。そのせいで靡く長い黒髪も気にせず、一心不乱に活字を追っている。
ただいつもと違うのは、長机の位置が直されていない為に座っているのが定位置ではないのと、彼女が読んでいる本がライトノベルではなく、僕たち文芸部の部誌『雪化粧』であることだ。
彼女は、そこに描かれた僕の物語を読んで、何を感じ、何を思うのだろう。知りたいと思うけれど、自分が書いた物語だから、それを知るのは少し恥ずかしい。
「遅かったわね」
珍しくも素直にページを閉じ、白雪は顔を上げて声をかけて来た。恐らくは初めてではないだろうか。彼女がこうして読書を中断するのは。
「君が早すぎるんだ。クラスのみんなはまだ騒いでたぜ。井坂なんて、君がいないからって煩かったし」
「騒がしいのは好きじゃないのよ。知ってるでしょう?」
「まあ、それくらいはね」
短い付き合いの中でも、その程度のことなら。
部室の扉を潜り、一先ずは白雪の隣の椅子に腰を下ろす。急いでいるわけでもないから、そう焦って片付けに取り掛かる必要もない。カバンの中から買っておいたブラックコーヒーを取り出し、プルタブを開ける。
「またそれ? よく飽きないものね」
「毎日のように甘いものを摂取してる君に言われたくはないね」
「糖分は脳の活動にも必要なものよ」
「ならこいつは、僕が生きる上で必要なものだ。僕の存在証明のためにもね」
「たかがブラックコーヒーにレゾンデートルを掲げられても、鼻で笑って哀れんであげるくらいしかしてあげられないわよ?」
「罵倒がセットじゃないだけ優しいな」
缶を傾けてコーヒーを煽る。毎日飲んでいるけど毎日美味しい。流石はブラックコーヒー。飽きることなんてあるわけがない。
全身に染み渡るカフェインを感じて幸福を享受していると、隣からあからさまなため息が。
「それで優しいとか、あなたおかしいんじゃないの?」
「どっかの誰かさんから毎日のように罵詈雑言を浴びせられてるからね。その辺りの感覚が麻痺してるんだよ」
「なるほど。精神死に追いやらず感覚を麻痺させるだけで済ませてるんだから、どこかの誰かさんとやらはとても優しい人格者と言うことね」
「優しいの意味を辞書で引き直せ」
息を吐くように毒舌を放つ時点で人格者もクソもないだろうに。
胡乱な目で見つめてると、白雪はムッと眉を顰める。どうでもいいけどその感じ凄い可愛いな。
「最近は、前よりはマシだと思うんだけど」
「まあ、そりゃ······」
具体的にいつからと言えるわけではないけれど。互いが互いのことを何も知らなかった頃よりは確かに、白雪の口の悪さも幾らか軟化してる気がする。
バザーでの事件があって、僕の過去を教えて、二人でデートの真似事をして、白雪の初恋を知って。
それから、白雪に救われて。
するはずもないと思っていた恋をして。
これがもし、彼女との距離が縮まっていると言うことの証左であるなら。僕たちは少しずつ。けれど確実に。互いを知り、歩み寄る事が出来ている。
「どうやら、私の聖人君子ぶりを再確認出来たようね」
「確かにマシにはなってるかもだけど、それはないね。君が聖人君子なら、神楽坂先輩はどうなるんだよ」
「あんな天然記念物と比較されても困るわ」
「それもそうか」
コーヒーを喉に流し込む。部室の外からは、他の部活の生徒達の喧騒が聞こえてくる。開け放たれた窓からは運動部の声が聞こえてくる事もなく、全校生徒が未だ文化祭の余韻に浸っているのだろう。
それは僕だって同じで、きっと白雪だって同じだ。
「無事に終わってよかったな······」
「そうね」
吐息と共に吐き出した言葉を、脳内で反芻する。本当に、無事に終わってよかった。
前日にあんなことがあったし、文化祭の最中で僕の心境に些か以上の変化があったけど。こうして全てが上手くいった。
「それもこれも、君のおかげなんだろうな」
「私?」
「君がいなかったら、僕は今頃全部諦めていただろうからさ」
白雪がいなかったら。僕の努力を拾い上げてくれなかったら。きっと僕は、またなにもかもを諦めて、今度こそダメになっていただろう。文芸部すら辞めて、ただ無気力に毎日を過ごすだけの、人形のような存在になっていたかもしれない。
そうならなかったのは、他の誰でもない。白雪桜のお陰だ。
「だから、ありがとう」
我ながら、自然な笑顔でそう言えたと思う。今この状況故なのか、彼女へ抱くこの感情があるからか、完全にとは言えないもののトラウマを払拭出来たからか。もしくは、その全てか。
唐突な礼の言葉だったからか、白雪は驚いたような、戸惑ったような表情をして。けれど直ぐに、その顔は僕と同じ笑顔を形作る。
「別に、お礼を言われる筋合いはないわ。確かに私は、当日に部誌を用意したけど、頑張ったのはあなたなんだから」
「君がその頑張りを無駄にしてくれなかったんだろう。だから、礼くらいは素直に受け取ってくれ」
「まあ、そこまで言うなら仕方なく受け取ってあげてもいいわ」
尊大な態度でそんなことを言うのは、最早見慣れた白雪らしい姿。最近は知らなかった一面や表情ばかり見せられていたからか、そんな様を見せられることにどこか安心感を覚える始末。
ちょっと子供っぽかったり。穏やかに微笑んでみせたり。真剣な目で声を荒げていたり。
そんな姿を知っているのが、この校内で僕だけだと言うことに、ほんの少しの優越感を覚えてしまう。
「なあ白雪。文化祭、楽しかったか?」
聞いておきたいと思った。いつだったか、文化祭なんてのはクラスのリア充どもに任せたていたらいい、なんて発言をして、必要以上に周囲を拒絶して距離を取りたがっていた彼女ではあったけど。
そんな白雪が、今年の文化祭を楽しめたのかどうか。知りたいと思った。
「あなたはどうだったの?」
「質問に質問で返さないでくれ」
「細かいこと気にしないの。それで?」
わざわざ聞かずとも分かってるくせに。そうやって聞いてくるのは、生来の性格の悪さ故か。
「楽しかったよ。それも、君のおかげでね」
「そう」
クスクスと微笑まれると、なんだか背中のあたりが妙に擽ったくてムズムズする。その微笑みをそのままに、彼女はこちらを向いて。僕の顔を見上げるようにして見つめてくる。
切れ長の目と強い光を携えた瞳が僕の視線と交差して、まるでそこに吸い込まれそうに錯覚してしまう。
「楽しかったわよ。あなたのおかげで、ね」
揶揄うような声と言葉に、思わず顔が熱くなってしまう。それを悟られたくなくて顔を明後日の方に逸らすも、そうしている時点で頬を染めているのを自供しているようなものだ。
僕のおかげ。そんな一言で嬉しくなって内心舞い上がってしまうのは、おかしな事だろうか。いや、なにもおかしくはないはず。多分きっと、それこそが恋をしているという事なのだろうから。
「それに······」
「それに?」
言いかけて、しかしその続きが紡がれることはない。白雪の口は閉じられて、言葉の代わりに笑みが一つ落とされた。
「ふふっ、なんでもないわ」
「言いかけてやめるのはどうかと思うぜ。余計に続きが気になるじゃないか」
「あら、そんなに気になる?」
「······やっぱやめとくよ」
なにかとんでもないことを言われそうだから。そう、例えば。演劇の最中に起きたあの事とか。一日経って、漸く自分の中でそれが起きたと言う事実を飲み込めそうなのに、今になって掘り返されても困る。
「そう? ならそろそろ、片付け始めましょうか」
「そうだね。さっさと終わらせよう」
片付けとは言っても、飾り付けを外して机を元の場所に戻すだけ。そう時間はかからない。
立ち上がって早速机を動かそうとすると、その直前に白雪から声をかけられた。
「夏目」
「ん?」
振り向いたその先に立っている白雪の顔はは、差し込む夕陽のせいか少し赤くなっているように見えて。
「これからはちゃんと頑張りなさいよ。あなたは私の王子様なんだから」
果たしてそれは、どう言った意味が込められた言葉だったのだろう。文化祭は終わった。僕は『白雪姫』における王子様役をやり遂げた。そもそもがそんな柄ではないと言うのに。だから僕は、もう王子様なんかではないのに。
でも。君が頑張れと言うのなら。
君がそれを、見ていてくれると言うのなら。
「ああ、頑張るよ」
理由はそれで十分だ。少しは、昔の僕に戻ってみよう。
差し当たっては、君を振り向かせるところから、頑張るとしようか。




